綾子は、西条家を出て、毛利が残したマンションへ戻った。復讐が終われば、西条家を出なければならないことがわかっていたから、このマンションに戻ることにしていたのだ。
「あれから、もう一ヶ月になるのね」
綾子は、病室での西条の言葉を反芻していた。
「優とは一卵性双生児だったのね」
他人であれば、移植されたペニスと睾丸に対して拒絶反応が起こる。それが起こらないのが不思議だと思っていた。一卵性双生児ならば、肉体的な部分はすべてが一致するから移植しても拒絶反応が起こらないのだ。
「一卵性双生児だった・・・・、あの優と・・・・」
そうしてから、綾子は最後にふたりに残した言葉を思い出した。
「頼まれていたら、ホントにペニスと睾丸を優にあげたのかしら?」
あの時、綾子は徹に向かってきっぱりとそう言った。けれど、言葉ではそういえても、実際にその場面になってみないとわからないなと思っていた。
ピン・ポーン。
玄関のチャイムが鳴った。綾子は、そろそろ洗濯屋のご用聞きが来る頃だと思い、洗濯物を抱えて玄関へ向かった。
「ちょっと待って。すぐに開けるわ」
ドアを開けて、綾子はビックリした。優が立っていたのだ。
「優・・・・。何の用?」
「父さんが死んだ」
「ええっ!?」
「あれからすぐ再発作を起こして。ずっと頑張っていたんだけど、結局、一昨日の夜、行ってしまったよ」
「そう・・・・」
父親が死んだと聞かされても、綾子には何の感情も浮かんでこなかった。徹が父親だという実感もなかったし、そんな事実を認めたくもなかったからだ。
「それで?」
「父さんは、まだ離婚届を出さないまま亡くなったんだ。つまり、綾子は・・・・、綾子でいいね」
「え、ええ」
「綾子は、まだ父さんの妻なんだ」
「そう・・・・。だから、どうだって言うの?」
「父さんの葬儀に出て欲しいんだ。妻として」
「イヤよ!」
「お願いだ。この通りだ」
優は玄関に跪いて頭を床にこすりつけた。
「どうしてそんなことが頼めるの? わたしにあんな仕打ちをした張本人なのよ」
「それはわかっている。わかっているけど、父さんはずっと後悔していたんだ。だからこそ、離婚届を出さなかったんだ」
「離婚届を出さなかったらどうだって言うの? 月々100万の手当と伊豆の別荘の居住権だけで、お茶を濁そうって言うこと?」
「そうじゃないんだ。あんな女性の立場を軽視した契約は無効なんだ。綾子は、父さんの財産の半分を相続する権利があるんだ」
「嘘でしょう?」
「ホントなんだ。父さんは、綾子に対するせめてもの償いに財産を残そうとして離婚届を出さなかったんだ。だから・・・・、だから、父さんを許してやってくれ。お願いだ」
「お金の問題じゃないわ。後悔するくらいなら、初めからやらなきゃ良かったのよ」
「それはわかっている。だけど、父さんと許すと言ってくれ。死ぬ直前まで、すまなかったとうわごとのように言っていたんだから」
「ホントに後悔してたのね」
「ああ、本当だ」
綾子は、じっと考えていた。そして、ぽつりと言った。
「葬儀はいつ?」
「行ってくれるんだね?」
「妻の役目でしょう?」
冷めた口調で綾子が答えた。
「わ、わかった。通夜が明日の夜7時で、本葬が明後日の午後1時だ」
「遅れないように行くわ」
「頼んだよ」
優は、綾子の顔をじっと見つめたあと、ドアを閉めて去っていった。
優が部屋から消えたあと、綾子はすぐさま黒っぽいワンピースに着替えた。
(一昨日死んで、明日が通夜と言うことは、遺体は屋敷にあるはずね)
西条は全国組織の会社のトップだ。恐らく連絡が行き渡ってから葬儀という段取りだろうと綾子は判断した。
綾子は電話を取って、ダイヤルした。
「もしもし、わたしです。喪服の準備をしておいて。すぐに屋敷に戻りますから」
電話に出た大原の返事を待たずに綾子は受話器を置いてマンションを出た。
西条の屋敷に着くと、親戚連中が早速噂を始めたのが耳に届いた。
「妻のくせに看病もしないで」
「遺産が入ると知って帰ってきたんだわ」
「やっぱり遺産目当てだったのよ」
そんな言葉を言われるのは分かり切っていた。しかし、綾子は意に介せずに、西条の遺体が安置された部屋へ入っていった。
真っ白な菊で飾られた祭壇に西条は祭られていた。その祭壇は、仮通夜のものと言うにはあまりにも華美だった。
綾子は、棺に近づいて窓から西条の死に顔をのぞき込んだ。綾子が屋敷に戻ってきたのは、西条の死に顔を見るためだった。
(わたしにあんな仕打ちをしたんだから、きっと苦しんで死んだわよね)
しかし、西条の死に顔を見て、綾子は意外だった。
(何故? 何故、こんなに安らかな死に顔なの?)
