第19章 牟田から語られた事実に

 平成10年の暮れのこと、牟田は峰聡太郎からこっそり呼び出しを受けた。
 「社長、何の用でしょうか?」
 「このメモに書いてある井上裕介夫婦を殺せ。ただし、事故に見せかけてな。ふたり同時よりも、別々の方が疑われないだろう。いいか。証拠は絶対に残すなよ」
 「わかっております」
 B市の田舎に住む貧乏百姓の夫婦を何故殺すのか、牟田には理解できなかった。しかし、理由など牟田には必要なかった。峰に依頼された汚い仕事をこなす。それが牟田の役目だった。
 それまでも、同業者を事故に見せかけて何人か殺していた。殺しだとばれたことは一度もなかった。それほど牟田は殺しに長けていたのだ。
 平成11年3月1日夕刻、牟田は峰聡太郎と共に高速でF市に向かう振りをして、Bインターで峰と別れた。峰はそのままF市に向かった。アリバイ作りをするためだ。もちろん牟田も一緒にF市に行っていることになっている。
 タクシーなどを使うと脚がつく。だから牟田は夜道を井上裕介の家まで徒歩で行き、夫婦が寝入るのを待った。事前の調査で、井上夫婦はもちろん、同じ集落のほとんどが午後8時には床に入っていることを知っていた。
 午後9時には、ふたりはイビキを掻いていた。家の中に忍び込んだ牟田は、井上裕介の頭部を拾ってきたこぶし大の石で殴って気絶させて外へと運び出した。
 トラクターに乗せて畦道に出て、田んぼの中に放り出して、殴ったことを隠すために頭の下に血の付いた石を置き、トラクターをひっくり返して下敷きにした。井上裕介は、ううと呻き声を上げたが、すぐに絶命した。
 井上裕介は酔ってトラクターを運転し、下敷きとなって事故死したとの新聞報道が出て、牟田はニヤリと笑った。
 平成11年4月18日、同じようにしてBインターで峰と別れた牟田は、夜陰に紛れて井上の家にやってきた。49日ということで、親戚が泊まっていれば日延べをするつもりだったが、牟田にとって幸いなことに井上裕介の妻ひとりだった。
 「ごめんください」
 牟田は正面から井上の家を訪れた。
 「何でしょう?」
 「息子さんの会社のものですが、お父さんが亡くなったことを知らなくてお参りもせずに今日になってしまいました。線香を一本上げさせて頂けますか?」
 「ああ、どうぞ。主人も喜びますわ」
 殺されるとも知らないで、井上真知子は扉を開けて牟田を中へと導いた。仏壇に向かって手を合わせ、お茶を入れてくれた真知子と数分世間話をしてやった。
 真知子が隙を見せたとき、真知子の湯飲み茶碗に睡眠薬を投じて眠らせた。真知子が眠りに落ちると、湯飲み茶碗を洗って棚に戻し、梁にロープをかけて真知子を吊った。
 「寝ている間にあの世行きだ。楽したな」
 訪問した痕跡がないことをもう一度確かめて、牟田は徒歩で逃走した。
 『夫の49日法要後に首吊り』
 そんな記事を見て、牟田は再びほくそ笑んだ。

 井上亮の殺害は簡単だった。キーを付けたままにしてあった軽トラックを盗んでH町まで行き、井上裕人が住んでいるアパートの裏にトラックを止めてチャンスを待っていた。
 井上亮が走り出てきたのはそれから30分もしないうちだった。ギアを入れ、トラックを発進させてフルスピードで亮をひき殺し、そのまま国民宿舎の駐車場まで走ってトラックを放置した。指紋が残らないように手袋を忘れなかった。
 駐車場には、何も事情を知らない女、峰から下げ渡された女を待たせていた。その女の車に乗って逃走したのだった。
 それから10日後、井上裕人が会社で残業しているという情報が峰から入った。牟田は早速井上裕人のアパートに向かった。
 「すみません。会社の同僚です。出張していてお葬式に出られなくて。線香を一本上げさせて下さい」
 義理の母親を殺した時と同じ理由を付けて部屋に上がり込んだ。線香を付け、手を合わせる振りをして、井上霞が油断した隙に麻酔薬を嗅がせて意識を奪った。
 バスルームに運び込んで、やかんに入った水を口の中に流し込む。井上霞はしばらくは苦しそうに咽せていたが、やがて息絶えた。
 真夜中まで待って、井上霞を担いで停めてあった車まで行き、人気のない場所から海の中へと放り込んだ。放り込んだ場所には、靴を揃えておくことも忘れなかった。
 解剖すれば肺に満たされた水が海水でないことから入水自殺でないことはわかる。しかし、変死だとしても、それ相当の理由があり、家族の承諾が得られなければ解剖にまでは回されない。例え解剖に回されて殺人が疑われたところで、証拠を残すような牟田ではなかった。
 『息子の事故死を苦に自殺』の文字に、牟田はニヤリと笑い、成果を峰に報告したのだった。

