第8章 発見された容疑者

 翌朝のニュースで、峰聡太郎殺害犯として、峰鮎美が指名手配されたことが写真入りで報道された。
 その直後に、B市内の救急病院から電話が入った。
 「はい、モーテル殺人事件捜査本部です」
 《わたくし、B市にある中尾病院の医師をしている菊池と言います》
 「何か情報でも?」
 《三日前、自殺未遂で運び込まれた女性が、峰鮎美という女性に似ているんですが》
 「えっ! 何ですって? 峰鮎美に似た女性が自殺未遂でお宅に運び込まれているんですか?」
 捜査員たちは、電話を取った大森の言葉に色めき立った。
 《そうです》
 「すぐに伺います。課長! 聞きましたか?」
 「すぐに確認に向かってくれ。中条! 頼んだぞ」
 中条は、上着を取ると大森と共に走って捜査本部を出た。

 高速道路を走り、Bインターで降りて曲がりくねった道を下る。B湾が鏡のように美しい。その向こうにC国の山々が見えた。
 「中条さん、あそこですね」
 大森が指を差すところに中尾病院の看板が見えた。
 「大森、大門寺からすぐの場所だぞ」
 「あ、そう言えば・・・・」
 右手に大門寺の伽藍が見えていた。
 「どこで自殺未遂を?」
 「大門寺でないことは明らかだが・・・・」
 首を傾げながら、中尾病院の駐車場へ車を入れた。中尾病院は、立て替えたばかりの立派な病院だった。泥で汚れた靴で入り込むにはちょっと気が引けた。
 「すみません、O中央署のものですが、菊池先生にお目に掛かりたいのですが」
 「菊池ですね。少々お待ち下さい」
 受付嬢が電話をしている間、中条たちは病院の中を見回した。救急病院とは言うものの、足腰を痛めて通院している老人ばかりだった。
 「左手の応接室へお回り下さい」
 ちょっと緊張した面持ちの受付嬢に言われて、中条たちは示された方向へ進んだ。小さな表示を見ながら進んでいくと、奥から2番目に応接室があった。
 ドアをノックしてみたが返事はない。どうしようか迷っていると、白衣を着た30くらいの男性がやってきた。
 「菊池です。警察の方ですね?」
 「どうも。O中央署の中条と言います」
 「大森です」
 「早速ですが、峰鮎美に似た女性がいるとのことですが」
 「ICUです。二階になります。一緒にどうぞ」
 二階に上るというのに、菊池医師はエレベーターのボタンを押した。二階くらいなら歩いた方が早いなと思いながらも、中条たちは菊池の後ろに従った。
 「自殺未遂患者が運び込まれてきたことは、その日にB署には届けておいたんですが、身元を特定できるようなものを持っていなくてですね。まさか、殺人事件の容疑者だとは思いませんでしたよ」
 菊地医師は、言い訳がましく言った。それなら仕方ないですよと中条は答える。病院のエレベーターというのは動きが遅い。二階までに往復したくらいの時間がたってようやくエレベーターが下りてきた。
 「どうぞ」
 開のボタンを押したまま菊池医師は、中条たちに乗るように促した。中条たちが乗り込むと、菊池医師も乗り込んで2階のボタンを押した。
 のろのろとエレベーターが上っていった。扉が開くと真っ直ぐに延びる廊下があり、その突き当たりにドアがあった。菊池医師はそのドアを開いてロッカーを開けた。
 「この白衣を着て、帽子とマスクをしてください」
 中条と大森に白衣と帽子、マスクを手渡すと、菊池医師も手早く身につけた。中条たちが身繕いを整えると、左手にあるドアを開いた。
 プシュン、プシュンと言う大きな音が部屋に響いていた。人工呼吸器の音らしかった。
 「向こうから二番目の女性です」
 その女性は、黄色の大きなバッグに入った点滴をされ、酸素マスクを当てられて横たわっていた。
 中条はその女性の横に立って顔を確かめてみる。
 「マスクは外せないでしょうか?」
 「短時間なら」
 「お願いします」
 菊池医師が、酸素の流れているらしいマスクを外した。中条と大森がもう一度女の顔を覗き込む。
 「どうだ?」
 「彼女ですね」
 「うん、間違いない。先生、峰鮎美に間違いないようです」
 「やはりそうでしたか」
 菊池医師はマスクを元に戻した。
 「意識がないんですか?」
 「はい。ずっと意識不明です。出血多量で、命があるのが不思議なくらいなんです」
 「ほう。所持品とかはありませんか?」
 「さあ。おい、きみ! この患者の所持品はどこにある?」
 菊池医師は、反対側で仕事をしている看護婦に声を掛けた。
 「ロッカーに入っていると思います」
 「ああ。ここだな?」
 「そうです。わたしたちも一応調べましたが、身元につながるようなものはなかったですよ」
 そう言いながら菊池医師がベッドの足元に置いてあるロッカーを開いた。
 「バッグですね」
