権藤又三郎、享年六十四歳。新潟県○○村出身で、村始まって以来の秀才と言われ、J医科大学に入学。卒業後、精神科に入局。二十八歳のときに先代の権藤英彦の目にとまり、婿養子となった。
妻、加代子との間に紗織という娘がひとり。ほかに子供はいない。この紗織も結婚しており、現在は妻とふたり暮しである。
又三郎の経営手腕は抜群で、権藤精神科病院が今のような大病院になったのはすべて又三郎の功績らしい。又三郎に恨みを持つものや脅迫の類いはまったくない。女好きらしいが、噂になるような女は浮かび上がってこない。囲っている女もいないようだ。権藤が殺されたときにいたと思われる女についてもまったく手掛かりがない。
権藤は午前中診療を終えると、午後は若い医者に任せて毎日どこかへ出かけるという。行き先は誰も知らない。ゴルフの練習場で見かけたという情報もあるが、月に一,二度程度で、午後の大部分の行動は分かっていない。夜は医師会の会合に出席するか、そうでなければ大抵は若い医者や製薬メーカーの社員を誘って歌舞伎町に繰り出しており、夕食は自宅でしたことがないらしい。木曜日の午後と日曜日はほとんど毎週ゴルフに出かけているとのことだった。
「山岸、怨恨関係の線はないようだな」
「そうですね、課長。これほど評判のいい男もそうはおりませんね。参りましたよ」
山岸は溜息をついた。最初に事件の報を聞いたときには、すぐにでも解決するヤマだと踏んでいた。通常、怨恨の線が見えれば、事件は解決したも同然なのだが、その可能性が薄くなるとすれば、事件の解決はかなり難しくなると言うことなのだ。
「問題は、午後だな」
「足取りがまったく掴めませんからね。女だとは思うんですけどね」
「権藤の奥さんはどうだった?」
「十年前からベッドが別で、権藤がいつどこで何をしているのか、ぜんぜん知らんそうですよ。病院の経営が順調ならば権藤が何をしようと、ほかの女とどうしようと自分には関係ないんだそうです。俺にはぜんぜん理解できませんがねえ」
「ほかの連中はどうだった?」
「役に立つ情報は何もなし」
「ほかに手掛かりはないか?」
「葬式も終わったことだし、病院と自宅をもう一度回って、権藤の身の回りのものを調べなおすことにします」
「そうだな。見落としがあるかもしれん。じゃあ、頼んだよ」
「分かりました。おい、清水。いつまで食ってるんだ。出かけるぞ」
「山さん、一分待ってください。すぐ食べ終わりますから」
清水は、カツ丼の残りをお茶で胃に流し込むと、山岸の後を追った。
権藤の自宅を訪ねてみた。かなり大きな屋敷で、億がひとつでは建ちそうもない屋敷だった。
「ごめんください。新宿西署の山岸と言います。奥様はご在宅でしょうか?」
応対に出てきたのは、お手伝いさんというか家政婦というかそんな感じの20代半ばの若い娘だった。
「すみません。奥様は外出されております」
「外出? どちらへ?」
「さあ、存じませんが」
初七日もまだだというのに奥方はいったいどこに行っているのだろうと山岸は訝った。
「そうですか。実は亡くなった権藤又三郎さんの書斎をもう一度見せていただこうと思いまして」
「あ・・・・」
その若い女性はしばらく考えてから返事を返してきた。
「わたしの一存では・・・・」
「そう。それではしかたありませんね。また寄らせて貰います」
ドアを閉めようとすると、その女性が山岸を引き留めた。
「あのう、刑事さん?」
「はい?」
「旦那様の書斎は、ずっと物置代わりになっていて、わたしがここで働き始めてから、一度も開けられたことがありませんよ」
「物置ですか・・・・」
「はい」
先日捜査に来たとき、ひどく汚れているなと感じたのはそう言うわけだったのかと山岸は思った。
「ま、しかし、もう一度調べてみたいので、奥様がご在宅の時にもう一度寄らせて貰います」
「かしこまりました。お伝えしておきます」
権藤又三郎の屋敷を出ると、ふたりは権藤精神科病院へ向かった。
病院の受付で用件を伝えると、事務長の白井が飛んできて権藤の部屋へ案内してくれた。院長室は非常に広く、中に一軒家が建ちそうなくらいだった。ふかふかの絨毯が敷き詰められ、壁には医学書らしい大きな書籍が整然とならんでいた。横文字なので何の本なのかさっぱり分からない。窓寄りにちょっと見たこともないような豪華な机と座ったら五十センチは沈んでしまいそうな大きな椅子がでんと置かれていた。
「机の中調べさせていただいてよろしいですか?」
「よろしいですけれども、変わったものはないと存じますが・・・」
白井はちょっと迷惑そうな顔をした。そんなことにかまっていたら、捜査などできない。
「おい、清水。引き出しの中を調べろ!」
「この前調べてますから、何もないでしょうけどね」
乗り気のしない調子で答える。こう言うところが刑事向きではないと山岸は思ったが、他人がいる手前言うのを留まった。
「いいから調べろ。何か見落としがあるかもしれん。注意してよく調べるんだ。事務長さん。隠し扉とか隠し金庫の類いは本当にないんでしょうね」
「この部屋の設計にはわたくしも関わっておりますが、そのようなものは一切ございません。院長がわたくしに内緒でお作りになっておれば別ですけれども・・・・」
「ふーん。本棚も調べておかねばならんが、これだけの医学書をひとつひとつ調べるのは大仕事だな」
「山さん、ちょっと」
机の引き出しのひとつを引き出したまま清水が呼んだ。
「どうした、何かあったか?」
「いえ、山さんどう思います。この前は気がつかなかったんですけど、この引き出しですけどね」
