覆面パトカーに乗り込むと、清水は早速山岸に話しかけた。
「山さん、どうですかねえ。嘘を言っているようには見えませんでしたけどねえ」
「女の涙には騙されてはいかんが、初めに権藤の名前を出したときにはぜんぜん反応しなかったし、辻田の話では動揺が見られた。殺されたといったときのあの驚きようはとても演技とは思えない。アリバイの方は完璧ではないが、ふつうは完璧なアリバイがある方がおかしい。準備していなければあんなもんだろうな。プチ何某かとかいう店のことは、こちらから誘い水を遣って言い出したしな。とにかく裏付けだ。清水、今何時だ」
「正午ちょっと前です」
「じゃあ、まっすぐ新宿北洋デパートに向かうぞ」
「昼飯どうするんです? 昼飯は?」
「ハンバーガーだといっただろう。出る前に」
「ゆっくりしていきましょうよ。新宿北洋デパートは逃げませんよ」
「だからおまえは馬鹿だというんだ。今日は犯行のあったと同じ金曜日で、洋子が出かけたのが、正午前だろうが。分からんのか?」
山岸の言わんとすることがようやくわかって清水は舌を出した。
「ああ、そういうことですね。じゃあ、いざ新宿北洋デパートへ」
「つくづく脳天気なやつだな。感心するよ。日記を見つけ出していなかったら、コンビを解消して貰うように課長に頼むところだったんだぞ」
「ええっ、酷いなあ。これでも一生懸命やっているんですよ」
「分かったから、きちんと前を見て運転しろ。おまえと心中したくない」
「昨日は日記読むのに徹夜でしょう。山さん、眠くないんですか?」
「徹夜の一晩や二晩、どうってことないさ」
「あれっ、この前後藤さんに徹夜は辛いって言ってなかったですか?」
「お前はつまらんことを覚えているな。こら、前を見ろって言ってるだろう」
山岸は清水の頭をぽかりと叩いた。
山岸と清水は、途中で見つけたマクドナルドのドライブスルーで、ハンバーガーとコーラを仕入れると、車の中で頬張りながら、新宿北洋デパートへと向かった。多少の渋滞があったが、午後一時過ぎに新宿北洋デパートの地下にある駐車場へ滑り込んだ。一階まで階段で昇ると、フロアは買い物客でごった返していた。
「山さん、一時五分丁度ですね」
「まあ、このへんは嘘はないだろう。さあ、ジーンズショップへ行くぞ」
「何階ですかね。ちょっと聞いてきます」
「ああ、ここで待ってる」
清水は近くにいた店員を捕まえてジーンズショップの場所を聞いている。山岸の方は、煙草を取り出そうとしたが、店内禁煙の張り紙に気づいて、舌打ちをしながらポケットに煙草を戻した。
「山さん、七階の北西側にレディース、北東側にメンズがあるそうです」
「そうか。じゃあ、このエスカレーターで上がろう」
「当然レディースですよね」
「いや、彼女は背が高かったし、腰があまり大きくなかったようだから、メンズかも知れんぞ。背丈は俺より高かったようだな。どうだ。百七十くらいあったか?」
「ぼくより、低かったから、百六十七、八といったところでしょう。それにしても、美人でしたね」
「ああ、そうだな」
山岸は、さも興味なさそうに答えたが、本当のところ、洋子・オブライエンは自分好みの美人だなと思っていた。
「権藤が羨ましいですよ。あんな美人ばかりと百人以上も関係を持ったんですかねえ。それに彼女、いったいいくつなんでしょうかねえ。三十二,三ですかねえ」
「詰まらんことを言うなよ。権藤の日記に三十八と書いてあったろう?」
「ええっ。そうでしたかねえ。それにしては若く見えますね」
「捜査に個人的感情は禁物だ。とくに美人には気をつけんといかん。分かったな」
「分かりました」
美人に気をつけんといかんとは、清水に言っただけではなく、自分自身にも言い聞かせた言葉だった。
「取り敢えず、レディースに行ってみよう」
「そうですね」
ふたりは七階でエスカレーターを降りると、レディースのジーンズショップに向かって歩いていった。
「着いたぞ。あの店員に聞いてみよう。失礼、新宿西署のものですが、ちょっとよろしいですか?」
「刑事さんですか? 何かの捜査ですか、どきどきするなあ。何でも質問してください。やあ、興奮するなあ」
こういう場合の反応はふたつに分けられる。この店員のように何でもかんでもべらべらとしゃべりまくるタイプとほとんど逃げ腰で口数の少ないタイプだ。実際には口数の少ないタイプから得られる情報の方が有用性が高いのだが・・・・。
「この写真の女性なんだが、先週の金曜日にジーンズを買いに来なかったかな?」
「先週の金曜日ですか。ちょっと待ってください。先週の金曜日、金曜日と。ええっと、その日はぼくは休みだったなあ。木曜日とか土曜日じゃ、いけませんか?」
「いや、金曜日のことを聞きたいんだが」
「そうですか。残念、お役に立てなくて。奥にもうひとりいますから、呼んできます。あいつは金曜日は出ていた筈だから。おおーい、山本。ちょっと来てくれ。刑事さんが写真を見てくれってさあ」
店の奥から、丸顔のずんぐりむっくりの、ジーンズなどとても似合いそうもない、気の良さそうな男が出てきた。
「はあ、何でしょうか?」
「先週の金曜日、この女性を見かけなかったかね?」
「えっ、この写真のひとですか? ちょっと良く見せてください。ああ、このひとなら良く覚えていますよ。美人だったし、横文字の名前だったから外人さんと結婚しているんだろうなと思いましたから」
山岸と清水は顔を見合わせ頷いた。
「何時ごろ来たか覚えているかい?」
「ええっとですねえ、午後だったんですけどね。そうだ。裾上げをしてあげたから、預かりの控えがあると思います。ちょっと待ってください。控えを書いたノートを持ってきます」
「山さん、正確な時間がわかりそうですね」
「・・・・そうだな」
いったん店の奥に戻った店員が一冊のノートを抱えて引き返してきた。
「ありました。そうそう、オブライエンさんでしたね。ここにあります」
「そう、オブライエンだ。で、何時になっている?」
「午後一時十五分に預かって、午後三時に仕上げて渡してあります」
「間違いないのか?」
ノートを覗いてみると、確かにオブライエンの名前が見える。
「一時十五分というのは、二,三分のずれがあるかもしれませんが、三時というのは間違いありません。ちょうど三時ですねって言って、渡した記憶があります」
「間違いないね」