 そう言いながら、中条に手渡した。中条は、バッグを開いてみる。財布にハンカチ、化粧道具などが入っていた。
 「免許証はないか・・・・」
 そう言いながら、財布を開いた。万札が3枚と小銭が入っていた。
 「カードとかはないのかな?」
 財布の中を探っていると、隠れたポケットにカードが入っていた。
 「あれ? カードが入っていましたか。気がつきませんでした」
 菊池医師が、鮎美の財布を覗き込みながら呟いた。中条はキャッシュカードを取り出して名前を確認する。
 「ミネアユミ。間違いないな」
 中条は大森の方を見て頷いた。
 「彼女はどこで自殺未遂を?」
 「妙勝寺というお寺です」
 「妙勝寺? その寺はどこにあるんですか?」
 「すぐ近くですよ」
 「すぐ近く? このあたりには大門寺しかなかったと思いますが」
 首を傾げながら、中条が尋ねた。
 「ああ、小さなお寺ですからね。大門寺の西側にあるんですよ」
 「大門寺の西側? そんなお寺、ありましたっけ? 大門寺の西側は山じゃなかったですか?」
 「大門寺側から見ると、大門寺の建物と重なって別のお寺があるようには見えないですからね」
 「しかし、道らしいものがありませんでしたね?」
 「大文字に向かって左側に割と大きな道があるんですが、そこを上って100メートルばかり行った場所に参道があります」
 「大道寺前で彼女はタクシーを降りているんです。そこからだとかなり歩かなければなりませんね」
 「ああ。大道寺の左側に、歩いて行ける細い道があるんですよ。彼女が自殺を図った墓地には、妙勝寺の参道前で降りるより、そこから行った方が近いんですよ」
 「墓地? 墓地で自殺を図ったんですか?」
 「そうです。どうも、縁のあるお墓の前で自殺を図ったようですね」
 「なるほど。正確な場所はわかりますか?」
 「彼女を発見した妙勝寺のご住職に尋ねればわかると思いますが」
 「わかりました。彼女、逃走の可能性はありませんね」
 「ないですよ。助かるか助からないか微妙なところですからね」
 「じゃあ、意識が戻りましたら、ご連絡ください」
 菊池医師に頭を下げると、中条たちはICUを出た。

 菊池医師に聞いたとおりの道を行くと、妙勝寺の参道前に出た。参道の左側に3台ほどの駐車スペースがあった。大森はそこに車を停めた。
 石畳の参道を進んでいくと、今は枯れ葉ばかりのツツジがあり、大きな檜木、その向こうにお寺らしき建物が見えた。
 キョロキョロとしていると、ダサイワンピースを着た太った女性が出てきた。
 「すみません。このお寺の方ですか?」
 「そうですが、あなた方は?」
 胡散臭そうな目で中条たちを見た。
 「O中央署の大森と言います。三日前、このお寺の墓地で自殺騒ぎがあったと聞きましたが」
 「ああ。迷惑な話ですわ」
 女性は顔を顰めた。
 「ご住職が発見されたと聞きましたが、おられますか?」
 「本堂でお勤め中です。ご案内しましょう」
 女性について本堂へと歩く。本堂の下で靴を脱いで上がると、鐘を打ち鳴らす音が聞こえてきた。
 女性が住職らしい男性に耳打ちすると、中条たちの方を振り返った。柔和な表情の坊さんだと中条は思った。
 「先日の自殺未遂の女性の件ですか?」
 「はい。詳しい発見状況をお聞きしたいと思いまして」
 「よろしいですよ。何からお話しましょうか?」
 単座して対峙する住職に、中条たちも思わず正座した。
 「まず、彼女を発見した時刻を」
 「あの日、眠れなくて、午前5時に起きました。まだ真っ暗で、本堂に来て勤行をしました。午前6時が近くなったので、鐘を鳴らそうと、本堂を出て鐘突き堂へ向かって歩いていると、何か白いものが目に入ったのです。薄暗い墓の中に白っぽいものがあるのですから、目立ちます。何だろうと思って近寄ってみると、手首から血を流した女性が倒れているではありませんか。慌てて救急車を呼んだというわけです」
 「あたりで騒ぎになっていなかったようですが?」
 「ああ。墓地で自殺を図るなどとは、何か訳ありだろうと思って、救急車の方にサイレンは鳴らさないで来てくれと頼んでおいたのですよ」
 なるほどと中条は頷いた。
 「彼女が倒れていた場所を教えて頂けますか?」
 「よろしいですよ」
 住職はスッと立ち上がった。立ち上がろうとして、大森はばったりと倒れた。ほんの数分間正座しただけでしびれが切れたのだ。その大森を置いて、中条は住職に続いて本堂を出た。大森はビッコを引くような格好をしながらふたりの後を追った。
 墓地の一番端、東隣の大門寺の墓地に近い場所に住職は歩いていく。
 「ここです。この墓の前に倒れていました」
