第六章 完全女装

 わたしは、会社を馘首になったのを機に、完全女装するつもりだ。一日中、女装して過ごすのだ。会社のストレスも、家庭のストレスも消えてしまった今となっては、女装する理由はなくなってしまったはずなのに、今は、男の姿でいること自体が、ストレスなのだ。女装のほうが安らぐのだ。
 一日中女装して暮らすためには、ひとつ考えなければならないことがあった。マンションの部屋の中だけならいいが、今のままでは、そうそう外に出て行けない。あの部屋から、堂々と女の格好で出て行くためには・・・・。

 マンションに帰り着くと、管理人に声をかけた。
 「管理人さん、リストラに遭っちゃって、仕事がなくなってしまったんだ」
 「はあ、それはお気の毒に・・・・」
 離婚したばかりだというのに、リストラとは可愛そうにと言う顔だ。
 「それでですね。郷里に帰って仕事を探すつもりなんですけど、部屋を貸しに出しますから、よろしくお願いします」
 「分かりました。不動産屋に連絡しましょう」
 「いえ、心当たりがありますから、わたしの方で手配します」
 「そうですか」
 「じゃあ、よろしく」
 作戦の第一段階終了だ。

 わたしは、部屋に帰ると、男物の服をすべて箱に詰めた。男物の服はもう要らない。マンションに帰る前に、古着屋と交渉して、買い取ってもらうことにしていた。宅急便で送って、金は、銀行に振り込んでもらう約束だ。
 宅急便が来て、荷物を運び出したあと、わたしは、女装用の服の入ったバッグを持って、管理人室へ顔を出した。
 「家具は置いてますから。彼女が使ってくれるでしょう」
 「彼女って、借り手は女のひとかい?」
 「遠い親戚になる、一人暮らしの女性です。女性のほうが、部屋を汚さないと思ってですね」
 「そりゃ、そうだ」
 「来週あたり、引っ越してくると思いますから、よろしく」
 「分かったよ。じゃあ、お元気で」
 「失礼します」
 作戦第二段階もうまくいった。

 わたしは、女装クラブに寄って、女の格好になると、女声で予約していたホテルに顔を出した。一週間契約だから、そう高くはない。秘密は守れるし、シーツも毎日換えてくれる。お金があったら、マンションは売り払って、ずっとホテル暮らししてもいいくらいだ。
 わたしは、一週間たったら、マンションへ、野本省吾の遠い親戚の女性として戻るつもりだ。
 「予約していた、早乙女です」
 「早乙女裕子さんですね。本日から、6日間のご宿泊ですね」
 「はい」
 「税込みで、31500円になります。前払いでお願いいたします。お部屋の冷蔵庫等のご利用がございましたら、チェックアウトの際に、ご清算させていただきます」
 「分かりました」
 「お部屋は、6階の622号室です。エレベーターは、あちらです。どうぞ、おくつろぎ下さい」
 「ありがとう」
 わたしが男だとは、まったく疑っていないようだ。このホテルで一週間過ごし、その後は、自分のマンションに、早乙女裕子として戻るのだ。

