遠くで電話の鳴る音がする。それほど大きくはない音だが、寝不足の山岸悟には堪えるほどの大きさだ。
(うるさいなあ、俺は眠いんだ。誰か出てくれ)
そう思いながら、山岸は、仮眠用のソファーベッドの上で寝返りをうった。壊れたバネがギギッと音をたてた。
電話のベルは鳴り続けているが誰も出ない。
(畜生、仕方がない。出てやるか)
起き上がりかけたとたん、誰かが受話器を取った。受話器を取ったのは、コンビを組んでいる後輩の清水源太郎だ。
(いるのなら早くでないか、馬鹿野郎!)
そう怒鳴りつけたい気分だ。しかし、大人げないと言葉を飲み込んだ。清水は緊張した面持ちで受話器に向かっている。
「はい、分かりました。海王ホテルですね。すぐ行きます」
何かまた事件だな、と思っていると、清水がバタバタと山岸の傍に走り寄ってきて大声で喚いた。
「山さん、殺しだ。殺し!」
「何、殺し?」
大慌ての清水とは対照的に、山岸はソファーベッドからのろのろと起きあがると、胸のポケットから煙草を取り出し火をつけた。
「現場はどこだ?」
「海王ホテルです」
「海王ホテル? ああ、あの連れ込みホテルだな」
吐き出したタバコの煙が清水の首のあたりで漂っている。
「やだなあ、山さん。連れ込みホテルだなんて。あそこはれっきとしたシティーホテルですよ」
「何がシティーホテルだ。聞いて呆れるよ。あそこは連れ込み、売春、何でもありのホテルじゃないか。おまえ知らないのか?」
煙を清水に吹きかけると、清水はこほんとひとつ咳をした。
「いや、噂は知ってますけどね。まあ、いいじゃないですか。とにかく行きましょう」
上着を片手にして、清水はせき立てる。
「分かった。どうせまた、男と女の痴話げんかの末の殺しだろう。殺したやつが現場で泣き叫んでいるんだろうな」
「山さん、それがそうでもないらしいですよ。とにかく早く来いって言ってました」
「へえ、そうかい。いつもそう言って、もったいぶった割りにはすぐにホシが出てくるんだがねえ」
山岸はぶつぶつ言いながら、清水のあとから覆面パトカーに乗り込んだ。
「えらく混んでるなあ」
目の前にある信号が二度ほど青に変わったけれど覆面パトカーは交差点を通過できなかった。
「夕方のラッシュ時ですからねえ」
急いで行こうと行った割には清水はのんびりと窓の外を眺めていた。
「何故サイレンを鳴らさないんだ?」
「ホテル側からの要請で、お客様が動揺するといけないからと言うんで」
「馬鹿ヤロー! 何がお客様が動揺するだ。ふざけんじゃねえ。おい、サイレンを鳴らせ。このままじゃあ、日付けが変わってしまう」
「いいんですか?」
「ホテルの傍まで行ったら、止めりゃいいんだ。俺が責任を持つ。早く鳴らせ」
「しょうがないなあ。ほんとに責任取ってくれるんでしょうね。ぼくは、知りませんからね」
「つべこべ言わずに早く鳴らせ! 俺はおまえほど気が長くないんだ」
「わかりましたよ」
清水はサイレンのスイッチを入れた。
結局パトカーはサイレンを鳴らしたままで、海王ホテルの玄関に横付けされた。ふたりがロビーに入っていくと、課長の北川が渋い顔をしてやってきた。
「山さん、困るじゃないか。サイレン鳴らさないで来てくれって言ったのに、伝わってなかったのかい?」
「課長、早いですね。いつ来ました?」
山岸は質問に答えず、逆に北川に尋ねた。
「わたしも今来たところだ。サイレンは? サイレン」
「俺は知りませんよ。ぜんぜん聞いとりません。ここで、殺しがあったから、早く来いとしか聞いとりませんよ」
山岸はすっとぼけてエレベーターへ向かった。
「怪しいもんだな。まあ、鳴らしてきたもんはしょうがない」
「こんなラッシュ時にサイレンを鳴らさないで来いっていうほうが無理な話ですよ。ところで課長、現場はどこです?」
エレベーターのボタンをカチャカチャと何度も押す。
「十九階だ。十九階の一九二二号室。鑑識がもう入っている」
「えらい上の方ですね」
「殺しに上も下もないよ。エレベーターが来た。山さん、さっさと乗った、乗った。清水! おまえもぼーっとしてないで早く乗れ!」
二人の会話をぼんやり突っ立って聞いていた清水は慌ててエレベーターへ乗り込んだ。
「おう、山さん。久しぶりだな。生きてたかい」
一九二二号室に入ると鑑識の後藤哲夫が山岸に片手をあげた。
「生きてたかはないでしょう、後藤さん。まあ、こき使われてぼろぼろですけどね」
