第十四章



 権藤精神科の開放病棟にある個室の中で、若い女性患者が、ベッドの上に正座して落ち着きのない態度で部屋の入り口を見ていた。
 (もうすぐ大好きな院長先生がやってくる。わたしは院長先生が大好きだ。婦長さんに、明日退院だといわれた。院長先生と別れるのがつらい。今日は院長先生の最後の廻診だ)
 二人の看護婦、白髪頭の医者とともに白衣を着た権藤又三郎が部屋に入ってきた。
 「やあ、元気かい。君のお名前は?」
 権藤は緊張しているその女性患者に語りかけた。
 「洋子です」
 「何洋子だったかな?」
 「藤木洋子です」
 彼女はにっこり笑って答えた。
 「おとしはいくつだったかな?
 「もうすぐ二十三歳です。院長先生、どうしてそんなこと聞くんですか?」
 「お父さんとお母さんの名前は?」
 「院長先生、もうそのことは聞かないといったのに・・・・」
 藤木洋子はうつむいて涙を流し始めた。
 「ごめん、ごめん。もう聞かないよ。悲しい出来事だったからね。だけど、もう大丈夫だよ。明日から君は独りぼっちじゃない。君を好きだと言ってくれる男のひとが来てくれるよ」
 「洋子は院長先生が好きです。大好きなんです。ほかの男のひとなんて好きになれません」
 彼女は悲しそうな目を権藤に向けた。
 「会ってみれば分かるよ。わたしが推薦するのだから間違いないよ。明日退院したら、会いに連れていってあげるからね」
 「院長先生が推薦してくれるのなら、洋子、会います」
 せいぜいの笑顔を権藤に向けた。
 「お洒落をしていかなくちゃね。洋子ちゃんはお化粧は上手だから良いけど、髪の毛を何とかしないとね。今日の午後、看護婦さんと美容室に行ってきなさい。服はわたしが退院祝いに可愛いものを買ってあげよう。明日、持ってきてあげるからね」
 「わあ、嬉しいな。明日が楽しみだな」
 彼女に完全に笑顔が戻った。
 「退院してもお薬、きちんと飲むんだよ」
 「はい、分かってます。毎日欠かさず飲んでます」
 「それでいい。じゃあ、洋子ちゃん、また明日ね。バイバイ」
 「バイバイ、院長先生。大好きよ」
 彼女は、権藤の出て行ったドアをいつまでも見つめていた。


 藤木洋子の病室から出ていきながら、白衣を来た権藤よりやや若い男が権藤に話しかけた。
 「凄いじゃないですか。権藤先生。信じられませんよ。どうやったんですか?」
 「部屋で話そう。おい、婦長! 院長室にお茶を二つだ」
 「かしこまりました」
 看護婦たちが立ち去っていくと、権藤は話を続けた。
 「企業秘密だ。これは」
 「こんなことが可能なんですね?」
 権藤は院長室のドアを開いて男を招き入れてドアを閉めた。
 「むかし、ナチスドイツでやられたことがあると聞いたことがあるが、わたしがやったのは初めてだよ。理論的には可能だとは思ったがね。ま、座ってくれたまえ」
 二人は向き合ってソファーに座った。
 「完全に自分を藤木洋子だと思い込んでいますね」
 「いや、思いこんでいるだけではなく、彼女はいまや藤木洋子そのものだよ」
 「そうなんですか?」
 「ああ。ただ、こうなるまでには苦労したんだよ。毎日毎日、彼女の記録を読んで聞かせたから、暗記できたくらいだよ」
 「それを自分の記憶だと思いこませるのですね」
 「そうなんだが、そこのコツが難しい所だ」
 「なるほど、そこが企業秘密の部分ですね。ところで、前の記憶はどうなっているんですか?」
 「強い暗示を掛けて出てこないようにしてあるから、おそらく死ぬまで思い出せんだろう。わたしがもう一度暗示を掛けなおせば別だがね」
 「へええ、それじゃあ、完璧ですね」
 「わたしの自信作だよ」
 権藤はにやりと笑った。コンコンとドアがノックされた。
 「入れ」
 「お茶をお持ちしました」
 「そこに置いていってくれ」
 若い女の子が、テーブルの上にお茶を置いた。そのちょっとした隙に、権藤はその女の子のお尻をサッと撫でた。
 「院長!」
 「今晩、マンションで待ってろ」
 女の子は、若い医者の方を見てから、決まり悪そうに頭を下げて出ていった。権藤と関係があることを知られて恥ずかしかったのだろうと若い医者は思った。
 「権藤先生、なかなか趣味がいい」
 「そうだろう? なかなかの名器でな」
 「ほう。ところで、話の続きですが、本物の藤木洋子がいましたよね。彼女はどうなっているんですか?」
 「彼女は残念ながら回復の見込みはない。人格が完全に崩壊している。治療の見込みはまったくない。生ける屍だよ。彼女は」
 「どうするんですか?」
 「彼女は西岡ケイとして入院を続ける」
 「病院関係者は知っているんですか? 知ってたら秘密が漏れませんかね?」
