第14章 女性従業員として

 東京の地理に不案内な裕人には、車がどう走ったかまったくわからなかった。ただ、車が停まった場所から、都庁のツインタワーが見えていた。
 「上がれ」
 狭い階段を上ると、小さなドアがあった。『バラの花園』と言う小さな看板が下がっていた。
 「あら? 坂本さん、おひさしぶり。その子は?」
 ドアを開けると、椅子に腰掛けて化粧をしていたまるまると太った中年の女性がマスカラを手に持ったまま振り向いた。このとき、裕人は男の名前が坂本だと知った。
 「こいつに女装させて欲しいんだ。ただの女装じゃない。完璧な女に見えるようにな」
 「完璧な女に見えるように? 何故?」
 「実はな」
 坂本が女に近寄って耳元でこそこそと話をする。
 「なるほどねえ」
 女は裕人に近寄ってきて、顎に手を当てて値踏みするように裕人の顔を観察した。
 「素材がいいわね。これなら新宿交差点に放り出しても誰にもばれないようにしてあげられるわ」
 「そうか。じゃあ、頼んだぞ」
 「ちょっと費用がかかるわ」
 「いくらだ?」
 女が、指を二本立てた。坂本は、女に2万円を手渡した。
 「これは給料からさっ引くからな」
 そんなあと思ったが裕人は黙っていた。
 「1時間ほどしてきて。完璧に仕上げておくから」
 「じゃあな。頑張れよ」
 坂本はウインクして部屋を出て行った。女はドアに鍵を掛けた。
 「じゃあ、早速始めましょう。服を脱いで」
 「服を?」
 「むだ毛を処理するのよ」
 女装するためには仕方がないと、裕人は女に背を向けて着ていたものを脱いだ。
 「下着も脱ぎなさい」
 「下着もですか?」
 「つべこべ言っていないでさっさと脱ぎなさいよ」
 強い口調に、裕人はブリーフを脱ぎ真っ裸になった。
 「バスルームに入って」
 指さされた場所にあるバスルームに入った。
 「両手を壁に付けて両足を開きなさい」
 言われたとおりにすると、女は裕人の腋の下、股間、両足に白い泡を吹き付けた。
 「15分間の辛抱よ。ジッとしていなさい」
 女がバスルームを出て数分すると、泡を塗られた部分がむずむずしてきた。やがて、ひりひりと焼けるような感触がし始めた。
 (15分って言ったけど、長いな)
 ジッと耐えた。やがてドアが開いた。
 「これで拭き取って」
 ティッシュボックスを渡された。泡を拭き取り、トイレの中に放り込んで流した。
 「髭をしっかり剃って。すんだら、シャワーを浴びて出てきて」
 シャワーを浴びてバスルームを出ると、女が白い固まりを裕人によこした。
 「穿いて」
 女物のショーツのようだったが、小さくて強い力で締め付けられた。
 「ペニスを後ろに曲げて。そうよ」
 女が裕人の股間に手をやってギュッと押さえた。
 「あっ!」
 妙な痛みとともに睾丸が体内に押し込まれていた。
 「これを穿いて」
 霞が穿いていたものとはちょっと違う厚めの生地のショーツだった。それを引き上げると、裕人の股間はまるで女のように真っ平らになった。
 「次はこれを着けなさい」
 ブラジャーだった。かなり重かった。カップの中に何か入っているようだ。触ってみると、本物の乳房のような柔らかさを感じた。
 「早くしなさい」
 せかされて、裕人はブラジャーを胸に当てて、両手を後ろに回して背中でホックを留めた。
 「へえ、身体が柔らかいのね。次はこれよ」
 パンストだった。次にスリップを着せられた。さらりとした肌触りにゾクッとした。
 「これを穿いて」
 ピンク色のフレアスカートを手渡されて、裕人は一瞬迷ったが、足を通した。
 「どうしたの?」
 「恥ずかしいです」
 「大丈夫。よく似合っているから。これを」
 手渡された黒のセーターに頭を通した。
 「座って」
 ドレッサーの前に座らされた。鏡に映る自分自身を見て、なんて馬鹿なことをやってるんだと後悔を禁じ得なかった。
 「髭はそのうち脱毛した方がいいでしょうね。まず眉を整えてあげるわ」
