「お嬢さん方。よろしかったら、ご一緒させていただいてよろしいかな?」
そんな声に目を上げてみると、眼鏡を掛けた、四十くらいの理知的な男の人がテーブルのそばに立っていた。
「よろしいですわ。どうぞ」
婦長さんは、ぼくの意見を聞かないで、そう答えた。
「あなた方みたいな美人とご一緒できるなんて、光栄です」
そう言いながら、その男は、止まり木の方へ手を挙げた。止まり木には、三十前くらいの若い男が座っていた。眼鏡の男の合図に答えると、グラスを持ってぼくたちのテーブルにやってきた。
「やあ、夜景が綺麗だなあ」
若い男は、背の高いスポーツマンタイプで、そんなにいい男ではないが、好感の持てる男だった。男の顔をどこかで見たことがあるような気がするが、酔っているせいだろう、どうしても思い出せなかった。
「お嬢さん方、お仕事は?」
婦長さんが間髪を入れずに答えた。
「OLやってます。某保険会社の」
「そうですか。名前は何と? ああ、わたしの名前は、山田です。彼は、大木と言います」
「わたし、美枝って言います。美しい枝と書きます」
えっ!? 美枝だって。ぼくは驚いて、婦長さんの顔を見た。婦長さんは澄ました顔をしている。婦長さんは律子だよな。そうか、見知らぬ男だから、偽名を使ったんだ。
「名は体を表す言いますが、ほんとですね。美しい枝。まさに、あなたは、名前通りですね。そちらは何と言うんです?」
「わたし? わたしは緑です。緑と言います」
婦長さんの偽名で、ぼくも自分の偽名を考えていたのだけれど、緑しか、思い浮かばなかった。
「緑さん。これもいい名前だ。春を感じますね」
山田という眼鏡の男は軟派し慣れているのだろうか? 次から次へと話題に事欠かない。もうひとりの、大木という若い男は、ほとんど黙って頷くばかりだ。
一時間あまりの会話の間に、ぼくはバーボンの水割りを、ダブルでまたもや三杯も飲んでしまった。ぼくの意識は、もうろうとしていた。それなのに、体の方は、何故か元気だった。履いているブーツの踵はかなり高いのに、ふらつきもしないのだ。
「そろそろここを出ましょうか?」
「ええ」
時計を見ると、午前0時を回っていた。
「会計をしますから、ここで待っててください」
ふたりが会計をしている間、ぼくたちはエレベータの前で待っていた。
「払わなくていいの?」
ぼくはそっと婦長さんに尋ねた。
「ふたりが、払ってくれるわよ」
「そう。これからどうするの? もう0時を回ってるのよ。もう帰る?」
「帰らないわよ。これから、ホテルの部屋に行って、わたしは、眼鏡の山田さんと、あなたは、若い方の大木さんと寝るの。分かった?」
男と寝るだって! そんなこと、ぼくにできるわけがない。
「ええっ!? そんなことできないわ」
「あなたは、これから一生、女として生きなきゃいけないのよ。躊躇っていたら、いつまでも、女になりきれないわよ」
「わたしは女として、したことがないのよ。ましてや、初めてあった人となんて、とてもできないわ」
「何言ってんのよ。あなたは処女じゃないのよ。不倫して、妊娠した上に、流産の経験もあるのよ。それにあなた、初めてあった人って言ったけど、見てて分かったわ。あなたはあの大木さんに気があるわ」
そう言われて、ぼくはどきりとした。ぼくは、あの大木のことが、何故か気になるのだ。話の間中、ぼくは大木のことばかりを見ていた。実を言うと、ぼくは、この大木なら抱かれてもいいなと思っていたのだ。どうしてそんな気分になったのか、自分でもよく分からない。
「わたし、できるかしら?」
「大丈夫よ。あなたは立派な女なのよ。女を楽しむのよ」
ふたりが会計を済ませてやって来た。ぼくは迷っていた。今なら、まだ逃げ出せる。しかし、婦長さんがぼくの腕を握って離さなかった。
三十二階でエレベーターを降りて、長い廊下を四人で歩く。眼鏡の山田が、立ち止まって、部屋の鍵を開け始めた。婦長さんが、ぼくを大木の方に押しやり、ウインクした。
もう逃げられない。ぼくは、大木について、隣の部屋へ入った。
その部屋は、ツインの広い部屋だった。それもかなり豪華な部屋だ。男たちは、ただ女と寝るためだけに、こんな部屋を用意したのだろうか? もっと粗末な部屋でも、目的は達せられるだろうに・・・・。
「シャワーを浴びてくる。ちょっと待っててくれ」
大木が、スーツを脱いで、バスへ入っていった。今なら逃げ出せるなと思いながらも、ぼくはベッドの上に横になった。
躊躇っていたら、いつまでも女になれないわよという、婦長さんの言葉が脳裏によみがえってきた。ええい! ここまで来たんだ。やってやるぞ。ぼくは女なんだ。女を楽しまなくちゃ。いつかは経験しなければならないし、ぼくは大木のことが気に入っている。大木とならやれるような気がする。ぼくは、開き直ってそんな気持ちになった。かなり多量に飲んだアルコールで脳味噌が痺れていなかったら、こんな風には思わなかったのかもしれない。