「はい、間違いないです」
店員ははっきりと答えた。この時間は間違いないと山岸は確信した。
「分かった。ありがとう。後日、必要になるかもしれんから、その控えはなくさないようにしておいてくれ」
「彼女、何かやったんですか?」
「他言無用だ! 変なことを言いふらすとプライバシーの侵害で訴えられても知らんぞ!」
山岸はいつになく、真顔で怒鳴ってしまった。隣で清水がちょっと驚いたような顔をしている。山岸は、清水に先入観を持ってはいかんと言いながら、洋子のような美人があんな犯罪を犯す筈がないと思おうとしていた。だから、そんな口調で怒鳴ってしまったのだった。
「分かりました。黙ってます」
「ところで、下の階に、プチ何とかという店があるかね」
山岸は声を和らげてふたりに尋ねた。
「プチ・ママでしょう? なあ、武田」
「ああ、アクセサリーの店のプチ・ママなら下の階にありますよ」
「それだ。何階にある?」
「確か五階の南東の端にあったと思います。エスカレーターを降りて、左回りに道なりに行ったら、すぐ分かりますよ」
「ありがとう。大変役に立った。くれぐれも他言無用に頼んだよ」
「はい、分りました」
あの美人が何をしたんだろうという声が後ろから聞こえてきた。つまらないことを言うなよと思いながら山岸はエスカレーターへと向かって歩いていった。
山岸と清水はエスカレーターで五階に降りるとジーンズショップの店員に言われたように左回りに廊下を歩いていった。「プチ・ママ」は、若い女性が好みそうな、あまり高くないアクセサリーを扱う店で、プチ・ママという割りにまるまると太った大柄な女が店先で客の相手をしていた。
「ちょっと失礼します。あなたがこの店のオーナーですか?」
「はい、そうですけど、何のご用事ですか?」
「お仕事中、申し訳ありませんが、新宿西署の山岸といいます。この写真の女性について、二,三お尋ねしたいのですが、よろしいですか?」
刑事と聞いて、プチ・ママのオーナーは少し嫌な顔をしたが、すぐに商売用の顔に戻った。
「ちょっと待ってください、刑事さん。申し訳ありません、お客さん。ちょっと奥の方をご覧になっていてください。すぐまいりますから。ごめんなさい、刑事さん。写真見せて頂けます?」
「お客がいるのに申し訳ないですね。この写真の女性なんですが、見かけたことがありますか?」
「あら、この方なら覚えていますわ。先週の金曜日の午後一時半少し前にいらして、ゴールドのネックレスを買って頂きましたわ」
ふたりはビックリした。これまでの捜査で、写真を見せただけで、日時をすらすらと答えた者はいなかったからだ。
「良く覚えていますね?」
「わたくしの特技ですの。一度お買い上げ頂いたお客様の顔を覚えるのは。それに日にちとか時間とか、何を買って頂いたとかもね」
「凄いですね。彼女、いつごろまでこの店にいました?」
「一時四十分ですね」
「間違いないですか?」
「刑事さん、一年くらいあとに、また来てみてください。今日の日付けと時間と、あなたの服装をお答えしますわ」
プチ・ママのオーナーの自信に満ちた表情を見て、これは間違いないと思わざるを得なかった。
「なるほど、絶対間違いないということですね」
「ですから、またお客様に来ていただけるのです。商売のコツです」
太った胸のボタンが弾けそうだった。
「お時間取らせて申し訳ありませんでした。ご協力、感謝します」
「山岸さん、奥様に何かおひとついかがですか? お安くしておきますわよ」
山岸はこのような女は好きではない。洋子・オブライエンに対する証言は確かだろうが、何を考えているのか分からないところがある。
「いや、結構です。では、失礼します」
「山さん、間違いないようですね。山岸って一度しか言っていないのにきちんと覚えていましたものね」
「・・・・そうだな」
「次はどうします」
五階のフロアをエスカレーターへ向かいながら清水が山岸に尋ねた。
「彼女には子供がいないだろうから、子供用品売り場の六階には寄ってないだろう。下へ行こう」
「子供がいないって、どうして分かるんですか?」
「玄関に子供の靴らしいものがなかった。部屋の中にもまったくそれらしいものがなかった。それに、彼女が若く見えるのは、子供を産んでないせいだろう。分かったか!」
清水を睨み付けるようにして山岸は怒鳴った。
「はあ、そう言われれば、そうですね。さすがベテラン刑事!」
「馬鹿ヤロー! 俺がおまえくらいの年には、おまえほど馬鹿ではなかったぞ」
周りを歩いている女性たちが一斉に山岸たちを見た。
「申し訳ないです。勉強します。山さん、四階は紳士服売り場ですよ。ここも関係ないでしょう」
「俺は頭が痛い。やはりコンビを変えてもらおう」
山岸はガックリと肩を落とした。
「どうしてですか?」
「夫がいるだろうが、夫が。独身で彼氏のいない女なら、ここは関係ないが、結婚しているんだ。夫の服を買ってもおかしくない。買わなくても見て回ることは充分考えられる。分かったら、写真を持って聞き込みして来い!」
「山さんは?」
「俺は疲れた。ここで、一服遣っているから、早く行って来い!」
山岸は、目の前にある喫煙コーナーの椅子にどっかと腰掛けると、ポケットから煙草を取り出した。
「ずるいや、山さんだけ」
「やかましい! 早く行け!!」
清水はすごすごと聞き込みへと向かった。四階から一階まで、聞き込みしたが、結局ほかには目撃証言を得られなかった。
ふたりは、隣のビルのカラオケハウスへ向かった。
隣のビルまで五分もかからなかった。入り口にカラオケと書いてあるが、構造はモーテルのように見える。
「ここはまた胡散臭い店ですね」
「この店も何回か売春の場所提供で検挙されているからな」
「そうなんですか? こんな街中でねえ」
「街中だから良いんだ。買い物に来た振りをして、不倫したり売春できるからな」
「なるほど、なるほど。ここ一週間でぼくも随分勉強しました。もう一週間もすれば、ベテランの仲間入りが出来ます」
「おまえなあ・・・・・・。もういい。今度はおまえが聞いて来い。ベテランになれるかどうか判定してやる」
「頑張らなくっちゃ」
清水は、肩を怒らせて受付の若い男に声を掛けた。
「もしもし、お兄さん。新宿西署の清水といいますが、ちょっといいですか?」