 眉が細く剃られていった。
 「これでいいわ。化粧をしてあげるわね。手順を覚えておきなさい」
 覚えておけと言われたが、あまりに手順が多すぎて覚えきれない。
 「睫、女の子みたいに長いのね。マスカラを塗るからね」
 くるくるとカールするように睫にマスカラが塗られていった。
 「最後にルージュ。グロスも塗りましょうね」
 唇に何かを塗られるというのは妙な感触だと裕人は思っていた。ウイッグがかぶせられた。女がブラッシングをする。
 「さあ、できあがったわ。鏡を見て」
 閉じていた目を開いた。鏡に映った自分を顔を見て、裕人は我が目を疑った。
 「これが自分の顔ですか?」
 「そう。あなた、すっごい美人よ。本物の女でもこれほどの美人はいないわ」
 裕人は顔を左右に振って確かめてみる。
 「立って。全身を見てみなさい」
 部屋の隅に置いてあった姿見を移動させてきた。裕人は姿見を信じられない面持ちで見つめていた。
 ガチャガチャとドアのノブを回す音がした。
 「ママ! 俺だ。坂本だ。できたか?」
 「ちょっと待って! あなた。そこの椅子に腰掛けてなさい。膝を揃えて、少し斜にして。そう。それでいいわ」
 そう言って、女はドアの鍵を開けた。坂本が入ってきた。キョロキョロと部屋の中を見回した。
 「あいつは?」
 「そこにいるじゃない?」
 「えっ!」
 椅子に腰掛けている裕人を坂本は驚きの表情で見た。
 「ホントに井上なのか?」
 裕人は頷いた。
 「ほう、化けたもんだ。これなら、女として通用する。ママ、すまなかったな」
 「どういたしまして。でも、ずっと女装したまま暮らすんでしょう? 少し教育してあげないと」
 「そうだな。頼めるか?」
 「こんな子なら、ただでやってあげるわ」
 「そりゃすまんな。ただし、4月1日には勤務についてもらわなければならん。2週間しかないが、大丈夫か?」
 「任せておいて。完璧に仕上げておくわ」
 女は裕人の方を向いてにっこりと笑った。

 裕人が連れて行かれたビルは、一階が女装者が集まるスナック、二階が化粧や衣服を着替える準備室、三階が泊まれる部屋になっていた。その泊まれる部屋の三つのうちのひとつが裕人にあてがわれた。
 髭や腋毛、すね毛の永久脱毛が順次行われ、毎日朝から晩まで化粧と女としての立ち振る舞いの練習をさせられた。
 女の指導と裕人の努力で、約束の日には裕人はどこから見ても男には見えなくなっていた。
 「月に一度は髭の脱毛を追加した方がいいでしょうね。こっそりここに来なさい。やってあげるから」
 「すみません。何からないまでお世話になって」
 「いいのよ。じゃあ、頑張って」
 坂本が迎えに来た。裕人の姿をまるで女を値踏みするようにして見た。
 「おう。ますます磨きがかかったな。さあ、寮まで案内しよう」
 「お願いします」
 「お、おい! 声はどうした?」
 「ふふ。ママに女声の出し方も習ったのよ。可愛いでしょう?」
 「参ったな。女そのものだよ。これだったら、無口な女だといらぬ説明をしなくてすむな」
 坂本は唖然として、マスタングの助手席のドアを開いて、裕人を導き入れた。
 「おまえの名前の件だが・・・・」
 「名前ですか?」
 「ああ。裕人を裕子と間違えたから、井上裕子にしようと思ったんだが、考えてもみれば、おまえの元の職場とかから電話があったとき、俺と同じように間違えておまえに電話を回したりしたらとんでもないことになるだろう?」
 「そうですね」
 「それでだ。新しい名前を考えておいたんだ」
 「新しい名前を?」
 「そうだ。野中百合子って言うんだ。どうだ? 可愛い名前だろう?」
 野中百合子とはとってつけたような名前だとは思ったけれど、それなりにいい名前だとも裕人は思った。
 「そうですね」
 裕人はにっこりと微笑んで見せた。ふと見ると、坂本の股間が盛り上がっていた。おぞましさが背中を走った。けれど、それだけちゃんとした女に見えるんだと思うと、努力した甲斐があったと嬉しくなった。