 部屋に入って最初にしたことは、バスタブにお湯を溜めることだ。風呂に入るため? もちろん、その目的もあるが、今まで、やろうと思ってやれなかったこと、無駄毛を処理するためだ。腋毛と脛毛を処理するのだ。
 備え付けの剃刀だけでは、恐らく切れなくなってしまうだろうと思って、剃刀を二本買ってきていた。溜まったお湯に浸かって、しばらくくつろいだあと、わたしは両足と腋に石鹸を塗って、毛を剃った。思いのほか簡単に、腋も脛もつるつるになった。剃刀の追加なんていらなかった。
 ふと、股間の毛も少し濃いなと思い、剃り始めた。調子に乗って剃ったため、剃りすぎて、ペニスの上にほんの少しの毛が残るだけになってしまった。おかしな具合だが、人に見せるわけじゃない。ベッドを共にする相手もいないし、まあ、いいかと、ひとり納得した。
 体を拭いて、バスルームを出ると、ドレッサーの前に座った。次は眉毛の番だ。佐知代は、小さなはさみで眉毛を切りそろえていたようだが、そんなことは慣れないとできそうもない。はさみの他に、毛抜きを使っていたのを覚えていたから、毛抜きを買ってきていた。
 眉の部分だけ、いつもする化粧をしてみて、はみ出た部分の眉毛を一本、一本抜いていった。チクチクとした痛みがあるが、思ったほどではない。およそ仕上がったところで、いったん化粧を落として、仕上がりを見てみた。まずまずのできだ。何本か残った眉毛を抜いて出来上がり。これで、コンシーラーの使う範囲がずいぶん少なくなる。
 裸のままベッドの中に入った。一度裸で寝てみたかった。寝巻きはおろか、下着も着ていないというのは、随分心もとない感じがした。しかし、完全に自由になったような気がした。
 ベッドの中で横になったまま考えた。計画通りに行けば、女装したまま暮らせる。しかし、退職金を食いつぶすだけだ。何か仕事を見つけなければならないが・・・・。いくら女装に自信があっても、昼間に働く自信はない。すると、夜の商売か。わたしの年齢では、ゲイバーは無理だと由紀が言ったっけ。やっぱり娼婦しかないかなと思う。
 由紀は、今ごろは仕事だろう。明日の昼間に電話して、アドバイスして貰おう。

 「もしもし、由紀です」
 受話器から、眠そうな由紀の声が聞こえてきた。
 「由紀さん、寝てたんじゃないの?」
 「今起きたところ。あなた、誰?」
 「あ、ごめん。野本です」
 「あら、野本さん、お久しぶり。元気にしてた?」
 「まあね」
 「林田さんとは、その後、うまくいってるの?」
 「うまくいってたんだけど、ふたりともリストラに遭っちゃって」
 もしかすると知っているかもしれないが、林田が、使い込みで逮捕されたなんてことは言えなかった。
 「そう、馘首になっちゃったの」
 「そういうこと。それでね、どこか働き口がないかと思ってね」
 「野本さん、36だったわね」
 「37になったわ」
 受話器の向こうの由紀の声が、しばらく途切れた。
 「ううん。難しいなあ。若い子なら、いくらでも働き口はあるんだけどねえ」
 「やっぱり・・・・」
 「また、娼婦やってみる?」
 残された選択枝は、それだけだろうなと自分でも思う。しかし・・・・。
 「娼婦も若くないとダメなんじゃないの?」
 「そうでもないわよ。若い男はダメだけど、それなりの年の男なら、相手にしてくれるわ」
 それなりの男? わたしの脳裏には、禿で、でっぷり太って、脂ぎった男の姿が浮かんだ。
 「あんまり年が行ってるのも、いやだわ。林田さんくらいだったら、我慢できるけど・・・・」
 「贅沢言ってる場合なの?」
 「そういう場合じゃないわね」
 「じゃあ、相手の年齢は気にしないこと。それなら、紹介できるわ」
 考えても仕方がない。ほかに稼ぐ手段がない以上、答えは一つしかないのだ。
 「・・・・やむを得ないわね」
 「ただねえ」
 「ただ、何なの?」
 「長くやるのなら、少し体に手を入れたほうがいいと思うの」
 「体に手を入れるって?」
 「少しは女らしい体形じゃないと、相手が少ないのよね。林田さんみたいに、まったく男がいいという人は、あんまりいないからねえ」
 「どうしたらいいの? 女性ホルモンかなんか、飲むの?」
 「そうよ。まずは、女性ホルモンね」
 「女性ホルモンねえ」
 「野本さん、ずっと女言葉だけど、わたしが想像するに、今は一日中女装しているのと違う?」
 「ピンポン」
 「それなら、尚更よ。娼婦をするのは別として、女装するだけでも、女性ホルモンを飲んだほうがいいわよ。手足の筋肉のごつごつした感じがなくなるし、何より、乳房が大きくなるから、詰め物がいらなくなるわよ。勿論、女とはできなくなるけどね」
 「・・・・そうねえ」
 「女とする能力が惜しいの?」
 「そんなことはないわよ。女とは、ここ数年やってないし、もう、したくもないもの」
 「じゃあ、迷うことはないでしょう?」
 「そうね。・・・・どこで手に入るの? 女性ホルモンを手に入れるところを知ってるの?」
 「知ってるわ。あっ! そうだ。野本さんに、格好の場所があるわ。うん、あそこならいいわ。絶対、いいわ」
 「なによ。ひとりで感心してないで、早く教えてよ」
 「世田谷に、福島泌尿器科というクリニックがあるの」
 「福島泌尿器科ね」
 「そう。明日は水曜日だから、ちょうどいいわ。福島泌尿器科の裏口が、玄関に向かって左側にあるの」
 「玄関に向かって左側ね」
 「明日の午後6時に、その裏口から入って、二つ目のドアをノックするといいわ」
 「裏口から入って、二つ目のドアをノックするのね」
 「そうよ。院長が待ってるから。今から、電話して置いてあげるからね」
 「お金は、いくらくらいいるの?」
 「5万よ」
 「5万ね。一回寝る分が吹っ飛ぶね」
 「女らしくなったら、お客が増えるから、すぐに取り戻せるわ」
 「なるほど」
 「それにね」
 「それに?」
 「福島先生、ホモなの」
 「と言うことは?」
 「野本さんは、福島先生の好みだと思うから、うまくいけば、一回お相手すれば、薬代をただにしてくれるかもよ」
 「なるほどね。お客を探す手間が省けるってわけね」
 「ただし、検査が陰性だったらの話しよ」
 「検査って、エイズのことなの?」
 「エイズはもちろんよ。ほかの性病もチェックした上での話し」
 「それは、福島先生がやってくれるの?」
 「もち。その費用もいれて、5万なの」
 「それ、安いの? 高いの?」
 「かなりお安いんじゃないの」
 「じゃあ、決めた。明日行ってみるわ」
 「女らしくなったところで、一度会いたいわね」
 「うんと女らしくなっておくわ」
 「じゃあね」
 「ありがと。いろいろお世話になって」
 「大したことないわよ。人助けよ」
 「じゃあ」

