養父・峰聡太郎を殺害して、明勝寺という小さな寺の墓地にある井上家の墓の前で自殺を図った峰鮎美は生死の間を彷徨っていた。
殺人の動機を調べるために、井上家と鮎美の実家である伊沢家に何か関係があるかもしれないと加藤は鮎美の実家に電話をかけた。
「もしもし、O県警の加藤です。先日はお邪魔をしました」
加藤は、伊沢いくの言葉に、B市の井上家との関係を聞こうとした言葉を慌てて飲み込んだ。
《殺人犯は、わたしの娘じゃなかったんですね?》
「はあ?」
《朝のニュースで見ましたけど、写真の女性はわたしの娘じゃありませんわ》
「ホントですか?」
《似ても似つかぬ女性だわ。同姓同名だったんでしょう?》
「あなたの娘さんの伊沢鮎美さんが峰総太郎の養女になって、峰鮎美になっているんですよ。それは戸籍謄本から間違いのない事実です。その峰鮎美が殺人容疑で手配されているんですが・・・・」
《ともかくわたしの娘じゃありませんわ。何かの間違いです!》
自分の娘を守るためか、いくはかなり感情的になっていた。
「それでは、鮎美さんの写真を見せて頂けますか? N県警に依頼して、そちらに取りに伺わせますので」
《よろしいですわ。そうすれば、あなた方が間違っていることが一目瞭然ですから》
加藤は電話を切った。峰鮎美の写真を持っていって、伊沢いくに見せておけばよかったなと思ったが、後の祭りだ。
(伊沢鮎美と峰鮎美が別人である可能性などなかったからなあ)
それから課長に向かって報告する。
「課長、手配した写真の女性は、峰鮎美ではないと産みの母親が言っていますが・・・・」
「なに? そんな馬鹿な」
佐藤が受話器を持ったまま片手を上げて注意を促す。
「課長! F市から望月かんなという女性が電話してきて、やはりあの手配写真の女性は伊沢鮎美ではないと言っています」
「嘘だろう?」
「メールで伊沢鮎美の写真を送ってくると言っていますが」
「そうか。メールアドレスを教えてやってくれ」
望月かんなからの電話を取った佐藤が捜査本部のメールアドレスを教えている間に、加藤はN県警に、伊沢家に赴き鮎美の写真を手に入れて貰うように依頼した。
望月かんなからのメールはすぐに届いた。貼布されていたJPEGファイルを開いて、捜査員たちは口をぽかんと開けた。
「これはまったく別人だ」
「整形したって、同じ顔にはなりませんね」
「N県警からの写真はまだか?」
「まだですよ。さっき頼んだばかりですから」
N県警から写真入りのメールが届いたのは、それから3時間後だった。捜査員が一斉に送られてきた写真を見た。
「やはり、別人ですね」
「望月かんなが送ってきた写真と同一人物のようですね」
捜査員たちは皆腕組みをして写真を見比べた。
「戸籍謄本からすれば、伊沢鮎美が峰鮎美になっているはずですが、別人だとなれば、どこかで入れ替わっていると言うことになりますね」
「入れ替わったと言うよりも、俺たちが間違っているのかもしれんぞ。ホシは峰鮎美ではなく、鮎美のマンションに寄って一緒に峰と出かけたのかもしれない。それだと指紋が鮎美のマンションに残っていても不思議ではない」
「鮎美のバッグを持ってですね?」
「そう言うことだ。そうなると、鮎美もやられている可能性があるな」
「待って下さいよ。それ以前に、鮎美のマンションにあった峰聡太郎と一緒に写った写真の女性が、養女の鮎美だと牟田たちが証言しているでしょう? と言うことは、事件当日入れ替わったってことじゃないでしょう?」
「つまり、峰が伊沢鮎美を養女にした時点から入れ替わっているということですね?」
「いや、峰建設に就職させた時点からだ」
「伊沢鮎美はどこへ行ったんでしょう? それに、殺人の犯した峰鮎美はどこから沸いて出たんでしょうか?」
