第八章


 西岡恵は、新幹線の窓から外の景色をぼんやりと眺めていた。恵の隣の席には権藤紗織が、恵の肩にもたれて眠っていた。斜め上から見る紗織の寝顔は、いつもの気の強さがなく、こんなに可愛かったかなと恵は思った。顎のさらに向こうにワンピースの胸元から覗く膨らみが見えた。ピンク色のブラジャーが少し浮き上がってもう少しで乳首が見えそうだ。ベッドの中の紗織を思い出して恵は股間を硬くした。
 恵は視線を窓の外へと移した。
(本当に良かったのだろうか? 駆け落ちなんかして)

 その日の朝、遅く目を覚まして恵が台所兼洗面所で歯を磨いていると、紗織が鞄を抱え、ふうふう息を切らせながら恵の部屋にやって来た。
 「ケイ、今ごろ起きたの?」
 敷きっぱなしの布団の上に座り込んで紗織は恵を見上げて言った。
 「昨日はいつもより遅かったからね」
 恵は紗織のそばに座り込んだ。
 「十時までじゃなかったの?」
 「昨日は店卸しでね。なかなか終わらなくて」
 「そう。何時に帰ってきたの?」
 紗織は、バッグの中からタバコを取りだしてライターで火をつけた。恵はタバコを吸わない。だから紗織にも吸って欲しくはないのだが、紗織はダイエットのためだと言ってガンとして聞き入れてくれなかった。だから、タバコは止めろと言うのは止めていた。
 「ここに帰りついたのが一時半過ぎで、横になったのが二時だったかな。なかなか寝付けなくて、眠ったのは三時を回っていたみたいだな。今、何時だ?」
 「もう十時よ。七時間も眠ればいいでしょう?」
 「まだ眠いよ。ほんとはもう二,三時間寝ていたいんだけどなあ」
 恵はあくびをしながら頭をかき、布団の上にばたりと倒れ込んだ。
 「そんなに寝たら、目が腐っちゃうわ。パジャマ脱いで、着替えて! 早く荷物をまとめて!」
 紗織はタバコの火を消して恵の腕を引いた。
 「荷物? 荷物をまとめて、いったいどうするんだい?」
 「お父さんが許してくれないから、駆け落ちするの。さあ、早く!」
 「駆け落ちって言ったって」
 恵は布団の上に起きあがったが動こうとしない。
 「ぐずぐずしないで、早く、早く。お父さんがもう気づくころよ。連れ戻されたらもう二度と会えないわよ。それでもいいの?」
 紗織は恵の腕にしがみついて恵の目を覗き込んだ。
 「良かないけど・・・・。君にはもう会わないように言われているし。もう一度君のお父さんを説得したらどうなんだ? 君の言うことだったら何でも訊いてくれるんじゃなかったのか?」
 「もうだめよ。この前のお父さんのの態度で分かったでしょう。あのひとは言い出したら、絶対だめなの。もう駆け落ちしかないわ」
 「紗織の性格が父親譲りだとしたら確かにだめだろうね」
 完全に消えていないタバコの煙が目にしみた。恵はタバコをもみ消した。
 「うん、もう。そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。急いで、急いで」
 紗織は既に恵の鞄に辺りのものを詰め始めている。恵も仕方なく、もう一つの鞄に衣服を詰め始めた。汚れたジーンズを持ってどうしようか迷っていると、紗織は恵から取り上げて部屋の隅に投げ捨てた。
 「必要なものだけでいいわ。あとは買えばいいから」
 「買うって、そんなお金ないよ」
 恵はジーンズを拾って畳み、バッグの中に押し込んだ。
 「わたしが持ってるから大丈夫。さあ、出発よ!」
 「どこ行くんだい?」
 「とにかく東京駅まで行こう。その先は、行ってから決めればいいわ」
 立ち上がった紗織について恵は後を追った。
 (店長に断りを言わないといけないな)
 そうは思ったが、恵は紗織が停めたタクシーに押し込まれていた。


 恵が紗織に初めて出会ったのは、心理学の講義の教室だった。たまたま恵の隣に座った紗織は同級生とのおしゃべりに夢中だった。肩まで伸びたウエーブの掛かった髪の毛の向こうに見えた紗織の横顔をチラリと見て、恵は可愛い子だなと思った。白い大きなイヤリングが印象的だった。彼女は薬学部の一回生らしいことを恵はそのとき盗み聞いた。
 恵がまともな学生だったら、当然恵の方から声をかけていた。しかし、恵の方から声をかけるわけにはいかなかった。恵は講義を熱心に聞いてはいるものの、本当は大学浪人で、いわゆる偽学生だったからだ。

