小学校を卒業したあと、わたしは、性転換手術を受けた。手術がすんですぐに、医者の診断書を沿えて、裁判所に性別変更を申請した。申請は認められ、わたしは、女になった。名前も変えた。裕子と呼ばれ慣れていたから、裕子にして貰った。わたしは、野本裕子になった。
一年遅れで、わたしは中学校へ通い始めた。小学校の同級生がいるとまずいだろうと言うことで、直前に福生市の市営住宅に転居して、わたしのことを誰も知らないところで、わたしは女として出発した。わたしは、憧れのセーラー服を着て、学校へ通った。
誰も、わたしが性転換したなどと疑うものはいなかったが、医者のアドバイスもあって、わたしは、月に一度生理と偽って、一週間ほど体育の時間を見学にして貰った。
中学一年生の男の子は、大抵女の子の生理についてなど知らない。
「野本たち! 今日はどうして授業に出ないんだ?」
「うるさいわね。そんなこと、どうでもいいでしょう?」
「そうよ、そうよ」
一緒に生理休暇?を取っていた同級生が、同調した。女の子としては、わたしは生理です何てことは、恥ずかしくて、口に出して言うことじゃない。・・・・の、はずだ。
「なんだよ。心配してやってるのに」
「川田。おまえ知らないのか? 女には生理ってものがあるんだぞ」
物知り顔で、そう言う男の子がいた。
「生理? なんだ? そりゃ?」
「生理も知らねえのか?」
「何だ? 何だ?」
「もう、知らない! 向こう行って、話してよ!」
わたしは、金切り声をあげた。そんな声を聞きつけて、担任がやってきた。
「こら! 女の子を虐めるんじゃない!」
「虐めてなんてないよ。何で、体育の授業に出ないのか聞いてるだけだよ」
「そんなこと、おまえに関係ない。早く着替えて運動場へ行け!」
「はあい」
その後、 川田通伸は、女の生理について学んだようだ。
男の子たちは、第二次性徴が出てきて、変わっていく女の子に興味があるから、いろいろとちょっかいを出す。それは、わたしも昔経験したことだ。
「野本、もうブラジャーしてんのか?」
この頃の女の子としては、ブラをするのは、少し早いほうだろう。同級の女の子たちで、ブラをしているのは、三分の一にも満たない。1999年頃では、小学生でもブラをしていた。
「あんたには、関係ないでしょう」
「なんだよ。このデカ乳女」
川田は、どうもわたしに気があるようなのだが、わたしにはその気はない。わたしのタイプじゃない。それが分かっているはずなのに、川田は、しばしばわたしにちょっかいを出した。すれ違いざまに、ブラのホックを外すのだ。その手際の良さと言ったら、呆れるばかりだ。そんなとき、わたしは、廊下にしゃがみ込んで、泣き真似をした。わたしは、すぐに泣く女の子。わたしは、上手く女の子を演じていると思う。川田は、その度に担任に呼び出されて怒られていたが、一向に改める様子はなかった。
そんなことはあったが、この中学は、虐めもなくて、快適な学校だ。ただ、わたしにとって、残念だったのは、大林拓也の顔を見られなくなったことだった。しかし、すぐに好きな男の子ができた。飯田大介と言う子だ。野球部のキャプテンをしていた飯田大介は、中学中の女の子の憧れの的だった。まあ、これは淡い初恋の思い出に終わってしまった。
それでも、二年生の時には、好きだと告白されて、毎日のようにお喋りをする男の子ができた。しかし、この頃の中学生は、まだうぶだったから、結局キスもしなかった。
勉強自体は楽しいものではないが、何しろ一度は大学を出た身だ。少し勉強すれば、思い出した。わたしは、まずまずの成績を上げていた。
経済的な理由で、高校は都立高校へ進んだ。ここでもわたしは、上位の成績だった。この頃、わたしは、女のイヤな面を垣間見た。
「ちょっと可愛くて、成績がいいかと思って生意気よ」
それが、同級の女子生徒のわたしに対する評価だった。上履きや体操服を隠されたことは、一度や二度ではない。つまり、わたしは虐めの対象になっていた。しかし、わたしは、それに屈することなく、学業に没頭した。わたしが相手にしないものだから、虐めは自然になくなった。