「伊沢鮎美については、家出人捜査に回そう。峰鮎美の方は、井上家の墓と関係があるといえるだろう。そちらの方は、中条が手を付けているから引き続き頼もう。中条? いいかな?」
「仕方ありませんね」
伊沢鮎美の行方はあっけないほど簡単にわかった。Q州一円の警察署に、1年半前から行方不明との付箋を付けて伊沢鮎美の写真を配布したところ、A署から回答があったのだ。
A市山中の崖下に転落し死亡していた女性が伊沢鮎美だった。転落の外傷以外には、怪しい外傷や暴行のあとはまったくなかったことから、ただの身元不明人の転落死として処理されていた。他人が伊沢鮎美になりすましていたから、伊沢鮎美としての捜索願が出されておらず、身元がわからなかったのだ。
「ただの転落死とは思えないですね?」
「ああ。伊沢鮎美が勤めていたF市の銀行の話に寄れば、峰総太郎が伊沢鮎美のことを気に入って峰建設に就職させたいと言ってF市から連れ出したとのことだ。ところが、峰はまったくの別人を伊沢鮎美として会社に就職させている。と言うことは、別人を伊沢鮎美と入れ替えるために殺したと考えるのが妥当だろう」
「仏さんになってしまったから、確かめようがないですね」
「峰鮎美なら知っているかも」
「まだ意識がないそうだ。期待しない方がいいかもしれないな」
「彼女、本物ではないってことになると、峰鮎美でいいんですかね?」
「他に呼びようがないだろう? 解決するまでは峰鮎美でいこう」
N県から遺体を引き取りにやってきた両親は、茫然自失の状態だったらしい。死んでしまうよりも殺人犯の方が、生きていたくれた方が、まだましだと言ったと。
気持ちはわかるが、どちらでもないのが一番だろう。
中条と大森は、井上家の墓に前にやってきた。墓に向かって右手に銘板が置かれている。そこには、納骨された井上家の面々の名前が刻まれていた。
その銘板によれば、井上家の墓には、5年前から半年の間に4人の骨が納められていた。この4人が、峰鮎美と関係があると思われた。
「井上裕介は52才、井上真知子は48才、井上霞23才、井上亮2才だな」
「ええ、間違いないですね」
「この4人のことを詳しく調べてみよう」
中条と大森は、再び明勝寺の住職を訪ねた。
「ご住職、どうも、先日はありがとうございました」
「あの女性が殺人を犯したとは信じがたいことです」
住職は掌を合わせた。
「信じたくはありませんが、状況証拠からすれば、彼女が殺人を犯したことは明かです」
フウと住職は溜息をついた。
「して、今日はどんなご用事で?」
「あの女性が井上家の墓の前で自殺を図ったのは、あの女性が井上家と何らかの関わりがあると思ってですね。調査に伺ったわけです」
「なるほど」
「5年前、井上家では立て続けに4人の方が亡くなっていますね?」
「そう。不幸なことです」
住職はもう一度掌を合わせて頭を下げた。
「その4人について、ご存じのことをお聞かせ頂けますか?」
「よろしいですよ。どうぞ何でも聞いてください」
中条は手帳を取り出す。
「5年前に亡くなった、井上裕介さんとその直後に亡くなった真知子さんは、年令からするとご夫婦のようですが・・・・」
「はい、その通りです」
「死因はご存じで?」
「詳しくは存じませんが、裕介さんは事故で、真知子さんは自殺だと聞いています」
「自殺!」
手帳に事故、自殺と書き込みながら、中条は目を剥いた。
「後追い自殺というヤツですよ」
「ああ、なるほど。井上霞さんの方は? 娘さんですか?」
「いえ、裕介さんの息子さんのお嫁さんですね。亮君は、その子どもさんです。裕介さんから見れば孫と言うことになりますかね。死因については存じ上げませんね」
中条はスーツの内ポケットから鮎美が隠し持っていた写真を取り出した。
「ああ、証拠品を・・・・」
「カラーコピーだ」
