加藤が前日帰宅したのは、午後11時過ぎだった。逮捕した連続コンビニ強盗の調書を作成していたために遅くなったからだ。この一週間、犯人逮捕のためにほとんど家に帰っていなかった。久しぶりに褥を共にした妻が、加藤にそれとなく迫ってきたのだが、加藤は疲れでアッと言う間に眠り込んでいた。
「あなた! 署から電話よ」
不機嫌そうな顔をした妻に、不機嫌そうな声で起こされたのは、午前6時前だった。
「ハイ、加藤です」
《加藤さん、殺しです。すぐに出てきて下さい》
「殺し! すぐに行く」
休む暇もないなと思いながら、加藤は妻の用意してくれた服を手に取った。
「すまんな」
「お仕事ですもの」
警察官の妻としてよくやってくれているとか当は妻に感謝している。ただ、そのことを言葉に表したことがない。
加藤は署に寄って、杉村、大森それに鑑識の連中と一緒に現場へ出かけた。
「中条さんは?」
「連絡は付いてます。直接現場に来るって言ってたんですけど・・・・」
訳ありげに大森が言うので、加藤はそれ以上追求しなかった。
明らかな殺人とわかる現場をサッと見たあと、加藤は第一発見者に事情を聞くため事務所へ向かった。
モーテルの入り口に向かって右奥に事務所がある。その事務所のソファーにその夜勤務していたふたりの従業員が座っていた。加藤と杉村が入っていくと、疲れたような表情で見上げた。
「中央署の加藤です」
加藤は頭を下げてふたりの対面に座った。杉村も挨拶をして加藤の隣に座り込んだ。
「どちらが、あの遺体を?」
「・・・・わたしです」
顔にホクロだらけの女性が青ざめた顔で答えた。年のころは40過ぎと思われる。
「お名前は?」
「島本と言います」
「島本さんですね。発見されたのは何時頃でしょう?」
「午前5時頃です」
「5時? どうしてまた、そんな時刻に? 悲鳴でも?」
「部屋は完全に防音になっていますから、悲鳴は聞いていません」
「じゃあ、どうして?」
泊まりの客が出ていくのは早くても6時過ぎだろう。しかも車が出ていったと言うのならわかるが、車はまだ停まったままだ。お客がいる部屋の中を覗く理由がないのだ。
「2号室のボイラーがずっと点けっぱなしになっていたからです」
「ボイラーが?」
「はい。うちのモーテルでは給湯のボイラーは部屋毎に設置していて、その使用状況がここでわかる仕組みになっています」
「なるほど。で?」
「2号室のボイラーは午前3時頃に火がつきました。3時半頃、おひとりお帰りになったのですが」
「ちょっと待って、午前3時半に犯人が出ていったと言うことですか?」
「他に出入りはありませんから、出ていった方が犯人かと・・・・」
「ふむ。午前3時半に逃走したと」
加藤は手帳に書き留める。
「あ、それで、どうして午前5時に部屋に?」
「おひとり出ていったあともボイラーはついていました。もうひとかたがシャワーでも浴びているのだろうと思っていました。けれど、いつまでたってもボイラーの火が消されません。火がついていると言うことは、お湯が出っぱなしと言うことです。そこで、お部屋に電話をいたしまして、お湯を止めて頂こうと思ったわけです」
「ところが誰も電話に出ない」
杉村が口を挟む。
「はい。そこで、失礼だとは思ったのですが、お部屋を覗きに参りました。お相手がお帰りになっておりますから、問題はないと思ったのです」
女性従業員は、もうひとりの男性従業員に同意を求めた。男性従業員はウンウンと頷いた。
「ドアをいくらノックしても出ていただけませんでしたので、やむなく合い鍵を使って部屋に入りました。すると、あの状況で・・・・。わたし、もうビックリしてしまって、腰が立たなくなりまして。這うようにしてこの人に連絡して、それから警察に」
「部屋の中のものを触りましたか?」
「わたしは触っていませんが・・・・」
「わたしがシャワーのコックを戻して止めました」
男性従業員が答えた。
「他には?」
「テレビでやっているサスペンスドラマなどで、現場にあるものを触ってはいけないってよく言われてましたので、他には触っていません」
「英断でしたね。さきほど、殺された男性と一緒に来た人物が午前3時半頃出ていったとおっしゃいましたね?」
「はい」
「何時に来ました?」
「ちょっと待って下さい」
女性従業員は台帳を取り出して調べる。
