大地震が起こったんじゃないかと思うような大きな音がして目が覚めた。周りにいた人たちの怒号が聞こえる。
「若菜。早く、救命胴衣を付けなさい」
お母さんは、まだぼくのことを若菜お姉ちゃんだと思っている。そんなに似てるのかなあ。朝から今まで気が付かないんだから似てるんだよね。
若菜お姉ちゃんが、こんな恥ずかしいことをぼくにさせるなんて思ってもみなかったけど、ぼくは若菜お姉ちゃんが大好きだから許してあげる。マンションに帰ったら、すぐに着替えなくちゃ。
「若菜!! 早くしなさいって言ってるでしょう?」
お母さんが、救命胴衣をぼくの頭から被せてくれた。ホーバーの出口を見ると、若菜お姉ちゃんが、ぼくの方を振り向いてウインクしてきた。ぼくは急いで救命胴衣のひもを締めると、お父さんとお母さんに付き添われて海の中に飛び込んだ。
「稔は? 稔はどこだ!」
お父さんがそう叫んだ。
「ぼくは、ここだよ」
と言いたかったけど、スカートはいているのが恥ずかしくて言えなかった。
「稔! 稔!!」
お父さんとお母さんが交互に叫んだ。だけど返事がない。若菜お姉ちゃん、どこに行ったんだろう?
何分かして漁船がやってきて、ぼくたちは他の乗客の人たちと一緒に助け上げられた。
「白と緑のボーダーの服を着た男の子は見なかった?」
お父さんが目を血走らせて、助け上げられた乗客に聞いて廻る。
「わたしの前に飛び込んだけど、その後は知らないわ」
「誰か知りませんか?」
誰からも返事が戻ってこない。
「向こうの漁船に乗っているかもしれないよ。こっちはもういっぱいだから、とりあえず港に帰るがいいかな?」
頭にねじりはちまきをした真っ黒に日焼けした漁師さんが、お父さんに向かって言った。
「ちょっと、ちょっと待ってください。男の子一人くらいなら、乗せられるでしょう?」
「他の人たちもいるからねえ。早く暖めてあげないと、体を壊してしまいますよ」
そう言われて、お父さんも諦めたようだ。
「助かってますわよね。あなた」
「ああ。きっと助かってるよ」
お父さんは涙を流すお母さんを優しく抱いていた。
ぼくとお母さんは、毛布を渡されてホーバー基地の待合室に連れて行かれた。お父さんは、港の岸壁で他の救助船が戻ってくるのを待っていた。気分の悪くなった人が何人か救急車で運び去られていった。お父さんはなかなか戻ってこない。
「稔。稔・・・・」
お母さんは、ぼくを抱いたまま涙を流している。
「お母さん」
お母さんは返事をしない。泣くばかりだ。
「お母さん。ぼく・・・・」
お母さんは、泣きやんでぼくの顔を不思議そうな顔をしてみた。
「ぼく? ぼくって・・・・」
ぼくは周りにいる人たちに聞こえないように、お母さんに耳打ちした。
「ぼく、稔だよ」
「えっ!?」
驚きに目を見張って、お母さんはぼくの顔をまじまじと見た。ミニーの帽子は、海に飛び込んだとき脱げてしまったけれど、少し伸びた髪がぼくを女の子のように見せていた。
お母さんは、ぼくの前髪を手で上げて、ぼくだと分かるとぼくを抱きしめた。
「稔・・・・。よかった。あなただったのね」
「うん」
「お父さんに言わなきゃ」
お母さんが立ち上がろうとしたとき、お父さんが悲痛な顔をして、ぼくたちのそばにやってきた。
「他の船にもいなかった・・・・」
「あなた、ちょっと・・・・」
お母さんがお父さんにひそひそと話しをした。お父さんが、ビックリしてぼくを見た。
「ほ、ほんとに、稔なのか?」
「うん。ぼく、稔だよ」
「そうか。そうだったのか」
そう言ってから、ぼくの格好をまじまじと見た。
「いつから、そんな格好をしている?」
ぼくは小さくなって答える。
「けさ、若菜お姉ちゃんが、ぼくの服を着てしまって・・・・。仕方ないからこれを着たんだよ」
「けさから!? すっかり騙されてしまったよ」
それまでの表情が一変した。
「お母さんに言えばいいのに」
苦笑しながらお母さんが言う。ぼくは下を向いて黙っていた。そうだよね。あの時、若菜お姉ちゃんの服なんか着ないで、お母さんに言えばよかったのに、お母さんが早く出てきなさいって、どんどんドアを叩くもんだから、若菜お姉ちゃんの服を着てしまったんだ。
「稔は、気が小さいからな。まあ、いい。じゃあ、いなくなったのは、若菜だと連絡してこよう」
お父さんが立ち上がって、港の方へ向かおうとした。ぼくは慌ててお父さんを呼び止めた。
「お父さん、ちょっと、ちょっと待って」
「何だ?」
「ぼく、こんな格好しているから恥ずかしいよ」
「あ、そうか。じゃあ、見つかるまで稔がいなくなっていることにしておこう。それならいいな」
「うん」
「若菜の他に、二人行方不明らしい。おまえたち、ここでこうしていてもしょうがないから、先に帰っていなさい」