峰鮎美が隠し持っていた写真の3人が、井上家と関係があると思ってコピーしてきたのだ。
「この写真の女性が霞さんでしょうか?」
「ああ、この女性が霞さん、子どもさんが亮君ですよ」
中条の頭の中でピンポンとチャイムが鳴った。
「なるほど。すると、この男性が井上裕介さんの息子さんと言うことですね?」
住職は大きく頷いた。
「息子さんは健在と言うことでしょうか?」
「墓に入っていないから、そうでしょうね。しかし、ここ4年ほどお参りには来ていませんね」
「どこにいるか、ご存じないでしょうね?」
住職は首を横に振った。嘘はないようだ。
「名前はご存じですか?」
「ちょっと待って下さいよ。・・・・あれ? 思い出せないな。裕介の裕が付いていたとは思うんですが・・・・」
「あ、結構です。こちらの方で調べてみましょう。井上裕介さんには他にお子さんはいませんでしたか?」
「ふむ。それでは、姪御さんは?」
「さあ、存じませんが」
「霞さんには? 霞さんには女姉妹は?」
「それも存じません」
「そうですか。井上さんが住んでいたのはどちらでしょうか? ご存じですか?」
「ああ、もちろんですとも。うちの檀家ですからね。前の道を山の方に進んでいって500メートルほど行ったところにある部落ですよ」
住職は、指を差して山の上を示した。
「そこに行けば、詳しい情報が得られますかね?」
「そう思いますよ」
「どうもご協力ありがとうございました」
挨拶して中条と大森は明勝寺をあとにした。
明勝寺を出て50メートルばかり下った場所に派出所があった。中条たちは、まずそこの駐在を訪ねた。
「どうも。O中央署の中条です」
中条は警察手帳を示す。
「どうもご苦労さんです」
「実は、ある事件に関連して、亡くなった井上祐介さんご一家のことを調べています。この上の部落に、井上裕介さんの家があると聞いたのですが、ご案内頂けますか?」
「井上裕介さんの家かえ。わかるでえ。一緒に行こうかえ」
O弁丸出しで駐在が先頭に立って山道を登り始めた。
「何の捜査かえ?」
「O市のモーテル殺人事件はご存じでしょう?」
「ああ、知っちょるよ」
「あの事件の容疑者が、明勝寺で自殺を図りましてね」
「ほう。それは初耳じゃな」
「明勝寺のご住職が、気を利かせてサイレンを鳴らさないように言って救急車を呼んだようですね」
「ご住職らしい配慮じゃなあ。そんで?」
「自殺を図った場所が井上さんの墓の前でしてね。井上さんと何か関係があるのではと言うことで、捜査をしているところなんですよ」
「なるほどなあ。井上さんはいい人じゃったけん、人殺しとは関係ないんじゃねえかねえ」
「そうかもしれませんが・・・・」
「年取ると、山道はよだきいなあ」
と言いつつも、駐在は一番若い大森が追いつけないほどのスピードで歩いていく。
「駐在は何年目ですか?」
中条は息を切らせながら聞いてみた。
「6年目じゃ。この春に移動になるかもしれんけど、もう3年で定年じゃから、このままここに置いて貰おうと思っちょるんじゃ。新しい場所に行って、名前を覚えたら、ハイサヨナラじゃ、地元のしにも悪かろう?」
「それもそうですね」
「ほれ! あの家じゃ」
上り詰めた場所から、50メートルばかり先に集落があった。駐在は、その右手あたりを指さしている。
「よう! 駐在さん、久しぶりじゃな。生きちょったかえ?」
バイクに乗った老人が声をかけてきた。
「こん、通りじゃ。まだまだ若いもんには負けん」
「して、何の用じゃ?」
老人は、中条たちの方を伺う。
「こんしたちは、O中央署の刑事さんや。井上さんのことで聞きてえことがあるちゅうけえ、連れてきたんじゃ」
「裕ちゃんのことかえ?」
「そうじゃ」
「なんでん、聞いちみちょくれ。知っちょんことは、みんな話すけん」