この頃は、恋をするなんてことはなかった。同級の男の子が、みんな馬鹿で、幼く見えたからだ。
進路について、いろいろ悩んだ末、弁護士になりたいという、一番初めの希望を叶えるため、法学部を受けることにした。
奨学金を貰い、前回わたしの入学したと同じ大学の法学部に合格した。わたしは、女になってしまったこと以外は、前回の人生とほぼ同じ道を歩んでいた。
マンドリンクラブにも入った。あの日と同じ日に、歓迎会が行われた。わたしは、女だから、佐知代にたぶらかされる恐れはない。佐知代は、餌食となる男を物色していた。誰が、その対象となるのだろうか? わたしは、興味津々で、その様子を見ていたが、どうもうまくいかなかったようだ。わたしがいなければ、佐知代の目論見はうまくいかないと言うわけだ。もっとも、誰かが佐知代に引っかかれば、その男の人生が変わってしまうだろうから、そんなことは、恐らく起こり得ないのだ。
大学に入学した当時、わたしの身長は、157センチだった。高校2年生から、ずっと伸びていない。元々わたしは小さい方だったが、女性ホルモンのせいで、骨端線という、骨を成長させるところが早めになくなって、成長が止まってしまうらしい。女としては、平均的なところだから、わたしは満足している。体重46キロは、まあまあかなと思う。バスト83のCカップ。ウエスト59センチ、ヒップ84センチ。わたしの体は、完全に女の体に成長した。男性ホルモンが出始める前から、女性ホルモンを始めたためだろう。
性転換手術の方もうまくいっている。外観もバッチリだ。解剖学の本で調べたものと、手鏡で見た自分のものとは、寸分も変わらない。
わたしが性転換手術を受けた当時、クリトリスを作る手術は一般的ではなく、ペニスを根元から取り除き、尿道口の位置を変え、膣を作るだけのものだった。しかし、わたしには、クリトリスがある。陰茎海綿体という部分を使って作ったのだと、執刀した医者が自慢げに母に告げたと聞いた。そのクリトリスは、医者が自慢するだけのことがあって、非常に敏感だ。ただ、その感じ方が、本物の女のものと同じかどうかは、わたしには分からない。しかし、わたしは満足している。
腟の機能の方も、いいようだ。そう、わたしは処女じゃない。
大学に入ってすぐ、マンドリンクラブの先輩と初めてセックスした。激しくするものだから、ちょっと痛かった。傷がこすれたらしく出血して心配したけど、先輩は処女の破爪だと思ってもの凄く喜んでいた。ただ、わたしの方はと言えば、少し感じるかな程度で終わった。その先輩とは、結婚しようとまで思ったのだけれど、結局2年で別れた。2年の間に一度も達することはなかった。
二人目は、いい男だったけど、女は男に付いてくればいいタイプで3ヶ月で別れた。勿論、完全燃焼には至らなかった。
初めて達したのは、3人目の時だった。相手は、友人と飲みに出掛けてホテルのラウンジで声をかけられた男性だった。40半ばくらいの素敵な人で、会話だけで酔ってしまうほどだった。彼がわたしの中で弾けた瞬間、体が痙攀したように硬直し、頭の中が真っ白になってしまった。
その男性は、九州から来たドクターで、外科学会に参加していると、事が終わったあと聞いた。名前は分かっているし、もう一度会いたいなと思うけど、奥さんがいると聞いていたから、迷惑になると思って諦めた。
彼のお蔭で達することを知り、あとは、わたしに言い寄る男を捕まえては試してみている。相手の男は勿論、わたしも満足している。
男は誰も気付かない。わたしは完璧に女だ。ただ、子供が産めないだけだ。
前回、女装していたとき、わたしは精神の高ぶりを覚えたものだが、そう言うことはまったくない。今やわたしは女だからだ。わたしにとって、わたしが着る服は、女装ではなくて、単なる衣装に過ぎないのだ。
女は、こと衣装に関する限り、制限がない。どんな格好だってできる。男の格好をしても、別にとやかく言われることはない。女には、異性装という言葉が、多分ないのだ。
ところが男は違う。男が女の格好をすれば、タレントなどの特殊な場合を除いて、たちまち社会から排除される。双葉印刷がその例だ。