綾子にあんな仕打ちをしていて、こんなに安らかな死に顔をしているのが悔しかった。
(あなた! 生き返って! 生き返って、わたしの前に土下座して謝って!!)
綾子の目から涙がこぼれた。涙があとからあとから沸いてきた。そんな綾子を見て、大抵の人間は偽りの涙と思い、優は父をあるいは夫を失った悲しみで泣いていると思っていた。
綾子は、西条の妻としての役割を果たして、葬儀はつつがなく終わりを迎えた。小さな骨壺に入った西条を抱えて屋敷に帰ると、綾子は屋敷に着て帰ったワンピースに着替えた。
「何処に行くんだ?」
優が綾子に尋ねる。
「何処にって、わたしのマンションに帰るのよ」
「この屋敷にいてくれないか?」
「えっ?」
「この屋敷にいてくれないかって頼んでるんだよ」
綾子は不思議そうな顔をして聞き返した。
「どうしてわたしがこの屋敷にいなきゃいけないのよ」
「どうしてって、この屋敷は綾子が相続することになっているんだよ」
「あの人の遺産なんかいらないわ」
「いらないって言ったとしても、必ず綾子に相続させるように、父さんが遺言を書いたんだ」
「あの人が、たとえそんな遺言を書いたとしても、わたしは財産目当ての悪い女だと思われているのよ。そんな針のむしろに座っていろと言うの? まっぴらだわ」
「それはわかっているよ。でも、綾子がどう思おうとも、この屋敷は綾子のものなんだよ。父さんの財産の半分は綾子に相続されるんだから」
「いらないって言ってるでしょう?」
「そんなことを言っても、弁護士が手続きをして、財産の半分が綾子のものになるんだ」
「そんな遺産なんていらないから、あなたがどうにかして。そうだ。わたしがあなたにわたしが相続する分をすべてをあげるわ。そうすればいいんでしょう?」
「それだと、贈与税がかかってしまうよ」
「それでいいじゃない」
「そうも行かないんだ。父さんの財産の多くは固定資産で現金はそれほどないんだ。相続税を支払うだけで手一杯なんだ。もし、相続税の上に贈与税を支払うとなると、ホテルをかなり手放さなければならなくなる」
「そうしたらいいじゃない」
綾子はにべもなく言った。
「従業員を路頭に迷わせるわけには行かないんだ」
「じゃあ、どうしろって言うの?」
「だから、父さんの財産を相続して、この屋敷にいて欲しいと何度も言ってるじゃないか」
「親戚たちのあの視線にずっと晒されろって言うのね。また、わたしを苦しめるの? あなたのお父さんを死に追いやった復讐なの?」
「父さんが死んだのは自業自得だと思ってるよ。・・・・綾子が遺産を相続して、しかも親戚たちの目を少し和らげる手があるんだ」
「どんな?」
「ぼくと結婚してくれ」
「はあ?」
綾子は、呆れて優の顔を見た。
「あなた。いったい自分が何を言っているのかわかっているの? わたしと結婚してくれですって? 気でも狂ったの?」
「狂っちゃいない。ぼくと綾子が結婚すれば、親戚たちを納得させられる。綾子が財産を持ち逃げできないってね」
理屈はわかったものの、そんなことにすぐさま同意できるわけもなかった。
「あのね。わたしはあなたの父親の妻だったのよ。それ以前に、わたしは男なのよ」
「父さんの妻との結婚は、財産を守るためだという大義名分が立つ。綾子は、ぼくとは義理で、親子関係はないしね。第二に、綾子は男じゃない。どこから見ても立派な女だ。綾子は、本物の女以上に女だ。自分でもそう思うだろう?」
「・・・・でも、わたし、あなたの弟なのよ」
「ぼくの弟? どこにそんな証拠があるんだよ」
「え・・・・」
「西条家の戸籍には、ぼくしか載っていない。ぼくに双子の弟などいたことにはなっていないんだ。岡本崇の戸籍を調べてみたって、同じだ。ぼくたちが双子だってことは、父さんが言っただけで、どこにも証拠はないんだ。はっきりしているのは、綾子は静岡出身の女の子だってことだけだ。違うのかい?」
「本気なの?」
「本気だよ。ぼくは、綾子が男だとも弟だとも思っていない。綾子は、ぼくが生まれて初めてホントに愛した女だ。嘘じゃない」
綾子は、優を見つめる。その言葉に偽りはないようだった。
「ぼくは、綾子をひどい目に遭わせた男の息子だ。ぼくを愛してくれとは言わない。ただぼくのそばにいるだけでいいんだ」
綾子は考える。
(屋敷を出たとしても、金目当てに西条と結婚したというレッテルは付いて回る。優と結婚すれば、見かけ上は財産は分割されないから、親戚連中の懸念は押さえられる。優は、わたしが元は男だとわかった上で結婚しようと言ってくれている。わたしの財産目当てに言い寄る男はいても、他にそんな男が現れる可能性は少ない。しかし、いくら女になったからと言って、兄弟で結婚するなんて道義的に許されるのだろうか? でも・・・・わたしたちが兄弟と言うことは、わたしたちしか知らない。何の証拠もない。優はわたしのとの結婚を望んでいるし、わたしが決心すればいいことだ)
