第三章 伯父の病状

 朝食を済ませて、ぼくは会社に電話を入れた。出社しないで、営業に回ると。ぼくはかつてサボったことなど無いから、絶対の信頼を置かれている。まあ、今日は、伯父の、社長の容体を医者に聞きにいくわけだから、別に嘘を付かなくても良かったのだが・・・・。

 病院が開く九時少し前に院長に面談を申し出たが、すでに外来にはかなりの患者さんが待っていたため、午前十時過ぎまで待たされた。
 「藤井正太郎さんのことですね。こちらが娘さんで、君は確か、藤井さんの会社の人でしたね」
 「ぼくは、藤井正太郎の甥に当たります。緑ちゃんとは、従兄妹同士です」
 「そうだったんですか。それで藤井さんは、君のことをいつも気に掛けていたんですね」
 「はあ、一応、社長の跡を継ぐように鍛えられているものですから」
 「なるほど、なるほど。で、藤井さんの病気の件ですけどね」
 ぼくは、緑の少し後に座っていた。緑に気付かれないように、院長先生に目配せした。本当のことは言わないでくれと言うつもりで。院長先生は、気付いてくれただろうか?
 「肝臓が悪いことは聞いてますね」
 「はい、かなり悪いとも」
 「そうですね、肝硬変なんですけど、まあ、落ち着いていると思いますよ。黄疸も出ていないし、腹水も溜まっていない」
 「何だか弱っているように思いますけど・・・・」
 「そうは見えるかもしれないけれど、検査上は大丈夫ですね。悪いなりに安定していますよ」
 「すぐにどうかなるって事はないんですか?」
 「まあ、もうしばらく養生すれば、元気になりますよ」
 「ほんとですか? よかった。真吾兄ちゃんの言うとおりだったわ」
 緑はそれまでの心配そうな顔から、急に笑顔となってぼくの方を振り向いた。
 「そう言ったろう? じゃあ、先生も忙しいから、これくらいにしよう。いいだろう?」
 「ええ。院長先生、父のこと、くれぐれもよろしくお願いいたします」
 緑は深々と大川院長に頭を下げた。
 「分かっていますよ。じゃあ、心配なときはいつでもいらしてください。ちょっと待って貰わないといけないかもしれないけれど、いつでもお話しますから」
 「ありがとうございます。失礼します」
 緑は、大喜びで、伯父の病室へと駆け上がっていった。
 「ジュース、買って行くから」
 そう言って、ぼくは院長先生の元に戻って、お礼を言った。
 「ありがとうございました。緑は先生の言葉を信じたようです」
 「いや、あんな若い娘さんに、はっきりとは言えないものですからね」
 「ところで、本当のところはどうなんです?」
 「厳しいですよ。早ければひと月。三カ月以上は無理でしょう」
 その言葉にぼくはちょっと愕然としていた。想像していたとおりだとは言え、間違いであって欲しかったからだ。
 「そんなに悪いんですか?」
 「ええ。見かけ以上です」
 「分かりました。ありがとうございました。先生に会っていることがばれるといけないので、これで上がります。また、伺います」
 ぼくは、ジュースを三本買って、急いで伯父の病室へ上がった。緑は、買ってきた花を花瓶に挿していた。
 「ジュース、これで良かったかなあ」
 「何でもいいでしょう? お父さん、どれ飲む?」
 「真吾! 仕事はどうした?」
 「今から、医大に回るんだよ」
 「月曜日なんだぞ。こんなところで、油を売っているやつがいるか!!!」
 伯父が目をつり上げて怒り始めた。もし動けたら、ぼくに殴りかかってきそうな雰囲気だ。そんな父親の顔を見て、緑が助け船を出してくれた。
 「お父さん、わたしがここに一緒に来て貰うように頼んだの」
 「おまえが?」
 伯父の表情が少し和らいだ。
 「そうよ。わたしと真吾兄ちゃんが仲がいいところを見せておかないと、お父さんは、死んでも死にきれないだろうと思って」
 「わたしがそう簡単に死んでしまうものか。・・・・まあ、そう言うわけなら仕方がないな。真吾! 緑をうちに送り届けたら、仕事にすぐ戻るんだぞ」
 「はい、分かりました」
 「お昼を一緒に食べてもいいでしょう? ねえ、お父さん?」
 緑は、猫なで声でそう言った。伯父は、緑の言うことには弱い。
 「・・・・昼までだぞ」
 「やったあ。じゃあ、真吾兄ちゃん、お昼まで、ドライブに行こう」
 「緑! ドライブに行っていいとは言ってないぞ」
 「仕事をするには時間が無さ過ぎるわ。真吾兄ちゃんは、昼までは、わたしのものよ。真吾兄ちゃん、早く行きましょう」
 緑がぼくの手を引いた。
 「じゃあ、社長。また来ますから」
 「午後は、しっかり働くんだぞ」
 「はい。じゃあ、失礼します」
 今度病院に来たときには、伯父にしこたま怒られそうだが、今日は緑とのデートを楽しむことにしよう。

