第8章 女の子として

 日本に帰国するとすぐに2年生の新学期が始まった。2年生になっても、岡野小百合と同じクラスだった。
 「中川!! 随分女らしくなったじゃない?」
 「そう?」
 ぼくはすまして答える。
 「始まったのね」
 「うん」
 生理がないなんてことは公表できない。お母さんに言われて、月に一度生理を装うことにした。生理用ナプキンなんて、気持ち悪いだけだけど我慢するしかない。ホントの女の子は、この気持ち悪さの上に血が出るのだから、もっと大変だろうなと思った。
 ぼくが女らしくなったのは、睾丸がなくなって、女性ホルモンの効果が強く現れ始めたせいだと言うことだ。胸も大きくなってBカップになった。

 性転換するまでは、女の子として暮らすのがイヤでイヤで堪らなかった。だけど、今は女の子を結構楽しめるようになった。可愛らしい服を見ると、せがんで買ってもらい、街に出かけるときに、軽く化粧をしてみたりしている。
 岡野小百合たちと一緒に、『嵐』の誰が好きだとか、テレビに出てくる女優や歌手の服が可愛かったなどと、わいわい言いながら過ごすのだ。
 泣いてもわめいても男の子には戻れない。だから、ぼくは生まれたときから女の子だと、自分で自分に言い聞かせていた。そうする以外に道はないからだ。

 「来週から夏服だぞ。分かってるな」
 「はあい」
 「月曜日の3時限目には、水泳もあるから、水着を忘れないように。・・・・中川、中川は、今学期も見学だな?」
 「いえ、わたし、泳げます」
 ぼくの返事に担任が少し驚きを表した。
 「大丈夫なのか?」
 「はい。春休みに、アメリカに行ったとき、心理セラピーを受けてきたんです。もう水も怖くありません」
 お父さんから、そう説明しろと言われていた。
 「そうか。それは、よかった」
 ぼくにとって、性転換して得られた最大のメリットは、プールで堂々と泳げると言うことだ。これは、掛け値なしに嬉しかった。

 授業が終わって帰るときになって、岡野小百合が近寄ってきた。
 「中川。あんた、水が怖くなくなったって言ってたけど、ホントに泳げるの?」
 「泳げるわよ。他の運動はダメだけど、水泳だけは自信があるんだ」
 「泳げないのは、わたしだけか・・・・」
 「わたしが教えてあげるわ」
 「ホント?」
 「ええ。親友だもの」
 「嬉しいわ」
 岡野小百合は、女王様を気取っていたけれど、気を許す友達はいなかった。ぼくは、女になったのを契機に、岡野小百合の親友になってあげるつもりだ。

 夏休みに入る直前、岡野小百合がぼくを呼び止めた。
 「若菜。彼氏いるの?」
 この頃には、ぼくは岡野小百合のことを小百合、岡野小百合はぼくのことを若菜と呼ぶようになっていた。
 「いるわけないじゃないの」
 「紹介しようか?」
 「いい人がいるの?」
 男の子と付き合いたいなんて思っているわけじゃない。岡野小百合が紹介すると言うから、話しを合わせているだけだ。
 「わたしの彼の友達に、若菜に是非紹介したい、いい人がいるんだ」
 「小百合の彼の友達って、やっぱり上野が丘の人?」
 「もちよ。すっごく格好いい人だよ」
 「そんなに格好いいのなら、小百合が付き合ったら?」
 「格好いいけど、わたしの好みじゃないのよね」
 「ふうん」
 「どうする?」
 「わたしはいいわ。まだ中学2年生だもの」
 「中学2年は、立派な大人よ。ねえ、会うだけ会ってみてよ。気に入らなかったら、断ればいいから」
 「そうね。小百合がそう言うのなら・・・・」
 断ると機嫌が悪くなるから、そう答えざるを得ない。
 「じゃあ、明後日の午後1時に、パルコの玄関で」
 「パルコの玄関ね。分かったわ」
 会うだけ会って、すぐ断るつもりだった。小百合の顔を立ててやればいいのだ。

 明後日というのは終業式の日だ。
 「学校が終わったら、小百合と街に遊びに行くから」
 マンションを出るとき、お母さんにそう言い残して出た。まさかぼくが男とデートするなんて思っても見なかっただろう。
 「早く帰るのよ」
 お母さんは、ぼくの方を見ずにそう答えた。