 翌日、午後6時少し前、わたしは福島泌尿器科の裏口のドアを開けて中に入った。右手にドアが三つあった。二つ目のドアだったなと、昨日の由紀との会話を思い出す。
 ドアをノックすると、返事があった。
 「ごめんください」
 「どうぞ。由紀の紹介の人だね」
 「はい、そうです」
 由紀と呼び捨てにするのか。福島と由紀は、どんな関係だろうなと思う。福島医師は、60前くらいの、脂ぎった男だ。勢力旺盛という顔をしている。
 「名前は?」
 「本名ですか?」
 「勿論そうだ」
 「他人に知られたくないんですけど」
 「医者には、秘守義務がある。それに、わたしがこんなことをしていることを、他に漏らさないようにして貰うための、保険のようなものだ」
 「分かりました。野本省吾です」
 「どう書く?」
 「野原の野、日本の本、厚生省とか大蔵省とかの省に、漢数字の五の下に口と書く吾です」
 「野本省吾だな。分かった。診察しよう。そこで裸になって」
 「裸って、全部脱ぐんですか?」
 「そうだよ」
 そう、事も無げに言われて、わたしは、仕方なく服を脱いだ。
 「わたしの質問に、正直に答えること。いいな」
 福島医師は、上目遣いにわたしを見た。
 「は、はい」
 「もし、嘘をついたのが分かったら、二度と君を診ない。分かったな」
 「分かりました」
 「じゃあ、初めの質問だ。女性ホルモンを飲んだことは?」
 「ありません。今回が、初めてです」
 「そうか。男性経験は?」
 福島医師は、男の名前の入ったカルテに、男性経験の有無と書き入れている。知らない人間が見たら、変に思うだろう。
 「・・・・あります。ひとりだけですけど」
 「ひ・と・り、と。本当だな?」
 「はい。ひとりだけです」
 「どれくらいの期間?」
 「先々週まで、約3ヶ月間です」
 「3ヶ月間ね。何回した?」
 「セックスの回数ですか?」
 「そうだ」
 「全部で、・・・・10回くらいだと思いますけど・・・・」
 「ほんとに、ほかにはないんだね」
 「はい、ありません」
 「間違いないね」
 「はい。誓って、ありません」
 「よし。性病をうつされたことは?」
 「あ、ありません」
 「相手がひとりじゃ、普通はないよな。じゃあ、こっち向いて」
 わたしは、股間を押さえて、福島医師に対して斜めに座っていた。そのうち見られるが、股間の毛を剃りすぎたなと気になっていた。
 福島医師は、聴診器をわたしの胸に当てて、じっと聞いている。
 「よし、いいだろう。そこのベッドに仰向けに休んで」
 「はい」
 仰向けに寝たが、股間は隠していた。服を着た人間の前に、裸でいるということくらい恥ずかしいことはない。
 「手をのけないと、診察できないぞ」
 わたしは仕方なく、ベッドの上で気を付けの姿勢を取った。福島医師は、わたしの腹部を触り、最後に手袋をしてペニスと睾丸を触った。診察が済んだと思って、ほっと安心していると、福島医師が、わたしに壁のほうを向くように言った。
 「何するんですか?」
 「ちょっと気持ち悪いぞ。いや、君たちはこうするのが、気持ちいいのかな?」
 何をするんだろうと考える暇もなく、福島医師が、わたしの肛門に指を入れていた。しかも、中で指をぐるぐる回すのだ。
 「痛い、痛いです、先生」
 「ほう、痛いかね。それはすまんね。前立腺は大丈夫のようだ。君、もう服を着てもいいよ」
 アナルセックスで慣らされているから、最近は少々のことでは痛くはないのだが、予告もなく、肛門に指を入れられたから、ちょっと痛かった。しかし、すぐに痛みは消えた。
 「採血するからね」
 「性病の検査ですか?」
 「それもあるが、性ホルモンのレベルを検査しておく。飲む量を適性にするためだ。女性ホルモンの量が、多くても副作用が出るし、少なくては、効果が出ない。わたしは、裏口から来る患者にも、責任を持っている。分かったかね」
 「よく、分かりました。先生にすべてを任せられます」
 「よし。今日は、女性ホルモンの注射もしておこう。帰りに内服用の女性ホルモンをあげる。毎日忘れずに一錠を服用すること。いいね」
 「はい」
 尻に注射された。それほど痛くない注射だった。
 「お勘定は?」
 「何をしても一律5万円。聞いてなかったのか?」
 「聞いてます。じゃあ、この封筒に入ってます」
 「そこに置いて行け」
 封筒を福島医師のいる机の上に置きながら、わたしは尋ねた。
 「中身は確かめなくていいんですか?」
 「信用しているし、誤魔化したら、次から来れんだろう?」
 「そうですね。お世話になりました」
 由紀は、わたしは福島医師の好みのタイプだといったが、福島医師は、そんな素振りを見せなかった。毎回5万は痛いけど、仕方がない。