 女の子を乗せてドライブするには、ちょっとぼろ車だけど、エンジンの調子はすこぶるいい。ぼくは、緑の案内で、郊外のレストランへと車を走らせた。レストランは、洒落た洋風の建物だった。フランス料理風のランチを頼んで、ふたりでお喋りしながら楽しんだ。
 コーヒーが出て、時計を見ると午後一時を回っていた。楽しい時間はあっという間に過ぎる。ぼくたちは慌てて店を飛び出し、緑の家へ向かった。
 緑を玄関先で降ろすと、緑の母親に挨拶もせず、ぼくは急ぎ足で医大へ向かった。

 医大病院の事務室に顔を出すと、用度係長が、ぼくに向かっておいでおいでと手招きをした。先月見積もりを出していた腹腔鏡手術システムが、採用されたのだ。このシステムだけでは、大した儲けにはならないが、消耗品が儲けになる。
 ぼくは急いで、所定の手続きを済ませ、会社へ飛んで帰って、発注の書類を準備をした。すべての書類ができあがった時、午後八時を回っていた。
 腹減ったなあ。そう思っていると、電話が鳴った。ぼくと同じように、別の病院の注文で、書類を用意していた吉田というぼくよりふたつ年下の男が電話を取った。
 「お待たせいたしました、藤井医科器械です。はい、藤井真吾ですか? 藤井なら、まだ居りますが・・・・。少々お待ちください。藤井さん、君に電話だよ。お父さんのようだよ」
 「ありがとう。はい、替わりました。何だ、父さんか。どうしたんだ。会社に電話なんてして」
 《真吾、兄貴に聞いていただろう? 今日は、兄貴と、おまえの結婚式の日取りを決めると言っていただろう? 忘れたのか?》
 「ああ、すっかり忘れてた」
 《真吾、おまえ、乗り気じゃないのか?》
 「そんなことはないよ。今日は忙しかったもんだから」
 《そうか。それならいいが・・・・。夕方から、何度もおまえのマンションに電話してるんだが、出ないからそこに掛けたんだ》
 「別に今日でなくても良かったのに」
 《まあ、そう言うな。おまえの結婚式のことだからな》
 「・・・・そうだね」
 《来月の五日に決めたからな》
 「来月の五日? ええっと・・・・、日曜日だね」
 ぼくは手帳を取り出して確かめた。九月五日は日曜日だ。
 《そう、日曜日で友引だ。準備するには、少し日にちが短いが、急いだ方がいいと思ってな》
 「父さんもそう思うか?」
 《五日でも厳しいとは思うよ。ただ、これ以上は、準備の関係もあることだし、早くはできんだろう》
 「そうだろうね。分かったよ。緑ちゃんには知らせたの?」
 《キミさんに連絡したから、もう伝わってるとは思うよ》
 キミさんというのは、緑の母親の名前だ。年齢のわりに、ちょっと古くさい名前だといつも思う。
 「式場とかの手配はどうするの?」
 《お父さんがやっておくから心配するな。おまえは、式のことより、兄貴が死んだあとのことを考えておきなさい。いいね》
 「分かった。任せたよ。じゃあ」
 伯父の跡を継ぐことも、緑との結婚も、随分前から決められていたこととはいえ、それが現実味を帯びてくると、やっぱり少し逃げ出したいような気分になる。

 「吉田さん、鍵掛けて貰っていいですか?」
 ぼくは書類を整理して机から立ち上がった。
 「ああ、ぼくはもう少しいるからいいよ」
 「じゃあ、お疲れさん」
 「お疲れさん」
 マンションへの帰り道、コンビニで弁当を買って、ビデオ屋に寄って、『12モンキーズ』を借りて帰った。目新しい新作は、みんな貸し出し中だった。
 ビデオを見ながら、弁当を頬張っていると、電話が鳴った。緑からだった。
 《真吾兄ちゃん、連絡あった?》
 「式のことか?」
 《そうよ。来月の五日よ。もう一ヶ月もないわ》
 「一ヶ月なんて、あっという間だろうね」
 《一ヶ月たったら、毎日真吾兄ちゃんと暮らせるのね》
 「そう言うことだな」
 《真吾兄ちゃん、嬉しくないの?》
 「そんなことないよ」
 《なんか、嬉しくないみたい。わたしと結婚するのが、やっぱり嫌なの?》
 「違うよ。ちょっと疲れてんだ。今日の午後、緑を送り届けてから、医大に行ったら、急ぎの用事ができて、さっきまでずっと働いていたんだ」
 《そうだったの。・・・・ごめんね》
 「いいよ。緑、そんなに嬉しいか?」
 《もちろんよ。嬉しくないわけがないでしょう? 真吾兄ちゃんと結婚できるんだから》
 「緑」
 《何?》
 「愛してるよ」
 《わたしも》
 「じゃあ、今日は疲れてるから、風呂入って寝るから」
 《ぐっすり休んでね。お休み》
 「お休み」
 緑は、ほんとに可愛い。関係ができてしまって、余計にそう感じる。一ヶ月したら、緑は、ぼくの妻になる。そう考えていたら、喜びが沸々と沸いてきた。娘婿だから、親戚だから、社長になったと言わせないように頑張っていこう。そう心に決めた。