 終業式は、午前11時には終わった。ぼくは岡野小百合と一緒にバスで街に出て、ロッテリアで軽食を取って午後1時を待った。
 午後1時少し前になってパルコ前に移動すると、岡野小百合に向かって背の高い男が手を挙げた。
 「小百合! ここだ、ここだ」
 「待った?」
 「今来たところ。おっ! そっちがおまえが言ってた、若菜か?」
 「若菜。わたしのカレシ。岡本健次郎よ」
 「中川です。よろしく」
 「小百合が言ってたより、美人じゃないか」
 ぼくは少し頬を染める。
 「浮気は、なしよ」
 岡野小百合は岡本健次郎を睨み付けた。
 「分かった。分かった。ああ、紹介するよ。こいつが、松田だ。松田修」
 「松田です。よろしく」
 色の浅黒い、やっぱり背の高い男だった。格好いい? そうでもないなと思った。
 「中川若菜です。よろしくね」
 『すっげえ、可愛いな』と松田修が岡本健次郎に囁くのが聞こえた。ぼくがホントは男だと知ったら、ビックリするだろうなと思っていた。
 竹町通りをぶらぶらして、菊屋のパーラーに入った。
 「松田あ。一目惚れって言う感じだな」
 「あ、ああ」
 松田修は、へこへこしながら、ぼくの顔を上目遣いに見た。
 「若菜はどう?」
 「まだ分からないわ」
 「ぜんぜんダメってこと、ないよね」
 「そうね」
 そう答えると、脈があると思ったのか、松田修は俄然元気を出した。
 「松田んち、西大分の医者なんだ」
 岡本健次郎が、代わりに紹介をした。西大分? 近くだな。そう言えば、松田医院という病院があったっけ。
 「へえ、お父さんが、お医者様なの」
 「そうだよ」
 「何科の先生?」
 「内科。循環器が専門なんだ」
 「へええ」
 「松田君も、医学部志望なのよね」
 「あ、ああ、そうだよ」
 そう言ったけど、ちょっと自信がなさそうだった。きっと成績がそれほどよくはないんだろうなと思った。
 「若菜。将来は、お医者様の奥さんよ」
 「まだ付き合うって言ってないわよ」
 「こんな良縁はないわよ」
 まるで仲人だな。
 「中川さん。付き合ってくれる?」
 ぼくは、ちょっと考えた。この場で断ると小百合の顔を潰しそうだなと。
 「そうね。もう少しお話ししないと分からないからね」
 「やったあ。ありがとう」
 笑顔が結構可愛かった。

 その日は、2時間ばかり4人で雑談した。帰り際に、松田修から、次ぎに会う日を約束させられた。
 「すっぽかしたりしないでくれよ」
 ホントにぼくに一目惚れみたいだなと思うと妙な気分だった。

 その三日後、トキワ前で待ち合わせて、映画を見に行った。映画が始まって30分もした頃、松田修が、ぼくの手を握ってきた。どうしようかなと考えているうちに、拒否しないと思ったのか、大胆に体を寄せてきた。
 「なあ、キスしようよ」
 何考えてんだ! こいつは!! 二度目のデートでそんなこと要求するか? 呆れてものが言えなかった。
 「なあ、いいだろう?」
 「だめ!!」
 「いいじゃないか」
 「ダメだって!」
 「そうか。じゃあ、仕方ないな」
 諦めてくれた。ぼくはホッとした。しかし、握った手は離してくれなかった。映画が終わるまで、ぼくに手をずっと握っていた。
 映画が終わって、出口に向かって歩いているとき、ちょっとした隙に映画館の隅に押さえつけられて、無理矢理キスされた。
 「馬鹿!!」
 思い切りほっぺたを叩いてやった。
 「無理矢理キスするなんて、嫌いよ」
 「ごめん。もうしないから」
 松田修は、土下座せんばかりに、ぼくに平謝りをした。
 「二度としないでね。今度したら、付き合ってあげないから」
 「分かった。絶対しない」

 男の絶対しないは信用できない。ぼくも男だったのに情けない。次ぎにデートした日も、帰り際にぼくにキスしてきた。唇に軽く触れただけだったから、その日は何も言わずに許してやった。
 ところがそれを誤解して、その次のデートの時には、ぼくを抱きしめてキスをした。しかも、舌を入れようとするのだ。さらに、ぼくの胸に手をかけた。ぼくは力任せに松田の頬を叩いてやった。
 「もう二度と電話しないで。さよなら」
 「なんだよ。もう・・・・」
 その日以来、しばらくの間毎日電話がかかってきたけれど、ぼくは電話に出なかった。
 「若菜。松田って子、一体どういう人なの?」
 「上野が丘の2年生で、西大分の医者の息子だって」
 「お医者様の息子さんなの? 勿体ない」
 「自分が世界で一番偉いと思っている人なんて嫌いよ」
 少ないデートだったけど、ぼくは松田修にそんなエリート意識のようなものを感じた。優しく見えて、手に入れたら、とたんに冷たくなる。そんなタイプだと。