「そうかね。その割には元気そうじゃないか」
後藤は山岸の胸をポンと叩いた。
「そんなことはないですよ。昨日も強盗事件で徹夜ですよ。この年になると徹夜は堪えますよ」
「何? 年だあ。そんな年でもなかろうに」
「四十も半ばですからね。後藤さんの方こそどうです、調子は?」
「ここんとこ、腰の調子が悪くてねえ。とくにこういう中腰は堪えるんだよねえ」
後藤は、両手を膝について中腰になり、部屋の中を眺め回した。
「定年はまだですか」
「馬鹿を言うなよ、山さん。こう見えても俺はまだ若いんだぞ。定年までには、まだ五年もある」
後藤は薄くなった頭を隠すようにして、山岸の軽口に応えた。
「はっ、はっ、はっ。随分後退しましたねえ。もう定年かと思いましたよ。ところでホトケさんはどこです?」
「どこ見てんだよ。どこを。ひとの頭なんぞ眺めてないで、ちゃんと見ろよ。ベッドの上だ。ベッドの」
山岸は後藤の肩越しにベッドの上を見た。
「ほう、素っ裸ですか。あれの最中に殺られたんでしょうね」
「そのようだな。凶器は果物ナイフ。胸骨上縁から入って、根元までぐっさりだ。おそらく気管が断裂し、大動脈を損傷しているだろう。もしかすると心臓に達しているかもしれん。ホトケさんは、気管を切られて声も出せずに絶命したと思うよ」
「大動脈を損傷している割には、あんまり血が出ていないようですね」
「ナイフを抜けば大出血するだろうが、刺さったままだ。恐らく返り血を浴びないためにナイフを抜かなかったんだろうな」
「ほう。ほかに外傷は?」
「ほかにはないようだな」
「しかし、凄いね。即死なんでしょう?」
山岸はベッドのそばに寄って、中腰になり被害者の首に刺さったナイフを見つめた。
「いや、少しは抵抗できたとは思うがね」
意外だという顔で山岸はヒョウと口笛を吹いた。
「で、死亡推定時刻は?」
「硬直の具合からして、午後1時から4時の間だろうね」
「午後1時から午後4時ですか? それじゃあ、幅がありすぎですよ。もっと狭まらないのですか?」
「解剖すればもう少し狭まると思うよ」
「解剖の結果を待つしかないのですね。で、ほかには?」
「ペニスに精液が付着している。ご推察のように、射精した直後に上に乗っていた女から刺されたんだろうね」
「なるほど。刺したのはお相手の女なんですか? たとえば第三者がいて、セックスが終わってボーっとしているときに刺したとかはないのですか」
「それもまずないな。ナイフの入った角度から見て、馬乗りになった位置から刺したのは間違いない。いくらボーっとしていたって、別の人間が馬乗りになるまで気づかないということはないだろう」
「それはそうですね」
「セックスの最中は完全に無防備だから、自分を害しようというような人物を同席させるはずもないな。セックスが終わったあと、女がドアを開けて第三者を部屋に入れるということも考えられないじゃあないが、どうだかねえ。やはり、相手の女に刺されたというのが、もっとも合理的だと思うがねえ」
「お説、ごもっともです。反論の余地がありません。で、遺留品はどうです?」
「それがねえ、ホトケの持ち物らしいもの以外何もないんだよ。髪の毛一本もない。目をさらにして探しはいるんだがねえ」
「何ですって! 何もない!」
山岸は目を見張った。
「そうなんだよ。何もないんだ。指紋も完全に拭き取られているし、バスタブも掃除されていて綺麗なもんだよ」
「バスタブが掃除されている?」
「そうなんだよ。シャワーを使った形跡があるんだが、証拠になりそうなものは何も残っていないんだ。排水溝の中まで掃除してある」
「じゃあ、ホシに結びつきそうなものは何も見つからないんですね」
「その通りだ。何もない」
「殺しの手口といい、プロの仕業ですかね」
素人の犯罪の場合、多少とも躊躇いが生じる。ナイフでひと突きなどと言うことは滅多にない。
「そうかもしれんが・・・・。まあ、発作的な犯行でないことは確かだろうけどね。判っているのは、犯人が女らしいということだけだ」
「女らしいというのは確かですか?」
山岸の問いに、後藤は一呼吸置いてから言った。
「ホモの男だというのか?」
「その可能性はどうです?」
「可能性は否定しないがねえ。最近多いからねえ」
「その可能性も一応頭に入れて捜査しましょう」
後藤は、さすがに山岸は捜査の達人だと心の中で思っていた。
「しかし、これほど遺留品がないと捜査のしようがないだろう?」