「午後10時10分ですね」
「午後10時10分と・・・・。先に帰った人物の顔を見ていませんか?」
「ここはお客様のお顔は拝見しないような構造になっていますので」
加藤はモーテルの構造を思い浮かべる。
「・・・・そうか。しかし、服装などは見えるのでは?」
「服装ですか? ちょっと待って下さい」
女性従業員は、こめかみに手を当てて考え込んだ。
「たしか、茶色のバックスキンのコートを着ていて、ベージュのミニスカート姿だったと思います」
「茶色のバックスキンのコートにベージュのミニスカート? 間違いないですか?」
「はい」
前日はかなり寒かった。ミニスカートなどで寒くはなかったのかと加藤は思った。
「靴は? 靴はどんなものを?」
「やはりベージュのパンプスでしたわ」
「ベージュのパンプスですね。他に何か気づいたことはありませんか?」
「さあ・・・・」
女性従業員は、男性従業員を見るが、男性従業員は首を横に振った。
「午前3時半にその女が出ていったと言うことですが、タクシーか何かを呼んだのでしょうか?」
「うちの電話には記録がありません。携帯を使って呼んだか、表に出て流しのタクシーを拾ったんじゃないでしょうか?」
「わかりました。他に何か思い出したら、連絡をお願いいたします。これがわたしの連絡先です」
加藤は、小さな名刺をふたりに手渡し、頭を下げて外に出た。
中条と大森がモーテルの階段を下ってきた。
「どう? 何か重要な証言は?」
中条が加藤に尋ねる。加藤は内ポケットに仕舞い込んだばかりの警察手帳を取り出す。
「茶色のバックスキンのコートにベージュのミニスカートを穿いた女性が一緒だったらしい。その女性が午前3時半頃に部屋を出て行っている」
「顔は?」
「見ていないと言うか、あの構造だから見えないらしい」
なるほどと中条は頷いた。
「車で逃走した訳じゃないから、タクシーでも拾ったのか? ともかく目撃者を捜すとしましょうか?」
「何故、乗ってきた車で逃走しなかったんでしょうね? あまり目立つ車じゃないから、逃走にはもってこいだと思うんですが?」
大森が首を傾げながら言う。
「慌てて逃げ出して、キーを忘れた。モーテルのドアはオートロックになっていたから、キーを取りに戻れなかった」
そんな中条の答えに皆が頷いた。
「逃走用の車を隠しておれば別ですよね?」
「このあたりは道幅が狭いから路上駐車はできそうもないな。午前3時に車を出せる駐車場もなさそうだし」
このあたりの地理を思い出しながら中条が答えた。
「ま、いつも通り、探すだけは探してみましょうか?」
「午前3時半じゃあ、目撃者探しは難しいだろうな」
4人は顔を見合わせた。新宿歌舞伎町というのならともかく、田舎の寂れたモーテル街だ。午前3時半頃は人通りはまったくないことが予想された。しかし、聞き込みはせざるを得ないのだ。
「午前3時半頃、茶色のバックスキンのコートにベージュのミニスカートを穿いた、恐らく髪の長い女性を見かけませんでしたか?」
みどりのスナックを含めた小さな店舗を回ってそんな問いを発してみたけれど、返ってきた返事は、そんな時刻には夢の中ですよと言うような返事ばかりだった。
表通りに停まっているタクシーに同じ質問をして、午前3時から4時の間にこのあたりを流していたタクシーはいないか尋ね、無線でも探して貰ったけれど、これと言った情報は得られなかった。
鑑識作業の終わった鑑識係と共に署に戻って、捜査会議となった。
「司法解剖の結果を待たなければなりませんが、死亡推定時刻は午前1時から3時の間。凶器は刃渡り10センチ程度、恐らく果物ナイフと思われます。現場から凶器は発見されておりません。両手の防御痕は別にして、頚部に7カ所、胸部に13カ所の傷があり、肺に達するものが3カ所あって、これが致命傷となったものと考えられます。ベッドの中、浴室から長さ15センチから20センチの髪の毛が3本発見されました。恐らく女性のものと思われます」
「髪の長い男性という可能性は?」
厚顔無恥にも受け売りの大森が尋ねる。
「可能性は否定しませんが・・・・」
鑑識の伊東が大森をじろりと睨んだ。大森は肩をすくめて黙り込んだ。