 生まれた直後親に捨てられ、孤児院で育った恵は、身寄りも何もなかった。高校までは何とか出して貰えたが、成績はトップクラスだったのに大学には当然のように行かせては貰えなかった。きちんとした保証人がなかったから、いい就職口はなく、孤児院の院長の縁戚が経営する、会社とは名ばかりのお菓子メーカーに就職させられた。
 その会社は、従業員が五人しかいない小さな有限会社で、日曜日も満足に休ませて貰えず、朝から晩まで気の狂いそうな単純作業をさせられた挙げ句、給料は小遣い程度しかくれなかった。食わせてやってるんだからという魂胆が見え見えだった。
 三ヶ月もしないうちに、恵は僅かな現金を持って着の身着のままその会社を飛び出して夜行で東京へ向かった。

 東京に着いてしばらくの間は、ホームレスの人たちに混じって暮らした。彼らは恵をまるで自分の子供のように可愛がってくれた。コンビニやファミリーレストランのバイトを見つけ出しては一日中働き、ただ食うためだけに働くという生活をしていた。
 駆け落ちするまで働いていたコンビニの店長に拾われてからは、四畳半にステンレスのシンクが付いただけの部屋だが、一応自分の部屋ができて夜露がしのげるようになっていた。
 コンビニで働く合間に勉強して、その年は大学受験をすることができた。絶対合格するとの自信があったのに合格者の欄に恵の名前はなかった。医学部なんか狙ったのがいけなかったのかもしれないが、身寄りも後ろ盾もない恵がこの世でうまくやってゆくには、医者になるのが早道だと思ったからだ。
 落ちてから気づいたが、国立でも入学料や授業料で入学時に少なくとも50万くらい要ることが分かって恵はちょっと絶望的な気分になったが、合格してしまえば何とかなるんじゃないかと考え、翌年も受験するつもりでいた。
 コンビニで朝から晩まで働いていたが、暇なときには店の椅子に腰掛けて勉強し、休みがあると学生になりすまして大学の講義を受けた。
 そんなある日、恵は紗織に出会ったのだった。

 講義が済んで席を立とうとすると、紗織が同級生らしい女子学生にちょっと待ってと言って恵に近づいてきた。
 「あなた可愛いわね」
 紗織に耳元でそう囁かれた。恵は紗織の顔を直視できず、顔を真っ赤にして教室を飛び出した。
 女の子に声をかけられて恵はちょっと嬉しくなった。しかし、紗織の態度に少し見下したようなところがあるのを感じていた。
 恵が偽学生になって大学で講義を受けるのは週に1、2度だ。だから、それまでは紗織を見かけたことはなかった。しかし、どこでどうやって調べたのか、紗織は恵を見つけてやってきては隣の席に座るようになった。

 紗織は、面と向かってみると最初の印象とは違って顔はまあ十人並みだった。しかし、スタイルはいい子だった。それよりも、恵が驚いたのは身につけているものだった。名前はどうも覚えないが、服も靴も鞄もすべてブランド品で、どう見積もっても頭の先から足元までで合計すると百万は下らないだろうと思われた。それも会うたびに身につけているものが違うのだった。凄い金持ちの娘だろうということは想像できたが、大病院の一人娘だとは恵はまったく知らなかった。
 そんな紗織が、薄汚れたジーンズにTシャツ姿の恵に近づいてくる理由がわからなかった。
 紗織が恵に近づいた理由、それは恵が紗織の好みの顔をしていたからだが、それだけではなく、恵が紗織の思い通りに動かせそうだと思ったからに他ならない。
 紗織のそう思わせたのは、孤児であり、偽学生であると言うことから、恵がいつもおどおどとしていたからだ。

 紗織から何度か学部を聞かれ、恵はそのたびにお茶を濁していた。しかし、ついに偽学生であることがばれる日が来てしまった。
 「恵、あなた、この大学の学生じゃないわね?」
 「え? どうしてそんなことを言うんだい?」
 「学籍係に行ったの。そうしたら、西岡恵なんて学生はどこの学部にも在籍していないって言われたわ」
 恵は黙り込んだ。
 「ここの大学でなかったら、どこの大学に通っているの?」
 「あ、いや・・・・」
 「まさか大学生じゃないって言うんじゃないわね?」
 「ごめん。実は浪人しているんだ」
 「浪人なの?」
 紗織はちょっとがっかりした表情を浮かべたが、言葉を続けた。
 「語学の講義以外には心理学の講義でしか会わないけど、恵、あなた、どこの学部を狙っているの?」
 「あ、うん。一応、医学部を」
 「医学部! そう、そうなの」
 いつもの紗織の表情に戻って、恵の腕を取った。
 「じゃあ、講義に行きましょう?」
 偽学生とわかっても気にする様子のない紗織に、愛想を尽かされると思っていた恵は驚きを隠せなかった。
 しかしながら、紗織の親は金持ちらしいから、うまく合格できたら紗織の親がスポンサーになってくれるかもしれないなと恵は淡い期待を抱いていた。
 その日を境に、恵と紗織は本格的につきあい始めた。つき合い始めると紗織の恵に対する態度は一層大胆になって、人目も気にせず恵にキスしてくるようになった。