「そうですね。計画的な犯行でしょうからね、これは。まず、怨恨の線から攻めていきましょう。それにはホトケさんの身元が判らないとですね」
「そういうことだな」
「ホトケさんの持ち物はどうなんです?」
「クローゼットにスーツが入ってたんだがね、ホトケさんはかなりの金持ちのようだ」
「ほう」
後藤は手袋をはめた手でクローゼットを開いた。
「スーツは、イギリス製。超高級品の誂え品のようだ。ただ、ネームは入ってない。こんな高級品のスーツにネームが入っていないのはおかしいような気がするけどね・・・・」
「そうですね。このスーツですか。立派なもんですね。こんなのを着てみたいね。ふん、確かにネームがない。後藤さん、ホトケさんは何か良からぬことをやっている感じですね」
山岸は内ポケットあたりを調べてみて呟いた。
「そんな感じだな。内ポケットに財布が入っていたんだが、財布の中には札束がぎっしりだよ」
「いくら入ってたんです?」
「正確には数えてないが、四十万くらいじゃないか」
山岸は口をあんぐりと開けた。
「四十万! 俺の給料より多いじゃないですか。これは物取りの線はないですね。やっぱり怨恨ですね。で、ほかには?」
「名刺入れもあってね。本人のものらしい新しい名刺が入っていた」
「本人のものらしいって言う根拠は?」
「それ以外の名詞が入っていないからだ。他人の新しい名詞を持ち歩くなんてことはないだろう?」
「それはそうですね。で、その名刺に書かれている名前は?」
「名前は辻田徹。D医科大学付属病院外科、医学博士、助教授になっている」
「なるほどお医者さんですか、金を持ってるはずですね」
山岸は新聞に載っていた納税番付を思い出した。
「名刺に自宅の住所はないんですか?」
「残念ながら印刷されてないね」
「ほかには?」
そう尋ねると、後藤は頭をかきながら答えた。
「実はね。右の内ポケットの中に名刺入れがもうひとつ入っていてね」
「もうひとつですか?」
山岸はほうと言う表情を見せた。
「そうなんだ」
「何か手がかりになりそうなものがあるんですか?」
「それがだねえ、ちょっと問題なんだ」
「なんです?」
「3種類の名刺が入っているんだ。ええっとだなあ、山田哲郎、医療ジャーナリスト。それから権藤又三郎、医療法人清雲会権藤精神科病院院長。それに伊藤誠二郎、都立△△病院外科部長」
「貰った名刺じゃないんですか?」
「いや、どれも十枚前後新品が入っていた」
「ほんとですか。ちょっと見せてください」
山岸は後藤の手から名刺入れを奪い取って調べた。
「なるほど。貰った名刺じゃなさそうですね。四つの名前を持つ男か。どれが本名かな? どれも住所が印刷されていない。全部偽名かな?」
「ひとつひとつ確かめるしかないだろうな。ホトケさんの爪が極端に切りこんであるから、外科医って線が濃厚だね。お陰で爪の中には相手の皮膚なんかは残っていないようだ」
「外科医ねえ。そうなると、辻田か伊藤が本名だろうかねえ」
山岸は辻田と伊藤の二つの名刺を取り出して眺めた。
「山さん、外科医を偽って爪も切り込んだってこともあるんじゃないですか?」
清水が遠慮がちに意見を述べた。
「清水、良いこと言うじゃないか。このホトケさん、何か胡散臭いからな」
「おふたりさん、もうひとつ重要な情報だ。ホトケさんの指先からわずかだが消毒薬らしい臭いがするよ」
「消毒薬の臭いですか。そうなるとホトケさんは外科医はともかくとして、少なくとも医療関係者である可能性が高いかな」
「そうですね、名刺はみんな医療関係者ですよね」
「そうだな。清水。おまえの言うとおりだ」
そんなことはわかっているとばかり皮肉めいて山岸は言った。
「後藤さん、ほかにはもうないですか?」
「運転免許証でも持っててくれると助かるんだけどねえ。入ってないんだよ。ほかには領収書とか、身元を確認できそうなものは何もなしだな」
「ますます、おかしいな」
「そうそう、鞄があるよ」
「鞄ですか?」
「そう。窓際の椅子の陰に置いてあった。中身は日本外科学会誌の今月号。外科手術書。医学関連の文献らしいコピーが三通」
「外科手術書ねえ。本物の外科医がそんなもの持ち歩きますかねえ。ほかのものも、どうも外科医らしく見せるための小道具みたいですね」
山岸の意見に後藤は頷く。
「山さん、医療関係者を装った詐欺師じゃないですか? 女が絡んでいるから、結婚詐欺師。スーツにネームが入っていないのはそのせいじゃあないですかねえ。女は医者と言う肩書きに弱いから。それがばれて殺されたってのはどうです」
