第七章 開き直って

 午前五時に目が覚めた。まだ、元に戻っていない。もう開き直るしかない。鏡に向かって、化粧を始めた。ぼくは、ぼくには化粧の才能があることを発見した。鏡に映った化粧した智子の顔に不自然さを感じない。
 午前七時半、婦長さんが部屋に顔を出した。少し顔が腫れぼったい。息もアルコール臭い。昨夜、かなり飲んだんだろう。
 「あら、お化粧、うまくできたじゃない」
 「自分でもビックリしてます。これでいいですよね」
 「じゅうぶんよ。入れ替わる前の清水さんとまったく変わらないくらいよ」
 「よかった」
 ぼくはまず胸をなで下ろした。第一難関突破だ。
 「朝ご飯、まだでしょう? 一緒に行きましょうか?」
 「はい」
 「スカート、大丈夫なの?」
 ぼくは、今朝迷った挙げ句にスカートを穿いた。それも膝上丈のものだ。婦長さんがビックリするのも無理はない。
 「不安な気もするんですけど、着てみるしかないと思って」
 「そうね。いつもジーンズというわけにはいかないでしょうからね」
 食堂に降りると、厨房の中から、例の男性が声を掛けてきた。
 「智ちゃん、珍しいね。朝ご飯、食べるのかい?」
 その言葉に智子がいつもは朝食は摂らないことを知った。けれど、ここまできて食べないと言うわけにもいかなかった。
 「三度、三度食べる方が、健康にいいって聞いたから」
 「そりゃ、そうだよ。はい、みそ汁。はい、これは婦長さんの分」

 朝食が終わって部屋に戻り、婦長さんを相手に再び、看護婦の勉強をした。今日は、患者さんの観察の仕方とカルテへの記載の仕方を習った。
 「昼間は黒、夜間は赤よ。分からなかったら、前の記載を見たらいいわ」
 「はい」
 「ところで、藤井真吾さんから連絡があった?」
 「えっ!? いいえ」
 「昨日出かけたからねえ。留守電にして置いたんだけど、何もメッセージが入ってなかったわ」
 「どこにも行かないとは思うけど・・・・」
 「今日は連絡があるでしょう。なかったら、こちらから連絡してみましょう」
 「伯父の容体はどうですか」
 「あんまりよくないみたいね。早く元に戻らないと・・・・」
 婦長さんの懸念はよく分かる。婦長さんは、伯父の体が死んでしまったら、今のままの状態、ぼくが清水智子で、伯父が、藤井真吾のままになってしまうと思っているのだ。
 「もし、伯父が死んだら、元に戻るんじゃないのかなあ」
 婦長さんは、そうだわねと言うような顔をして、ぼくの顔を見た。
 「そうよ。きっとそうよ。神様は、理不尽なことはしないもの」
 自分で言った意見に、ぼくは半信半疑だった。そう、うまくいくのだろうか? そうなる前に元に戻れば、何も問題はないのだが・・・・。

 入れ替わって、四十八時間が経過した。まだ、元には戻らない。
 昼食を済ませて、ぼくは、病院の近くの公衆電話まで出かけていって電話をした。外に出るのはちょっと勇気がいったが、できるだけ女らしく、注意しながら歩いた。
 電話の相手はなかなか出なかった。もう切ろうかと思っていると、ようやく相手が出た。
 《・・・・はい》
 「藤井真吾さんですか?」
 《・・・・そうだ》
 「ぼくだよ」
 《誰だ? ぼくだけじゃあ、分からん》
 「ぼくだよ、社長。真吾だよ」
 《ああ、真吾か。女の声だから、誰だろうかと思った》
 「まだ寝てたのかい?」
 《ああ、そうだ》
 「昨日は婦長さんに連絡したの?」
 《・・・・ああ、忘れてた。出かけていたんだ》
 こんな非常事態に出かけていて忘れたなんて、自分の伯父ながら、情けなくなってしまう。
 「どこに、どこに行ってたんだよ」
 《飲みに行ってたに決まってるだろう?》
 「ええっ! 飲みに行ってた?」
 《そうだ。久しぶりだからな。浴びるほど飲んでしまった。おまえ、弱いんだな。あれくらいの酒で、ひどい二日酔いだよ》
 「ぼくの体なんだよ。病気になったらどうするんだよ。無茶しないでくれよな」
 《まだ若いから、少しくらいの無理は大丈夫さ》
 「そう言って、社長は肝臓を悪くして入院したんじゃないか。同じ轍を踏むつもりかい?」
 《・・・・そうだったな。気を付けるよ》
 「社長、何か良いアイデアはないかなあ」
 《何の》
 「何のって、元に戻るアイデアさ」
 《原因がわからんのに、対応の方法が分かるものか》
 「そりゃ、そうだけど・・・・」
 《待つしかないって。ゆっくり待とう》
 「社長は、気楽でいいかもしれないけど、こっちは大変なんだから・・・・」
 《まあ、そう言うな。とにかく待つしかないんだからな》
 「もういいよ。もう切るけど、くれぐれも無茶しないでね。ぼくの体なんだからね」
 《分かった。分かった。じゃあな》
 伯父は気楽なものだ。明日から仕事に出なければならないけれど、ぼくの仕事くらい、伯父には充分やれる。いや、ぼくより遙かにうまくやれるはずだ。
 ぼくは、明日から、やったこともない看護婦をやらなければならない。ああ、頭が痛い。明日までに、元に戻らないかなあ。

 午後も婦長さんの特訓が続いた。お蔭で、何とかできそうだ。
 今日は、湯船にお湯を溜めて、ゆっくり浸かった。やっぱり入浴はこれでなくちゃ。