 翌日、会社から伯父に医大での成果を報告した。これまでずっと、他社に取られていたので、伯父は随分喜んでいた。医大の用度係長に、盆休みが入るから、納品は二十日前後になる旨を連絡しておいた。

 夕方、緑から会社に電話が入った。
 《真吾兄ちゃん、夕食作りに行くから、外で食べないで、まっすぐ帰ってね》
 「分かった。何か、買っておくものはないか?」
 《この前のワイン、美味しかったでしょう? あのワイン、うちの近くにないの。買って帰って貰っていい?》
 「いいよ」
 《六時頃行くから》
 「ああ、それまでには帰ってる」
 《真吾兄ちゃん、お願いがあるの》
 「何だ?」
 《マンションの鍵、わたしに一本くれない? お掃除もしてあげたいし》
 「ああ、そうだな。スペアがあるから、今日来たときにあげるよ」
 《じゃあ、六時に》
 「待ってるよ」
 緑は、約束通り、六時過ぎにやってきた。ワインを飲みながら、作ってくれた夕食を一緒に食べた。今日も泊まるのかと思ったら、母親に帰ってくるように言われているのと言い訳しながら、スペアキーを持って帰っていった。

 翌日帰宅すると、緑はすでに来ていて、夕食の支度をしていた。ベッドの上に、着替えの入ったバッグが置かれていた。緑が泊まっていくことは明らかだった。
 ぼくは、食事のあとのことを考えて、少し興奮気味だった。緑も食事の時から妙な雰囲気だった。
 食事がすんで、入浴していると、緑が入ってきた。裸だった。
 「真吾兄ちゃん、背中を流してあげるわ」
 ぼくは、怒張したものをタオルで隠して、背中を流して貰った。緑の胸がぼくの背中に触れる度に、ぼくは股間に脈打つ痛みを感じた。そのままするには、浴室は狭すぎた。ぼくは、緑が体を洗い終わるのを待って、裸のまま、緑を抱いてベッドへ入った。続けて二度した。
 「真吾兄ちゃん、愛しているわ」
 「ぼくもだ。毎日こうしていたい」
 「わたしもよ。でもね。明日も来たいんだけど、来られないの」
 「えっ! どうして?」
 「お爺ちゃんの初盆があるの」
 「お爺ちゃんのって・・・・、ああ、緑のお母さんの方のね」
 「そうなの。春に大腸癌でなくなったでしょう? その初盆なの」
 「そうか。ぼくも行った方がいいかもしれないけど、手が放せない仕事があるんだ」
 「お盆休みなのに?」
 「社長がいない分を全部ぼくがやっているからね」
 「そうか、そうだったわね」
 「親戚の人たちに、よろしく言っておいてくれよ」
 「分かったわ。親戚が集まるから、私たちの結婚式の話もしておくわ」
 「頼んだよ」
 「真吾兄ちゃん」
 「何だい?」
 ぼくは、緑がもう一度とせがむのではないかと、ちょっと心配になった。続けて二度したのも初めてだった。三度はとてもできそうもなかった。
 「ワイン、飲もうか?」
 「喉が渇いた。ビールがいいな」
 「じゃあ、わたしはワイン。真吾兄ちゃんにはビールを注いであげるわ」
 ぼくは、ほっとしてベッドの上で待っていた。緑は、ビールとワインを注いだグラスを持ってベッドに戻ってきた。グラスを飲み干すと、抱き合ってベッドに倒れ込んだ。信じられない。三度目ができそうだ。

 朝食の片づけが済むと、緑は、バッグを抱えた。
 「帰ってくるのは、十五日の遅くになるわ。だから、十五日は来られないから。十六日の夕食は作りに来るね」
 「待ってるよ。気をつけてな」
 「真吾兄ちゃんも、働きすぎないようにね」
 明日から、会社は盆休みに入る。しかし、ぼくには休みはない。ぼくはほとんど休みも取らず、一年中働いている。しかし、伯父の方は、病気で倒れるまで、働き続けていたかと言えば、そうでもない。結構休んでいた。働くばかりが能じゃないから、伯父に休みの取り方を習っておかないといけないなと思う。
 取り敢えず、明日は伯父に会いに行って、盆明けの仕事の打ち合わせをするつもりだ。そのためには、今日中に資料の整理をしておく必要がある。仕事が早く片づけば、初盆参りに顔を出そう。
 ぼくはほとんど一日中、会社の机に向かって資料を作った。