7時に起きるように言われたけれど、6時前には目が覚めていた。稔はまだ眠りこけていた。稔の横顔は可愛い。わたしは、ベッドを抜け出すと、稔のほっぺたにチュッとキスをした。稔は気づかずに寝息をかいている。
わたしはシャワーを浴びることにした。疲れて眠ってしまったから、寝る前に汗も流さずに眠ってしまったからだ。女の子としては、他人に汗くさいなんて言われたくない。
シャワーを浴びて浴室の外に出ると、稔が目を覚ましていて眠そうに目を擦っていた。
「お早う、稔」
「お早う」
「稔もシャワー、浴びたら?」
「ぼくは、いいよ」
「昨日、シャワー浴びなかったでしょう? 汚いわ」
稔はちょっと口を尖らせた。
「早く浴びてきなさいよ」
「分かったよ」
稔がシャワーを浴び始めると、わたしはこっそり浴室に忍び寄った。そして、ゆっくりドアを開けた。稔の股間に唐辛子が見えた。
「な、何するんだよ!!」
稔は慌てて壁の方を向いた。
「稔。まだ毛が生えてないのね」
「ば、ばか!! お姉ちゃんなんて嫌いだ!」
「いいじゃないの。姉弟でしょう?」
「ぼくとお姉ちゃんは、ホントの姉妹じゃないよ」
「そうね。姉弟じゃないから、結婚できるわね」
「け、結婚!?」
「そうよ。お父さんとお母さんみたいに、仲のよい夫婦になるの。稔、イヤなの?」
稔は、頭からシャワーのお湯をかぶりながらじっと考えていた。
「ぼく、若菜お姉ちゃんのことが好きだけど、お姉ちゃんの方が年上だよ」
「あら? ひとつ年上くらいが一番いいって聞いたことがあるわよ」
「ホント?」
「ホントよ」
「じゃあ、大きくなったら、ぼくと結婚してくれる?」
「ええ、いいわ。指切りしましょう?」
「うん」
わたしと稔は小指と小指を絡ませて指切りをした。
「若菜お姉ちゃん?」
「何?」
「お姉ちゃんは、まだおっぱいが大きくならないんだね」
「ば、ばか!」
わたしが稔に、まだ毛が生えていないのねなんて言ったから、稔に仕返しをされてしまった。ちょっとだけ、ちょっとだけ膨らみ始めているんだけどな。
浴室から部屋に戻って服を着ようとして、ふと稔のベッドの枕もとを見た。そこには今日着る服が揃えられていた。わたしは悪戯心を出した。
バスタオルを脱ぐと、稔のトランクスをはいて、ランニングシャツを着た。鏡に向かってぺろりと舌を出す。
稔のお気に入りのTシャツにパンツを着てから、ミッキーの帽子をかぶった。鏡を見て、自分でビックリした。
「わたしって、こんなに稔と似ていたの?」
いとこ似って言うけれど、鏡に映ったわたしの姿は稔そのものだった。悪戯心がさらに頭を持ち上げてきた。今日わたしが着る予定の下着と服を残して、全部鞄の中に詰めた。
「若菜お姉ちゃん、どうしてぼくの服を着てるんだよ」
浴室から出てきた稔が、わたしの姿を見て、口をポカンと開けている。
「どう? 似合う?」
わたしは、くるりと回った。
「稔! 早く服を着て! 朝ご飯が待ってるよ」
「服を着てって、ぼくの服を返してよ」
「イヤよ。稔は、わたしの服を着なさい!」
「イ、イヤだよ。女の服なんて着られないよ」
その時ドアがノックされて、咲子さんの声がした。
「ふたりとも準備はできた? 朝食に出かけるわよ」
「ほら、早く」
「イヤだよ。早くぼくの服を返してよ」
「お父さんとお母さんを騙せるかどうか試してみようよ。ねっ?」
そう言い残して、わたしは鞄をぶら下げて部屋の外に出た。部屋の中には、わたしの服しか残っていない。稔はわたしの服を着るしかないのだ。わたしは、心の中でぺろりと舌を出した。
「稔、若菜お姉ちゃんは?」
咲子さんは、わたしのことを稔だと思っているようだ。しめしめとわたしはほくそ笑んだ。
「今、服を着てるよ」
「そう? 若菜! 早く来て出てきなさい」
咲子さんがドアをどんどんと叩いてからしばらくして、稔がわたしの服を着て出てきた。フリルの付いたブラウスに、短いスカート姿がよく似合っている。稔だとばれないように、ミニーのキャップをかぶって、前髪だけが帽子から出るようにしていた。まるで鏡を見ているような錯覚に捕らわれる。やっぱりわたしたちはよく似ている。