 平成14年3月、牟田は峰にF市まで同行するように言われた。何か仕事だなと思っていると、A市で降ろされ、車を一台盗んで午後9時にここで待てと言われた。
 午後8時半頃までいろいろと物色して回り、キーを抜き忘れた乗用車を盗んで降ろされた場所に戻った。
 峰の隣に、まあ可愛い子が乗っていた。
 「鮎美ちゃん、わたしはまだこれから行くところがあるから、この車に乗ってくれ。この男がマンションまで連れて行ってくれるから」
 「お世話になります」
 何の疑いも持たずに伊沢鮎美という女が盗んだ車に乗り込んできた。峰が鮎美に気づかれないように、牟田に殺せと言う指示を出した。牟田は頷き、車を発車させた。
 鮎美が騒ぎ始めたのは、車が山の奥深くに入っていたからだった。
 「どこに行くの?」
 「どこ? 地獄だよ」
 牟田はやはり当て身で鮎美を気絶させて、崖の下に放り投げた。骨折して手足がくにゃりと曲がり、頭からも血が流れ出ていた。降りていって脈を確かめるとすでに息絶えていた。 「何の恨みもないんだが、成仏しろよな」
 牟田は手を合わせてからその場を離れた。人がほとんど通らない場所だから、しばらくは遺体は見つからないだろうなと思いながら、牟田は盗んだ車をそこから遠く離れた場所に放置して、そのままO市へと戻った。

 それから数日後、峰が会社に新しい女性従業員を雇うから空港へ迎えに行けと言われた。名前を聞いて驚いた。伊沢鮎美と名乗ったからだ。
 牟田は、その時、戸籍を盗むために伊沢鮎美を殺させたことを悟った。
 「この女、どこかで会ったことがある。・・・・どこだったか? 思い出せないな」

 「ずっと、そう思っていたんですけどね」
 牟田が、鮎美に言った。
 「つい最近、子どもと女を殺せと言われたときの写真が出てきましてね。処分するのをうっかり忘れていたんですよ。その写真を見て、お嬢さんが誰だかわかったんですよ」
 牟田は井上裕人が霞、亮と3人で写った写真を突きつけた。
 「お嬢さんが誰だかわかって、社長が井上一家を殺させた理由がわかったんですよ。社長は、両刀使いでね。つまり、男も好きなんですよ。お嬢さん、大杉建設にいましたよね。恐らく社長はそこあたりでお嬢さんに目を付けたんでしょう。女にして抱こうと思ったに違いない。だけど、ノンケの男を女に仕立てるのは柔なことじゃない。まずは、家族の存在だ。家族のしがらみってのは大きな障害になるわけですよ。だから、井上一家を殺させた。わたしはそう思ってるんですけどね。お嬢さんはどうお思いになります?」
 想像していたことが現実となって、鮎美は頭を抱えた。
 「どうして、そんな話をわたしに・・・・」
 「お嬢さんが気の毒でね。家族を奪われ、無理矢理女にされて、家族を奪った男に抱かれて幸せを感じているなんて。それに黙ったまま死ねないと思いましてね」
 「死ねない?」
 「わたし、癌なんですよ。それも、手遅れの」
 「癌・・・・」
 「いつ死ぬかわからない身なんですよ。わたしひとりだけが罪を背負ったまま、あの世に行きたくないって思いましてね」
 牟田は立ち上がった。
 「お嬢さん。わたしが直接手を下しましたが、悪いのは社長です。社長なんですよ」
 そう言い残して、牟田は部屋を出て行った。鮎美の目から涙がこぼれ落ちた。
 (愛している。愛していると思っていたのに・・・・)

 鮎美の部屋を出た牟田は、振り返ってみた。
 (さて、お嬢さんはどう出るだろうかな? 恨みのあまり社長を殺すだろうか? そうしてくれれば、俺の思うつぼだが・・・・)
 牟田の余命が幾ばくもないのは本当だった。すべての罪を背負ったまま牟田が死に、命令した峰がのうのうと生きているのが口惜しかったのだ。本当はその手で峰を殺してやりたかった。しかし、これ以上自らの手は汚したくなかった。だから、鮎美にそれを託そうとしたのだ。
 牟田は、鮎美が峰を殺す動機を誤魔化すために、養子縁組解除の書類をこっそりと机に中に隠しておいた。こうしておけば、牟田が井上一家と伊沢鮎美を殺したことを悟られないですむと思ったのだった。