わたしは、男っぽい格好もたまにはする。しかし、女の服を着ている方が、精神的に落ち着くのは確かだ。それは、男の服を着ていると、社会のためにとか、家族のためにとかという、形のない圧力が、降りかかってくるような気がするからだ。
弁護士になろうと頑張ってはいたが、さすがにこれまでのようにすいすいと頭に入らなかった。わたしは、司法試験を諦め、公認会計士の道を選ぶことにした。これもかなりの難関だと言われたが、わたしは卒業と同時に、公認会計士の国家試験に合格した。
わたしの運が悪かったのは、やはり佐知代のせいだったのだと思う。彼女は、典型的な下げマンなのだ。
わたしは、同窓の大先輩が経営する会計事務所に就職した。会計事務所の仕事にも慣れ、年末に任された仕事が、なんと、あの雨宮電子の節税対策だった。
雨宮は、大手電気会社を脱サラして、プログラムの作成と、電子部品の輸入販売をやっていた。従業員がたった5人の零細企業だった。
わたしは全力で、仕事に当たった。わたしの全知全能をかけた仕事は、思いの外うまくいき、雨宮の期待通りの仕事ができた。
雨宮は仕事のお礼にと、わたしを食事に招待した。わたしは、喜んで、それに応じた。わたしは、前回の雨宮とのことが忘れられないでいた。
雨宮は、やはり紳士だった。生まれついての才能かも知れない。いや、場慣れしているのだ。女をずいぶん泣かせているなと思った。
美味しいワインと、フランス料理。洒落た会話。わたしは、酔いしれた。しかし、それだけだった。ホテルに誘ってくれることを期待して、新しい下着に、お気に入りのドレスを着ていったのに・・・・。わたしは、自分では結構魅力的な女だと思っているのだが、雨宮は、女には興味がないのだろうか?
一ヶ月ほどして、雨宮電子の経理全般を担当することになった。昨年度の状態は、はっきり言って最悪だった。よく倒産しなかったなと思ったものだ。それは、わたしの助けがあったからだと、自負はしていたものの、この一年で、会社の経営を回復させるのは、大仕事だった。ただ、考えてみると、前回の雨宮電子は、大きな会社になっていた。何かが変わるはずなのだ。
「昨年度末は大変お世話になりました。お蔭で、何とかやっていますが、初めから、経理をお願いした方がいいと思いまして」
「そうですね。さっそくですけれど、雨宮さんの会社は、主な商品は、ソフト開発だと思うんですけど、その割に、ハードの在庫が多すぎると思います。売れないものを抱え込んでいたら、いつまでたっても、経営状態はよくなりませんよ」
「しかし、お客が欲しいと言えば、すぐに出荷しなければ、逃げられてしまいますからね。我々のような、小企業はスピードが命ですから」
「それはそうですけど、雨宮さんの会社は、そう言った在庫管理のソフトも作っているんでしょう? 自分の会社で使わないで、どうするんですか!」
「こりゃ、手厳しい!」
雨宮は、わたしのような小娘に、一本取られたなと言うような顔をした。
「それは、そうです。わたしは、雨宮さんの会社の建て直しのために、ここにいるんですから」
「おっしゃるとおりですね。言われたとおりにしましょう」
「それからですね。雨宮さんは、IBM互換機というのをご存じですか?」
「勿論知ってますよ」
「あれに注目して置いた方がいいと思います」
「わたしも、そう思っているんですが、どうしてそんなことを知ってるんですか?」
「ちょっと、その方面に知り合いがいるものですから」
未来から戻ってきたなどとは口が裂けても言えない。
「今はマニアだけのものでしょうけど、将来性は抜群だと思います。今のうちに、ルートを開発しておくといいんじゃないでしょうか?」
「あなたは不思議な人だ」
その夜、夕食に招待された。今度は中華料理だった。雨宮は、将来の夢について、わたしに熱く語った。話しが途切れたとき、わたしは、雨宮の尋ねた。
「雨宮さんの奥さんって、幸せでしょうね。旦那さんが、こんなに優しくて、夢のある人で」
「妻かい? 妻には逃げられたよ」
「えっ!?」
奥さんに逃げられた!? これは前回も同じだったのだろうか?
