第6章 女の子の振りをしていると女の子らしくなる?

 「明日から、夏服を着てくるように。それから、体育の授業で水泳が始まるから、水着を忘れないようにしなさい」
 5月31日のホームルームで、担任からそう言われた。その日帰宅すると、お母さんにそのことを告げた。
 「水着! それは大変だわ。セーラー服だから誤魔化せるけど、水着となると胸がないのが分かるし、おちんちんがあるのも一目瞭然だわ。困ったわね」
 「男の子に戻ればいいんだよ」
 「待って。お父さんが帰ってきたら、相談しましょう」
 お父さんは、男の子に戻っていいとは絶対に言わない。それは分かっている。それに、もう3ヶ月も女の子の格好をしている。いまさら、ぼくは男の子でしたなんて言えない。体育の時間に、着替えをする女子生徒の下着姿をぼくは見ているから、なんと言われるか分かったものではない。
 だけど、どうやってこの苦境を乗り切るだろうか?
 「ああ、簡単さ」
 お父さんは、お母さんから水着の話を聞くと、さらりとそう言った。
 「簡単って?」
 「若菜は水難事故に遭ってるだろう? だから、水に入るのが怖いって言えばすむさ」
 「あ、なるほどね」
 大きく頷くお母さん。
 「わたし、泳げないの?」
 「仕方ないな。諦めなさい」
 プールで泳ぎたいのに、諦めざるを得なかった。お父さんが担任に連絡し、水泳の時間は見学することになった。みんなが楽しそうに泳ぐのを、ぼくは指をくわえて見ていた。

 夏休み、三井グリーンランドに連れていって貰ったけど、若菜お姉ちゃんがいないので楽しくなかった。誰も知った人がいないので、泳ぎたいって言ったけど、どこで誰が見ているか分からないからだめだと言われて諦めた。結局、夏休みの間も一度も泳げなかった。

 夏休みが開けて、真っ黒に日焼けした同級生たちが羨ましかった。焼けていないのは、ぼくと岡野小百合だけだった。
 「日焼けすると、お肌に悪いって。肝斑ができたり、雀斑の原因になるって言うわよ。それに皮膚癌の原因にもなるって言ってたわ」
 物知り顔でそう言い降らしていた。実のところ、岡野小百合は泳げないのが原因なのだが、誰もがそのことを知っていて知らんぷりしていた。
 岡野小百合は、大人しいいい子だと担任には思われているけれど、実のところは違う。クラスの女王様で、逆らうとのけ者にされて苛めに遭うから、誰も反論したりしないのだ。
 「中川! 彼氏できた?」
 「ま、まだよ」
 「そうね。胸が小さいものね」
 「余計なお世話だよーーーん」
 岡野小百合に対して、こんな口を利くのはぼくくらいなものだ。ぼくは何故か、岡野小百合に気に入られていた。
 「岡野さんは?」
 「いるわよ」
 「ホント?」
 「うそ言っても仕方ないでしょう?」
 「どこの誰?」
 「上野が丘の一年生」
 「上野が丘って、まさか高校生なの?」
 「もちよ」
 「うっそお」
 「中学生はこどもぽくって。特にうちの同級生は」
 見回すと、確かにみんなまだ小学生に毛が生えたくらいだ。ぼくが男の子の格好をしていたら、その仲間なんだろうけど。
 「生理、まだでしょう?」
 「え、ええ」
 「始まらないと、彼氏ができないわね」
 「来年には始まるわ」
 「そうね。あなたくらい可愛かったら、すぐにできるわよ」
 ぼくは男の子だから、可愛いと言われても嬉しくはないんだけど、嬉しい振りをしないと行けない。
 「ありがと」
 そんな話しをしていると、同級生の男の子たちの話しが耳に飛び込んできた。ぼくは、岡野小百合の話に適当に頷きながら、男の子たちの話しにそば耳を立てた。
 「昨日から、乳が痛くってさあ」
 「あっ、俺も」
 「癌だぜ。それは?」
 「ホントか?」
 「ちがうよ。それは大人になった証拠だってさ。うちのお父さんが言ってた」
 「どっちがホントだ?」
 「そう言えば、俺んちのお父さんも、大人になると、乳首の下にしこりができるって言ってたな」
 「そうか。大人になった証拠か・・・・」
 「ずっと痛いってこと、ないよなあ」
 「すぐによくなるって言ってたぞ」
 「ふええ、安心した。ずっと痛かったら、たまんないよ」
 ぼくも一週間前から乳首の下にしこりができていた。お母さんに聞いてみたけど、はっきり答えてくれなかった。お母さんは女だから、男のことが分からなかったんだ。帰ったら、お父さんに聞いてみよう。
 「ねえ、わたしの話を聞いてるの?」
 岡野小百合は、化粧の仕方についてぼくに話していた。
 「え、ええ。聞いてるわよ。でもお化粧なんて、まだ早いわよ」
 「東京の中学生はみんなしてるわよ」
 「ホントに?」
 男の子と女の子の話しはずいぶん違う。話しを合わせるのには、かなりの苦労が必要だ。