 つきあい始めて一ヶ月目のある夏の暑い昼下がり、久しぶりに休みを貰った恵は、大学の外で紗織とデートした。
 いくつかデパートを回って買い物をした後、あるホテルの最上階で昼食を取った。その昼食は、恵の一日分の給料の何倍もする値段だった。支払いは紗織がカードで済ませた。
 「ごめん。君にばかり支払わせて・・・・」
 「いいのよ。出世払いと言うことで」
 「あ、うん。来年は合格できるように頑張るよ」
 「そうして。あ、ここでエレベーターを降りるわ」
 最上階から3階ほど降りたとき、紗織はボタンを押してエレベーターを止めた。
 「ここは、ロビーじゃないよ。まだ客室だよ」
 「いいの」
 紗織はさっさと廊下を進んでいった。ある部屋の前に来ると、バッグの中から鍵を取りだしてドアを開いた。
 「どうするの?」
 「いいから、入って」
 部屋はかなり広いツインだった。部屋の中央付近に突っ立っていると、紗織が服を脱ぎ始めた。
 「さ、紗織。いったい何をするつもりだよ」
 「何をって、若い男女がひとつ部屋に入ってすることは他にないでしょう?」
 「本気なのか?」
 「本気でなくて、どうしてこんなことができるの?」
 紗織はすでにブラジャーも外して、ショーツを膝まで降ろしていた。
 「さあ、恵! あなたも脱いで」
 全裸になった紗織が恵に近づいてきて、ジーンズのベルトを緩め始めた。いいんだろうかと思いながらも、恵も男だ。据え膳食わぬは男の恥とばかり、ジーンズを下ろしTシャツを脱いだ。
 「早く来て」
 ベッドの上で紗織が手招きをした。恵はブリーフを脱いで、右手で股間を押さえながら紗織の横に滑り込んだ。
 「初めてだから、優しくしてね」
 紗織は恵の耳元でそう囁いてキスしてきた。それまで何度かキスしたことはあったが、その日のキスは恵がしたことのないものだった。紗織が舌を入れてきたので恵はそれを吸い、しばらくして恵の方が舌を差し入れた。そうしながら恵は紗織の形のいい乳房を揉み続けた。恵のペニスは、ちょっと触ればピチッとはち切れんばかりに緊満していた。
 「もう準備はいいわ。来て、恵」
 そう言われて、怒脹したペニスを紗織の股間に持っていこうとしたとたん、恵は耐えきれなくなって紗織の太股にぶちまけてしまった。
 「ご、ごめん」
 恵は小さくなった。しかし、紗織は表情を変えなかった。
 「恵も初めてだったんでしょう? 仕方ないわ。でも若いからすぐに回復するでしょう? わたしが手伝ってあげるわ」
 手伝ってあげる? その意味がわからずにいたのだけれど、すぐに恵は理解した。紗織が恵のペニスに食らいついてきたからだ。
 セックスのやり方は何となく理解していた。しかし、フェラチオを言う行為のことはまだ知らなかった。しかし、恵は気持ちがいいと感じていた。紗織の舌の動きが何ともよかった。
 紗織の口の中で恵はやがて復活した。それを確かめると、紗織は恵の上に跨って恵のペニスを自分の中へと誘導した。
 「入った・・・・。アア、なんて柔らかくて気持ちいいんだろう・・・・」
 紗織は腰を上下させ、自らその胸を揉んだ。その姿を見て、恵のペニスはますますその硬度を増していった。
 「恵、正常位がいいわ」
 そう言われて恵は体位を入れ替え、紗織の股を抱いて紗織を突き続けた。ただがむしゃらに突き続け、そして今度は紗織の中に射精した。
 「恵、わたしはあなたのものよ」
 紗織は恵に足を絡ませて抱きついてきた。
 「紗織?」
 「なに?」
 「大丈夫だったの?」
 「何が?」
 「できちゃったり、しないの?」
 「ああ、それなら大丈夫よ。ちゃんと計算してるから」
 「よかった」
 「恵? 大学を出たら結婚してね」
 「あ、うん」
 天井を見ながら、恵は紗織が初めてだと言っていたことを思いだした。女は初めての男と結婚したいものだという話を店長から聞いたことがあった。しかしと恵は思った。
 (ホントに初めてなんだろうか? 初めてなのに、あんなことをするのだろうか?)
 気持ちよかったけれど、初めてセックスをする女が男のペニスに食らいつくなんて信じられなかった。けれど、ホントに処女だったのかとは聞けなかった。