「デカが何の用だよ。俺は何にもしてねえぜ。何にも知らねえぜ」
男はやくざ予備軍のような男だ。清水では、うまく話しを聞き出せそうにない。
「清水、不合格だ。替われ! 失礼、あんたに用はないんだ。安心してくれ。ちょっと写真を見てくれ。あんたに迷惑はかけない」
「垂れ込みはしねえぜ。仲間を売るようなことはしたくねえからな」
「いいから、見るだけ見てくれ、さあ、この写真の女を知らないか?」
男は最初は写真を無視したが、写っている女が美人だと見たのか、写真を手に取ってまじまじと眺めた。
「見たことねえなあ。何したんだい、このスケ。ヤクかい、それともウリかい?」
「どちらも関係ない。先週の金曜日の午後なんだが」
「先週は休んでいたからなあ」
「先週受付していたやつはどこにいる?」
「やつは事故って、入院しているよ」
「どこの病院だ?」
「知らねえけど、携帯持ってるから連絡はつくがよう」
男は意外に素直に答えてくれる。人は見かけに依らないものだ。
「入院先を聞いてくれないか?」
「なんでそんなことしなきゃならないんだよ。デカに義理はねえよ。番号教えてやっから、自分でしなよ」
「叩けば、ほこりが出そうだが、叩いてやっても良いんだぞ。電話してくれたら、黙って帰ってやる。どうだ」
山岸はすごんで見せた。
「分かったよ。掛けたらいいんだろう。掛けたら」
こういう男には時には脅しも必要だ。受付の男は、不承不承電話をかけ始めた。
「山さん、あのボードに張ってあるメモ! 青田さんへって書いてないですか?」
受付の奥の壁に掛けられたボードに、指名手配の写真の載ったチラシとともに、メモ用紙が何枚か貼ってある。
「おい、そのボードの上から二番目に貼ってあるメモを取ってくれ」
「これかい、ほい」
受付の男がメモをポイと放り投げてきた。清水はそれを拾い上げて確かめた。
「彼女が証言した通りのメモですね。3:45PM、J。間違いないです」
「世田谷の丸田整形外科医院だってよ」
携帯電話を切りながら、めんどくさそうに言った。
「分かった。ところでやつの名前は何というんだ?」
「下川だ」
「下川だな。迷惑をかけたな。このメモは預かっていくからな。捕まるようなことはするなよ、じゃあな」
「余計なお世話だ。二度と来るなよ」
男の暴言を背に、ふたりはカラオケボックスをあとにした。
「なんてやつだ。警察官を警察官だと思っていない。ねえ、山さん」
「まあ、いい。この整形外科に行くぞ」
「このメモを残した人物が彼女に間違いないかどうか、そして彼女だった場合、時間が正しいかどうか、確かめに行くんですね」
「少し成長したな。その通りだ」
清水はちょっと自慢げに山岸の後に付いて歩いていった。。
丸田整形外科は、裏通りのこれが病院かと思うような汚くて小さな病院で、待合室には待っている人間は一人もいなかった。入院患者はほとんど寝たきり老人らしい。受付で聞いた病室に入ると、老人たちに混じって、若い男が足にギプスを巻かれてベッドに寝ていた。
「下川君だね。新宿西署の山岸だ。カラオケハウスから連絡があったと思うが、ちょっと尋ねたいことがあるんだ」
「逃げようにも逃げられないからしょうがないよ。写真の女を見てくれっていうんだろう?」
下川という若い男は、髪の毛を黄色に染めてはいるが、素直そうな男だ。
「聞いているのなら、話が早い。この女性だ。良く見てくれ」
山岸は下川に洋子・オブライエンの写真を手渡した。
「この女なら、覚えがあるよ。先週のいつだったかなあ。ひとりでやってきて、相手が来ないんで、三十分くらいして帰ったよ」
「間違いないんだな」
「ああ。カラオケが目的じゃあなさそうだったし、玄人っぽくなかったから、不倫だろうなと思っていたんだ。こんな美人を振るなんて、馬鹿な男がいるもんだと思ったから、間違いないよ」
「日時と時間は?」
「思い出せねえけどなあ・・・。そうだ! 次の日スケと出かけて事故ってここに入院したから、金曜日だ。金曜日の午後だよ。間違いないよ」
「時間は?」
「二時か三時くらいだったと思うけどなあ」
「このメモは、彼女が書いたものに間違いないか?」
メモを下川に手渡すと、ジッと見つめてから答えた。
「ああ、そうだよ。預かってボードに貼っておいたんだ。相手の男はとうとう来なかったけどね」
「ここに三時四十五分と書いてあるが、間違いないか?」
「思い出した。三時からの予約で、十分くらい遅れてきたんだよ。三時四十二,三分に降りてきて、メモを俺に渡して帰った。間違いないよ」
「よく分かった。助かったよ。君は今日受け付けに入たやつと比べてまともだな。友達は選んだ方がいいぞ」
「やつは友達じゃない。忠告ありがたく受けるよ」
「じゃあな」
こんな小便臭い部屋に、よく入院しておられるなと山岸は首を傾げた。他の入院患者はみんなオムツを当てているようだ。
「裏は取れましたね。証言通りですね。彼女は関係ないんではないですか?」
「清水! 確かめたいことがある。プチ・ママに戻ろう」
「どうするんですか?」
「黙ってついて来い!」
山岸は足早に階段を下っていった。
ふたりがプチ・ママの店先に再び姿を見せたのは午後五時四十分だった。閉店前で客の数は昼間に比べて随分減っていた。
「あら、山岸刑事さん。また、何かご用?」
お客が居らずに手持ちぶさたにしていたプチ・ママのオーナーが声を掛けてきた。
「いや、先ほどはお世話になりました。もう今日は用はありません」
「山さん、どうするんですか?」
「清水、時間を計れ。今、五時四十五分だ。さあ、出発だ」
「どこに行くんですか?」
「黙ってついて来い。時間を忘れるなよ!」
「分かりました」
ふたりはプチ・ママを後にして、エスカレーターで地下の駐車場へと降りていった。
「駐車場だ。何分掛かった?」
「七分ですね」
「犯行は計画的だから、そのままの服装で行ったはずはないな。清水、車の中で着替えるとしたら、何分掛かると思うか?」
「車の中で着替えるのはちょっと大変でしょう。五分! どうです?」
「五分ねえ。女だから、カツラをして化粧をしなおそう。何分だ?」
「五分!」
「うーん。五分から十分ということにしよう。着替えと化粧で十分から十五分だな」
「さあ、着替えたぞ。出かけよう」
「山さん、海王ホテルですね。あそこを出ると地下街を通ってホテルに行けます」