自信満々に清水は言った。
「まあ、可能性はあるな、清水。後藤さん、それだけですか?」
「携帯電話が入ってたよ」
「携帯電話ですか。それを調べれば、すぐに身元が分かりますね、山さん」
「清水、考えが甘いぞ。可能性は高いが、四つも名前を持っているんだ。携帯を本名で登録しているかどうか分からんぞ。とくにおまえが言うように詐欺師だったらな」
「それじゃあ、確実な手掛かりはひとつもないですね。全部当たるしかないのかあ。何かほかにいい手掛かりはありませんかねえ」
「何贅沢言ってんだよ。これだけ手掛かりがあれば充分だろう」
「そうですね。署に帰ってさっそく調べましょう」
「後藤さん、ほかにはもうないね」
「ないようだね。ホシの手掛かりはまったくなし。ホトケさんの手掛かりも確実なものはなし。参ったね。とにかくもう少し調べてみる。新しいものが出てきたら連絡するよ」
「お願いします。清水! 携帯の番号は控えたな。フロントに降りるぞ」
清水の返事を待たずに山岸はドアの方へ向かった。
山岸はロビーのソファーに腰掛けてフロントマンから事情を聴取していた。
「今日は朝からあなたがフロントにいたんですね」
「はい、そうです。峰と申します」
峰と名乗ったホテルマンは、山岸より少し年上であろうか? 白髪頭をきっちり七三に分け、ぱりっとしたスーツを着こなしている。緊張のせいで少し顔が青ざめているようだ。このような男の口から出る情報はかなり正確だと山岸は思っていた。
「峰さんですね。事件のあった一九二二号室を借りていた男の名前を教えて貰えますかね」
「お名前は青田健次郎さま。住所は葛飾区柴又になってございます。本日午後一時にチェックインなさいまして、明朝ご出発の予定でございました」
「山さん、五つ目の名前ですよ。どうなってんですかねえ」
手帳にメモをとりながら清水がぼやくように言った。
「そうだな。峰さん、電話とか伝言の類いはなかったですか?」
「何もございませんが、午後五時にお部屋にコールするように仰せつかっております」
「午後五時にねえ」
「なんでも、午後六時から会合にお出になるとのことでございまして、眠り込んで遅れるとまずいとのことでございました」
「六時からの会合ですね」
「はい。そうおっしゃっておられました。指定されました午後五時にコール致しましたけれども、どなたもお出になりませんので、お部屋に直接伺ってみましたところ、モーニングコール用の時計のベルが鳴り続けておりまして・・・・。お部屋のキーはフロントに戻されておりませんし、お出かけになられた様子もありませんので、不審に思いましてやむなくお部屋を開けましたところ、あのような状態になっておりますのを発見した次第でありまして・・・・」
「なるほど。挙動がおかしい人物は見かけなかったですか?」
「はあ、とくにはございません。当ホテルはフロントをお通りになりませんでも、お部屋に出入りが出来ますもので」
言いにくそうに峰は答えた。
「それが売りのホテルでしょうからね。で、ほかに何か気づいたことはありませんか?」
「お車のキーを預かってございます」
「やった、山さん。手がかりがひとつ増えましたね」
清水が飛び上がった。
「そうだな。キーを見せて貰えますか?」
「これでございます。お車までご案内致しましょうか?」
「お願いしますよ」
山岸と清水は、峰に案内されて地下にある駐車場へと向かった。階段は薄暗く、ひんやりとして澱んだ空気で息が詰まりそうだった。地下室に通じるドアを開けると、今度は排気ガスで息が詰まりそうだった。
「山さん、車のキーはベンツのものじゃないですか?」
「そのようだな」
「ベンツなら、偽名ということは少ないでしょう」
「そうだな。俺もそう思う」
「このお車でございます」
角に駐車されているベンツを峰が指し示した。
「この車か。ベンツの中でも最高級車だな。こんな車に乗ってみたいね。俺たちの給料じゃ、絶対無理だがね。ええっと、品川35 な××ー××と。この車を偽名で持つやつなんぞ、そうおらんだろう。これが一番の手がかりだろうな? 清水」
「そのようですね」
「あのう、山岸さんという刑事さんはこちらでしょうか?」
若いホテルマンがドアを半分ほど開いて顔を覗かせて、三人に向かって大声で怒鳴った。
「ああ、俺だ」