 帰宅すると、早速お父さんに乳首に下にできたしこりのことを聞いてみた。
 「ああ、思春期の男の子はみんなそうなるんだ。心配するな」
 「やっぱり」
 「あら? そうなの? ぜんぜん知らなかったわ。若菜が男の子のままだったら、病院に連れて行くところだったわ」
 「とんだ怪我の功名だ。はっ、はっ、は」
 一ヶ月もした頃、痛みが取れて、固かったしこりも柔らかくなっていった。ぼくは安心していた。

 正月になった。ぼくは相変わらず、若菜お姉ちゃんを演じている。演じていると言っても、ぼくなりにやっているという意味で、若菜お姉ちゃんとは違うと思う。
 若菜お姉ちゃんとぼくは、かなり似ていると思うけど、髪の毛をきちんと切って、男の子の格好をすれば、ぜんぜん違うと思う。
 そう思って、お風呂上がりに湯気で見えなくなっている鏡を拭いて覗いてみた。だけど、鏡に映ったぼくの姿は、以前とは違って見えた。妙だな。女の子の振りをしているからかな? そう思った。
 下着を身に着けながら、ふと横目で見てみると、ぼくの胸がかなり膨らんでいるのに気がついた。毎日見ているのに、こんなに膨らんでいるなんて、ちっとも気がつかなかった。
 「お母さん、お母さん」
 「なに? 若菜」
 「胸が膨らんでる・・・・」
 「そうね」
 お母さんは、別に何の感慨も示さずにそう答えた。
 「わたし、男の子だよ。どうして胸が大きくなるの?」
 「服を着て、ちょっと来なさい」
 下着を身に着け、パジャマを着てお母さんのそばに行った。お母さんは、通信販売のカタログを広げていた。
 「これを見て」
 お母さんが指し示したところに、エクササイスブラという商品が乗っていた。
 「これはね。胸を刺激して大きくするって言うブラなの」
 「だから?」
 「あなた。ずっとブラをしているでしょう? だから、それが刺激になって大きくなったんだと思うわ」
 「ブラをしているせいなの?」
 「そうでしょうね」
 「あんまり大きくなったら、男の子に戻るとき、おかしいわ」
 「ブラをするのを止めたら、元に戻るわ」
 「ホント?」
 「・・・・ホントよ」
 お母さんの返事は、あんまり歯切れがよくなかったけれど、ぼくはお母さんの言葉を信じた。他には誰にも聞けなかったからだ。

 1年生の終業式がやってきた。1年あまり若菜お姉ちゃんの振りをしていることになる。成績はクラスで5番前後。若菜お姉ちゃん、戻ってきたらビックリするだろうな。
 ブラするのを止めたら、元に戻るってお母さんが言ったけど、ホントに元に戻るのだろうか? ぼくは、Aカップのブラでは少しきつくなってきた胸を押さえた。

 「若菜。本場のディズニーランドに連れていってやろうか?」
 中学1年生の終業式の夜、通知票をお父さんに見せると、にこにこしながらぼくにそう言った。
 「ホントに?」
 「ああ。よく頑張ったご褒美だ」
 「ディズニーランドって、アメリカだよね」
 「そうだよ」
 「じゃあ、向こうに行ったら男の子の格好をしてもいい?」
 「ああ、いいよ。誰も見ていないだろうからね」
 「やったあ」
 ぼくの成績に関わらず、本場アメリカのディズニーランドに行く準備をしていたようだ。ぼくたち親子は、翌々日アメリカへ向かって出発した。勿論、大分空港までは、ホーバーには乗らないでバスで行った。ホーバークラフトには、二度と乗りたくない。

 東京ディズニーランドと違って、外人さんばかりで(当然だよね)、しかもあんまり人が多くないから、待ち時間がなくていろいろのアトラクションを楽しめた。
 「どうだ。楽しいか?」
 「うん。若菜お姉ちゃんがいたら、もっと楽しいんだけど」
 「そうだな。早く見つかるといいが・・・・」
 お父さんは、若菜お姉ちゃんが死んだとは決して言わない。言うと、ぼくが若菜お姉ちゃんの振りを続ける根拠がなくなるからだ。
 ぼくは、久しぶりに男の子の格好をして、長く伸ばした髪の毛を翻して、ディズニーランドの中を駆け回った。だけど、外人さんに『Hey!! pretty girl!』と呼ばれたところを見ると、男の子の格好をしていても、ぼくは女の子の見えるようだなとちょっとがっかりしていた。

