第9章 出会い

 岡野小百合は、今度も上野が丘高校の男子生徒を捕まえた。1年生で、岡本健次郎と比べれば、そんなにいい男でもないし、背もそう高くなかった。
 「とっても優しいし、何よりわたしを大切に思ってくれるの」
 名前は佐藤真一というらしい。性的関係はまだないとぼくに告白した。実際にその佐藤真一に会ってみると、まだ性的なことに興味を示すほど大人になりきっていないと言う雰囲気だった。ただ、誠実ないい人だという印象を与えた。
 「そうでしょう? 若菜。あなたにも真一みたいないい人を紹介するわ」
 「いいわよ」
 「真一の友達なら、絶対大丈夫だって」
 「男はもうこりごり。結構よ」
 「会うだけ会ってみてよ」
 「駄目。金輪際男とは付き合わない。そんな話しは、もう持ってこないで!」
 「勿体ないなあ」
 ぼくが頑なに拒否するものだから、岡野小百合もその後は話しを持ってこなかった。

 ぼくは勉強にすべてを打ち込み、上野が丘高校に進学した。上野が丘高校は、大分では屈趾の進学校で、両親はもろ手をあげて喜んでくれた。
 「ひとつ年上の人たちを相手によく頑張ったわね」
 「3月生まれの人は4月生まれの人を相手に頑張っているんだもの。同じことよ」
 ぼくはすまして、そう答えた。

 中学でいい成績を上げていても、選りすぐりが集まってくる高校では、そう易々とはいい成績が取れなかった。頑張ってはいたけれど、ぼくの成績は中の上と言ったところだった。いくら頑張っても、伸びない成績に、ぼくは少し諦めかけていた。高校で仲良くなった女友達と暇を見つけては遊び回るようになった。勿論文字通り遊ぶだけだ。
 「若菜。髪の毛が少し赤いんじゃないか?」
 食事中に箸を止めて、お父さんがぼくの髪の毛を見ながら言った。
 「昔からよ。お母さんだって、少し赤いでしょう?」
 「そうだな」
 お父さんは、ぼくの言うことは疑いもせずに信じてくれる。だけどホントはヘアカラーで染めていた。ピアスの穴も開けて、外出するときには、可愛い花びらのピアスをしていた。お母さんは気づいているようだけど黙っていた。
 お母さんが黙って見逃してくれていたのは、女の子だったら当然興味を示すものに、ぼくが目を向けていたからだ。ぼくはホントに女の子じゃない。だけど、できるだけ女の子に近づけるように、お母さんは協力してくれていたのだった。
 髪の毛を染めたり、ピアスの穴を開けたりするのは、どうも麻疹みたいなものだったようで、高校3年になるときには飽きてしまって、ぼくは再び勉強に打ち込み始めた。

 男はこりごりだと思っていたのに、生徒会の執行部で知り合ったひとつ年下の男の子と付き合い始めた。
 ぼくは両親が背が高いせいか、男だったせいか、女としては背が高い。166センチある。ぼくが付き合い始めた野村祐樹は170センチだった。ほんとは169.5センチらしいけど、彼の名誉のために170センチということにしてある。
 制服姿の時は、野村祐樹の方が高く見えるけれど、私服でデートするとき、ちょっとヒールのある靴を履くと、ぼくの方が高くなってしまう。もう少し背が高い人の方がよかったかなと思ったけれど、ぼくは野村祐樹のことを好きになってしまっていた。だから、そんなことはどうでもよかった。ただ、野村祐樹はちょっと気にしているようだった。
 付き合うと言っても、ぼくと野村祐樹とは、まるで同性の友達のような関係で、一緒に勉強したり、おしゃべりをするだけだった。
 卒業式の日、初めて野村祐樹とキスをした。松田修としたときとは、雲泥の差があった。甘くて、胸がキュンとなった。男のぼくが男に恋するなんておかしいのかもしれないけれど、自然な気持ちで野村祐樹のことを好きだと感じていた。ぼくは、気持ちの上ではもう女そのものになっていた。