タオルを腰にまいたまま出てきて、わたしが稔の服を着ていると言えばすむことなのに、わたしの予想していたとおり、気の弱い稔はそうできなかった。しばらく入れ替わりを楽しめそうだなと、わたしは浮き浮きしていた。
「さあ、下におりましょう。あなた! 行くわよ」
「ああ」
浩二郎叔父さんも、わたしたちが入れ替わっていることに気がつかないようだ。稔は、泣きそうな顔をして、わたしの手を引いた。
「若菜お姉ちゃん・・・・」
「若菜はあなたでしょう? スカートはいてるのがばれると笑われるわよ」
稔は今にも泣き出しそうになる。
「若菜は、そんな顔はしないよ」
「だって・・・・」
「ばれやしないから。さあ、早く」
稔はずっと下を向いていた。浩二郎叔父さんたちは、まったく気がつかない。
朝食は、バイキング形式になっていた。わたしは和食系にしたかったけど、稔が洋食系を選んだので、わたしも洋食系にした。食事の好みの違いでばれることを恐れたからだ。
「若菜? どうしたの? 元気がないわね」
「なんでもない」
小さな声で稔はそう答えた。わたしと稔とは声が少し違うと思うんだけど、わたしの服を着ている稔のことをわたしだと思いこんでいるせいか、咲子さんも浩二郎叔父さんも疑う素振りはない。
朝食を済ませ、フロントで浩二郎叔父さんが会計をすませるのを待っていると、稔がわたしにせっついてきた。
「若菜お姉ちゃん、着替えようよ」
「いつまで騙せるか試してみようよ」
「いやだよ」
「稔がイヤでも、わたしは脱がないからね」
「そんなあ・・・・」
「それに、どこで着替えるって言うの? ここで脱ぐ?」
稔は下を向く。チェックアウトの手続きをしているから、もう部屋に戻って着替えることはできない。
「ばれやしないって」
「・・・・お母さんに言うよ」
「言ってもいいわよ。だけど、稔が女の格好をしたいって言ったからって、お母さんに言うわよ」
「ぼく、そんなこと言ってないよ」
「わたしが無理矢理着せたんじゃないからね」
「だって、これしか部屋になかったんだもん・・・・」
「それでも、稔が進んで着たことには違いがないわ」
稔は涙を流し始めた。
「泣くとばれるわよ。ここでばれてもいいの?」
「イヤだよ」
「そうでしょう? 大分に帰るまで、ばれないように頑張ってね」
稔は下を向いたまま返事をしない。
「ばれたときには、わたしが無理矢理着せたって言ってあげるから、いいわね?」
そう言うと、稔は涙を拭った。
「ホントだね」
「ホントよ」
「絶対に、絶対だよ」
「約束よ」
そう言って、わたしは稔の唇にチュッと軽くキスした。稔はちょっと困惑した表情を浮かべたけど、すぐに笑顔になった。
「ふたりとも行くわよ」
「はあい」
わたしが駆け出すと、稔も走って追いかけてきた。いつばれるかな? わたしはどきどきしながら、その時を待った。
ふたりともぜんぜん気がつかない。どうしてなのと不思議に思うくらいだ。ふたりだけじゃなく、まわりの誰ひとりとして、わたしが女の子で、稔が男の子だと気がつかないのだ。わたしくらいのこどもは、服装で男の子か女の子か判断されるようだ。
稔は開き直ったらしく、スカートをはいていることを気にもかけていないような様子で、ディズニーランドのアトラクションを楽しんでいた。
「若菜お姉ちゃん、ファンタジーワールドに行こうよ」
わたしが稔にそう尋ねると、稔はフンと鼻で笑いながら、こう答えた。
「アドベンチャーランドの方が面白いもん」
まるでわたしに成りきっているよ。稔は、わたしと入れ替わっていることがばれないためにそうしているのだ。
それにしても不思議なのは、いつも引っ込み思案で大人しい稔が、まるで人が違ったようになっていることだ。変装すると人は変わると言うけれど、まさにそれを目の当たりにしている。
だけど、女の子のわたしの方が、男の子の稔より活発だって言うのは、やっぱりおかしいかな?