「お父さんは?」
「息子がいなくなったことになってるんだぞ。それに、若菜だって、今は家族の一員だ。このまま帰るわけにはいかないよ」
「そうですね。じゃあ、先に帰っています」
若菜お姉ちゃんが見つかるまで待っていたかったけれど、早く体を温めないと風邪を引くからと言われて、お母さんと一緒にマンションに戻ることにした。
「お父さん。きっと見つかるよね」
「ああ、見つかるさ。さあ、先に帰っていなさい」
「うん」
マンションに帰ると、お母さんはすぐにバスのスイッチを入れた。
「服を脱いで、早く熱いシャワーを浴びるのよ」
「うん」
毛布でかなりに水分がとられていたけど、着ているものがべったりと肌にまとわりついていた。
「あらあら、ショーツまではいてるの?」
「これしかなかったんだもの・・・・」
ぼくは顔を真っ赤にして答えた。
「そう。そうよね。さあ、早くシャワーを浴びなさい」
熱いシャワーを頭から浴びた。冷たくなっていた体が次第に暖まっていった。
「若菜お姉ちゃん、海の中でまだ凍えているんじゃなかな?」
そう思うと、とても可哀想で悲しかった。
シャワーを浴びて、乾いた下着とパジャマを着てリビングに戻ると、お母さんが温かいスープを作っていてくれた。とっても美味しかった。
「若菜お姉ちゃんの分もあるんでしょう?」
「勿論よ」
ルルルッと電話が鳴った。
「はい。中川です。ああ、あなた。見つかりました? まだ・・・・。そう。どうするの? ・・・・そっちで待機している。そうなの。着替えは? もう着替えた。じゃあ、大丈夫ね。どうなの? ・・・・そうね。待つしかないわね。じゃあ、無理をしないように。見つかったら、すぐに連絡して。ええ」
お母さんが、不安そうな顔で受話器を下ろす。
「お父さん?」
「そう。まだ見つからないから、港で待ってるって」
「そうなの。まだ見つからないの・・・・。大丈夫だよね」
「・・・・ええ。大丈夫だと思うけど・・・・」
お母さんの表情は暗い。ぼくはちょっと悲しくなる。まさか、もう会えないなんてことはないだろうな。そう思っていた。
リビングのテレビが、事故の様子を伝えていた。事故の原因は、エンジンの故障で立ち往生していた小型漁船にホーバーが衝突したためだった。晴れた日なら、漁船も見えるし、レーダーで確認できるらしいけれど、日が暮れていたし、激しい雨が降っていたから、レーダーが攪乱されて衝突するまで分からなかったと言うことだ。漁船に助け上げられた乗客が岸壁に降りる様子が画面に流れていた。
「あっ! 若菜お姉ちゃんだ!」
「違うでしょう? あれは稔よ」
「あ、そうか。あれはぼくか・・・・」
ずぶ濡れになった、スカート姿のぼくが画面に大きく映し出されていた。
「恥ずかしいよ」
「あなただって誰も気がつかないから大丈夫よ。お母さんだって、あなたに言われるまで気がつかなかったんですものね」
「そうだね。みんな、若菜お姉ちゃんだって思うよね」
「大丈夫よ」
ぼくはホッと安心した。
朝になってもお父さんは帰ってこなかった。ぼくが眠っている間に二度ほど電話があったらしいけど、若菜お姉ちゃんは見つかっていない。心配で心配で、朝ご飯が喉を通らなかった。
今朝もテレビで、事故の続報が流されていた。スカートをはいたぼくの姿が何度も何度も画面に流された。恥ずかしくってしかたがない。
『昨夜の大分ホーバーフェリーの事故で行方不明になっている三人の捜索は夜明けから200人体勢で行われていますが、依然として見つかっていません。事故の原因は・・・・・』
行方不明者の捜索をする船の様子が、ヘリコプターから撮ったらしい映像で流れている。
「若菜お姉ちゃん、ホントに大丈夫かなあ」
お母さんは、ハアと溜息をもらして、ぼくの問いには答えてくれなかった。
日が暮れて、お父さんがマンションに戻ってきた。
「見つからない」
「あなた、まさか死んだって訳じゃあ・・・・」
お母さんがお父さんのそばに腰を下ろして尋ねた。
「遺体があがらない以上、死んだとは断定できないが、捜索をしている人たちの話では、水温が低いから絶望的だと・・・・」
「可哀想に・・・・。ところであなた、いなくなったのは、稔ってことになってるんでしょう?」
「そうだよ。お父さん、ぼくはどうしたら?」
「・・・・その件だが、どうするかな?」
「どうするって、あなた、いなくなったのは若菜なんですよ。そう言わなければ・・・・」
「テレビで、スカートをはいた稔の姿が大々的に放映されているからなあ。稔がスカートをはいていたのが分かったら、学校で苛めに遭うかもしれんぞ」
「そんなのイヤだよ」
「稔が入れ替わったりするから」