 クリニックを出て、タクシーを拾おうとしたが、電車で帰ることにした。女性ホルモンの注射を一本しただけなのに、完全な女になったような気がしていた。
 電車の中で、ちょっと変な目で見ていた女がひとりいただけで、気づかれなかったようだ。わたしは、すごく安心した。
 薬は28個あった。4週間分ということだ。毎日1錠を忘れずに飲もう。

 翌日、わたしは由紀に電話した。
 「由紀さん、福島先生って、いい先生ね」
 「そうでしょう? ところで、野本さん。無駄毛はどうしてるの?」
 「剃ったわ」
 「眉は?」
 「毛抜きで整えたわ」
 「髭は?」
 「毎日朝晩、しっかり剃ってるわ」
 「朝晩剃ってるの。・・・・髭は、永久脱毛したほうがいいと思うけど」
 「そうなの? 女性ホルモンを飲んでいると、髭も薄くなるんじゃないの?」
 「髭だけはダメなのよね。脱毛しないと、ダメよ」
 「脱毛が必要なのね。いいとこ、教えてくれるんでしょう?」
 「教えてあげるわ」
 電話を切ってすぐに、わたしは紹介された皮膚科のクリニックへ向かった。痛くなくて、早いというだけの理由で、レーザー脱毛を選んだ。上下の唇がつるつるになった。ただ、永久脱毛といいながら、レーザー脱毛は、2,3回はしなければならないらしい。
 うまくいったら、腋毛もやろうと思っている。腋毛の処理も、結構大変だから・・・・。