 その日以来、紗織と恵は時間が取れるといつもホテルに行って体を重ねた。避妊についても紗織は詳しく絶対妊娠しなかった。

 十二月に入ってすぐ、しばらく顔を見せなかった紗織がやってきた。
 「恵、会いたかった」
 紗織は恵に抱きついて唇を重ねた。
 「紗織、連絡がなかったから、心配してたんだよ。どうしてた?」
 「うん。あのね。お父さんにあなたとつき合っていることがばれちゃったの」
 「言ってなかったの?」
 「言ってなかったわよ。男の人とつき合っているなんて言ったら、怒られるもの」
 「そんなに厳しい人なの?」
 「わたし、一人娘だからね」
 「そう」
 「それでね。あなたのことを一生懸命説明したの。恵を愛している。将来結婚するつもりだって。だけど、お父さん、許してくれなくって。家から出してくれなくなったの。監視付きで大学に通っていたんだけど、やっと抜け出してきたの」
 「そうだったの」
 「ねえ、恵?」
 「なに?」
 「お父さんに直接会って貰えない?」
 「お父さんに?」
 「そうよ。会って貰えば、恵がどれくらいいい人かわかって貰えるわ」
 「それはいいけど」
 「今から行ける?」
 「今日はだめなんだ。今から店に出なくちゃ」
 「バイトとわたしとどっちが大切なの?」
 「そんなこと言われたって、バイトしなければ食っていけないんだから」
 「そんなの、わたしがなんとかするわ」
 その時、恵のアパートのドアががたりと開いた。
 「お、お父さん!」
 高級なスーツに身を包んだ精悍な男が立っていた。紗織の父と言うには若いなと恵は思った。
 「紗織! 帰るぞ!!」
 「お父さん、恵よ。この人がわたしが話した恵なの。わたしたちのことを許して」
 「だめだ。こんなどこの馬の骨ともわからぬ男におまえをやれるものか!」
 「恵は医学部を目指しているの。だから」
 「目指すだけなら誰でもできる。合格してから出直すんだな。さあ、帰るぞ」
 紗織の父親の後ろからもうひとりの大男が現れて、紗織を無理矢理連れ出していった。恵が医学部にでも所属していたら、紗織を連れ出させはしなかっただろう。しかし、紗織の父親が言ったように、医学部を目指しているというただそれだけだった恵には、そうすることができなかった。
 紗織が連れ戻されてしばらくしてから、恵はやっぱり紗織のことを諦めることができずに、紗織に書いて貰っていた住所を頼りに紗織が住む家を尋ねた。
 そこには天を突くような屋敷が建っていた。
 「これが紗織の家なのか・・・・」
 大きな木でできた門のそばに呼び鈴があった。それを押すとややあって女性の声で返事があった。
 「はい、どなたでしょう?」
 「西岡と言います。紗織に、お嬢さんに会わせていただけませんか?」
 しばらく返事がなかった。返事の代わりに門のそばの小さな扉が開いて、紗織を連れて行った大男が姿を現した。
 「お嬢様はお会いにならない」
 「会わせてくれ!」
 「帰れ!!」
 男がそう言い残すと、門の向こうに姿を消した。恵はしばらく門の外に佇んでいたが、諦めてとぼとぼとアパートへ戻った。
 (あんなお屋敷のお嬢さんとぼくじゃあ釣り合わないよな。諦めよう)

 その翌日、あの大男がアパートにやってきて、恵に封筒をポンと放り投げて出ていった。封筒を開いてみると、一万円札が10枚と一通の手紙が入っていた。
 「紗織のことは忘れろ。同封した現金が忘れるための資金だ。もし今度紗織の前に姿を現したら、どうなるかわからないぞ。いいな」
 そんな金が届かなくても恵は紗織のことを忘れるつもりだった。
 (ま、いいか。お金はいくらあってもいいから)
 恵は財布の中に現金を納めた。

