午前五時に目が覚めた。まだ、元に戻っていない。もう開き直るしかない。鏡に向かって、化粧を始めた。ぼくは、ぼくには化粧の才能があることを発見した。鏡に映った化粧した智子の顔に不自然さを感じない。
午前七時半、婦長さんが部屋に顔を出した。少し顔が腫れぼったい。息もアルコール臭い。昨夜、かなり飲んだんだろう。
「あら、お化粧、うまくできたじゃない」
「自分でもビックリしてます。これでいいですよね」
「じゅうぶんよ。入れ替わる前の清水さんとまったく変わらないくらいよ」
「よかった」
ぼくはまず胸をなで下ろした。第一難関突破だ。
「朝ご飯、まだでしょう? 一緒に行きましょうか?」
「はい」
「スカート、大丈夫なの?」
ぼくは、今朝迷った挙げ句にスカートを穿いた。それも膝上丈のものだ。婦長さんがビックリするのも無理はない。
「不安な気もするんですけど、着てみるしかないと思って」
「そうね。いつもジーンズというわけにはいかないでしょうからね」
食堂に降りると、厨房の中から、例の男性が声を掛けてきた。
「智ちゃん、珍しいね。朝ご飯、食べるのかい?」
その言葉に智子がいつもは朝食は摂らないことを知った。けれど、ここまできて食べないと言うわけにもいかなかった。
「三度、三度食べる方が、健康にいいって聞いたから」
「そりゃ、そうだよ。はい、みそ汁。はい、これは婦長さんの分」
朝食が終わって部屋に戻り、婦長さんを相手に再び、看護婦の勉強をした。今日は、患者さんの観察の仕方とカルテへの記載の仕方を習った。
「昼間は黒、夜間は赤よ。分からなかったら、前の記載を見たらいいわ」
「はい」
「ところで、藤井真吾さんから連絡があった?」
「えっ!? いいえ」
「昨日出かけたからねえ。留守電にして置いたんだけど、何もメッセージが入ってなかったわ」
「どこにも行かないとは思うけど・・・・」
「今日は連絡があるでしょう。なかったら、こちらから連絡してみましょう」
「伯父の容体はどうですか」
「あんまりよくないみたいね。早く元に戻らないと・・・・」
婦長さんの懸念はよく分かる。婦長さんは、伯父の体が死んでしまったら、今のままの状態、ぼくが清水智子で、伯父が、藤井真吾のままになってしまうと思っているのだ。
「もし、伯父が死んだら、元に戻るんじゃないのかなあ」
婦長さんは、そうだわねと言うような顔をして、ぼくの顔を見た。
「そうよ。きっとそうよ。神様は、理不尽なことはしないもの」
自分で言った意見に、ぼくは半信半疑だった。そう、うまくいくのだろうか? そうなる前に元に戻れば、何も問題はないのだが・・・・。
入れ替わって、四十八時間が経過した。まだ、元には戻らない。
昼食を済ませて、ぼくは、病院の近くの公衆電話まで出かけていって電話をした。外に出るのはちょっと勇気がいったが、できるだけ女らしく、注意しながら歩いた。
電話の相手はなかなか出なかった。もう切ろうかと思っていると、ようやく相手が出た。
《・・・・はい》
「藤井真吾さんですか?」
《・・・・そうだ》
「ぼくだよ」
《誰だ? ぼくだけじゃあ、分からん》
「ぼくだよ、社長。真吾だよ」
《ああ、真吾か。女の声だから、誰だろうかと思った》
「まだ寝てたのかい?」
《ああ、そうだ》
「昨日は婦長さんに連絡したの?」
《・・・・ああ、忘れてた。出かけていたんだ》
こんな非常事態に出かけていて忘れたなんて、自分の伯父ながら、情けなくなってしまう。
「どこに、どこに行ってたんだよ」
《飲みに行ってたに決まってるだろう?》
「ええっ! 飲みに行ってた?」
《そうだ。久しぶりだからな。浴びるほど飲んでしまった。おまえ、弱いんだな。あれくらいの酒で、ひどい二日酔いだよ》
「ぼくの体なんだよ。病気になったらどうするんだよ。無茶しないでくれよな」
《まだ若いから、少しくらいの無理は大丈夫さ》
「そう言って、社長は肝臓を悪くして入院したんじゃないか。同じ轍を踏むつもりかい?」
《・・・・そうだったな。気を付けるよ》
「社長、何か良いアイデアはないかなあ」
《何の》
「何のって、元に戻るアイデアさ」
《原因がわからんのに、対応の方法が分かるものか》
「そりゃ、そうだけど・・・・」
《待つしかないって。ゆっくり待とう》
「社長は、気楽でいいかもしれないけど、こっちは大変なんだから・・・・」
《まあ、そう言うな。とにかく待つしかないんだからな》
「もういいよ。もう切るけど、くれぐれも無茶しないでね。ぼくの体なんだからね」
《分かった。分かった。じゃあな》
伯父は気楽なものだ。明日から仕事に出なければならないけれど、ぼくの仕事くらい、伯父には充分やれる。いや、ぼくより遙かにうまくやれるはずだ。
ぼくは、明日から、やったこともない看護婦をやらなければならない。ああ、頭が痛い。明日までに、元に戻らないかなあ。
午後も婦長さんの特訓が続いた。お蔭で、何とかできそうだ。
今日は、湯船にお湯を溜めて、ゆっくり浸かった。やっぱり入浴はこれでなくちゃ。