「ゴミ箱の中から、ティッシュに包まれたコンドームがひとつ発見されています。中にはガイシャのものと思われる精液が含まれておりました。これも想像ですが、セックスが終わった後、眠り込んだガイシャを襲ったものと考えられます」
なるほどと頷く面々。
「さて、下の駐車場に停めてあった車の方ですが、運転席側のドアから3種類、助手席側から2種類の指紋が検出されております。車のキーをガイシャが持っていたことからすると、助手席側の指紋が犯人のものである可能性が高いですが、5種類の指紋について検討の予定です。今のところはそう言ったところです」
伊東が席に座る。
「加藤君、第一発見者からの情報を」
「はい。ガイシャと一緒にモーテル『スターダスト』に入ったのは、茶色のバックスキンのコートにベージュのミニスカートを穿いた女性、女装した男性かもしれませんが・・・・」
加藤は、大森をチラリと見た。
「顔の方は残念ながら、確認できなかったそうです。ふたりがスターダストに入ったのは昨日の午後10時10分頃、午前3時半頃女性の方がスターダストを出て行っています。この間に出入りがありませんので、この女性が犯人と断定できます。時間が時間だけに、この女性の目撃証言は、今のところ得られていません」
「逃走経路については?」
「午前3時半ですから、徒歩あるいはタクシーだと思われます。徒歩だとしてもいずれはタクシーを使ったものと思われます」
「どうしてそんなことが言える?」
今永課長が尋ねた。
「自分の住居に近いモーテルには泊まらないと思いますし、ましてそのモーテルで殺人を犯すわけですから、住居はモーテルから遠いと思うのです。いかがでしょう?」
「潜入観念に捕らわれると失敗するぞ。ま、しかし、タクシーの線を洗う必要はあるだろうな。逃走用の車両を用意しておいたという線は?」
「モーテル周辺は路上駐車できるようなスペースがありません。もし路上駐車したとしたら、すぐに警察に通報がある地域です。それから、午前3時半頃出庫できる駐車場もありませんでした」
「共犯がいて、犯人を拾いに来たという線は?」
「それについては、今のところは何とも・・・・」
「ふむ。中条君は何かあるか?」
「いえ、とくには・・・・」
「それでは、加藤君と杉村君は、ガイシャの女性関係を当たってくれ。中条君と大森君は、タクシー会社に当たって犯人と思われる女性を乗せたタクシーがいないかどうか探ってくれ。では、解散」
加藤と杉村が出ていき、鑑識係は毛髪と指紋の鑑定のため研究室に戻っていった。中条と大森は、手配書を作成して、市内全域のタクシー会社にファックスした。タクシーを使っていれば、深夜のことだから、すぐにでも目撃証言が出てくることが期待された。今の時間帯には、勤務していたタクシーの運転手は布団の中だろうが、タクシー会社には運行記録があるから、返事はすぐにでも届くのだ。
「動機は何なんでしょうね?」
「怨恨の線が一番高いがなあ」
そんなことを話していると電話が鳴った。大森が受話器を取る。
「もしもし。○○タクシーさん。手配書の件ですね? 該当する車はいない? そうですか。ご協力ありがとうございました」
残念という顔をして大森が受話器を置いた。連絡のあったタクシー会社をリストから消した。
電話が続けざまに掛かってきた。返事は同じように該当する車はないとのことだった。
「大手タクシー会社からの報告はほぼ終了ですね」
「あとは個人タクシー頼みだな」
「個人タクシーが、あの時間に流していますかね?」
「望み薄だな」
電話が鳴った。大森が受話器を取る。時計は午前11時を指していた。
「えっ? 手配書の女性らしい人物を乗せた? ホントですか? 中条さん、見つかりましたよ。熊井って言う個人タクシーです」
「間違いないか?」
大森が興奮気味の声でもう一度聞き直している。
「間違いなさそうですよ。茶色のコートを着た女性を末広町の国道沿いで乗せたって言ってます」
「今から尋ねていいかどうか聞いてくれ」
「その女性について、詳しく聞きたいのですが、今からお尋ねしてもよいでしょうか。いい? それでは・・・・」
大森は時計を見る。
「昼食時間に掛かりますが、あ、すぐにいいですか? じゃあ、すぐに伺います。お宅の住所ですと、正午前には。ハイ、申し訳ありませんがよろしくお願いします」
「よし、すぐ行くぞ」
中条は、スーツを取って掛けだしていった。
