第15章 カウンセリング

 一ヶ月が無事に過ぎ去った。裕人は18万弱の給料を得た。給料引きするといわれた金額を引かれても、H町にいたときよりも多い収入だった。女装して働くことへの嫌悪感が、福沢諭吉の顔を見て少しだけ和らいでいた。
 「野中さん、一緒に飲みに行かない?」
 帰り支度をしていると、円城寺に誘われた。それまで、何度か男性社員に誘われてはいたのだが、男の魂胆はわかっている。隙あらばと狙っているのだ。ばれたら大変なことになるので、裕人は断り続けていた。
 (相手が女性ならいいかも)
 裕人は誘いに乗った。連れて行かれたのは、駅から遠くない居酒屋だった。
 「わたし、生ビールにするけど、あなたは?」
 「わたしも生ビールでいいわ」
 「何食べる?」
 「さあ。円城寺さんが選んでくれたものでいいわ」
 「じゃあ」
 メニューを見ながら、何品か注文していた。
 (飲み過ぎないようにしなきゃ。あんまり飲んだら、女声が出せなくなるかもしれないし、うっかりして男が出たら大変だから)
 裕人は用心しながら、生ビールを口にした。
 「野中さん、仕事もできるし問題はないんだけど、ひとつだけ注文してもいいかな?」
 「何ですか? わたしに注文って?」
 「あなた、なんか暗いのよね。もう少し明るくできないかなって」
 「ああ・・・・」
 明るく振る舞えと言われても、今の裕人にはとてもできそうもなかった。両親を失い、妻子を失って心は沈んでいた。しかも女を装わなければならないという秘密を持っているからだ。
 「何か悩み事でもあるの?」
 心配してくれているから黙っているわけにも行かず、半分だけ話すことにした。話しても問題はないからだ。
 「1年ちょっと前、両親が相次いで亡くなって」
 「ご両親が? どうして? あなたの両親なら、まだ若いでしょう?」
 「父は、酔っぱらってトラクターを運転して、横倒しになったトラクターの下敷きになって死んだの」
 「まあ・・・・。お母さんは?」
 「母は、49日の法要が済んだあと、首を吊って自殺してしまったの」
 声がなかった。何と言っていいのかわからないという表情を見せた。
 「それから・・・・」
 「まだあるの?」
 「ええ。息子がひき逃げされて・・・・」
 涙がぽろりと出た。
 「息子さんがひき逃げにあった? あなた、結婚していたの?」
 「ええ」
 「ご主人は? ご主人はどうしたの? 別れたの?」
 何と答えようかと裕人は迷った。別れたと言えば、原因を追及されるだろう。ぼろが出そうな気がした。死んだことにすればいいと思ったが、霞と同じ自殺は、男親だからおかしいと思った。
 「息子と一緒に死んだの」
 「そう。それは気の毒に。だから、いつも暗い顔をしてるのね。そう、そうだったの」
 涙を流す裕人にハンカチを手渡してくれた。
 「忘れなさいって言っても忘れられるものじゃないでしょうけど、あなたがしっかり生きることが供養になると思うわ」
 「そうかしら?」
 「そうよ。・・・・でも、そんなショックだったら、立ち直るのは大変ね。そうだ。カウンセリングを受けてみない?」
 「カウンセリング?」
 「ええ。知り合いの精神科のドクターがいるの。とっても親身になってカウンセリングをしてくれるわ。カウンセリングを受けたら、早く立ち直れると思うわ」
 「カウンセリングなんて・・・・」
 「やってみなさいよ。役に立たなくて元々だから。早速電話してあげるわ」
 「もう7時半よ。病院、開いてるの?」
 「自宅の電話番号を聞いてるのよ」
 円城寺は、携帯を取りだして電話をかけ始めた。