「会社に残っていれば、左うちわで暮らせたものを、脱サラ何てするから、苦労するって言ってね」
「でも、脱サラして、自分のやりたいことをやるのが、雨宮さんの夢だったんでしょう?」
「それを妻は分かってくれなかったんだ」
夫の夢が理解できないで別れた。ほんとだろうか? 父と同じように、ホモであることがばれて別れたのではないだろうか? 真実は、今は知りようがない。しかし、雨宮が今は独身なのは確かだ。わたしは、迫ってみることにした。
「男の人が夢に向かって、頑張る姿って、わたし、好きだな。そんな雨宮さんを分かってあげないなんて、最低だわ」
「そう言ってくれるのは、君だけだよ。親戚一同から、馬鹿なことをしたといつも言われているよ」
「みんな保守的なんですね」
「そう言うことだね」
「雨宮さん、独身だったら、女の人が、放っておかないでしょう?」
「そんなことはないよ。離婚してから、女には手も触れたことがないよ」
雨宮は照れるようにそう言った。
「ご冗談ばっかり」
「ほんとだよ」
「奥さんに懲りて、女嫌いになったとか」
「それはそうかもしれないな」
ここで、わたしは、ちょっと雨宮を虐める気になった。
「ほんとは、男の人が好きだったりして」
「ば、馬鹿言うんじゃない!」
雨宮は、わたしの言葉に、動揺を隠せないでいた。いつからそうなったかは知らないけど、雨宮は今はホモに間違いない。
「怒るところを見ると、図星何じゃないですか?」
「そ、そんなことはない。やれと言われれば、ちゃんとやる。仕事が忙しくて、そんな暇がないだけだ」
ほんとにやれるのだろうか? やれるかどうか分からないが、わたしは、雨宮を誘ってみることにした。
「今夜、お暇ですか?」
「えっ!?」
わたしの言った言葉の意味が分からなかったのか、雨宮は不思議な顔をして、わたしを覗き込んだ。
「だから、今夜は、お暇があるんじゃないかと思って」
「・・・・どういう意味だい? まさか、わたしと・・・・」
遠回しなわたしの誘いに、雨宮はようやく気がついたようだ。
「そう言う意味です。わたしのこと、お嫌いですか?」
「い、いや。そんなことはないが・・・・」
「じゃあ、女とできるって、証明してくださる?」
「君にそれを証明する義務はないだろう?」
「ホモの方と一緒に仕事をするのは、わたし、イヤだわ。もし、雨宮さんがそうなら、このお仕事、残念だけど、お断りしなければなりませんわ」
雨宮の目には、戸惑いの表情が浮かんでいた。
「仕方ないな。しかし、いいのかい?」
「勿論、いいです。わたし、処女じゃありませんから」
わたしは、ベッドの上で、雨宮の愛撫を受けていた。これまで付き合った男たちは、あのドクター以外はみんな学生で、それほどのテクニックは持ち合わせていなかった。雨宮は、上手い。ただ、少しおざなりな感じがする。前回のわたしにしたような、ねちっこさがない。それでも、わたしは、雨宮のテクニックに酔っていた。
雨宮の舌が、わたしの股間に達してすぐに、雨宮は行為を止めて、顔を上げてわたしを見た。
「き、きみ! こ、これは!?」
「気がついたのは、雨宮さんが初めてだわ。さすがに、経験豊富ね」
「君は、女じゃないのか?」
「戸籍上は、女よ」
雨宮は、不思議そうな顔で、わたしを見た。
「どういうことだ?」
「わたし、半陰陽だったの」