「刑事らしくなってきたな。行くぞ」
ふたりは、新宿北洋デパートから地下街に出て、海王ホテルに向かって歩き始めた。人通りは多いが、みんなまわりには無関心だ。ただ黙々と歩いている。
「あの薬局の店員に、写真を見せて来い。俺はこのままこのペースで歩きつづける」
清水は、薬局というより雑貨屋という感じの店に入って、女性の店員に写真を見せている。山岸は、周りの人間に歩調を合わせて、海王ホテルへと歩きつづけた。すぐに清水が追いついてきた。
「山さん、覚えてないそうです。ここは人通りも多いし、店に入ってくる客の顔さえも良く覚えてないそうです」
「期待はしていなかったが、やはりな」
「清水、もう少しゆっくり歩け。女の足だ。そんなに早くは歩けんだろう」
「はい、そうですね。あれが、海王ホテルの入り口です。何で、上にあがりますか?」
「そこにエレベーターがある。わざわざエスカレーターに乗ることもあるまい。それに、エスカレーターに乗ったら、フロントの前を通らないと部屋には行けない」
「よくそんなこと知っていますね?」
山岸はその質問には答えなかった。数ヶ月前、ここで女と待ち合わせをしたことがあって覚えていたからだった。
「エレベーターが来ました。さあ、乗りましょうよ、山さん」
エレベーターからふたりの若い男が降りてきた。山岸たちを見ると慌てて、繋いでいた手を離した。ホモか。そう言えば、ホモの可能性もあると言っていたなと山岸は後藤と話したことを思い出していた。
「今合計何分だ?」
「二十二分から二十七分ですね。山さん、彼女が犯人だと思っているんですね」
「いや、何ともいえんのだが、解剖の結果、死亡推定時刻が二時から三時の間だろう?」
「後藤さんからそう連絡が入ってますね」
「彼女が目撃された時刻の中で、犯行が可能と思われる時間は一時四十分から三時の間だ。その空白の時間に物理的に犯行が可能かなと思ってな」
エレベーターは、フロントのある三階で停まり、数人の男女が乗りこんできた。その後、何回か停まって彼らを吐き出していった。ふたりは十九階でエレベーターを降りると犯行のあった一九二二号室へと向かった。
「犯行のあった一九二二号室の前だ。さて、何分掛かった?」
「二十八から三十三分ですね」
「じゃあ、引き返そう」
「ほとんど同じじゃないですかね、山さん」
「そうだろうな。降りながら、話をしよう。時間を短縮できるところはないか?」
「エスカレーターを歩いて降りる」
「目立ちすぎる」
「エレベーターを使う」
「プチ・ママから遠い。昼間の混みようからすると、エスカレーターの方がむしろ早い」
「着替えと化粧の時間の短縮。全部着替えるのは大変だけど、下に着込んで来て、上を脱ぐだけにする」
「その意見には俺も賛成だ。しかし、服装によってはそうできないこともあるだろう」
「そうですね」
「服装に付いては、明日にでもプチ・ママのオーナーに聞いてみよう。彼女だったら間違いなく覚えているだろう。次は?」
「地下街を急いで歩く」
「確かに、速く歩く連中もいるから、そいつらについて歩けば目立たんかもしれんな。あとは?」
「それくらいですね。海王ホテルのエレベーターにたまたますぐ乗れれば、そして途中で停まらなければ、二,三分の節約になりますが」
「そうすると、最短で何分掛かる?」
「二十分から二十五分ですね」
「往復で、四十分から五十分だな。残り時間は、三十分から四十分だが、この間に、犯行が可能かな」
「できるんじゃないですか?」
「簡単に言うなよ。シャワーを浴びて、後片付けをして、指紋を消す。何分掛かる?」 「五分、五分、五分の合計十五分!」
「十五分? できるかなあ?」
「犯行は計画的なんでしょう? 余計な所は触らない。自分の動いた範囲を把握していれば、後片付けも指紋を消すのもそう時間は掛からないんじゃないですか?」
「シャワーは偽装だとするともっと時間が浮くかな?」
「そうですよ、山さん。そうに違いない」
「いや待て。排水溝を掃除してあるから、やっぱりシャワーは使っているな。使ってなければ、排水溝まで掃除することはない」
「なるほど」
「十五分か。残り時間は十五分から二十五分だな。その時間内に、権藤をその気にさせて、セックスをして、殺せるだろうか?」
「ちょっと無理ですかねえ」
「うーん。署に戻って、梅ちゃんに聞いてみよう」
「梅林女史にですか? 止めた方がいいですよ。きっとぶたれますよ」
「ほかに聞ける女がいるかい?」
「・・・・いませんけど・・・・」
梅林女史とは、山岸らの同僚のバツイチの女性刑事で、気が強くて課内で猥談でもしようものなら、セクハラだ何だと喚き散らして、上司に噛み付くのがしばしばの豪傑である。そんな女史にこんな話は禁物なんだがなと思いながら、山岸は迷った挙げ句梅林女史を呼び止めた。
「梅ちゃん、ちょっと意見を伺っていいかな?」
「なんですか?」
山岸はやはり言い淀んだ。
「なによ? 山岸さん。聞きたいことがあったらさっさと言いなさいよ」
腰に両手を宛ててすくっと立った梅林女史にたじたじとなるが聞かざるを得ない。
「男をその気にさせて、ベッドインして、果てさせるまでに何分くらい掛かるだろうか?」
バシッと音がして、山岸は梅林女史に頬を叩かれた。梅林女史は山岸を睨み付けて署内に響き渡るような大声で叫んだ。
「馬鹿! 署長に訴えます! 山岸さんがそんなひとだとは思いませんでした。もうあなたとは話をしません」
「梅ちゃん、待ってくれ。俺の言い方が悪かった。捜査にぜひ必要なんだ。どうか機嫌を直して教えてくれ」
山岸はほとんど土下座せんばかりに頭を下げて、梅林女史に食い下がった。
「捜査に必要ですって?」
「そうなんだ。詳しく説明するから、お願いしますよ」
梅林女史は、そんな山岸の言葉を聞いて、目をつり上げた顔から急に柔和な顔に戻った。
「それならそうと、初めから説明すればいいのに。じゃあ、聞きましょう。例の精神科の先生が殺された件ですね」
「さすが、梅ちゃん。解かりが早い」
山岸は梅林女史に、これまでの経緯と洋子・オブライエンのアリバイを説明した。
「なるほどねえ。残り時間が十五から二十五分なんですね」
「そうなんだよ。ほかに聞くひともいないし、どうかお願いしますよ」
「そうねえ。初めて会った男とだったら無理でしょうけど、初めからその気があればできるかな」