 「先生、わたし。誰だかわかる? ピンポン! 大正解。今、同僚と会社の近くにある居酒屋で夕食方々飲んでるの。男? 違うわよ。女。ホントだってば。この年になって彼氏なんてできないわよ。今日電話したのは、ちょっとお願いがあって。今一緒に飲んでる娘なんんだけど、いろいろ悩みがあるのよね。一度聞いてやって欲しいのよ。そう。若い娘よ。先生好みの。嘘じゃないわよ。ホントよ。ねえ、いいでしょう? 明日、会社が休みだから、是非お願いするわ。ええ? 空いてない? 何とかしてよ。ねえ、先生? わたしの一生のお願いだから」
 大丈夫よ、きっと空けてくれるからと受話器を押さえて円城寺が裕人に囁いた。
 「空けてくれる? 嬉しいわ。先生、大好き。明日の午前11時に。わかったわ。わたしも一緒に行くから。わたしのカウンセリングはいらないわ。彼女だけでいいですから。じゃあ、お願いしますね」
 円城寺は裕人に向かってVサインを出した。
 「明日は日曜日じゃないの?」
 「休日診療をやってるのよ」
 「そうなの」
 「えっと、明日の午前10時に東京駅の中央線乗り場のエレベーター下で待っていて。案内するから」
 「いいんですか?」
 「聞いてたでしょう? デートする相手もいないからいいのよ」
 「すみません」
 その日は、生ビールを中ジョッキで2杯だけ飲んでから円城寺と別れてマンションへ帰った。

 翌日、午前7時に起床して、朝食を済ませ、黒に近い茶色のワンピースを着てマンションを出た。
 中央線登り口で待っていると、円城寺がやって来た。真っ白のワンピースを着て、いつもより化粧を入念に施していた。
 「まるで恋人に会いに行くみたいですね」
 「ふふ。狙ってるんだけどね。競争相手が多いものだから。行きましょう」
 行く先は新宿のとあるビルにある診療所だった。診療所の名前は、『南クリニック』と言った。標榜科は、精神科と心療内科になっている。
 円城寺はエレベーターから降りると真っ直ぐに受付に向かった。
 「こんにちは。円城寺です。先生に患者さんをお願いしてるんですけど」
 「少々お待ちください」
 受付をしていた看護婦はちょっと不機嫌そうな態度で奥に引っ込んだ。しばらくして戻ってくると、無愛想な口調で言った。
 「申込書を書いて、保険証と一緒に出してください」
 裕人は住所、氏名などを申込書に書いて、野中百合子名義の保健証とともに窓口に差しだした。
 「椅子に座ってお待ちください」
 円城寺と顔を見合わせて椅子に座って待った。
 「彼女、わたしが先生にアタックするのが不愉快なの。ブスのくせして嫉妬深いんだから」
 円城寺が小声で裕人に囁いた。しばらくして、中から中年の女性が出てきた。さわやかな顔をしていた。カウンセリングがうまくいったような表情をしていたので、裕人は安心した。
 「野中さん、中へどうぞ」
 受付嬢が円城寺から目を逸らせて裕人に言った。
 「入りましょう」
 円城寺に腕を取られて一緒に部屋の中に入った。部屋の中には、Tシャツにジーンズ姿の医者とは思えない男性が座っていた。
 「先生! 元気だった?」
 円城寺は馴れ馴れしそうに医者と握手をした。
 「元気だよ。昨日言ってた患者さんというのはそちらかい?」
 「ええ。野中百合子さんよ」
 「野中です」
 裕人は頭を下げた。
 「そちらに座って」
 示されたゆったりとした椅子に座った。座ったと言うよりも横になったという方が正しいのかもしれない。外国映画でよく見るベッドのような椅子だ。
 「悩みというのは?」
 「悩みと言うよりも、家族の死から立ち直れないんです」
 横から口を出した円城寺に、君は黙ってなさいと一喝してから、詳しく話してと優しく言った。
 裕人は、両親と息子、夫を亡くしたと涙ながらに話をした。
 「なるほど。ここ1年の間に家族をみんな失ったわけだ。立ち直れと言うのが無理な話だな」
 「先生。そんなこと言ってもいいの?」