 ふたりが乗ったマスタングは、高層マンションの駐車場へ滑り込んでいった。
 「これが女子寮? 普通のマンションじゃないの?」
 「おまえの女装は完璧だよ。どこから見ても女に見える。だけど、やはり男を女子寮に入れるわけにはいかないさ。当然だろう?」
 「ええ、それはそうですけど。こんなマンションを用意できるのなら・・・・」
 「おまえが女として暮らす訓練を受けている間に、おまえのために特別に手配したんだ。苦労したんだ。感謝しろよ」
 「あ、はい。・・・・わたし一人で暮らすんですね?」
 「ああ、そうだ」
 「だったら、マンションにいるときは女装しなくてもいいですよね?」
 「だめだ。女子寮じゃないから女装は必要ないなんてことはないんだ。万が一、男の姿でいるところを誰かに見られたりしてみろ。おまえは馘首になるだろうし、俺はどんなお咎めを受けるかわかったものじゃないか。そうだろう?」
 一蹴されてしまった。エレベータがやってきた。扉が開くと中に若い女がいた。坂本の顔を見てギョッとした表情を見せたが、裕人の顔を見ると表情が緩んで会釈してきた。裕人も会釈を返した。
 エレベーターに乗り込むと坂本が裕人の方を見てにやりと笑った。
 「女に見破られなかったようだな。ばっちりだ」
 なんだか恥ずかしくて、裕人は頬を染めて下を向いた。
 「着いたぞ」
 11階でエレベーターを降りた。1103号室のドアを開いて、坂本は、裕人に入れという。中に入ってビックリした。
 「すごい部屋・・・・」
 狭いアパート暮らしだった裕人には、まるで天国に来たように思えた。
 「家賃、高いんじゃないですか?」
 「おまえが女装してくれたんで、俺の顔がつぶれないですんだんだ。ほんのお礼のつもりだ」
 坂本は、2LDKの部屋の中を案内する。どの部屋もライトグリーンを基調にした落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
 坂本は、ベッドルームにあるクローゼットを開いた。
 「当面生活に困らないくらいの服は用意させてもらった。ママの店からの借り物だからあまり粗末に扱うなよ」
 クローゼットの中には、10着ほどの婦人服が下がっていた。坂本は整理ダンスの二番目の引き出しを引いた。
 「ママに言われて女装に必要な下着も用意してある」
 5ペアほどのブラとショーツ、それにスリップが入っていた。
 「ほかにも女として暮らすために必要なものは全部揃えてある。あとで調べておけ。当然のことだが、ここの家賃以外で、これまでかかった費用は月賦の形で給料引きにさせてもらう。いいな?」
 まともな給料をもらえるのだろうかと不安になったけれど、ともかく生活できるのだからいいかと思い直し、ハイと返事を戻した。
 「それから、くれぐれも言っていくが、会社の中ではもちろんだが、このマンションでもおまえは野中百合子という女性と言うことになっている。決して女装を解くんじゃないぞ。それと、この秘密を他人には決して漏らすな。おまえだって困るだろうし、俺もどんなことを言われるかわからないからな」
 「わかりました」
 「じゃあ、仕事はあさっての午前8時半からだ。8時15分に会社の連中が揃ったら紹介するから、それまでには出勤するように。野中百合子だぞ。名前をちゃんと覚えとけよ。いいな?」
 裕人は頷いた。

 坂本は部屋の鍵を裕人に渡すと部屋を出て行った。裕人は部屋に鍵を掛けると、部屋の中を改めて見回した。
 12畳あまりの広いフローリングのリビングには、分厚い絨毯が敷かれ上等なソファーセットが置かれていた。33インチのワイドテレビが隅にあった。リモコンでスイッチを入れてみた。朝のワイドショーのようなものが放送されていた。チャンネルを変えてみた。
 (いっぱいあるんだ。さすがに東京だ)
 リモコンでスイッチを切って、キッチンに入った。茶碗に皿などの食器や、箸、ナイフ、フォークに至るまで何でも置いてある。鍋やフライパン、包丁などの調理器具もそろっていた。