お母さんがぼくを睨み付けた。
「ぼくがやろうって言ったんじゃないよ・・・・」
「ホントなの?」
「・・・・だから、若菜お姉ちゃんが、ぼくの服を着て先に部屋を出たから・・・・」
ぼくはべそをかきそうになる。
「ま、それはさておきだ。どうするかが問題だ。まだ死んだと決まった訳じゃないから、稔には、はっきりするまで若菜の振りをしていて貰おうか」
「ええっ!?」
そんなことをお父さんが言うとは思わなかった。
「スカートをはいていたことがばれてもいいんだな?」
「そんなことイヤだよ」
「じゃあ、我慢して、しばらく若菜の振りをしていなさい」
「・・・・いつまで?」
「若菜が見つかるまでだ。いいな」
ぼくは頷くしかなかった。若菜お姉ちゃんのせいで、とんでもないことになってしまった。だけど、仕方がない。スカートをはいていたことがばれないためには、そうするしかない。
「誰が尋ねてくるかもしれないから、咲子、服を着替えさせなさい」
「でも、ホントにそれでいいの?」
「いいんだ。俺に任せておきなさい」
お父さんの強い口調に、お母さんは渋々と言った様子で頷いた。
若菜お姉ちゃんの部屋から服を取りだしてくると、お母さんはぼくの顔を見て言った。
「稔。先にお風呂に入りなさい」
「お風呂に?」
「そう」
「どうしてだよ」
「いいから、早く」
ぼくは言われたとおりにバスルームへ向かった。ぼくがお風呂に入っている間に、お父さんがお母さんに何かこそこそ話しをしているのが聞こえた。だけど、何を話しているのか、分からなかった。
お風呂から上がろうとすると、お母さんが入ってきた。
「何だよ。恥ずかしいじゃないか」
ぼくは股間を両手で隠す。
「ふふ。毛も生えてないくせに、よく言うわね」
「もうすぐ生えるよ」
ぼくは口を尖らせる。
「ま、いいわ。座って」
「座って何するの?」
「少し髪を切るの。このままじゃ、おかしいでしょう? 若菜に見えないわ」
「やだよ。帽子をかぶるから」
「いつも帽子をかぶっているわけにはいかないのよ」
「だって・・・・」
「若菜が見つかったら、男の子らしく、うんと短く切ってあげるから。さあ、早く座りなさい」
ぼくはぷうと膨れて、椅子の上に座った。手慣れた手つきで髪が切られていった。お母さんは、元看護婦さん。薬品会社に勤めるお父さんとは、大分市内の病院で知り合ったといっていた。
看護婦さんをしているときに、ときどき入院患者さんの髪を切っていたので、慣れたものだ。ぼくの髪も殆どお母さんが切ってくれていた。だから、お母さんが切るのには違和感はないんだけど、若菜お姉ちゃんに見えるように髪を切るって、どんな風に切るんだろうか? ぼくはどきどきしながら、蒸気で曇った鏡を見つめていた。
「さあ、いいわよ。もう一度髪の毛をざっと洗いなさい。いいわね」
そう言い残すと、お母さんはバスルームを出ていった。髪の毛を洗っていると、お母さんがもう一度顔を覗かせた。
「リンスもするのよ」
「リンスも?」
「髪は女の命だからね」
ぼくは女じゃないよと思ったけれど反論しなかった。
バスルームを出て髪の毛をバスタオルで拭いていると、お母さんがまたやってきた。
「ブローしてあげるから、椅子に座って」
「はあい」
ドライヤーで乾かしながら、ブラシでくるくるとブラッシングすると、女の子らしい可愛いショートカットになっていた。
「うん。これでいいわ。ご飯、できているから、服を着てダイニングに来なさい」
「すぐ行くよ」
そう言ったものの、脱衣籠の中に揃えられている服を見つめて固まった。
「これ、若菜お姉ちゃんのだよね」
「そうよ」
「パンツもはくの? トランクスじゃいけないの?」
「スカートの下からトランクスが見えたらおかしいでしょう?」
「ええっ! スカートもはくの?」
「当たり前でしょう? 今日からあなたは若菜の振りをするんですからね」
「スカートじゃなくて、若菜お姉ちゃんのズボンでもいいんじゃ・・・・」
「髪の毛を女の子風にしたくらいじゃ、女の子として見て貰えないわよ。昨日、お母さんが騙されたのは、あなたがスカートをはいていたってことが大きな理由なのよ」
「そうなの?」
「そうじゃなかったら、騙されやしないわ。だから、それをはかないとダメなのよ」
ぼくは、若菜お姉ちゃんの小さな花柄の入ったパンツを手にとってじっと見つめた。
「昨日はけて、今日はけないことはないでしょう?」
「分かったよ。はいたらいいんだろう?」
「そうよ。それから、言葉遣いも女の子らしくしなさいね。人が聞いたら変に思うからね」
「・・・・はあい」
若菜お姉ちゃん、早く戻ってきてよ。ぼくは、若菜お姉ちゃんのパンツをはきながら心の中で呟いた。