「できるの?」
「部屋に入るでしょう? それから、すぐ服を脱いで、キスをしたりしてその気にさせれば、十五分もあれば充分じゃないのかなあ。清水君だったら、五分でもいいんじゃないの?」
「あれ、それは逆セクハラですよ」
口を尖らせた清水に、梅林女史はちょっと舌を出して頭を下げた。
「ごめん、清水君。・・・・つまり、女の方がその気なら、男をその気にさせるのは簡単だってこと。逆だともう少し時間が掛かると思うけどね」
「そうか。できるか」
「でもね、山岸さん。ちょっと考えても見て」
「なんだい」
「男をその気にできるとしても、女自身はどうでしょうね? 今から殺人を犯そうというのに、殺す男を相手に受け入れる準備ができるかしら。それに権藤は射精してるんでしょう? その直後に殺すなんて、信じられないわ。わたしだったら、絶対無理ね」
「分かった。大変参考になった。事件が解決したら、一杯おごるよ」
「山さんとなら、一杯のあとも考えてあげていいわ。じゃあ、楽しみにしているわ。がんばってね」
梅林女史は、山岸にウインクするとにこにこしながら部屋を出ていった。清水は、梅林女史が部屋を出ていくなり、声をひそめて山岸に話しかけた。
「山さん、梅林女史に惚れられているみたいですね」
「馬鹿ヤロー。詰まらんことを言うな。ほかのやつらに漏らしたら許さんぞ」
山岸は目を三角にして怒りをあらわにした。
「わ、分かりました」
そうは言ったものの、清水はにやにやしていた。山岸は困惑の表情で清水から目を背け、窓の方を見ながら、呟くように言った。
「うーん。時間的には厳しいが、彼女に犯行は可能ということだな」
「あんな美人がねえ。動機はなんでしょう?」
「不倫の清算かな。夫にばれそうになったとかな」
「でも、権藤はほかの女性たちとは跡腐れなく別れているんでしょう? 彼女だけがどうして? それに夫にばれそうになって相手を殺すというのはないでしょう。普通は自分が自殺するでしょう」
山岸は、清水の方に向きを変え、煙草をくわえて火を点けた
「立場が反対になってしまったな。確かにおまえの言う通りだ。今日話した感じでは、彼女も夫にばれることは、恐れていたようだが、別れようという雰囲気はなかったしな。愛しているとさえ言っていたな。それに権藤の日記の中にもJ,つまり洋子だな。Jは理想の女だ。離したくない、と書いてあったから、権藤のほうから別れ話をしている筈はないし」
「彼女には彼女の動機があったんですかねえ」
「怪しいと言えば怪しいんだが、証拠は何もない。俺たちの推測に過ぎんからな。動機も分からん。時間的にも無理があるし、梅ちゃんの言うことももっともだし、日記の中に書かれてあるほかの女性にも当たってみよう」
「そうしますか」
翌日、少し遅れて出勤した山岸がお茶を飲んでいると梅林がやってきた。
「山岸さん、考えたんだけど」
「なにを?」
湯飲みを机の上に置いて、山岸はタバコに火をつけた。
「机上の空論じゃ、時間的のどうのこうの言っても始まらないと思うのよね」
「しかし、ちゃんと歩いてみたぜ」
「女の着替えや化粧の時間なんて、男の山岸さんにはわからないでしょう?」
「あ、まあ、それはそうだが」
「わたしが、シミュレーションしてあげるわ」
「えっ? 梅林さんが?」
「悪い?」
「いや、とんでもない。願ってもないですよ」
「じゃあ、今日にでも、やってみましょう」
「今日は土曜日だぜ。道は混むし、人が多いし、金曜日のシミュレーションは無理だろう」
「問題は、ジーンズショップで裾上げを頼んでから、戻ってくるまでの間でしょう?」
「そうだが」
「だとしたら、渋滞や混雑は関係ないでしょう?」
「それはそうか」
「じゃあ、彼女がジーンズを預けたのが午後1時15分て言ってたから、1時過ぎに現場に着くように出かけましょう」
「わかった」
梅林の表情がいつもより浮き浮きしているなと山岸は感じていた。
清水に日記の検討を続けさせておいて、山岸は梅林と共に北洋デパートへと向かった。
駐車場へ車を停めて七階へと向かった。梅林は、洋子・オブライエンが着ていたと証言が得られているワンピースに似たものを着込んでいた。
いつもパンツルックの梅林しか見つけていない山岸は、そんな格好も結構いいなと思っていた。
「あっ! 刑事さん、お久しぶり。今日はまた聞き込みですか?」
「いや、彼女がジーンズが欲しいって言うものだから、つき合ってるんだ」
店員は梅林に近づいていった。シミュレーションだというとうるさいのでそう言うことにしたのだ。
「あ、そうですか。どれにいたしましょうか?」
「これにしてくださる?」
試着室の中でジーンズを穿いた梅林が裾あわせを始めた。
「今日はちょっと込んでますので、仕上がりは明後日になりますけど」
「午後三時に仕上げてくれ」
山岸がじろりと睨んで店員に告げた。
「あ、はい。わかりました」
店員は、店の裏へと消えていった。
「ジーンズ、買わなくてもよかったんじゃないの?」
「よければそれでもいいが」
シミュレーションだと言えばよかったと思ったが手遅れだ。試着して、裾上げまで頼んでいまさらシミュレーションだから買わないと言うわけにも行かないと山岸は思った。
「あら? 買っていただけるの?」
「まあな」
「わあ、嬉しいわ」
飛び上がらんばかりに梅林は喜んだ。山岸は時計を確かめる。店員が控えを持って姿を現した。
「他ならぬ、刑事さんの頼みですから、三時までに仕上げておきます」
「すまんな」
山岸はそう言ったが、ジッと時計を見ていた。
「やっぱり、事件のことに関係あるんですね?」
「内緒だ。いいか? このことは口外するなよ」
山岸は店員を睨み付けた。
「わかりましたよ」
「行こうか」
時計が午後一時十五分を指したのを確かめて、山岸は梅林を促して、エレベーターへと向かった。
「一時間四十五分以内に殺人が可能かどうかを調べればいいんでしょう? そんなに時間を気にしなくても・・・・」
「そうしないと気がすまないんだ」
「そう。それなら仕方ないわね」
梅林は山岸について、五階まで降りていった。
「ああら。山岸さん、お久しぶり。今日は奥様と?」
プチ・ママの女主人が愛想笑いを浮かべて近寄ってきた。梅林は奥様と言われてちょっと嬉しそうな表情を見せた。山岸は、女主人の名前を覚えるのが特技と言っていたことを思い出して、間違いないと確認した。