 (新品じゃないみたいだな。誰かを追い出して自分に与えてくれたのかも。料理ができるようにならないといけないのかな? 何しろボクは女だからな・・・・)
 トイレは乾燥機付きのウオシュレットだった。バスルームは広かったけれど、洋式だった。
 (これイヤなんだけど)
 裕人は、全自動洗濯機を横目で見ながら、ベッドルームへ入った。ドレッサーには化粧品がぎっしりと詰まっていた。
 (必要なものはすべて揃えてあるって言ったけど、ずいぶんとお金を掛けているんだなあ。あ、そうか。かかった費用は月賦で返さないおいけないんだ・・・・)
 クローゼットを開いた。裕人は一番端の服を手に取った。胸元、袖口、裾にフリルの付いた黒に近い茶色のワンピースだった。乳房の下に当たる部分で切替が入っていた。
 裕人は着ていたブラウスとスカートを脱いで、そのワンピースを着てみた。ぴったりだった。鏡にちょっと恥ずかしげに映る美女を見たとき、これがホントに自分なのかと疑ってみた。
 裕人は、クローゼットに掛かっている服を次から次へと着替えていった。どれもよく似合っていた。
 (なんて馬鹿なことをやってるんだ)
 突然、そんな思いが湧いた。けれど、こうして女装しなければ、生活できないんだと思い返すと、脱ぎ捨てた服をクローゼットに戻して、普段着に使おうと決めていたセーターを着てスカートを穿いた。
 ルルルーッ、ルルルーッ、ルルルーッ、ルルルーッ。
 電話だ。裕人は一瞬迷ったが、あああと一度声を確認してから受話器を取った。
 「もしもし?」
 《俺だ。坂本だ》
 予想していた相手が出てほっと安心した。
 《いろいろと準備はしておいたんだが、食料品をわすれたんだ。玄関を出て左手に100メートルほど行くとスーパーがある。そこでだいたい何でもそろう。金はあるな?》
 「1万ちょっとしかないけど?」
 《それだけあれば、2、3日の食費は賄えるな。あさって、少し給料を前借りして渡す。いいな?》
 「何から何まですみません」
 《いいってことよ》
 電話が切れると、裕人は化粧を確かめてから、バッグを持って部屋を出た。
 (大丈夫かな? ばれないかな?)
 そう思いながらエレベーターで玄関に出た。表通りに出るのが怖かった。けれど、『あなたなら大丈夫。自信を持ちなさい』というママの言葉を思い出し、大きな息をひとつしてから、スーパーに向かって歩き始めた。
 ウイークデーの昼間だから、犬の散歩をしている老人を除けば、すれ違うのはほとんど女性だ。その女性たちに不審な目を向けられることはまったくなく、裕人は自信を深めた。
 菓子パンに食パン、マーガリンにストロベリージャム、インスタントコーヒーにティーバッグ、砂糖、ミルクを買った。それから、ジャガイモ、にんじん、タマネギを買い、カレーのルーを買った。裕人にできるのはカレーくらいしかなかったからだ。女装クラブで習ったのは化粧の仕方と女としての振るまい、声の出し方で、料理の仕方までは手が回らなかったのだ。
 裕人は、スーパーの隅にある本屋に寄って、簡単な料理の本を3冊ほど買った。女でなくても、自炊するにはある程度料理の仕方を覚える必要があったからだ。
 昼食は紅茶に菓子パンですませ、午後の時間、料理の本を見ながら必要な材料を書き出し、もう一度スーパに出かけていって材料を調達し、冷蔵庫に収めておいた。
 夕食は予定通りカレーを作って食べた。クレンジングクリームで化粧を落としてから、溜めておいたお湯に浸かった。今日一日の疲れが身体から抜けていく思いだった。
 身体を拭くと、再びブラにショーツを身につけた。男物の下着がないせいでもあるが、どこで誰が見ているかもしれないと言われていたから、必ず女物を身につけるようにしていたのだった。
 ネグリジェを着てガウンを羽織り、ソファーに座ってテレビをつけた。死んだ霞には悪いと思ったが、豪華なマンション生活を裕人は満喫していた。