そうではないが、そう言うことになっている。その線で雨宮に説明することにした。
「半陰陽?」
「そう。産まれたときは男で、男として育ったんだけど、だんだん女性化してきて、男としては生きていけなくなったから、仕方なく女になったの。中学に上がる前に」
「き、君は、ほんとは男なのか?」
「染色体はね。だけど、わたしは、女。子供は産めないけど、間違いなく、身も心も女よ。男の人を喜ばせてあげられるわ」
「そうか・・・・」
「こんな女じゃ、嫌いですか?」
「いや、そんなことはない」
「じゃあ、続けてくださる?」
それからの雨宮は、人が変わったようだった。やっぱり雨宮は、ホモなのだ。奥さんとの離婚の原因は、恐らくそこにある。そう思った。
大学時代、絶頂感を覚えたと思っていたのは、間違いだった。あんなものは、富士山に比べれば、小高い丘に過ぎない。わたしは、女として、ほんとの絶頂感を覚えた。
終わったあと、わたしはあまりの心地よさに放心状態だった。
「よかったよ」
耳元で囁く雨宮の声に、返事もできないくらいだった。わたしは、その言葉の返事として、雨宮をぎゅっと抱きしめた。雨宮の背中に、わたしの爪痕が残るくらいに。
雨宮は、わたしとのセックスが余程よかったらしく、週に一、二度デートし、ホテルに行った。
ある日、雨宮は、その最中に、わたしの肛門に指を入れようとした。
「いや!!」
「すまん」
雨宮は、ちょっとがっかりしたような顔をした。雨宮と別れたあと、わたしは、考えた。もし、このまま応じなければ、雨宮は、男に走ってしまうだろう。仕方がない。次は応じてやろうと。
しかし、雨宮は、二度とそうはしなかった。その代わりに、デートの回数が減った。これはいけない。何とかしないと、雨宮に逃げられる。そう思ったわたしは、自分から、誘った。
「雨宮さん、後ろの方も、いいわよ」
「いいのか? この前は、嫌だと・・・・」
「この前は突然だったから、びっくりして・・・・。雨宮さんが、望むのなら、何でもやるわ。縛って、鞭で打ちたいって言うのなら、それでもいいわ」
雨宮は、喜んで、わたしの肛門を使った。雨宮は、わたしの虜になった。
膣があるというのに、肛門を使うと言うのは、何とも妙な気分だが、膣を使った場合と違った快感が得られた。その日以来、わたしの方からも、時々アナルセックスを要求するようになった。
この頃から、雨宮電子の業績が、急に上がり始めた。その原因は何故かよく分からなかった。
「君のお蔭だ。君は、いわゆる上げマンだよ」
そう言って、雨宮はわたしを抱きしめた。
その年の決算では、前年の赤字から一転して、大幅な黒字となった。雨宮は、従業員を増やし、会社も小さな貸しビルの一室から、ワンフロアーを借りるまでになった。
「まだまだ、頑張って、会社を大きくするぞ」
大きくなるはずだ。前回わたしが訪れた雨宮電子は、5階建てのビルだった。雨宮の成功は間違いないのだ。
「裕子。結婚してくれないか?」
雨宮と付き合い始めて2年目の春、ベッドの中で突然求婚された。
「ほんとに?」
「嘘言ってもしょうがないだろう?」
「わたし、こども、産めないのよ」
「そんなことはどうでもいい。君はわたしの幸運の女神だ。誰にも渡したくない。お願いだ。オーケーだと言ってくれ」
「わたしを、死ぬまで愛してくれる?」
「勿論だよ」
「浮気しない?」