バイクのエンジンを止め、跨ったまま興味津々の表情で笑顔を向けてきた。白い歯の間に青のりが付いていた。
「井上裕介さんは、事故で亡くなったと聞きましたが、どんな事故だったんでしょうか?」
「トラクターに乗っちょって、ひっくり返って下敷きじゃ。それも、あげん真夜中に仕事せにゃいいのに、やつがい飲んじからやるもんじゃけん。馬鹿なことしたもんじゃ」
「一杯飲んでからトラクターに?」
「じゃあ、じゃあ。真っ昼間でも危ねえのに、暗えのに酔っぱらっとりゃ、死んでも仕方ねえわな」
「井上さんは、いつもそんな危険なことを?」
「うんにゃあ。あげんことをしたのを見たのは初めてじゃ」
中条は少し考え込む。
「奥さんは? 奥さんは後追い自殺だと聞きましたが」
「ああ。真知ちゃんじゃろう? 49日の法要が終わった日の夜、首を吊ってな」
老人は、首を吊る仕草をした。
「検死に立ち会ったのは自分じゃ。典型的縊死ちゅうやつじゃった。B署の連中と検死に来ちくれた中尾病院の大先生の一致した意見じゃ」
「事件性はないと?」
「ないじゃろう? ただ、あとで聞いたところじゃと、睡眠薬を飲んじょったちゅうことじゃ」
「睡眠薬? 首を吊るのに睡眠薬?」
典型的縊死だとしてもこれはおかしい。ガス自殺などでは眠っている間にと睡眠薬を飲むことはあっても、首つり自殺で睡眠薬は聞いたことがない。井上裕介の不審な行動と言い、中条は首を傾げざるを得なかった。
「睡眠薬は毎日飲んじょったそうじゃから、特別なことじゃなかろうちゅうことになったち聞いたがな。まあ、自殺しようち睡眠薬飲んだもんの、死に切れんで首吊ったんと違うかな」
辻褄は合っていると中条は思い直した。
「ふむ。井上霞さんは?」
「霞さん? ああ、嫁さんのことじゃな。べっぴんの嫁さんじゃったなあ。なんちゅう名前じゃったかな? ふたつになったばかりの子どもがひき逃げにあってな。それを苦にして海に入ったんじゃ。そういやあ、犯人は捕まらんじまいじゃなあ」
「ひき逃げ? 入水自殺?」
中条は頭がくらくらするのを覚えた。
「井上裕介さんの息子さんの名前は何と言うんでしょうか?」
「ゆうと、裕ちゃんの裕に、人と書いて、裕人じゃ」
「井上裕人ですね。いま、どこにいるかご存じでしょうか?」
井上裕人なら、鮎美のことを知っているかもしれないと判断したのだ。
「さあ。一周忌の法要に戻ってきてからさきは、とんと顔を見かけんなあ」
「ふむ・・・・」
4年前から見かけないという明勝寺の住職の証言と一致する。
「こちらに住んでいたんですか?」
「いや、H町の方じゃったろう」
「H町ですね」
「そうじゃ。裕ちゃんが、こっから向こうを見ち、息子の住む家が見えるち、ゆうちょったもんな」
老人は確かにH町の方を指さしていた。
「亮君がひき逃げされたのもH町でしょうか?」
「そうじゃったと思うがな。駐在さんは知らんかえ?」
「わしゃ、知らんなあ」
「井上裕介さんの親戚に20代の女性はおりませんか?」
「20代の娘さんかえ? それらしい娘は見かけんなあ」
「井上さんの家の方を見せて貰っていいでしょうか?」
「誰もわりいちゅうやつはおらんじゃろう」
駐在の言葉に意を強くして、中条たちは井上裕介の住んでいた家の扉を開けた。開けたとたん、異様な臭いが鼻を突いた。
「死体か?」
緊張しながら入っていくと、猫の死骸が転がっていた。首輪をしているところを見ると、井上家の飼い猫かもしれない。餌をくれるものがいなくなって餓死したものだろう。畳は朽ち果て、蜘蛛の巣が張り巡らされていた。
家具は埃にまみれていて、何も情報は得られそうもなかった。
「戻ろうか?」
中条は、大森に言い、駐在と共に坂道を下っていった。
「なんかあったら、いつでん、ゆっちょくれ」
O弁に送り出されて、中条たちはH署へと向かった。