 3年になって頑張ったおかげで、お父さんと同じ薬学部に合格した。野村祐樹と離ればなれになるのはつらかったけれど、毎日電話するからと言われて、電車の窓から野村祐樹に向かって手を振った。約束通り、野村祐樹は毎日電話をかけてくるか、Eメールを送ってきた。
 野村祐樹は一年遅れで、ぼくと同じ大学の工学部へ進学してきた。いつもそばにいられる。ぼくは嬉しくて舞い上がった。
 大学生になった野村祐樹は、高校生の時と違って、積極的になっていた。会うたびにキスをされ胸を揉まれた。だけど、イヤじゃなかった。それだけじゃなくて、もっと先まで行って欲しかった。
 「暗いところだったら、ばれないよね」
 ホントは男だと言うことを隠して、抱かれるなんていけないと思いながらも、野村祐樹に抱かれたいという思いが募るばかりだった。
 そんなぼくの思いとは裏腹に、野村祐樹は最後の一線を決して越えようとはしなかった。ぼくはさりげなく迫ることにした。
 「祐樹。昨日で生理が終わったんだけど」
 さりげなくもなかったかな? 野村祐樹はぼくを見つめて答えた。
 「ホントの所を言うと、ぼくは若菜を抱きたい。だけど、若菜のことを、ぼくの性欲のはけ口としてじゃなくって、人生のパートナーとして大切にしたいんだ。卒業するまで待とうよ」
 「人生のパートナーって」
 「卒業したら、結婚して欲しい。いいだろう?」
 野村祐樹は、ぼくのことを心から大事に思っていてくれる。ぼくの目に間違いがなかった。嬉しくて涙が出た。
 だけど・・・・。
 ぼくはホントの女じゃない。そのことは打ち明けられない。打ち明けられないけど、こどもができないことだけは知らせておかなければ。そうでなかったら、野村祐樹の愛を完全に裏切ることになる。
 「・・・・祐樹。実は、あなたに打ち明けておかなければならないことがあるの」
 「なんだい? 打ち明けなければならないことって」
 「・・・・わたし・・・・、わたし、こどもが産めないの」
 「はあ? どうして?」
 「・・・・こどもの頃病気をして、こどもを産めない体になってしまったの」
 「こどもを産めない体に・・・・」
 「結婚はできても、赤ちゃんを産んであげられないの」
 「そうか・・・・」
 野村祐樹の顔に落胆の色がありありと見えた。ぼくたちの愛は終わった。それを痛切に感じた。
 思った通り、その日以来、野村祐樹は、ぼくと会おうとはしなかった。悲しかったけれど、ぼくはホントは男なんだから、それを隠して結婚しようなんて思ったことがそもそも間違いだと気づき、それ以上涙を流すのは止めた。

 別れてからも、野村祐樹のことを時々思い出す。ぼくを愛してくれたから、簡単に体を要求しなかった。愛の結果としてのこどもが欲しかったのに、それができないと分かって、別れてしまった。ぼくがホントに女だったら、ぼくは絶対野村祐樹と結婚している。
 思い出すたびに涙が出た。