 翌日、鮎美は夕食の準備をすませると、峰に猫なで声で電話した。
 「あなた。たまには雰囲気を変えましょうよ」
 《雰囲気というと?》
 「どこか、モーテルでも行かない?」
 《モーテルか。うん、それもいいな。セルシオで行くわけにもいかんか。車を代えて帰ろう》
 峰は会社の車で戻ってきた。夕食を食べさせてから出かけた。鮎美は、バッグの中に果物ナイフを忍ばせていた。
 峰が向かったのは、裏びれたモーテル街だった。
 「ここだと目立たないからな」
 そう言ってモーテルの駐車場に車を入れた。峰は少し興奮しているようだった。
 「たまにはこう言うところもいいな」
 そう言いながら、鮎美を抱き寄せた。いつも通りの前戯がすんだあと、鮎美はコンドームを取りだした。
 「コンドームなど必要ないだろう?」
 鮎美は本来男だから、妊娠の可能性はない。今まで一度も使ったことはない。峰は不審気な表情を浮かべた。
 「シーツを汚さないためよ」
 「汚れたっていいじゃないか」
 「片づけるのが面倒でしょう?」
 そう言って納得させた。油断させるためには峰を受け入れるのは仕方がないと思っていた。けれど、もはや峰のザーメンを体内に受け取りたくなかったのだ。
 ことが終わって、ばったりと仰向けになった峰のコンドームを外してやり、ゴミ箱に入れるときにバッグからナイフを取り出した。
 すぐにでも殺してやりたいと思った。けれど、セックス後の気だるさで力が入らなかった。
 (少し待たなきゃ、返り討ちになってしまうわ)
 鮎美は、ナイフを隠し身体が回復するのを待った。

 午前3時前、鮎美ははっとして目を覚ました。眠り込んでいたのだ。身体を起こして鮎美は隣で眠っている峰の顔を見た。
 (家族を奪った憎いやつ!)
 ナイフを背中に隠して、峰の上に跨った。
 「もう一度するのか?」
 目を覚ました峰が下卑た笑みを浮かべた。
 「いえ、もうしないわ。金輪際しない」
 「なに!」
 「牟田に聞いたわ。わたしの家族を殺させたでしょう!」
 「な、何を馬鹿な」
 動揺が峰の顔に浮かんだ。鮎美は背中に隠してあった果物ナイフを喉元に突きつける。
 「あなたなんか、絶対許さない!」
 「ま、待て! おまえの家族を奪ったことは謝る。罪滅ぼしに、おまえの望むものは何でも叶えてやる」
 「わたしの望みは、あなたの死よ。死であたしの家族を奪った罪を償うのよ!」
 鮎美はナイフに全体重を加えた。
 「ぐ、ぐえっ!!」
 ナイフを引き抜く。
 「これは父の分!」
 「これは母の分!」
 「これは霞の分!」
 「これは亮の分!」
 「これはわたしの人生を奪った分!」
 鮎美は何度も何度もナイフを振り下ろした。既に事切れて動かなくなった峰の身体に般若のような表情で・・・・。

 「はあ、はあ、はあ、はあ」
 峰に果物ナイフを突き立てたまま、鮎美は肩で大きな息をしていた。無数の傷から吹き出た血液がシーツを濡らしていた。
 鮎美はゆっくりと立ち上がった。ナイフを持った手が震えている。ナイフを放そうとするけれど、指が開かなかった。
 鏡に返り血を浴びた姿が映っていた。
 (なんて恐ろしい姿・・・・)
 鮎美は頭を振った。
 (行かなきゃ・・・・)
 鮎美はバスルームに入って身体に付いた血液を洗い流した。熱いお湯が何もかも洗い流してくれるような気がした。指が緩んでナイフが滑り落ちた。鮎美はそれを取り上げる。
 身体を拭いて服を着ると、ナイフをバッグに収めた。
 「さようなら、あなた。愛してたのよ。ホントに・・・・」
 涙を流しながら、鮎美はコートを羽織ってモーテルを出た。

 冷たい月が空に浮かんでいる。あたりはしんと静まりかえっていた。時折国道を車が走り抜けていく。鮎美は、国道へ向かって歩いていった。
 街路灯のそばに佇む。一陣の風が吹き抜けて、暖まっていた鮎美の身体を心と同じくらいに冷やす。
 天井灯を付けたタクシーの影が見えた。鮎美は手を挙げた。タクシーはスッと鮎美のそばに来て停まった。
 ドアが開く。斜め後ろを向いた人の良さそうな運転手の顔が見えた。鮎美は、すみませんと言ってタクシーに乗り込んだ。
 「どちらまで?」
 「大門寺まで」
 「大門寺? B市の?」
 「ええ」
 長距離のお客に、運転手は嬉しそうな顔をしてアクセルを踏んだ。

 鮎美は大門寺前でタクシーを降りると、大門の左側の壁に沿って緩い傾斜を上っていった。壁が途切れたところに、コンクリート製の狭い階段がある。そこを上ると墓地に出る。その墓地は大門寺のものではなく、裏手にある明勝寺のものだ。明勝寺は、井上家の菩提寺だ。井上家の墓があるのだ。
 階段を上って2番目にその墓が建っていた。銘板を見た。
 「父さん、母さん、霞、亮、無念は晴らしたよ」
 鮎美は両膝をつく。
 「亮、変わってしまったけど、そっちに行ったら、お父さんって呼んでくれるかい? 霞、ごめんよ。おまえのことを忘れて、おまえたちを殺した男を愛してしまうなんて。許してくれるかい? ・・・・今から、そっちに行くから」
 鮎美は、バッグの中から、血の付いたナイフを取りだした。墓を見上げてから、鮎美は細くなった手首を力の限り切った。