「いや、ちょっとな。梅林さん、適当に一品買ってくれ」
「これも買ってくれるの」
「いいよ。ただし、あんまり高いのはだめだ。それと選ぶ時間は一分だ」
「一分じゃ、選びきれないわ」
「一分。それ以上待たない」
「わかりました!」
梅林は、貝殻でできたネックレスを選んで女主人に手渡した。九千八百円の値札が付いていた。
「お目が高いですわ。これは、通常の半額にしているんですよ」
「そう?」
「消費税を入れて、丁度でいいですわ」
山岸は、一万円札を財布から取り出して渡した。領収書を受け取ると、すぐにエスカレーターに向かった。
「ここからが、時間との戦いね」
「そうだな」
山岸は腕時計をジッと見つめた。
地下駐車場に降りると、梅林は鍵を開けて後部座席に乗り込んだ。山岸の視線を気にしながらパンストを脱いで、ちょっと派手な網タイツに履き替えた。パンストは履き替えなくてもいいんじゃないかと山岸は言ったのだけど、梅林は服装を替えるのなら、パンストも履き替えたはずだと言って譲らなかったのだ。
タイツを腰まで上げると、梅林はワンピースを頭から脱いだ。ワインレッドのショーツが山岸の目に飛び込んできて、山岸はちょっとドギマギした。
上には真っ白なキャミソールを着ていた。外着にもできるものだ。これは梅林のアイデアだ。タイツを整えてから、梅林はバッグの中からスカートを取りだして穿いた。合皮製のミニスカートのようだった。
ウイッグをかぶって、何かごそごそやっていた。化粧でもやっているようだ。梅林が車から出てきて、山岸はギョッとした。
「梅ちゃん。眼鏡は?」
「コンタクトにしたの? どう? 結構行けてるでしょう?」
さらに、ほとんどすっぴんの梅林がかなり濃い化粧をしていた。いつもの梅林とは思えなかった。山岸は股間が硬くなるのを覚えたが、悟られないように梅林に背中を向けた。
「さあ、行こうか」
梅林は、脱いだワンピースなどを詰めたバッグを持って山岸の跡を追った。
海王ホテルのエレベーターの前に着いた。清水と来たときのようにエレベーターはすぐには来ず、しばらく待たされた。
エレベーターに乗って、十九階で降りると二十二号室へ向かって歩いていった。ドアの前で山岸は時計を見た。
「二十八分か。ほんとんど三十分だな。化粧に時間が掛かったような気がするが、これ以上の短縮は厳しいな」
ブツブツと山岸は呟いた。
「そんなに時間は掛かっていないわよ。これ以上早くするなんて無理な話よ」
不満そうに梅林は頬を膨らませた。
「そうか。それじゃあ、エレベーターがすぐに来たとしても二十五、六分はかかるってことになるな」
「そうですね」
「帰りに同じ二十五、六分が掛かるとして、犯行に使える時間は、長く見積もっても三十五分か・・・・」
山岸はエレベーターの方へ歩き始めた。
「あら? シミュレーションはこれで終わりのなの?」
梅林が山岸を引き留める。
「えっ?」
「シャワーを浴びたり、部屋の中を掃除したりしてみなくちゃ」
「・・・・そうだな」
「それに、帰りも同じ時間とは限らないから、実際にやってみなきゃ」
「わかったよ」
「じゃあ、部屋の鍵を借りてきて」
肩をすくめて、山岸はフロントへと降りていった。
もう一度、部屋の中を調べたいというと、事件後誰も借りたがらないので空いていると言うことで、部屋の鍵を預かって戻った。
部屋の前で梅林がドアに凭れて待っていた。鍵を開けて中に入ると、梅林が不満そうに呟いた。
「イヤになるわ。いくらだって聞くのよ」
「はあ?」
「娼婦と間違えられたの!」
間違えられても仕方がない格好をしているからなと思ったが、山岸は肩をすくめただけで黙っていた。
「ベッドの上でセックスをして、シャワーという手順になるわね」
「そうだな」
「じゃあ、シミュレーションを始めましょう」
「おい、おい。まさか」
セックスまでシミュレーションするつもりじゃあるまいなと山岸はちょっと青くなった。しかし、梅林はそんなことを気にもかけずに言葉を続けた。
「山岸さん、時計を確認して。わたし、いったん外に出るから。ドアをノックしたら開けてね」
山岸の不安をよそに、梅林は部屋の外に出た。すぐにノックがあると思っていたのに、五分ほどしてようやくノックされた。山岸がドアを開けると梅林は不満そうな顔を向けた。
「どうした?」
「権藤又三郎は、洋子・オブライエンと情事を楽しむためにこの部屋で待っていたんでしょう?」
「あ、まあ、そうだが」
「だったら、スーツ姿ってことはないでしょう」
「・・・・そうだな」
「早く脱いで。もう一度やり直しよ」
「お、おい!」
梅林は、再び部屋を出て行ってしまった。どこまで実際にやろうとしているのかわからないが、仕方がないと、山岸はトランクス一丁になってガウンを羽織った。
とんとんとノックがした。山岸はドアを開いた。部屋に入ってくるなり、梅林は山岸に抱きついてキスしてきた。
「お、おい、梅林君」
「彼女、こうしたと思うのよ。そうでしょう?」
「どこまでやるつもりだ?」
「どこまでって、最後までよ」
「何だって?」
「山岸さん? ここまで来たら覚悟して。ひとつ部屋の中に男女がいたら、なかったなんて言い訳は誰にも通じないんだから」
そう言って梅林はニヤリと笑った。初めからそのつもりだったようだ。
「あくまでも、これは仕事だぞ」
山岸はそう釘を刺してから、梅林を抱き寄せた。
「アア、最高の仕事だわ」
そう言いながら、梅林は服を脱ぎ始めた。山岸はやりたいようにやらせることにして、時計を確認した。
梅林は、あっと言う間に全裸になって山岸をベッドに押し倒した。トランクスを下げて山岸のペニスを頬張った。
「梅林君、それはちょっと・・・・」
梅林は返事をせずに続けた。参ったなと山岸は思っていた。その気はなくても、男はすぐその気になる。
「騎上位だったわね?」
「ああ」
梅林は山岸に跨り、山岸の怒脹したペニスを自ら導いた。五分ほどしかたっていないのに、そこは準備が整っていて、ずぶずぶと山岸を飲み込んでいった。
「ああ、いいわ」
梅林は髪を振り乱して腰を上下させた。
「ねえ、突いて。突き上げてよ。お願い」
こうなったら毒食わば皿までと山岸は腰を上下させた。
「ああ、ああ、ああっ!」
「おい! 出してもいいのか?」