山岸は手を挙げて応えた。
「一九二二号室の後藤様から、フロントにお電話が入っております」
「後藤さん、何か見つけたな。フロントですね。すぐ行きますよ。清水! 先に上がるから車検証と車の中に何か手掛かりがないか調べておけ」
「了解しました」
山岸は階段を駆け上がって、フロントの電話を取った。
「はい、山岸です。何か見つかりましたか? えっ、携帯が鳴った? なになに、なるほど。分かりました。それで、来るんですね。じゃあ、フロントで待って、一緒に上がりますから。はい、それじゃあ、のちほど」
「山さん、どうしたんですか?」
清水がのんびりとした表情でフロントにやってきた。
「何だ、もう上がって来たのか? 鞄の中にあった携帯電話がなったそうだ。権藤精神科病院の事務長かららしい。院長の権藤又三郎が午後六時からの会合に顔を見せないから心配して携帯に連絡を入れてきたんだそうだ。事情を説明したら、すぐに確認に来るそうだ。おまえの方はどうだった?」
「車検証と一緒に免許証もありました。車検証の名義は権藤精神科病院、免許証の名前は権藤又三郎でした。顔写真もホトケさんに間違いないようです」
「これでホトケさんの身元は決まりだな」
ロビーのソファーでふたりが犯人像について討論をして三十分もしたころ、頭に毛らしい毛のない六十前後の背の低い男と、心配そうな顔をした三十くらいの若い男がフロントに現れた。
「権藤精神科病院から参りました。白井と申します。院長は、院長はどちらでしょうか? こちらにいると伺ったんですが」
「あ、ちょっと失礼。新宿西署の山岸といいます。白井さんとおっしゃいましたね」
山岸は立ち上がって男たちのそばに駆け寄った。
「はい、権藤精神科病院の事務長をさせて頂いております。うちの院長が事件に巻き込まれたと電話で伺いましたので、急いでやってまいりました。院長はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」
「ご案内いたします。われわれに付いてきて頂けますか?」
「分かりました。おい、西田。ご挨拶しないか!」
「西田といいます。病院の総務をさせて頂いております」
西田というその若い男は、直立不動で、こちこちに緊張している。
「そう硬くならなくてもいいですよ。確認をして頂くだけですから。ただ、ちょっと状況が状況だけに、びっくりなさらないようにお願いします」
「どう言う状況なのでしょうか?」
「まあ、部屋に行ってみれば分かります」
鑑識は部屋を閉め切って行われていた。山岸はドアをノックした。
「後藤さん、権藤精神科病院の事務長の白井さんが見えたから、お連れしたよ。入っても良いかな?」
すぐにドアが開いて後藤が顔を出した。
「お疲れさん。もう鑑識は終わったから、そのまま入って頂いていいよ」
山岸は、ベッドに近づくと、死体に掛けられたシーツを剥ぎ取った。
「白井さん、この遺体は、お宅の院長に間違いありませんか?」
「い、院長! 何と言うお姿で・・・・」
白井は、ベッドのそばに膝をついて唖然として死体を見た。
「権藤又三郎さんに間違いありませんね」
「は、はい。うちの院長です。どうしてこんなことに・・・・」
「今、調べを進めているところです。事情を伺いたいので署までご足労願えますか?」
「はあ、承知致しました」
「死因の詳しい解明のために、権藤氏のご遺体を司法解剖に回します。ご家族にはこのような姿はお見せにならん方がいいでしょう」
「そうでございますね。ご遺体はいつお返し願えますか?」
「特別のことがなければ、一両日中にはお返しできるでしょう」
「明後日ですね」
白井はハアと溜息をついた。
「そうですね。ご家族には白井さんの方からご連絡願えますか? それから、できればご家族の方にも事情をお聞きしたいのですが」
「承知致しました。わたくしの方から連絡致します。直接新宿西署に伺えばよろしいですね」
「いや、こちらから伺います。そうですね。今午後七時ですから、午後九時ころ伺うとご連絡下さい」
「午後九時ですね。分かりました」
「申し訳ありません。じゃあ、連絡の方、よろしく。後藤さん、ほかに新しい手掛かりはなかったですか?」
「ないねえ。さっき話した情報がすべてだ」
「そうですか。お疲れさんでした。解剖の結果が出たらできるだけ早く送ってもらえるように手配しといてください。お願いします」
「分かってるよ。じゃあな」