 「外に出てもらうよ」
 「はあい」
 円城寺は、膨れっ面をして窓のそばに逃げていった。
 「恋人は?」
 「いません。まだ、そんな気持ちになれなくて」
 そんな気になったとしても、男とはつき合えない裕人だ。
 「仕事は楽しい?」
 「ええ。先輩たちが優しくしてくれますから」
 「そうか。カウンセリングと言うより、時間の方がクスリだな」
 「時間がたっても忘れられないかも」
 「過去を忘れろとは言わないよ。過去は過去として記憶の中にとどめておく必要はある。だけど、過去に縛られていたら、幸せにはなれないよ。君がいじいじとして暮らしていることを亡くなった家族が知ったらどう思う? それこそ悲しむだろうね。君が生きて幸せになれば、亡くなった人も喜ぶと思うんだよ。そうだろう?」
 円城寺も同じ意味のことを言ったなと思いだした。
 「そうですね」
 「それがわかっていれば、もう大丈夫だよ。ところで、きみ、顔色が悪いね。精神的なものじゃなくて、ホントは身体に異常があるのかもしれないね」
 「そうですか?」
 「採血をして調べておこう。いいね?」
 「はい」
 看護婦が呼ばれ採血をされた。
 「結果は一週間後だ。結果を見て、クスリが必要なら出すことにしよう。じゃあ、また来週」
 支払いをして診療所を出た。
 「そんなに顔色が悪いかしら?」
 「化粧のせいかも」
 「化粧しているのはわかってるでしょう?」
 「そうか・・・・」
 円城寺は肩をすくめた。
 「でも、お医者さんはプロだから」
 「そうね」

 一週間後、裕人はひとりで南クリニックを訪れた。南医師は、検査結果を見ながら、裕人に尋ねた。
 「最近、生理はどう?」
 裕人には生理はないわけだけど、ないとは言えなかった。
 「最近、不順で・・・・」
 そう答えるのが精一杯だった。
 「そう。・・・・そうだな。この結果からすると、少しクスリを使った方がいいだろうね。注射を一本して、クスリを処方しておこう。2週間に一度クスリを取りに来てもらえるかな? そうすれば、ずっと体調がよくなると思うよ」
 「は、はい」
 「向こうのベッドに休んでお尻を出して」
 お尻に注射をするつもりのようだ。お尻を出すためには、スカートをまくり上げなければならない。そんなことをしたら、ショーツの下にサポータをしているのがわかってしまう。裕人は尋ねた。
 「肩じゃいけません?」
 「肩でもいいよ」
 肩に注射してもらい、クスリをもらってクリニックを出た。なんだか身体が軽くなったような気がした。
 軽くなったと思ったのはその日だけで、翌日はひどい倦怠感と吐き気に襲われた。クスリの副作用だと思い、薬袋にかかれていた番号を見ながら南クリニックに電話してみた。
 《ああ、心配いらないよ。2、3日で治まるから、我慢して飲んでいてくれ》
 そう言われて内服を続けた。次第に倦怠感も吐き気も消え、体調がよくなっていった。不眠が続いていたのに、嘘のように眠れるようになった。何日かに一度霞の夢を見ていたのに、それも見なくなっていた。
 (南先生に診てもらってよかった)
 裕人はもらったクスリを欠かさずに飲んだ。

 ウイッグは止めることにした。夏が来てウイッグが暑苦しかったことと、髪の毛がかなり伸びてきて、地毛でも大丈夫だと思ったからだ。
 女装クラブのママに頼んで女の子らしくカットしてもらってから、美容院へ行ってカラーリングしてもらい、カットし直してもらった。
 「髪を切ったの? 可愛いよ」
 「ありがとう」
 「失恋でもしたの?」
 「ただの気分転換よ」
 円城寺に聞いたところによると、女が髪を切るのは、失恋などではなく、伸びたからと言うのが一番多く、その次は気分転換のためだと言うことだった。その意見を口にしたのだった。