「いいわ。今日は大丈夫。できちゃった婚なんて狙ってないから。あなたと一度してみたかっただけだから」
女の言うことは信用できないと思いながらも、すでに止めようがないところに来ていた。山岸はウウッと唸った。
「はああ・・・・」
梅林は山岸の胸の上に倒れ込んできた。そうしてから、フッと起きあがった。山岸は梅林を見上げ、ギョッとした。梅林の手にナイフが握られていたのだ。
「う、梅林君!!」
梅林は、ナイフを山岸に向かって振り下ろした。
「わあっ!」
山岸の左の首筋をかすめてナイフが枕に突き刺さった。
「さて、これで権藤が死んだ」
そう言いながら、梅林はゆっくりと腰を引いた。山岸の放った粘液が梅林の中から流れ出るのが見えた。
梅林は、股間をティッシュで拭き取ると、そのままバスルームへと入っていった。
(セックスしてすぐにシミュレーションを再開しているのか。信じられない・・・・)
山岸はぐったりとベッドの上に倒れていた。
「山ちゃん、起きて」
微睡んでいたようだ。山岸が目を開くと、梅林はバスタオルを巻いてベッドのそばに立っていた。
「バスタブは掃除したわ。髪の毛もね。彼女、何を着て帰ったかしら? ここに着てきた服? それとも、着替える前の服?」
「さあね」
「もう二度と娼婦と間違えられたくないから、ワンピースにするわ」
決めていたように言った。それなら初めから聞かなければいいのにと思ったが、山岸は黙って服を着た。
時計を見た。梅林に押し倒されてから四十五分ちょっとがたっていた。
「タイムオーバーだな」
「そのようね。でも、急いで戻れば、何とかなるかも」
山岸は、バスタオルを脱ぎ捨て全裸になった梅林が、下着を身に着けパンスト、ワンピースを着るのをジッと見ていた。
「さて、やり残したことはないわね」
「なさそうだ」
「じゃあ、北洋に戻りましょう」
部屋を出て、この廊下をエレベーターに向かったかなと思いながら歩いていった。
フロントで、シャワーを使わせて貰ったこと、枕を損傷したことを告げて断りをいい、地下道へ向かった。勿論梅林は先に地下道へ行かせた。一緒にフロントに行ったら、ふたりが何をしていたか想像されることがわかっていたからだ。
「急ごう」
山岸は梅林と合流して、北洋デパートへと急いだ。
ジーンズショップの前に立ったとき、午後三時四十分を回っていた。
「どうしてこんなに時間が掛かったんだろう?」
「ロスタイムは二十五分くらい?」
「計算上は二十分弱だ」
「・・・・もっと早くしても、ホントにぎりぎりね」
「梅林君、あれ以上早くやれそうか?」
「わたしにはとても無理」
「彼女が自分がやったと自白しない限り、これは立証できないな」
「残念ね」
あまり残念そうに見えなかったのは、山岸への思いが達成できたからだろう。
手がかりはなかなか見つからない。山岸と清水が日記を見ながら、洋子・オブライエン以外の女性について、身元を特定できる手掛かりはないものかと検討していると、部屋のドアが開いて、白髪頭の神経質そうな痩せた男が入ってきた。
「山さん、いるかい?」
「よう、島田さんじゃないかい。いま、麻薬担当だろう? どうしたんだい?」
「権藤又三郎の事件を担当していると聞いたもんだからね」
島田は、山岸たちの向かいの椅子に腰掛けると、ポケットからロンピを取り出して火を点けた。
「ああ、担当しているが、権藤がお宅と関係あるのかい?」
「まあね」
その表情からすると、何か関係がありそうだなと山岸は想像した。
「トニー・オースティンという男は知ってるかい?」
「トニー・オースティン? 知らないなあ」
「知らんか。いや待て、やつは日本では母方の性を名乗っていたな。ちょっと待ってくれ」
島田は警察手帳を取り出してめくり始めた。
「・・・・これだ、トニー・オブライエンだ。どうだ?」
「山さん、彼女の夫ですね」
清水が山岸の顔をのぞき込んだ。
「直接は知らないが、権藤の件で調べていた女の夫が、そのトニー・オブライエンだ。どう繋がっているんだ?」
「トニー・オブライエンが死んだというのは知ってるか?」
山岸も清水も驚きに目を見張った。
「ええっ! 一昨日、オブライエンの妻に会ったときは、どこかに出張したといっていたが・・・・」
「死んだのは、一昨日の十時ごろだ。東名高速に入ってすぐのところで、車が爆発炎上してね。黒焦げだったよ」
島田は淡々として話す。
「爆発炎上だって?」
「そうなんだ」
「爆発の原因は何なんだ?」
「爆弾らしい。火薬の反応が出ている」
「時限爆弾か?」
「いや、そうではないらしい。どうも速度感応型の爆弾らしいんだ」
「速度感応型の爆弾?」
「『スピード』という映画を見なかったか?」
「映画なんてここ数年見たことがないよ」
「そうか。あの中に出てくる爆弾がそうなんだが、車軸にセンサーをつけておいて、ある速度に達すると爆発するというものなんだがね」
「ほう、手が込んでるじゃないか」
「プロの仕業だろうと内輪で話しているところだ」
「黒焦げでよく身元が分かったな」
「うちの課のものがやつを尾行していたからな」
「尾行? トニー・オブライエンが麻薬に関係あるのか?」
「その通りだ。やつは麻薬の運び人でな。去年の暮れから、ずっと内偵していたんだ。引っかかってきたのが、権藤だ」
「なるほど。それで、うちに来たのか」
島田は二本目のロンピを取り出して、火を点けた。
「ここ二ヶ月ほどの内偵で、権藤が関東近辺の元締めだと分かったんだ。逮捕寸前になっていたんだが、殺されたと聞いたもんだから、捜査状況はどうなっているのかなと思ってな」
「皆目見当がつかんのだよ。怨恨の線で調べてはいるけどね」
「殺し方が、プロらしいと小耳に挟んだが、どうなんだ?」
「そうも考えられるんだがねえ。胸骨の上の窪みから心臓に向けて果物ナイフがぐさりだ。気管が真っ二つだから、声も出せずに絶命しただろうということだよ」
「ほほーう。プロらしい手口だねえ。ナイフの出所はどうなんだ?」
「何の変哲もないただの果物ナイフだ。しかもさびが出るくらい古くて、購入先などまったく追えないんだ」
「こりゃあ、両方ともプロの仕業だな」
「島田さん、ふたりに共通する、オブライエンの妻の可能性はありませんか?」
「清水君、いい所に気がついた。当然その線も考えられる」
「美人でプロの殺し屋。まるで、映画みたいですね」