10分ほどで熊井タクシーの家の前に着いた。熊井は60を少し回ったくらいの白髪交じりの男だった。笑顔を絶やさない人当たりの良さそうな男だ。
「どうも。中央署の中条です。早速ですが、その女性を乗せた場所と正確な時刻は?」
「乗せたのは、末広町の国道沿いですね。消火栓があるあたりですよ」
聞き込みをしたときの風景を思い出して、中条はああと頷いた。
「時刻は午前3時40分くらいでした」
「どんな様子でした?」
「街路灯のそばにぼんやりと立っていましてね。飛び込み自殺するんじゃないかと思ってスピードを落としたんですよ。そうしたら、手を挙げて乗せてくれって合図をするんで、ちょっと安心したわけで」
「どこまで乗せましたか?」
「降ろしたのは、大門寺前でしたね」
「大門寺前? B市の?」
「そうです」
「降りてどちらに行きました?」
「さあ、見てませんでしたから」
「そうですか。もう一度その女性の格好を確認しておきます。手配書通りの茶色のコートを着た女性と言うことでしたが、どんな感じのコートでした?」
「どんな感じって言いますと?」
「コートに艶があるとか、デザインの特徴とか」
「エッと、あれはなんて言うんですかね。皮をひっくり返したヤツですよ」
「バックスキン!」
「バックスキン? そう言うんでしたかね?」
犯人の女性だと中条は頷いて大森に質問を続けさせた。
「コートの下は?」
「さあ、寒かったですからね。コートの前を両手でしっかりと合わせていましてね。だから、わかりませんが」
手配書には、ベージュ色のスカートと書いてあった。だから、わからないと言う証言には、かえって信憑性があると思われた。
「スカート? それともズボンでしたか?」
「ストッキングが見えましたから、スカートでしょう」
「靴は、白っぽいパンプスでしたね?」
中条が大森の脇腹を突いた。誘導尋問になるからだ。
「足元までは見ていませんね」
「その女性についてできるだけ詳しく教えて頂けますか?」
「髪の毛は肩に掛かるくらいの長さだったな。綺麗なストレートでね。まるでシャンプーのコマーシャルに出てくる女優さんみたいだなって思ったんですよ」
「肩に掛かるくらいのストレートですね。顔は?」
「美人でしたよ」
あまり表情に変化のなかった熊井が、相好を崩して即座に答えた。
「美人ですね。・・・・タレントで言うと誰に似ていますか?」
「タレント? ・・・・さあ、ちょっとわかりませんね。あんまりテレビなど見ないもので」
「じゃあ、似顔絵を描かせますから、教えて下さい。大森、準備を」
似顔絵書きは大森の特技だ。だから、課長はタクシー探しに付けたのだ。大森はスケッチブックを取り出して、鉛筆を構えた。
「顔の輪郭からいきましょう」
「卵形ですね」
「これくらい?」
大森が輪郭を描いた。
「ううん。ま、それくらいでしょう」
「髪の毛は肩に掛かるくらいのストレートと」
独り言を言いながら、髪の毛を描いていく。
「分け目は右? 左?」
「真ん中でしたね」
「前髪の感じは」
「前髪は下ろしてなかったですね」
「なるほど。こうかな?
「そう。そんな感じですね」
「眉は?」
「細い山形。優しい感じですね」
「こんなものでしょうか?」
大森が眉毛を描いてスケッチブックを見せる。熊井は首を傾げて頭を横に振った。
「もう少し山が低いですね」
消しゴムで消して、もう一度書き直す。
「これくらい?」
「そう、それくらいです」
「目は?」
「大きくてぱっちりしていました」
大きくてぱっちりと呟くながら、大森はふたつの目を書き足した。
「こんなものかな?」
「目の間隔が狭いですね。もう少し広げてみて下さい」
こんなやりとりが1時間ばかり続いて、ようやく似顔絵ができあがった。
「はい、はい。こんな感じですよ」
スケッチブックを見ながら、熊井が納得したように頷いた。
「そうですか。どうもご協力ありがとうございました。何か気がついたことがありましたら、連絡して下さい」
例によって名刺を渡して、中条たちは熊井タクシーを退出した。
中条は似顔を見つめる。
「こんな美人が、峰と一緒にモーテルに行って、あげくに滅多突きで殺す理由とは何だろうな?」
「さあ?」
大森が中条の持っているスケッチブックを覗き込んで肩をすくめた。
「じゃあ、大門寺に行きましょうか?」
大森は、アクセルを踏んだ。