西岡ケイとしての記憶が戻って、記憶の空白が埋められたことにより、洋子は少し安堵していた。生まれた時から現在までの記憶が連続し、現実味を持って感じられるようになったからだ。
ただ、自分が本当は男だったという自覚はまったくなく、西岡ケイの記憶があるのにもかかわらず、洋子は生まれた時から女だったと思っている。女として生きることに躊躇いも不安もなく、むしろ喜びを感じていた。
トニーはどんな要求にも応じてくれる洋子を愛していたが、どこか醒めたところがあった。それはトニーが洋子と結婚したのが、日本国籍を取るのが目的で、洋子とのセックスは二の次だったからだ。
しかし山岸は違った。あんな経緯があったが、洋子を心から愛した。長い放浪の末に、理想の女に巡り会ったと感じていた。
洋子の方も女として山岸の愛に応えていこうと思っていた。西岡ケイとしての記憶も権藤を殺した記憶も心の奥底に閉じ込めて。
山岸は、DNA鑑定の結果の入った封筒を手にしていた。結果が怖くてあけるのが躊躇われた。しかし、山岸は封筒を開いた。
山岸が退職届を出したあと、鑑識の後藤から連絡が入った。権藤の陰部から権藤のものとは違う陰毛が見つかったと。山岸はその一部をもらい受け、ある人物の陰毛と比較して貰うためにDNA鑑定に出していたのだった。
判定は、九十九パーセントの確率で同一人物のものであるという結果であった。やはりそうだったかと山岸は愕然となった。
判定して貰った陰毛は、今は山岸の妻となった洋子から抜け落ちたものだ。洋子が権藤を殺すには時間的にはやや無理があり、権藤が殺されるほかの原因があったことから、洋子にかかっていた殺人の容疑は消えていたのだが、山岸はやはり疑っていた。やってやれないことはないし、他には容疑者が浮かんでこなかったからだ。
DNA鑑定の結果、あの日、洋子が権藤とベッドを共にしたのは揺るぎないものとなった。となると、時間的に見て権藤を殺したのは洋子だと結論された。。
しかし、山岸はその事実を公にするつもりはなかった。洋子が何故権藤を殺さねばならなかったのかも聞くつもりもなかった。山岸は洋子を愛していた。洋子を失いたくはなかった。
山岸はDNA鑑定の書類の端に火を付けて燃やした。灰皿の中で灰になっていく書類を見ながら山岸は思った。これでいいのだ。妻を守るのが夫の役目だ。DNA鑑定の結果は、山岸の記憶の底に閉じこめようと。