「4時になるよ。そろそろ帰るぞ」
「もう少し、いたいわ」
稔は、言葉遣いもきっちり女している。
「ぼくも」
と、当然わたしも男言葉を使っている。
「だめだ。飛行機に乗り遅れる」
「もう一日遊びたい」
「来年また連れてきてやるよ」
「ホント?」
「ホントね」
「ああ。約束する。今度は、稔の卒業祝いだ」
「わあい。嬉しいな」
わたしと稔は手を取り合って喜んだ。
レストランでゆっくり食事をしている時間がなかったから、空港の待合室でサンドウィッチを夕食代わりに食べた。
「マンションに帰ったら、夜食を作ってあげるから、今はこれで我慢するのよ」
「はあい」
昨日東京に来るときに初めて飛行機に乗ったけど、飛び上がるとき、ジェットコースターみたいで楽しい。降りるときは気持ち悪いけど・・・・。
「皆様、当機は午後6時35分、東京羽田国際空港を離陸いたしました。お急ぎのところ、10分ほど遅れましたことをお詫び申し上げます。大分空港には、定刻の午後8時5分到着の予定でございます。当機は全席禁煙となっております。大分空港到着まで、今しばらくご遠慮ください。まもなくベルト着用のサインが消えますが、万が一に備えてご着席中は安全ベルトをしっかりとお締めおきください。大分の天候は雨。気温は19度と報告されております。・・・・」
そんなスチュワーデスの声を子守歌に、わたしは疲れて眠ってしまった。
ドスンと言う衝撃で目が覚めた。それと同時にグオッと言う逆噴射の音が機内に鳴り響いた。大分空港に着陸したのだ。大分空港は、スチュワーデスの言ったとおり土砂降りの雨だった。
「ホーバーは出ますか?」
お父さんが、案内に聞いている。
「出ますよ。雨だけで、風がないですから大丈夫です」
「おい、みんな。ホーバーで帰るぞ」
エスカレーター、動く歩道、再びエスカレーター。ホーバー基地に着くと、もの凄い音を立てて、ホーバークラフトがスタンバイしていた。
わたしは浩二郎叔父さんと、稔は咲子さんと一緒に座席に座った。まだ入れ替わっているから、男同士、女同士と言うことだ。
すぐにホーバークラフトが動き始めた。
「毎度大分ホーバーフェリーをご利用いただきまして、ありがとうございます。最前列のお客様は、シートベルトをお締め願います。救命胴衣は、お座席の下にございます。着用方法は、パンフレットでお確かめください。大分基地まではおよそ25分を予定しております。当船は、ただいま誘導路を走行中でありますが、この先カーブを切りますとき、ホーバークラフトの特性上横滑り状態となって進みます。航行の安全性には問題ありませんので、ご安心ください」
誘導路を真っ直ぐに付ければいいのになと思った。でも考えた。ホーバークラフトが、特殊な乗り物だと言うことを宣伝するために、わざとそうしているのではないかと。
陸の上から海の上に入ってしばらくして、わたしはまた眠り込んだ。
ドンとそれは大きな音がした。それと同時に、叫び声があちらこちらから耳に飛び込んできた。
眠い目を擦りながら周りを見回すと、乗客たちが出口に向かって殺到していた。
「みなさん。慌てないで。救命胴衣を付けて、順番に下船してください。救命胴衣は、船外に出てから膨らませてください」
「稔! 救命胴衣を付けなさい。早く!!」
浩二郎叔父さんの血走った目が、重大なことが起こったことを告げていた。
「女こどもを先に出すんだ」
「女こどもなんかより、俺が先だ!」
恰幅の言いおじさんが他人を押しのけて外に出ようとしていた。
「いい年をして恥を知れ!!」
「なにい!!」
怒号が響き渡る。救命胴衣を付けると、すぐに船外に連れ出された。出口から中を振り返ると、咲子さんがわたしの振りをしている稔に救命胴衣を被せていた。船首の方から、海水が入ってきている。
「稔。先に行きなさい」
浩二郎叔父さんは、そうわたしに言うと、咲子さんの元へ走った。わたしは、周りにいた女の人たちとともに海の中へ飛び込んだ。
「ホーバーから離れるんだ。沈むときに巻き込まれるぞ」
乗務員が大きな声で叫ぶ。わたしたちは、慌ててホーバーから離れた。泳ぎながら振り向くと、浩二郎叔父さんたち3人が海に飛び込むのが見えた。
よかった。みんな助かった。
少し泳いで振り返ると、激しい雨のためにホーバーは見えなくなっていた。急に不安になって、周りを見回したけど、誰もいない。
「誰か助けて。わたしはここよ」
大きな声で叫んでみたけれど、激しさを増した雨にその声はかき消されてしまった。ホーバーの方へ戻ろうと、一生懸命泳いだけれど、ホーバーにたどり着けず、しかも誰にも出会わなかった。わたし一人だけが、潮に流されているようだった。
「お父さん。お母さん。助けて!!」
誰も返事をしない。誰の声もしない。
「お願い。助けてよ・・・・」
疲れてわたしはとうとう泳げなくなってしまった。力が抜けていく。わたし、ここで死んでしまうんだわ。そう思うと悲しかった。
「若菜。もう寂しくないわ。わたしたちがいるわ」
目の前に、死んだ筈のお母さんの姿があった。お母さんが迎えに来てくれた。もう寂しくはない。
「お母さん・・・・」
力が抜けた。わたしの意識は眠るように消えていった。