ノックの音で目が覚めた。ぼくはソファーの上に座ったまま眠っていた。不自然な姿勢で眠っていたせいか、体中が痛かった。白の看護服。そのスカートから覗く白のストッキングを穿いた足。ぼくはまだ清水智子、智ちゃんのままだった。
起きあがってベッドの方を見ると、伯父(智ちゃん)は、まだ眠っていた。顔色が心なしか黄色いように感じる。黄疸が出てきているのだろうか? 六畳の和室には、ぼく(伯父)が眠っていた。だらしなく涎を流していた。ぼくが眠っているときも、あんな風に涎を流しているのだろうか? そうだとしたら、なんと恥ずかしいことだろう? 緑に見られていないだろうな?
また、ノックの音。誰かが、ドアの外にいる。伯父(智ちゃん)もぼく(伯父)も眠っている。ぼくが返事をするしかない。
「はい」
「清水さん、起きてる?」
声からすると夜勤の看護婦らしい。智子の同僚だ。不自然にならないように応対しなければ・・・・。女言葉に注意して・・・・。
「今、起きたわ」
ドアが少し開いて、随分若い娘が顔を出した。どうやら、美代ちゃんと同じ、看護学生のようだ。
「清水さん、藤井さんの具合はどうですか?」
「変わりないわ」
ぼくは伯父(智ちゃん)の方を見遣った。
「そうですか。清水さんが、一晩中付きっ切りだと聞いたから、よっぽど悪いのかと思っちゃった」
「婦長さんがそうしろって言うものだから」
「婦長さんは勘がいいからね。じゃあ、頑張ってください」
少女は、不審に思わなかったようだ。よかった。
ぼく(伯父)が、目を覚ました。布団の上で、大欠伸をしている。ぼくは、あんなにだらしなくないよ。・・・・のはずだ。
「よう、起きてたのか?」
「もうすぐ七時だよ。よくそんなに眠れるなあ」
ぼくは口調を本来のぼくに戻した。
「眠りがいつも浅いんだ。悪い夢ばかり見て、眠っている時間が長い割には、眠った気がしないんだ。でも、今日はぐっすり眠れたよ」
「そうなの?」
「体が軽いなあ。おまえたちには悪いが、ずっとこのままでいたいよ」
ぼく(伯父)は、マジ顔でそう言った。
「また、そんなことを言って。ぼくは絶対元に戻るからね」
ぼくは、ぼく(伯父)を睨み付けた。
「分かった。分かったよ。もう、言わないよ」
ガタリとドアが開いた。ぼくはビックリして、ドアの方を見た。
「もう起きたかしら?」
婦長さんがやってきた。ぼくたちの様子を上目遣いに観察している。
「どうやら、まだ元に戻っていないみたいね」
「まだだよ。どうなるんだろう、ぼくたちは?」
ぼくは絶望的な気分になっていた。もう、元には戻れない。そんな予感がした。
「大丈夫よ。まだ、一日も経っていないんだから」
「時間がたてばたつほど、元に戻れなくなるような気がするんだ。ねえ、社長」
「わたしもそんな気がするよ。元に戻れるのなら、もう戻っていいはずだ」
「そんなことないわよ。もう少し待ちましょう。いいわね」
ぼくたちは、頷くしかなかった。他にどうしようもないのだ。ただ、待つしか・・・・。
特室に運ばれてきた朝食を済ませて、ただ、ただ、待つ。特室は他の部屋よりは広いとは言え、そう広くはない部屋の中だ。閉じこめられているという意識が、元に戻れないと言う苛立ちを増長して、三人とも不機嫌になっていった。
「社長、少しはじっとしてろよ。熊みたいにうろうろして。いらいらするよ」
「わたしの勝手だ。おまえこそ、もう少し、女らしい言い方をしろよ。まるで、本性を現したおかまじゃないか」
口達者な伯父だ。すぐに反撃を食らった。
「ぼくは男だ」
「どこが男だ。鏡を見て見ろ!」
「ふたりとも喧嘩は止めてよ。気分が悪いのが、余計に悪くなるわ」
一番苦しんでいるのは、伯父になってしまった智ちゃんだ。精神的にも肉体的にも苦しいはずだ。
「ごめん、つい、いらいらして」
「すまん、智ちゃん」
「静かに待ちましょうよ」
そう言われて、ぼくはソファーに座り込んだ。伯父は、和室の布団の上に寝転がって天井を見ている。
入れ替わってから、とうとう丸一日が経過した。二十四時間というのが、何故か元に戻れるタイムリミットのように感じていたぼくは、ガックリ来てしまった。
ソファーの上に力無く座っていると、婦長がやってきた。
「変わりないみたいね」
「変化なしだよ。元に戻らない」
和室で、ぼく(伯父)の声がした。
「仕方ないわね。・・・・他の看護婦たちが少しおかしいと言い始めたの」
「なにを?」
「清水さんがここにずっといることをよ」
「・・・・そうだろうね」
「清水さん、じゃない、藤井さん」
「はい」
「悪いけど、寮に戻ってくれない?」
「えっ! 寮にって、看護婦寮に?」
「そうよ」
「でも、ここを離れたら、元に戻れなくなってしまうんじゃないかなあ?」
「そうかもしれないけれど、そうでないかもしれないわ。入れ替わるときは、同じ部屋の中にいた人だけだったけど、元に戻るのは、一緒にいなくてもいいんじゃないかと思うの」
「何を根拠にそう言うんだ?」
ぼく(伯父)が、起きあがって婦長にそう尋ねた。
「根拠はないわ。根拠はないけど、ずっとここにいるわけにはいかないでしょう?」