綾子には優と結婚する以外にもうひとつの選択枝があった。財産相続を放棄し、西条家ときっぱり縁を切ることだ。けれどそうしなかったのは、優の綾子に対する愛情が本物であることを感じていたせいでもあるし、綾子の知らないところで、元々は綾子のものであったものを他の女性を愛するために使って欲しくなかったからだ。
結論は出た。
「あら? そばにいるだけでいいの? わたしにいいことして欲しいんでしょう?」
綾子がそう答えると、優は嬉しそうな顔を綾子に向けた。
「それって、ぼくとの結婚を承諾してくれたってことだね」
「そう取って貰っていいわ。ただし、ひとつだけ約束して」
「何をだい?」
「絶対に浮気しないと約束して。わたし、これでも女だからね。女は、愛した男に浮気されるのが一番イヤなのよ」
「ぼくを愛してくれるのかい?」
「・・・・ホントのところはまだわからないわ。でも、わたしたち、一卵性双生児なんでしょう? あなたとは愛し合えそうな気がするの」
「そうだよ。ぼくが綾子を好きになったのは、きっとそのせいだよ」
「浮気しないわよね」
「ああ、約束する」
「義理の母親と結婚するなんて、あなた、好奇の目に晒されるわよ」
「いいさ。綾子がそばにいてくれれば」
優を見上げる綾子の腰を抱きながら、優は綾子以上に愛せる女はいないだろうと思っていた。
優と綾子の結婚には民法の壁があった。ひとつは、夫との離婚あるいは死別の後、女は6ヶ月間は結婚できないという規定だ。これは時間が解決する。ふたりの前に立ちはだかった大きな壁は、一度親族になったもの同士は、3親等以内の婚姻が許されないと言うものだ。この規定がある限り、優と綾子は永遠に結婚できないと言うことになるのだ。
実はこの点については、優は既に知っていた。綾子と関係を持ち始めたとき、綾子が父と別れたあと優と結婚できるか弁護士に尋ねていたのだ。
綾子との婚姻が許されないことを知ったときの優の失意は大きかった。しかし、婚姻届を出せなくてもいい。綾子と一緒に暮らそう。優はそう思っていた。
ところが、父・徹が亡くなって事態が急変した。顧問弁護士の大石が財産問題の打ち合わせのために優の元にやってきたとき、優にとって朗報がもたらされたのだ。
「嘘だろう?」
「本当です。この通り」
大石の示す戸籍謄本には、綾子の文字はなかった。父・徹は、綾子と結婚したと宣言していたのだが、婚姻届を出していなかったのだ。
「どうして?」
「あなたのお父様は、綾子様を愛していました。けれど、財産問題は別でした。お父様と綾子様は年令が倍以上離れていますから、お父様が先に亡くなるのは目に見えていました。婚姻届を出せば、お父様が亡くなったとき、財産の半分は綾子様のものです。あなたに全財産を残したかったお父様は、婚姻届を出さず、綾子さんとの間にお子様をお作りにならなかったのです」
子供を産めない綾子にとっては幸いだったなと優は考えていた。
「だけど、内縁でも遺産相続の権利があるでしょう?」
「もちろんです。けれど、お二人の実質的な夫婦生活がまだ1年しか経過しておりませんから、異議が申し立てられれば、半分以下、場合によってはゼロと言うこともあり得るでしょう」
「なるほど。・・・・婚姻届が出されていなかったと言うことは、ぼくと義母とは親族関係がないと言うことになりますね?」
「その通りです。世間体はともかく、法律的には、婚姻が認められます」
「以前相談したときには、あなたは義母とは結婚できないと言いませんでしたか?」
「それは・・・・」
大石は言い淀む。
「それは?」
「あの頃、既にお父様は優様と綾子様の関係を疑っておられました。お父様はあなたに綾子様を奪われるのを恐れたのです。結婚できないと言っておれば、綾子様に近づかないだろうとご依頼を受けまして」
「なるほど」
優は綾子との婚姻届を出していなかった父に感謝した。
教会の鐘が鳴り響き、真っ白なウエディングドレスを着た綾子の周りに花びらが舞う。
(西条との結婚式は偽りだったけど、今度は本物。今度は、復讐のためではなく、愛のために結婚するのね)
綾子の優に対する思いは、まだ愛とは呼べるものではないかもしれない。しかし、精一杯優を愛してやろうと思っていた。
処夜は、優と綾子が初めて関係を持ったあのスイートで迎えた。
「ふふ。もう離さないから。わたしのものなんだから」
綾子は、優の股間に屹立しているペニスに口づけをした。
「今はぼくのものだよ」
「そうね。でも、わたしだけのためにあるの。そうよね」
「ああ」
「さあ、わたしに返して。わたしの中へ」
「行くよ」
綾子は優に貫かれる。
(わたしはわたしのものだったペニスで貫かれる。わたしは優と一体になる。元々ひとつだったわたしたちが、今こうして再びひとつになった)
優と綾子はひとつに解け合った。今、ふたりは永遠に固い絆で結ばれた。