 夏休み入ってすぐ、マンドリンクラブのメンバーでキャンプに行くことになった。
 「男が少ないから、俺が調達してきた」
 部長をしている伊東努が、集合場所で3人の男子学生を紹介した。
 「向かって右から、田中益雄、和泉和夫、青柳一郎。みんなよろしくな」
 「体格いいのね」
 「みんなワンゲルなんだ」
 「どうりで」
 3人とも、いかにも山男という感じだった。和泉和夫がぼくの好みだなと思ったが、野村祐樹と別れて直後でもあり、そんなこと考えちゃいけないと頭を振った。
 テントを張ったりする力仕事は男子学生がやってくれる。ぼくたちは、夕食の準備をした。自慢じゃないけど、ぼくは料理は上手いと思っている。お母さんに鍛えられたせいだ。
 お母さんは、中学生の頃から、女としてのたしなみを徹底的にぼくに叩き込んでくれた。だから、こどもを産むこと以外のことなら何でもできた。
 最近のキャンプでは定番の焼き肉を食べながら、車座になって自己紹介することになった。
 「俺のことはみんな知ってるからいいな」
 伊東努が立ち上がって言う。伊東努は、禿げてないそのまんま東に似ている。
 「何にも知りません」
 と、ぼく。
 「中川、おまえなあ・・・・。まあいいか、じゃあ俺から。伊東努。経済学部4年、23歳。独身」
 「23って、留年したの?」
 「あ、一年な」
 「それでも計算が合わないわよ」
 「浪人もしてる」
 「バツ2だあ」
 そんなぼくに言葉に全員大笑い。伊東努はむすっとして、ぼくを睨んだ。
 「出身は?」
 「愛媛県宇和島市」
 「趣味は?」
 「ギター演奏」
 「嘘、嘘。女でしょう?」
 「女に興味はない」
 「じゃあ、ホモなの?」
 誰かがそう聞いた。
 「ば、馬鹿野郎! 怒るぞ」
 伊東努は、顔を真っ赤にして怒りだした。
 「次ぎ、行って・・・・」
 「田中益雄。同じく経済学部4年。伊東さんと違って、俺は現役。福岡市出身。趣味は山登り。以上。おい、次ぎ」
 「何か質問は?」
 「彼女はいますか?」
 「いたら、ここには来ないよ」
 「それもそっかあ」
 田中益雄には彼女がいそうもない。太っていて脂ぎっている。あんな男を好きになる女はいるわけがない。もしいたら、顔を見てみたいものだ。
 次ぎにぼくの好みだと言った和泉和夫が立ち上がった。やせ形。背は180くらい。反町隆史を少し優しくしたような印象だ。女の子たちの視線が一斉に集まったから、みんなもいい男だと思っているようだ。
 「和泉和夫。同じく経済学部3年。一浪。鹿児島出身。趣味は・・・・、やっぱり山登りかな? 彼女いない歴22年。以上」
 「彼女いない歴22年なんて、ホント?」
 「嘘に決まってるじゃないか」
 伊東努が答えた。
 「ホントだってば」
 和泉和夫が伊東努を睨み付ける。
 「おい、青柳の番だぞ」
 青柳一郎が、めんどくさそうに立ち上がった。身長は和泉和夫よりやや低い。175と言ったところ。無精ひげを生やしてして、着ているものもだらしなく、あんまり近寄りたくないタイプだ。
 「青柳一郎。医学部1年」
 「ええっ! 医学部なの?」
 誰かの驚きの声。ぼくは医学部と言うことよりも、1年という方にビックリしていた。それほど若いとは、とても思えない。
 「ああ」
 「1年生で、どうして今日来ることになったの?」
 「伊東先輩と同じ宇和島出身なんだ」
 「ああ、なるほど」
 「青柳! もう終わりか?」
 「話すことはもうない」
 愛想が悪いと言ったらない。人数あわせのために、伊東先輩に無理矢理連れてこられたという感じだ。
 「まあ、そう言うなよ」
 「次ぎに行ってくれ」
 「愛想のねえやっちゃなあ。ま、仕方ねえか。因みに青柳にも彼女はいない」
 青柳一郎は、ムスッとしてビールをあおった。あの態度で彼女がいる訳がないわねと思った。
 「次は、佐倉の番だな」
 「ぼ、ぼくは・・・・」
 自己紹介が進んでいった。男性10人の紹介が終わり、女性の番になった。ぼくは3番目に立ち上がった。
 「中川若菜です。大分県大分市出身です。薬学部2年。趣味は、読書と音楽鑑賞です」
 「読書と音楽鑑賞? 無趣味だってことだな」
 「毎日ビーズを聞きながら、推理小説を読んでます」
 「そう言うことでした」
 みんなの笑い声。
 「どこが悪いのよ。読書と音楽鑑賞には間違いないでしょう?」
 ぼくはむくれた。
 「間違いない。間違いない」
 その時、青柳一郎がこめかみを手で押さえながら、ぼくに聞いた。
 「ちょっと、君の名前、もう一度聞かせてくれないか?」
 「中川若菜です」
 「な・か・が・わ・・・わ・か・な・・・・」
 「どうかしたのか?」
 伊東努が青柳一郎の顔を覗き込む。
 「な、なんでもない。頭が痛い。先に寝る」
 青柳一郎は、そう言い残すと、立ち上がってテントの中に消えていった。
 「なんだよ、あいつは! 伊東さん、なんであんなやつを連れてきたんだよ」
 「今日は体調が悪いみたいだ。勘弁してやってくれ。さあ、続きを行こう」
 「若菜ちゃあん。彼氏はいるの?」
 「いません。ただいま募集中ですけど、あなたはお断りです」
 ぼくは、田中益雄にベエと舌を出した。
 「おまえになびく女がいるかよ。山だけにしておけ」
 伊東努が、田中益雄に向かって言う。
 「うるさいなあ。俺の真価が分からない女は、こちらから願い下げだ」
 口をとがらせて、田中益雄は焼酎のお湯割りをグビッと飲んだ。田中益雄の真価ねえ。可笑しくって、吹き出してしまった。