 二日間、ディズニーランドで遊んだ後、ぼくはおしゃれな真っ白なフリル付きのワンピースに着替えさせられた。
 「もう一日遊びたいな」
 「ちょっと寄るところがあるんだ」
 「寄る所ってどこ?」
 「ここからハイウエーを50キロばかり上ったところだ」
 「何しに行くの?」
 「お父さんの仕事だよ」
 お父さんは、外資系の薬品会社に勤めている。だから、仕事半分で、アメリカに来たと説明した。
 「お父さんの旅費は、会社から出てるのよ」
 お母さんが、そう補足した。

 でっかいレンタカーでハイウエーを走った。かなりのスピードが出ているのに、追い抜いていく車が多いのには驚かされた。
 着いたのは、郊外にある三階建てのビルだった。お父さんは、仕事の話しをしてくるからと言い残して、ぼくとお母さんと待合室に待たせて中に入っていった。
 しばらくして、ドアが開いた。
 「若菜。ちょっと中に入りなさい」
 「どうして?」
 「おまえに、いい話しがあるんだ」
 お母さんと一緒に部屋の中に入った。部屋の中には白衣を着た背の高い外人さんが待っていた。一見するとお医者さんらしい。お医者さんがぼくに何の用事があるんだろうと思っていた。
 お父さんは、ぼくが聞いてもかなり上手い英語で、その外人さんと話していた。お父さんの会社は、外国の会社が経営しているから、英語ができないとやっていけないのだ。
 「若菜。これから、この人がおまえにいくつか質問するから、イエスかノーで答えなさい」
 「わたし、英語、分かんないわ」
 「お父さんが通訳してあげるから大丈夫だよ」
 「分かったわ」
 お父さんが、二言三言外人さんに話しをすると、ぼくに向かってぺらぺらとしゃべり始めた。
 「お父さんのことが好きかって言ってるぞ」
 ラブって言う言葉が聞こえた。ラブは好きじゃなくて、愛するじゃなかったかなと思った。だけど、英語では、そう言う言い方をするんだろうなと思った。
 「イエス」
 お父さんがぼくに向かって、にっこり笑った。好きなんだけど、女の子の格好を続けさせるお父さんは、嫌いなんだ。
 「お母さんのことが好きか?」
 「イエス」
 これは、はっきりと大きな声で答えた。
 「水泳は好きかって」
 「イエス」
 「勉強は?」
 「ノー」
 ぼくは舌を出す。お父さんは苦笑いしていた。それから、いくつか質問された。そんなこと聞いて何するつもりだろうと思った。
 「若菜。裸になりなさいって」
 「は、裸になるの?」
 「そうだ。大きくなったおっぱいが、どれくらいで元に戻るか調べてくれるんだ」
 「そうなんだ」
 ぼくはお父さんの言ったことを疑いもせずに、着ていた服を脱いで裸になった。
 「ベッドの上に寝なさいと言ってるよ」
 ぼくは言われたとおりにベッドの上に横たわった。外人さんのお医者さんは、ぼくの胸に聴診器を当てて、しばらく聞いていた。それから、胸を押すようにして撫でた後、お腹をぎゅっと触った。痛かった。
 それからぼくの小さなペニスを手にとってじっと見ていた。恥ずかしくって、顔が火照っているのが分かる。
 「オーケー」
 もう診察がすんだと言うことが分かった。
 「若菜。服を着ていいそうだよ」
 お父さんにそう言われる前には、ぼくは服を着始めていた。お父さんは、外人のお医者さんと何かしゃべっていた。
 「薬を注射したら、すぐに元に戻るそうだよ」
 「ホント!」
 「すぐに注射をしようと言ってるが、どうする?」
 「すぐにやって貰って」
 「分かった。そうして貰おう」
 おっぱいが元に戻るってことは、ぼくはもう若菜お姉ちゃんの振りをしなくてもいいってことだなと思った。若菜お姉ちゃんがいなくなって一年もたつから、お父さんも諦めてくれたんだと。
 だけど、言い訳はどうするんだろう? 同級生に知られたら困るな。転校するんだろうか? なんて考えていた。

 綺麗な優しそうな看護婦さんに点滴された。しばらくすると眠くなってきて、ぼくはベッドの上でうとうとし始めた。
 「お母さん、眠いよ」
 「眠ってていいわよ。若菜。夏になったら、プールで泳ぎましょうね」
 「えっ!? そうか。そうだね。今年は泳げるようになるんだね」
 お母さんもぼくが男の子に戻ることを知っているようだ。目覚めたときには、ぼくの胸は平らになって、男の子として日本に帰れる。幸せな気分でぼくは眠りに落ちていった。