 恵の方から会いに行くつもりはなかったのに、紗織は何とか監視を抜け出して恵に会いに来た。
 「お父さんにばれるとまずいんじゃないか?」
 20万円を懐に入れてしまったから、約束を破るようで悪い気がした。
 「いいのよ。わたしは恵を愛しているんだから。お父さんの好きにはさせないわ」
 どうなるかわからないぞという脅迫じみた言葉が気にはなったが、ばれなければいいんだと高をくくっていた。紗織が来るたびにセックスした。
 そして、再び父親に知れるところとなり、駆け落ちと言うことになってしまったのだった。


 「岡山、岡山。次は終点の岡山です。お乗り継ぎの方は、向かいの・・・・」
 車掌のアナウンスが流れた。
 「恵、終点だって、どうする?」
 「そうだね」
 恵は腕時計を見た。午後4時だった。
 「どこか行く宛はある?」
 「ないわ」
 「夕飯を食って、泊まるところを探さなければならないから、ここで降りようか?」
 「そうね。そうしましょう」
 恵と紗織はそのまま岡山駅に降り立った。
 「どこ行く?」
 「腹が減ったよ。どこかでまず腹ごしらえをしよう」
 「そうね」
 ふたりは少し歩いたところにあったファミリーレストランに入った。そこで少し早めの夕食を取った。
 「オータニに泊まりましょう?」
 「紗織、どこにそんなお金があるんだよ」
 「カードがあるわ」
 紗織はゴールドカードを取り出して恵に見せた。
 「そんなもの使ったら、居所がばれてしまうだろう?」
 「あ、そうか。じゃあ、どうする?」
 「どこかモーテルでも探して泊まろう」
 「モーテル?」
 「そうだよ。普通のホテルの泊まるよりも、安くて広くて、同じ料金だったら、モーテルの方が豪華だよ」
 「そうか。そうだよね」
 電話帳を調べてモーテルの位置を調べて泊まった。回転ベッドの上で、夜遅くまでふたりは戯れた。

 手持ちの現金は少なかった。カードが使えないとなると、どこかで稼がなければならない。翌日ふたりは部屋と仕事を探すために市内を歩き回った。
 幸いふたりとも一緒に雇ってくれるコンビニがすぐに見つかり、そのコンビニの斡旋で近くにバスもトイレも台所もないけれど六畳一間の部屋を見つけて住み始めた。
 毎朝ふたりで手をつないで仕事に出かけ、夕方も手をつないで帰り、近くの銭湯に入りに行った。食事は大抵仕事先のコンビニで済ませたが、ときには紗織が共同の台所で簡単な食事を作り、部屋に持って帰ってふたりで食べると言うままごとのような同棲生活だった。
 部屋の中には布団と小さなテーブルだけで、テレビはおろかラジオすらもない生活だったが、ふたりは不自由ながら結構楽しんだ。
 昼は仕事で、夜はセックスと言う日々だったからほかには何も要らなかった。

 そんな生活もひと月とは続かなかった。紗織の父親の権藤がやってきたのだ。あれだけ贅沢をしていた紗織が、ほとんど着の身着のままの生活をしているのだ。綺麗な服が欲しかったという気持ちが分からないでもない。恵には内緒で、近くのブティックで見かけた服を買うために、持っていたカードを使ったのだ。銀行から岡山で現金が引き出されたという報告を受けた権藤は、すぐさま岡山へやってきて恵たちを見つけたのだ。
 紗織が服を買って帰って三日目の夕方、恵が近くの自動販売機にビールを買いに行って部屋へ戻ると紗織の姿が消えていた。
 「紗織? 紗織! どこへ行ったんだろう?」
 ビールを飲みながら三十分ほど待ったが帰ってこないので、探しに行こうと部屋を出たとたん、恵は顔を殴られて部屋の中に押し戻された。鼻血を拭いながら顔を上げてみると、坊主頭のがっしりした大きな男が入り口に立っており、その背後に権藤の顔が見えた。葉巻を吸いながら、ゆっくり恵の前に歩み寄ると、不愉快そうに、そして吐き出すように恵に言った。
 「西岡君と言ったね。わたしの手紙は読んだはずだ。わたしの忠告が聞けなかったのかね。君を誘拐罪で告訴してもいいのだぞ。紗織が泣いて頼むからそうはしないが、君にはそれ相当の代償をしてもらうよ。おい、やれ!」
 紗織が恵を誘ったのだ、と言う前に恵は男に殴られた。男の力の前に抵抗することもできず何度も殴られ、口の中に血の味を感じながら恵は意識を失った。