 8月6日の登校日に小百合に会うと、困ったような顔でぼくに言った。
 「松田君から、何とか取りなしてくれって頼まれてるのよ。お願い。機嫌を直して、もう一度付き合ってよ」
 「いくら小百合の頼みでも、あんな人。絶対イヤ」
 「どこが気に入らないの?」
 「あの人は、女を馬鹿にしてるわ」
 「そうかなあ・・・・」
 「間違いないわ。しかも次から次ぎに浮気するタイプ。あんな人と付き合ったら、絶対幸せになれないわ」
 「あんたがそこまで言うのなら、諦めて貰うしかないわね」
 「そうして」
 その後すぐに、松田修の本性が分かった。ぼくの指摘したとおりだった。医者の息子という立場を利用して、次から次へと女の子と関係を持っていたのだ。
 「若菜。あなたは見る目があるわ」
 「小百合のカレシは大丈夫なの?」
 「大丈夫よ。健次郎は、わたしにぞっこんよ」
 「ご馳走様」

 岡野小百合と岡本健次郎は、肉体関係があった。岡野小百合は、そのことをそれとなくぼくに話す。コンドームを付けてやるのは、結構めんどくさいとか、生理の日は燃えるとか。ぼくは顔を赤くするばかりだ。
 男とセックスする。ぼくにもそんな日が訪れるのだろうか? 松田修を見ていると、男はセックスだけが目的で生きているような気がして、どうもそんな気になれない。
 岡本健次郎も岡野小百合とセックスすることだけが目的で付き合っているような気がしていた。そんなぼくの予想はすぐに証明された。

 「どうしよう」
 夏休みがそろそろ終わろうとしているとき、岡野小百合が深刻そうな声でぼくに電話してきた。
 「いったいどうしたの?」
 「生理が遅れてるの」
 この頃には、ぼくはかなり勉強していた。その意味はすぐに分かった。
 「ちゃんと避妊してたんでしょう?」
 「してたわ。だけど、うまくいかなかったみたい」
 「岡本さんは、なんて言ってるの?」
 「きちんと避妊してたから、俺じゃないって」
 「俺じゃないって、小百合、岡本さんとしかしてないでしょう?」
 「そうなんだけど、信じてくれないのよ」
 「なんてやつなの!!」
 「どうしたら・・・・」
 「何日遅れてるの?」
 「10日」
 「ちょっと遅れてるだけじゃないの?」
 「今まで遅れたことがないの」
 電話の向こうから、溜息が聞こえてきた。
 「ああ、どうしよう・・・・。お母さんに怒られるわ」
 「どうする?」
 「みんなにカンパして貰おうか?」
 「そうね。そうするしかないわね」
 実は、夏休み前にも佐藤容子という同級生が妊娠して、みんなでカンパして、堕ろして貰っていた。
 三日すれば、始業式。女の子で相談して、カンパしてあげることにしようと決めた。

 二学期の始業式の日。教室に行くと、岡野小百合が明るい笑顔でぼくに走り寄ってきた。
 「あった、あった」
 「あったって、あれが?」
 「そう。遅れただけみたい」
 ぼくはホッとする。みんなに話す前でよかった。
 「それでね。健次郎とは別れることにしたわ」
 「それがいいわ。あの時親身になってくれない男なんて止めた方がいいわ」
 「そうそう。あいつ、わたしの体だけが目的だったみたい。わたしに見る目がなかったのね」
 「初めて見たとき、そうじゃないかなと思ったんだ」
 「言ってくれればよかったのに」
 「言ったわよ」
 「そうだった?」
 「うん」
 「もっと優しくて、格好いい男を見つけて、見返してやるわ」
 「焦ると、ろくな男を掴まないわよ」
 「そうね。気を付けるわ」
 男はみんな女の体が目的で近づいてくる。そんな固定観念がぼくの中に生まれた。ぼくは男性不信に陥っていた。

 男がいなくたって性的快感は得られる。そのことに気がついたのは、ぼくの体にクリトリスが作られていることを知ってからだ。
 ぼくの陰部がどのように作り上げられているか知るために、図書館からこっそり借りてきた解剖学の本に載っている女の陰部を描いた図と比べていて、クリトリスの存在とその役割を知った。
 「性的興奮を得るためにだけ存在する女性の性器?」
 ぼくの陰部は、足を閉じていれば、本物の女と殆ど変わらない。開いてみると、少し違うのが分かる。クリトリスの周辺が、よくよく見ると本物の女のものと違っている。
 「ちょっと大きいなあ」
 そう呟きながら触っていたら気持ちよくなってきて、ある瞬間、体が宙に浮いたような快感が訪れた。ぼくは、男としてマスターベーションしたことがない。だから、それが男のものと同じか違うか分からない。勿論女のものと同じかも分からない。ただ、いわゆる、いったという感覚があったのは確かだった。
 男がいなくたって性的快感が得られると知って、敢えて男と付き合おうという気持ちが失せてしまっていた。