 「性転換手術のあと、ふたりを入れ替えておいたんだがね。そのことは、三人の看護士とわたししか知らんのだよ。看護士のうちのひとりは半年ほど前に事故で死んだ。ほかのふたりには忘れてもらった。もう知るものはいない」
 「本物の藤木洋子は女で、あの彼女のカルテは男でしょう。不審に思われませんかね?」
 「西岡ケイのケイは漢字で恵と書くんだ。注意してなければ、女の名前だと思ってしまうよ」
 「そうなんですか」
 「それに本物の藤木洋子は男か女か陰部を見ないと分からんような容貌をしているからな。まあ、精神病院に入院している患者の本当の性別を調べるような酔狂なやつもいないよ」
 「偽者と言うか、先生の自信作の藤木洋子はどうなさるおつもりですか? あんな美人を、勿体ないですよ」
 「君にあげようか?」
 「い、いや、結構です。そんな趣味はありませんから」
 「彼女はいいよ。並みの女よりずっといい。感度も良いし、あの声がいい。スタイルも抜群だし。毎日セックスさせていた看護士たちの話を聞いて試してみたら、病みつきになってしまってね」
 「そんなにいいんですか?」
 「ああ。最高だね。感じてきたら、締まる締まる」
 「締まる? ほんとですか? そんなに締まるなんて信じられないな」
 「ほんとだよ」
 「締まるどころか、放っておいたら狭くなったり、浅くなったりするものなんですけど、無理矢理性転換したのに、彼女、よく自分で腟拡張しましたね」
 権藤は不敵な笑いを浮かべた。
 「なんのために毎日看護士たちに犯させたと思ってるんだ?」
 「ええっ! ・・・・じゃあ、腟拡張の代わりに?」
 「その通りだよ。毎日時間を決めて3回セックスさせたんだよ。本物のペニスを使った腟拡張。合理的だろう?」
 「は、まあ」
 「もちろん、どこの馬の骨だかわからん孤児の癖して紗織の処女を奪ったあいつに、屈辱を与えるためでもあったんだがね」
 「そうなんですか。すると、彼女は今や完全な女性というわけですね」
 「そう。ただの女性と言うだけではなく、清純な娼婦といったところだな」
 「清純な娼婦?」
 「見かけはまるで処女だが、ことセックスに関しては男の要求を完全に満たしてくれるんだよ。フェラチオもうまいし、アナルセックスだってオーケーだ。看護士たちがよほど鍛えたらしい」
 「男にとって理想的な女というわけですね」
 「うん、まさにその通りだな」
 「先生、退院させて囲う積もりですか?」
 「初めはそのつもりだったんだが、今お茶を運んできた娘もいるし、彼女を洗脳するために病室に行くたびにやっていたから、もう飽きたよ。半年間、ほとんど毎日だったからね」
 「先生も好きですね。彼女、先生とのことは覚えてないんですか?」
 「忘れさせた」
 権藤はアッケラカンとして言った。
 「忘れさせた?」
 「そう、わたしとのことは思い出せんはずだ。本当の記憶と同じでね。看護士たちも同じ手を使って彼女の事は忘れさせた」
 「あっ。それじゃあ、さっきふたりを入れ替えたことを忘れさせたと言ったのはそういう意味だったんですね。先生もワルですね」
 「君に言われたくないね」
 「そうなると今後は彼女をどうするんですか? 明日、退院させるんでしょう? 確か藤木洋子という女は身寄りがないと言ってましたよね」
 「最近、例の取り引きで知り合ったトニー・オースティンという男がいてな。日米を行き来するために、日本人妻を欲しがっているんだよ。彼に紹介しようと思っているんだ」
 「外人ですか。彼女は美人だからきっと気に入られるでしょうけど、彼女がその気になりますかねえ」
 「もう分かっても良いはずだよ。君も医者の端くれだろうが。彼女には、オースティンに会ったとたん恋に落ちるように暗示をかけてある」
 「はああ、なるほど。それなら大丈夫ですね。でも彼女は男でしょう? 婚姻届が出せないでしょう」
 「戸籍は藤木洋子のものを使うから、婚姻届を正式に出せるよ」
 「そうか、そうですね。しかし、オースティンが生理がないことに不信を抱きませんかね?」
 「病気のせいで、メンスがなくなって子供はできないと言ったら、子供は嫌いだからその方がいいんだとさ。日本人妻ができて、セックスさえできればいいようだ」
 「それは、好都合ですね。彼女の方には何と説明してあるのですか?」
 「流産したことが原因で、子供はもう二度とできないと吹き込んである。病院に行っても絶対良くならないと、これは強い暗示を掛けてある。婦人科なんぞに行かれら、堪らんからな」
 「確かに婦人科に行かれたらばれますよね。オースティンが気づくということはないですかね?」
 「君は彼女と寝たことがないから分からんだろうが、彼女が男だったと言っても誰も信じやしないよ」
 「へええ、そうなんですか」
 「君がやったんじゃないか。性転換手術を」