 住職が墓を指さした。中条は振り返って鐘突き堂を見た。この場所に倒れていれば、確かに発見されそうだと思った。それから、塀の外を覗く。細い道が大門寺の壁の横を東に向かって延びていた。
 (ここを上ってきたんだな)
 「どんな格好で倒れていました?」
 「こんなふうに」
 住職が横向きに倒れて見せた。コートの前が開いてベージュのスカートが覗いて見えたのだろうと中条は想像した。
 「確かにこの墓の前ですね?」
 「間違いないですよ。ほら、ここにまだ血が残っています」
 住職が指さす場所に、茶色のシミが残っていた。大森がそれを指で擦ってみて、血液に間違いないと呟いた。
 「あれ?」
 「どうした?」
 大森がコートから手袋を取り出して墓の横に手を突っ込んだ。引き上げられた大森の手に握られていたのは、茶色に変色した果物ナイフだった。
 「そんなところにそんなナイフがあったなんて気がつきませんでした」
 「手首を切ったナイフでしょうね」
 「峰聡太郎を刺したナイフかも」
 「鑑識で調べてもらおう」
 「はい」
 大森は、ハンカチを取りだしてナイフをくるんだ。
 「以前、あの女性がこのお墓にお参りにきたことは?」
 「ないですね」
 「えっ? ないんですか?」
 「はい」
 「彼女、この墓の関係者じゃないんですか?」
 「違うと思いますよ。彼女、法事などにも来たことがないですから」
 てっきり何らかの関係があると思っていたから、中条は驚きを隠せなかった。
 「じゃあ、どうしてこの墓の前で自殺など?」
 「さあ? 何故彼女がこの墓の前で自殺を図ったのか、皆目見当が付きません」
 ひとつ謎が解決されたかと思ったら、またひとつ謎が出てきた。
 (鮎美、おまえはどうしてこんな場所で自殺を図ったんだ?)
 中条は、井上家代々の墓と書かれた墓石を見上げた。

 捜査本部に戻ると、加藤たちがN県から戻ってきていた。
 「中条さん、ホシが見つかったんだって?」
 「ああ。自殺を図ってB市の救急病院に入院していたよ」
 「間違いないんですね」
 「間違いないよ。顔も写真と一致したし、峰鮎美という名義のキャッシュカードを持っていたんだ」
 「やりましたね。ホシさえ確保できれば、事件は解決したようなものですよ」
 「それはそうだが・・・・」
 中条はトーンを落とす。
 「大門寺に行ったわけはわかったんですか?」
 「わかったというか、大門寺に行ったんじゃないんだ」
 「えっ? と言うと?」
 「大門寺の西隣に小さなお寺があってね。明勝寺と言うんだが、このお寺の墓地で自殺を図っていたんだ」
 「墓地で? 何でまた?」
 「それがわからないんだ。井上家という墓の前で手首を切っているんだが、どうしてそんな場所で自殺を図ったのか疑問でね」
 「井上家? 峰の関係ではないですよね」
 「そう思うな」
 「伊沢家の関係でしょうか?」
 「峰鮎美の実家はN県だろう? こちらに親戚があるとも思えないが」
 「可能性はゼロじゃないでしょうが・・・・。もしかして、鮎美はホントは井上家の娘だったりして」
 「なるほど、そこまでは考えなかったな」
 「N県に電話をして確かめてみましょうか?」
 「そうだな。もうひとつの可能性として、鮎美は死んだ井上家の誰かと付き合っていた。死んだ恋人の前で自殺を図ったって言う線だな」
 「そっちの方が可能性が高そうですね」
 「うむ・・・・」
 中条は腕組みをして考え込む。
 「鮎美が隠し持っていた写真に写っていた家族の身元はわかったか?」
 「いえ、さっぱりです」
 「あの写真の男が井上なにがしで、鮎美はあの男とつき合っていた。男は死んでいて、男の墓の前で自殺を図ったと言うところかな?」
 鑑識にナイフを提出してきた大森が、話の途中に割り込んできた。
 「たまたまってことはないですか? 自殺するのはどこでもよかった。誰の墓の前でもよかったって言う線は?」
 「それならわざわざB市まで行く必要はないし、明勝寺の墓地の手前に大門寺の墓地があるんだ。どこでもいいというのなら、大門寺の墓の前で自殺を図るだろう。明勝寺のあの井上家の墓の前でなければならなかったと俺は思うんだ」
 捜査員たちは頷く。中条の意見が濃厚かという話になっていった。
 「峰鮎美に聞くのが一番ですかね?」
 「そうしたいところだが、峰鮎美は生死の間を彷徨っていてな。死ななければ、どうしてあの場所で自殺を図ったか、それにどうして峰聡太郎を殺しか追及できるんだが、死んだ場合が困るんだよな」
 「そうか。彼女が死んだ場合のことを考えて、裏を取っておきましょう。B市の井上家と関係があるかどうか、鮎美の実家に電話します」
 「そうしてくれ」
 加藤が峰鮎美の実家、伊沢家に電話をかける。ちょうどその時、もう一本の電話のベルが鳴った。
 この2本の電話で捜査は混乱に陥ることになる。