 初出勤の日、裕人は午前6時に起床して、紅茶、トースト、野菜サラダの朝食を済ませると、出勤の準備にかかった。
 ネグリジェを脱いで、夜間は着けていないサポータで股間の膨らみを隠してショーツを穿き直し、新しいパンストを穿いてスリップを着た。胸元にレースの入ったブラウスに、膝丈のフレアスカートを穿いた。
 ドレッサーに向かって化粧を施す。化粧にはすっかりなれてしまっていた。午前7時過ぎには準備ができあがった。春らしい小菊のピアスをして、細い金のネックレスをした。ウイッグをかぶってブラッシングして調節すると、野中百合子のできあがりだ。
 (通勤に30分はかかるって言ってたわね)
 裕人は女のように思考するよう心がけていた。四六時中女として暮らすにはその方がいいと考えたからだ。
 コートを羽織りバッグを片手にブーツを履いてから部屋を出た。ヒールのある靴も難なく履きこなせるようになっていた。
 坂本が書いてくれていた地図を頼りに会社へと向かう。歩いて10分ほどの場所に電車の駅がある。切符を買って改札を抜けるとすぐに電車が来た。
 (東京は電車が多くて便利だわ)
 座ると、膝を揃えなければならないと思っていたら、座るスペースなどなかった。満員電車に揺られて目的地へ向かう。途中、二度ほどお尻を触られた。どうやら痴漢らしいのだが、相手が確認できなかった。
 (痴漢に触られるなんて、完璧だわ)
 触られて裕人は女として暮らしていく自信を一層深めていた。

 駅から5分ちょっとの場所に山本建設の建物があった。受付に声を掛けたのは午前8時少し前だった。
 「すみません。今日からここで働くことになっている野中ですけれど」
 「野中さん? ちょっと待ってね」
 受付嬢が調べ始めた直後、エレベーターから、坂本が降りてきた。
 「早かったな。上へ上がろう。みっちゃん、いいよ。俺が案内するから」
 「よろしく」
 エレベーターで3階に上った。女性がひとりいて、コンパクトを見ながら化粧の点検をしていた。
 「冴ちゃん、連れてきたぞ。お後よろしく」
 「はい。野中百合子さんね。円城寺冴子です。よろしく」
 年の頃は30くらいだろうか? 感じのいい女性だと裕人は思った。
 「野中です、よろしくお願いいたします」
 「坂本さんが、美人だって言ってたけど、ホント美人ね」
 裕人は恥ずかしくなって下を向いた。
 (男だと知ったらどんな顔をするかしら?)
 「ロッカー室に案内するわ。一緒に来て」
 裕人は坂本に頭を下げてから、円城寺の後に付いていった。給湯室の裏手にロッカーが並んでいた。
 「女が少ないから虐待されているの。ここを使って。狭いけど我慢してね」
 裕人は、冴子の着ている制服を見た。白いブラウスにピンクの上下だ。スカートは膝が覗くくらいのものだ。
 「はい。あのう、わたしの制服は?」
 「ごめん。間に合わなかったの。明日には届くから、今日は、私服でいいわ」
 コートとバッグをロッカーに収めると、元の部屋に戻った。円城寺が仕事の手順について説明を始めた。仕事は経理の仕事らしい。大杉建設では、経理も含めた仕事をやっていたので、特に問題はないように思われた。
 午前8時15分になると、大方の社員たちが出勤してきた。裕人を見て、こそこそと話をしていた。
 坂本がやってきて、ぽんぽんと手を叩いた。
 「みんな! 紹介しておこう。今日から働いてもらうことになった野中百合子さんだ。よろしく頼むよ」
 「ひょう! 可愛いな。年はいくつ?」
 「23です」
 「よっしゃあ」
 若い男性社員が叫んだ。
 「何がよっしゃあだ。社内恋愛は禁止。忘れたのか?」
 その男性社員は項垂れた。
 「さあ、仕事だ。仕事!」
 席に着いた社員に裕人はお茶を配って回った。緊張で、顔がこわばっていた。お茶配りがすむと、円城寺の向かい側に座って、教えられた事務仕事に着手した。
 こうして、山本建設の女子社員としての生活が始まったのだった。