 「そりゃそうですけどね。こんなにうまくいくなんて思ってもみませんでしたよ。確かに時間はたっぷりありましたから、縫い目も分からないように完璧にはしたつもりですけどね」
 「完璧だよ。君の腕は大したものだよ。さっきも言ったが、機能も完璧だからね」
 「へええ。それなら、またやってみよう」
 「そんな患者がいるのかね」
 「日本では性転換手術は合法化されていませんけど、結構希望者がいるんですよ。極秘に手術して欲しいって言う希望者がね。いい収入になるんですよ。海外に行くより安くあがるし、何よりアフターサービスの心配をしなくてすむますからね」
 「そうかね。何を好きこのんで女になりたいのかねえ。理解できんね、わたしには。わたしは男の方がいいと思うけどね」
 「そうですよね。ところで、ぼくは外陰部しか触っていませんけど、胸には何か手を加えたのですか? 結構大きいみたいですけど」
 「彼女の自前だよ。女性ホルモンを投与していたら、みるみる大きくなってな」
 「自前ですか? ほう、大したものですね。あんなには大きくならないと聞いているんですけどね」
 「わたしには分からんが、体質だろうね」
 「一度寝てみれば良かったかな」
 「興味があるかね。退院は明日だ。今からでも遅くないよ。どうだ? 今晩あたり。便宜を図るよ」
 「いえ、やっぱり止めときます。いろいろ知ってるからその気になりませんよ。ところで、ホルモンの投与はどうするんですか?」
 「以前は気づかれないように食事に混ぜていたんだが、洗脳がうまくいき始めてからは治療の薬だと言ってカプセルで飲ませている。飲まないと病気が再発すると言ってね」
 「ふんふん。で、この先はどうするんですか?」
 「この病院と関係のないエージェントから定期的に彼女のもとに送られる。彼女が死ぬまでね。飲み忘れがないように、飲まないと一日が始まらないようにこれも暗示をかけてある」
 「周到ですね」
 「もちろんだよ。綿密な計画を立て、ひとつひとつチェックしながら事を進める。ただし、時には大胆にね。この病院を大きくできたのもそういうやり方のお陰さ」
 「彼女、この先どうなっていくんですかね? 興味が沸きますね」
 「その意見にはわたしも同感なんだが、事が露見する危険を考えて、この先は接触しないようにしようと思っているよ」
 「貴重な症例なのに、勿体ないような気がしますけどね。性転換されて、女と思いこまされた男がどうなっていくか。是非知りたいものですね」
 「公にできるものなら、わたしもそうしたいがね。そんなことは絶対できんからな」
 「そうですね」
 「いいか、このことは絶対漏らすなよ。ばれたら、ふたりとも医学界から追放ものだよ」
 「分かっております。うはははは」
 「はっ、はっ、はっ」
 二人の笑い声が院長室に響いた。


 院長先生や看護婦さんに見送られて五年ぶりに退院した。院長先生と別れるのがつらくて声を上げて泣いた。お薬さえ飲んでいれば、もう病院に二度と来なくていいと言われた。院長先生に会えなくなるのは悲しいけれど、病気が治ったんだから仕方がない。こんなに元気になれたんだもの。
 院長先生から退院祝いに頂いた小さな花柄の入ったとっても可愛いワンピースを着て、一生懸命お化粧をして、パーマを掛けてふわふわになった髪にワンピースと同じ柄のリボンをつけて、院長先生が紹介してくださったトニー・オースティンさんに会いに行った。
 彼に会ったとたん、わたしは彼の虜になった。ハンサムで優しいひと。初めてのデートでホテルに連れて行かれたときはビックリしたけれど、何度も何度も愛してくれて、わたしを夢の世界につれていってくれた。治ったとはいえ、精神病院から出たばかりで、暗い過去があって、子供もできない体だと打ち明けたのに、それでも良いから結婚してくれと言われた。ほんとにいいのかしら、こんなに幸せで・・・・。
 でもどうしてかしら。あんなに大好きだった院長先生の顔をどうしても思い出せない。何故なのかしら・・・・。こんなに好きなのに。
 いえ、もう院長先生のことは忘れて、トニーを愛さなくちゃ。トニーの愛に応えなくちゃ。

 西岡恵は、権藤又三郎の手によって、西岡恵としての記憶を完全に封じ込まれ、藤木洋子という女性の記憶を埋め込まれて、トニー・オースティンと言う米国籍の白人と結婚させられてしまった。権藤の思い通りに、娘・紗織の処女を奪った男・西岡恵は、この世から消されてしまった。
 看護士たちの手によって、一日たりとも男なしでは生きていけなくなってしまった西岡恵こと洋子は、精力絶倫な夫・トニーによって毎日性的な満足を得ていた。
 洋子が西岡恵としての記憶を取り戻すことはなく、その洗脳は一生続くものと思われた。