「しないよ。絶対」
「オーケーするわ」
雨宮は飛び上がらんばかりに喜んで、わたしにぶちゅぶちゅとキスをした。わたしは、雨宮のほんとの性癖を知っている。わたしが本物の女なら、恐らく結婚までは考えなかっただろう。雨宮は、対外的には、きちんと結婚している形になり、しかも、メンタルには、ホモとしての欲求を満たせるのだ。わたしとの結婚は、雨宮にとって、申し分のないものになるに違いない。
半年後、わたしと雨宮は結婚した。わたしは、雨宮裕子になった。会計事務所は辞めずに、働き続けた。子どもができないことが分かっていたから、何もしないでうちにぼうっとしているのが苦痛だったからだ。
会社の業績がますます上がり、わたしたちが結婚して3年後、会社を5階建てのビルに移した。その時から、わたしは会計事務所を辞め、会社の経理を担当することになった。会社の心臓部を、妻が握るのだから、会社としては安全この上ないのだ。
わたしが、女になって雨宮と結婚している以外のことは、前回の人生と何一つ変わっていない。和代も勝もわたしの子どもじゃないから、ちゃんと生まれている。わたしは子どもを産めないから、雨宮に新たな子どもが産まれることもない。
わたしは、幸せだ。男娼として、一生を終えるのかと絶望に浸っていたことを考えれば、天と地に隔たりがある。あのおかしな顔をした神様のお蔭だ。
ありがとう、神様。何という名前かは知らないけれど、あなたのことは、一生忘れません。
そう祈りながら、朝、目が覚めると、わたしは、早乙女裕子、こと野本省吾に戻ってしまっていると言う夢をしばしば見た。
一年、二年と時が過ぎ、わたしは、40歳になった。やり直しの人生を始めて、30年にもなるのに、わたしは、まだあの悪夢を見ていた。
わたしは、野本省吾が住んでいたマンションを訪れた。勿論、ここには、別人が住んでいるはずだ。
わたしの目的は、あの神様の像だ。わたし以外の人間の歴史が変わっていなければ、マンションの入り口に捨てられるはずだと考えたからだ。
あった。薄汚れたあの神様の像が、同じ場所に捨てられてあった。わたしは、それを拾い上げると、家まで持って帰った。汚れを落とし、綺麗に磨いて、新しい神棚に供えた。
その夜、神様が夢枕に立った。
「どうだ? 上手く人生はやり直せたかな?」
「はい。あなたのお蔭で、わたしは幸せになることができました」
「元に戻るのではないかと心配しているようだが、そんなことは考えなくてもよい。安心しなさい」
「あの人生に戻ることはないんですね」
「大丈夫だ。この人生が、ほんとの君の人生だ」
神様はそう言うと、姿を消した。
次の日から、わたしはあの悪夢を見ないようになって、深い眠りにつけるようになった。
「どうです? うまくいきましたか?」
馬面の神様が聞いた。
「なんとかね」
チンクシャ顔の神様が答えた。
「野本省吾の人生を間違えてしまうなんて、いけませんね。同じまちがいは二度と起こさないようにお願いしますよ」
「イヤ、ちょっとした間違いでね。わたしだって、時には間違えますよ。まあ、今後は、間違えないようにします」
「お願いしますよ」
「とにかく、野本省吾が、予定されていた人生を歩めてよかった。間違えたせいで、男娼は可哀想だからね」
「その通りですね」
ふたりの神様は、笑いながら、天に昇っていった。