中には試供品の薬やボールペンなどが雑然と入っていた。
「別に変わったところはないじゃないか」
「良く見てくださいよ。ほら、奥行きが浅いと思いませんか?」
清水はその引き出しを押し込んで、下の引き出しを引き出した。そうしてもう一度疑問の引き出しを引いた。
「なるほど、ほかの所より、二十センチは浅いな」
「奥に何かあるみたいですよ」
引き出しを取り出して奥を覗いてみると、確かにパネルで仕切られた空間があるようだ。ただ、引き出し側に扉らしいものは見当たらない。
「開けるのはこちら側ではなさそうだな。清水、机の下に潜ってみろ」
清水は膝をついて机の下から覗き込んだ。
「山さん、小さな扉がありますが、鍵が掛かっているようです。鍵がないと開きませんよ」
「鍵か。どんなタイプだ?」
「いわゆる棒鍵というやつですね。そうだ山さん、確か左の引き出しの二番目か三番目にそれらしい鍵が入ってましたよ。ちょっと見てください」
「左の二番目か三番目だな。どれどれ、ちょっと待て。これは違うと。ああ、あった! これだな。おい、清水。開けてみろ」
山岸は清水に鍵を手渡し、一緒になって机の下を覗き込んだ。
「鍵穴に指しこんでと、ぐるりと回せば開きます。やった、開いた、開いた。山さん、中に何か入ってますよ」
「早く見せろ!」
「これです。日記帳のようですよ」
清水は、黒い革表紙の厚い日記帳を山岸に手渡した。
「どれどれ。間違いなく日記帳だ」
山岸は日記帳をパラパラとめくって何カ所かに目を通した。
「うーん、ほー。これは大変な代物だ。事務長さん、署に持って帰って調べたいので、お借りしてもよろしいですか?」
「どのような内容でございましょう?」
白井は日記帳を覗き込んだ。
「院長の女性関係に関する日記のようです。今回の事件は、女性が鍵を握っていると思われますから、この日記は重要な証拠になるでしょう。外部に漏らすようなことはしませんから、よろしいですね」
強い山岸の言葉に拒否はできなかった。
「院長のプライバシーが侵害されないようにご配慮いただければ結構でございます」
「清水、久方ぶりのホームランだぞ。よくやった」
山岸は清水の肩をポンと叩いた。
「山さんとコンビを組んで以来、初めて誉められましたよ」
これは事実だった。
「急いで、署に戻ろう。事務長さんお礼を申します。しばらくお借りします」
山岸は白井に頭を下げて権藤精神科を退出した。
「山さん、権藤という男は凄いですねえ」
「うん。参ったなあ。表面上はまったく女性関係は浮かんでこないのに、この日記に書かれたことが本当だとすると、ここ十五年間に関係を持った女は、百三人もいるな。年に約七人だ。凄いもんだ。一回しか出てこない女も何人かいるが、長くて十ヶ月だな。一年以上続いた女はまったくいない。最低ふたりは同時進行で、八年前には五人同時進行というのがある」
日記から抜き出した女性の名前を眺めながら、山岸は呆れていた。
「ほとんど日替わりですね。いいですねえ。ぼくもやってみたいな」
「ひとりもいねえくせに、何言ってんだよ」
山岸は清水のおでこを突いた。
「ぼくだって、恋人のひとりやふたりいますよ」
清水は頬を膨らませる。
「ほう、そうかい。そんなら、明日にでも紹介してもらおうじゃないか」
「あっ、いや。彼女いつも忙しいから・・・」
清水のトーンが下がった。
「やっぱりいないんじゃないか」
「いますよ。います」
「まあいい。さてと・・・・。去年は、四人の女が登場するが、今年は去年の最後に出会った女だけだな。ここ半年はこの女のことしか書いてない。この女が重要参考人だな」
「そうですね。権藤が殺された日にも会う約束をしているから、この女を見つけられたら、事件は解決するような気がしますね」
「そうとも限らんが、とにかくまずこの女を捜そう」
「山さん、Jだけでは分からないでしょう?」
「清水、おまえ、女の数だけ数えてて、内容を読んでないのか? この二日間いったい何を見てたんだ。ここをよく見ろ。初めて出会った日、藤並通り三丁目で女の車のパンク修理をJAFに頼んだとあるだろうが。閃かんのか?」
「パンク修理、パンク修理と・・・・。あっ、分かりました。JAFの方ですね」
「そうだ。日時と場所が分かっているから、日記の内容に嘘がなければ、女の身元が分かるだろう。JAFに電話して、藤並通りを管轄する営業所を確認して、電話を入れるんだ。ほら、ぼーっとしてないで早く電話しろ」
「はいはい、電話帳、電話帳っと」
確かにこの女が一番怪しい。ただ、これだけ多くの女とすべて円満に別れたとは到底考えられない。怨恨事件だとすれば、五年も十年も経って、急に殺そうなんて考えんだろう。このJという女だけではなく、ここ一,二年の間の女についても調べるだけ調べておいた方がいいかもしれないな。山岸はそう考えながら、清水が電話をかけるのを横で聞いていた。
「山さん、分かりましたよ。十二月二十二日、藤並通り三丁目でトヨタマークUのパンク修理をしているそうです」
「車両番号を確認したのか?」
「もちろんですよ。車両番号から、車の持ち主も調べておきました。神奈川県○○市××三丁目二−十三、トニー・オブライエン。外人さんですね」
「清水、トニーというのは、男の名前だ」
「あ、そうか」
「女はそいつの細君だろうな。よし早速出かけてみるか」
「昼飯はどうします?」
「途中で、ハンバーガーでも食えばいいだろう。行くぞ」
山岸は慌ただしくデカ部屋を飛び出していった。