清水は、自分の意見に酔うように、にこにこし始めた。
「ところが、それはないと思うんだ」
そう島田に言われて、清水の顔には落胆の色が浮かんだ。
「ええっ、どうしてですか?」
「彼女は、むかし権藤の病院に入院していた患者でね」
「ああ、それは本人の口からも聞いている」
「権藤とオブライエンはそのころから関係があって、日本国籍を取らせてオブライエンの入国を容易にするために、彼女と結婚させたんじゃないかとわれわれは推測している」
「じゃあ、権藤とオブライエンは随分昔からの関係なんですね」
「そう。かれこれ二十年にはなるだろう」
「二十年ですか! よく分からなかったですねえ」
「病院は麻薬を扱うからねえ。証拠が捕まえにくいんだよ。病院の診察室は密室だからねえ」
「なるほど」
「彼女のことも一応調べておいたが、十七歳で強姦されて妊娠し、その直後に両親が交通事故で死亡。そのショックで流産した挙げ句、おかしくなって権藤精神科病院へ入院した。病気が良くなって退院後、二十二歳でオブライエンと結婚した。オブライエンと一緒に三ヶ月ほど渡米していたが、オブライエンの両親と折り合いが良くなかったらしく、すぐに帰国している。帰国してからは、ずっと今の家に住んでいる」
「へええ、よく調べましたね」
「容疑者の妻だからね。彼女は少なくとも麻薬とは無縁だったことは調べで分かっている」
「そうですか」
「近所での聞き込みでは、買い物以外で彼女が外出するのを見かけたことがないとのことだ。彼女に爆発物の扱いや殺人などのテクニックを学ぶ時間はなかった筈だ。爆弾作りの材料も手に入らないしな。権藤の方はともかく、オブライエン殺しは彼女ではない。オブライエンの車はいつも事務所に置いてあって、彼女が近づいた形跡はないからな」
「それなら、確かにオブライエン殺しは彼女ではないな」
「うん、そう思うよ。それに、梅ちゃんがいるから、大きな声では言えないが、彼女はオブライエンなしでは生きていけないよ。毎朝毎晩、お励みでね。凄いんだよ。見張っているわれわれが恥ずかしくなるくらいだ。近所でも有名らしいよ。あそこに住み始めてから、十数年になるらしいが、ずっとそうらしい。そんな彼女が夫を殺せる筈がない。未だに毎日薬を飲んでいるみたいだから、オブライエンが死んで、またおかしくならなければいいがね」
「彼女は尾行してなかったのかい? とくに権藤が殺された日は?」
「残念ながらやっていない。彼女は平凡な主婦だからね。ヤクも遣っていないし」
「そうですか。残念だなあ」
「彼女が権藤を殺した可能性があるのか?」
「可能性はないことはないんですが、時間的にちょっと無理がありましてね。それに動機もはっきりしない」
山岸は、これまでの捜査内容を島田に話して聞かせた。
「そりゃ無理だよ。いくら何でも、そんな短時間に殺せないよ。しかもセックスして、権藤をいかせているんだろう? 絶対無理だよ」
「梅ちゃんはやってやれないことはないとはいっていたがねえ」
シミュレーションのことは当然黙っていた。
「机上の空論だよ。無理、無理」
「清水の素朴な疑問です。さっき、彼女は夫と毎日毎晩やっていたといったでしょう? そんなに毎日セックスしていて、どうして子供が居ないんでしょうね」
「清水、つまらんことを言うなよ」
「清水君らしい意見だな。そうだな。われわれが見張っている間も避妊している様子はなかったな。ただ、むかしの精神病院はメンスの処理が面倒だからと言うだけの理由で子宮を摘出したりしていたからね」
「酷いですね。今なら人権問題だ。今思いつきましたけど、権藤に子宮を摘出された恨みということはないですか?」
「考えられんことはないが、それは違うだろう」
「えっ。どうしてですか? 山さん」
「彼女は権藤のことを辻田と言う名前の医者だと思っていたようだし、俺は権藤の日記を隅から隅まで読んでいるから分かるが、権藤の記載は詳しくてね。女のほくろや痣の大きさから位置、盲腸や不妊手術、帝王切開の傷跡の有無など微に入り細に入り描かれていて呆れるくらいだよ。彼女に関して言えば、ほらここを見てみろ、ほくろひとつない、雪の様に白い肌、と書いてある。彼のことだから、子宮摘出の傷があったら書かない筈はないよ。この目で確かめるわけにはいかんがね。
それに彼女は権藤のことが好きだったといっていただろう? だから、権藤に再会してすぐに肉体関係を持ったと。権藤に恨みがあった様子はない。話に筋道は通っている」
「なるほど。そうするとこの線もなしですね」
「もしかしたら、流産したのがきっかけで、できないのかもしれないよ」
「そう考えないと、人間不信になりますね。ところで山さん、権藤は彼女が自分の患者だったことに気づかなかったんですかねえ?」
「精神病院の患者は一年たっても病状に変化がないような患者が多いから、顔なんか覚えないんじゃないのかな。二十年近くも経っているし、ヘヤスタイルや化粧の仕方で女は随分変わるじゃないか。それに彼女も偽名を使っていたからな」
「彼女が権藤殺しの犯人である可能性は極めて低いよ」
「そうなると・・・・」
「ふたりとも、麻薬組織の尻尾切りに遭ったんじゃないか? われわれが追っているのに気がついた組織が全体の安全を図るためにやったのかもしれないな」
「なるほどねえ。そうかもしれませんねえ」
「時期的に一致するからな。ふたりとも生きていれば、来週の月曜日に逮捕状が出る手はずだったからな」
「そうなると、犯人の検挙は絶望的だな」
「そう、迷宮入り確実だな」
「そうか。いや、島田さん、貴重な情報をありがとう。まあ、もう少し調べては見ますが・・・・」
「うちも参考になったよ。また振り出しに戻ったが、しかし、しばらくは麻薬の取り引きは下火になるだろう。それだけが救いだよ。じゃあ、またな」
部屋から出て行く島田を見送りながら、山岸はどっと疲れを感じた。洋子・オブライエン犯人説は、確かに強引過ぎる。やってやれないことはないが時間的に無理があるし、証拠はまったくない。それに動機が見当たらない。洋子の証言も不自然さはない。
女たらしの権藤のことだ。権藤の命を狙っている女とは知らずに引っ掛けて殺されたんだろう。それが自然だ。今日はもう帰って寝よう。課長に挨拶すると報告書も後回しにして、山岸は帰路についた。