「・・・・そうだな。ここでずっと暮らすわけにはいかないな」
ぼく(伯父)がそうぽつりと呟いた。ぼくも同感だ。
「わたしはいやよ。みんな、ここにいて!」
伯父(智ちゃん)が、はんべそでそう叫んだ。
「智ちゃん、あなたの気持ちはよく分かるけど、今言ったように、みんなずっとここにいるわけにはいかないのよ。分かって」
「でも・・・・」
「智ちゃんは、ここにいるしかないけど、藤井真吾さんになった藤井正太郎さんは、自宅に帰るしかないわね」
「そうだな」
「藤井真吾さんの家のこととか、仕事のこととかは分かるんでしょう?」
「ああ、ばっちりだよ」
「それなら問題ないわね。問題は、清水さんになってしまった藤井真吾さんね」
婦長とぼく(伯父)が、ぼくを見た。
「ぼ、ぼくは看護婦さんなんて、できないからね」
「それは分かっているわ。分かっているけど、やって貰うしかないわよ」
「いやだよ。できるわけがない」
「できなくても、やって貰うわ。看護婦をやれないって言うのなら、誰かと結婚して、寿退職でもする?」
結婚! とんでもない。ぼくは慌てて首を振った。
「結婚なんて、もっと無理だよ。・・・・そうだ! 実際には結婚しないけど、寿退職を装うって言うのは、どう?」
「いえ、結婚というのは、だめね。そんなことしたら、元の戻ったときに清水さんが困るわね」
「そうか・・・・。何にもしないで、寮にいるわけにはいかないの?」
「清水さんは、ちゃんとした看護婦なのよ。理由もなしに休めないわ」
「病気だとか言ってさあ」
ぼくは逃げ腰だ。女になっただけでも大変なのに、この上看護婦をやれだなんて。何処かに隠れてじっとしていたいのに。
「あなたが元気なのは、みんな知ってるわ。それに、この病院は職員が少ないから、ひとり休むと、他の人たちに負担がかかるのよ」
「無理だよ・・・・」
ボクは項垂れる。
「何も今日からやれって言ってるわけじゃないのよ。清水さんの次の勤務は月曜日だから、それからでいいの」
「月曜までに元に戻るかもしれないじゃないか」
「もし、戻らなかったら、その時慌てなければならないのは、あなたなのよ」
「元に戻るんじゃあないかなあ」
そう言った割に声が小さいとぼく自身が感じていた。
「あくまでも、最悪のこと考えてのことよ」
「最悪のことかあ・・・・」
「それまでの間、わたしが特訓してあげるわ」
「二日もないのに、やっていけるかなあ?」
「とにかく、やれるだけでいいわ。元に戻るまでの辛抱よ。清水さんのために、わたしからもお願いするわ」
そう言われれば、逃げるわけにはいかない。ぼくは渋々承諾した。元に戻れば、いい経験をしたですむ。・・・・元に戻らなければ、特訓が役に立つというわけだ。
「じゃあ、藤井さん!」
ぼくがハイと答え、伯父がああと答えた。
「藤井真吾さんの方よ」
「ぼくじゃないの?」
ぼくがぼくを指さすと、ぼく(伯父)が首を振った。
「おまえは、清水智子だろう? 藤井真吾は、わたしだ」
ぶすっとして婦長を見ると、婦長もぼく(伯父)に同調した。
「そう、藤井真吾さんになった藤井正太郎さん。あなたは、まっすぐ、藤井真吾さんのマンションに帰って、待機してね」
「分かった」
「清水さんになった藤井真吾さんは、わたしと寮に行って、看護婦の特訓をするわね。ううん、面倒くさいわね。今から、見た目で名前を呼ぶからそのつもりでね。藤井真吾さん、それから清水さん、いいわね」
「分かりました」
「分かったよ」
ぼくとぼく(伯父)は顔を見合わせた。
「それから、ふたりとも言葉遣いに気を付けてね。特に清水さん! いいわね」
「はい。気を付けます」
「清水さん、そう言うわけだから、元の戻るまで頑張ってね。きっと元に戻るから」
婦長は、優しく伯父(智ちゃん)の顔を撫でた。
「婦長さん・・・・」
伯父(智ちゃん)は、また涙を流している。
「ほらほら、あなたは男性で、しかも大の大人なのよ。涙を流しちゃだめよ。頑張るのよ」
「きっと元に戻るわね。きっと」
「ええ。絶対元に戻るわ。じゃあ、清水さん、行きましょうか」
婦長はそう言って、ぼくの方に向き直った。ぼくは頷いた。やるしかない。元に戻ったとき、伯父がいつも世話になっている清水さんに迷惑を掛けるわけにはいかない。
「じゃあ、社長もばれないように頑張ってね」
「ぼくは、社長じゃないよ。藤井真吾。社長の甥っ子だよ」
ぼく(伯父)が、嬉しそうな顔をして、そう言った。
「うまい、うまい。その調子よ。じゃあ、毎日午後九時に、わたしに連絡を入れてくれるかしら。元に戻るまで」
「分かりました。病院に電話すればいいですね」
「ええ、婦長をお願いしますと言えば、電話を回してくれるわ。じゃあ、くれぐれもばれないようにお願いしますね。それと、あとで真吾君が、困らないようにね」
「真吾の株が上がるようにしておいてやりますよ。真吾は、大事なわたしの跡継ぎですからね」
「そうでしたね。それでは」
伯父は、若い体を楽しむように、足取りも軽く部屋を出ていった。ぼくは、婦長さんについて、看護婦寮があるという病院の三階へと階段を昇った。