 午前2時まで、わいわい言いながら飲んでいた。ぼくが寝た後も、何人かは飲み続けていたようだ。
 午前6時に目が覚めて、眠れそうにないので起き出してテントの外に出た。その時、和泉和夫が女性用のテントから出てくるのが見えた。ぼくの顔を見るとニヤッと笑った。すぐに3年生の先輩が髪の毛を後ろに束ねながら出てきた。ぼくに気づくと、ばつの悪そうな顔をして、黙ってってねと言うような仕草を見せた。信じられない。昨日出会ったばかりなのに・・・・。
 不快な気分で歯を磨いていると、隣に男がやってきて、歯を磨き始めた。顔を見ると青柳一郎だった。あんまり話しをしたくなかったけれど、何か話さないと悪いと思って、声をかけた。
 「気分は良くなりました?」
 「気分? ああ」
 自分で言うのもなんだけど、ぼくは結構美人だと思っている。そのぼくに優しく声をかけられて、そんな返事はないだろう? そんな気分だった。ぼくはますます不愉快になった。
 「君、中川若菜って言ったよね」
 「え、ええ」
 「大分市出身だって言ってたけど、実家は大分のどこ?」
 「どこって、西大分ですけど・・・・」
 「西大分・・・・。その前は?」
 「その前って・・・・」
 「西大分に引っ越す前だよ」
 変な質問をする人だなあと思った。質問に答えなくてもいいのに何故か答えてしまう。若菜お姉ちゃんは、明野に住んでいた。それを答えるべきなんだろうなと思った。
 「明野ですけど」
 「明野・・・・。兄弟は?」
 「いません。一人っ子です」
 「一人っ子かあ。可愛がられてるんだろうね」
 「勿論よ」
 「君、薬学部だって言ったよね」
 「ええ」
 「もしかして、ご両親のどちらかが薬学に関係あるの?」
 「ええ。お父さんが、外資系の薬品会社に勤めているの」
 「そうか・・・・。お母さんは元看護婦さんだったりして」
 「ピンポン・・・・だけど。変なこと聞くのね。どうして?」
 「なんでもないよ。・・・・昨日気づかなかったけど、君、可愛いね」
 そう言われて見つめられどぎまぎした。髭面の中に光る目が優しかった。どうしたんだろう? 昨日の夜は、不潔で近寄りたくないやつだと思ったのに、何故か心惹かれた。
 「いよう、おふたりさん。上手くやってるかな?」
 伊東努が歯を磨きながらぼくたち二人の肩を叩いた。
 「そ、そんなんじゃありません」
 青柳一郎は、慌てて顔を拭きながら自分のテントへ戻っていった。
 「青柳さんて、医学部らしくないわね」
 「親父さんが医者をやってるんけど、勤務医だからあんまり給料がよくないらしい。仕送りが少ないから、しょっちゅうバイトしてるよ。昨日もバイトがあるって言ってたんだけど、来たくないって言うのを無理矢理連れてきたもんだから、機嫌が悪いんだ」
 「そう言うことなの」
 「そう言うことなんだ。悪いやつじゃないんだ。許してやってくれ」
 「分かったわ」
 青柳一郎の優しい目を思い出して、顔がポッと赤くなった。おかしいな。青柳一郎のことが好きになったのだろうか?

 ご飯にみそ汁の朝食を作って食べた後、近くの海岸に泳ぎに行った。ぼくは真っ白なワンピースの水着を着ていた。昔の白の水着は、水に濡れると透けて見えたのだけど、この水着は特殊な加工がされていて、水に濡れても透けることがない。
 青柳一郎は、トランクス型の水着を着ていた。真っ黒に日焼けした厚い胸。太い腕。鍛えられた腹筋にくびれが入っていた。
 あの腕に抱かれてみたいと言う思いが頭の中を過ぎった。何故かしら、ぼくはどんどん青柳一郎に惹かれていった。
 そんなぼくを青柳一郎も見つめ返してきた。ぼく以外の女性のことは眼中にないって言う雰囲気だ。恥ずかしくって、顔が火照る。その火照りを隠すために、海の中に潜った。

 楽しかったキャンプも終わり、キャンパスでみんなと別れるとき、青柳一郎から目を離せなかった。
 「若菜。髭面ちゃんに一目惚れ?」
 石川智美がぼくの肩を叩く。
 「そうかも・・・・」
 「電話番号、聞いてあげようか?」
 「い、いいわよ」
 「いいから、いいから」
 石川智美は、さっと青柳一郎のそばに駆け寄ると、二言三言言葉を交わした。青柳一郎が、ぼくの方を見たところを見ると、電話番号を聞いてくれとぼくに頼まれたと言ったようだ。ぼくは、下を向いて、つま先で土を蹴った。
 「はい。教えて貰ったわ」
 石川智美がぼくに数字の並んだメモを手渡す。青柳一郎は、電話するジェスチャーをしてから、伊東努の車に乗り込んだ。車は土煙を上げて走り去って行った。
 「若菜の電話番号、彼に教えてあげたからね」
 「ええっ!」
 「上手くいくように祈ってるわ」
 呆然とたたずむぼくを残して、石川智美は鞄を抱えて去っていった。