しばらくして、大木が、バスタオルを腰に巻いて出てきた。
「緑さんも、シャワーを浴びてきたら?」
「うん」
ぼくは、服を脱いでクローゼットにしまい、下着姿でバスルームに入っていった。バスルームは広く、バスとシャワー室が別々になっていた。バスルームの手前に大きな鏡の付いた洗面台があった。ぼくは、歯を磨いて下着を脱ぐと、シャワーを浴びた。
シャワーは気持ちがよかった。ぼくは満足した気分になって、体を拭きながらバスルームを出た。
バスルームを出てから、部屋に大木がいることを思い出した。ぼくは、かなり酔っている。
「ううん、いい体してる」
「そんなに見ないでよ。恥ずかしいわ」
そうは言ったものの、ぼくは酔っているせいで自分が女だという自覚に乏しかった。だから、異性に裸の姿を見られているという感じがしないから、ほんとはそんなに恥ずかしいと言うこともなかった。
「こっちへおいで」
ぼくは、バスタオルを床に放り出すと、大木のいるベッドに滑り込んだ。
大木は、ぼくに唇を重ねながら、ぼくの胸を揉んだ。ぼくの体の奥底に小さな火がついた。大木の唇が、ぼくの唇を離れ、乳首へと移っていった。ぼくの中の小さな火が次第に大きくなっていく。大木の手が、ぼくの体をはい回る度に、その火は大きくなっていった。ううん、いい感じだ。女の体ってこんな風に感じるんだ。ぼくは他人事のように思っていた。
大木がシーツの中に潜り込み、女の敏感な部分、クリトリスに、そして襞に舌を這わせた。火が一気に大きくなった。思わずぼくは声を上げた。
大木が這い上がってきた。そして、ぼくに要求した。ぼくに含めと言っている。目の前にある怒張したペニス。ペニスを口に含むなんて、考えたこともなかった。大木は待っている。ぼくは、思い切って口に含んだ。むかし、特殊浴場でされたときのことを思い出しながら、丁寧に嘗めあげた。ぼくの口の中に出されたらどうしよう。飲み込む? それとも吐き出す? そんなことを考えていたら、大木が自らぼくから離れた。
ぼくになった伯父に迫られたとき、あんなに嫌だと思ったのに、今日のぼくは、いまや喜んでそれを受け入れようとしている。酔っているせいだろうか? そうに違いない。酔っていなければ、とてもこんなことはできない。
緑は痛かったと言った。緑は、処女だったからだろう。智子は、処女じゃない。それは、分かっている。けれど、ぼくには、まだ経験がないのだ。どう感じるのか、予想も付かない。
大木が入ってくる。ぼくは緊張して、少し体に力を入れた。ぐっと押し広げられる感じ。痛みはなかった。痛みではなく、心地よい刺激だった。智子の体がセックスになれていることを感じた。
大木が、ゆっくりと腰を動かす。その動きとは無関係に、ぼくの中の炎が、少しずつ大きくなってゆく。
大木は、緩急を付けて動かし続けた。大木の動きと、ぼくの中の炎の燃え立つ勢いが、次第にシンクロしてきた。
大木が抜け出て、ぼくをうつ伏せにした。今度は、うつ伏せの状態で入ってきた。正常位の時よりも、奥深く入った感じだ。子宮を、そう、子宮が激しく突き上げられる感じがする。その衝撃が脳天まで達する。ぼくはシーツを握りしめて、思わず声を上げた。
ぼくの中の炎は、激しく燃え上がっていた。その状態を、男で言えば、射精の直前の、あの爆発寸前の緊張した状態と同じだった。あと少し、あと少しだ。女の絶頂がどんなものなのか分からなかった。だけど、もう少しだ。そう感じた。・・・・なのに、大木が再び抜け出た。
「止めないで、お願い」
そんな言葉が、ぼく自身の口から自然に出た。
「ちょっと、待て」
何かを破る音がする。大木は、コンドームを着けようとしているのだ。その短い時間が、もの凄く長く感じられた。
正常位に戻り、再び大木が入ってきて、勢いが少し落ちかけていたぼくの中の炎は、あっという間に燃え上がった。ぼくの漏らす声は、うめき声から、喘ぎ声に変わっていった。
大木の息遣いが荒くなって、雄叫びとも思えるような声と共に、ぼくの中に圧迫されるような衝撃が走った。その瞬間、ぼくの頭の中は、真っ白になった。
ぼくの中で、大木が二度三度と痙攀するのを感じた。ぼくの意志とは別に、ぼくの体が仰け反るように痙攀した。これが女の絶頂なのか。凄く気持ちがいい。
大木の力が抜け、ぼくの上にのし掛かってきた。その体の重みも、今のぼくには快感だった。耳元で、大木の荒い息遣いが聞こえる。
しばらくして、大木がぼくに唇を重ねてきた。唇が触れたとたん、少し消退しかかっていた炎に火がついた。
「ああっ」
ぼくは仰け反った。大木がゆっくりと腰を動かす。大木が動く度に、ぼくは再び燃え上がった。大木は、このまま、もう一度するつもりだろうか? ぼくは少し期待した。もう一度、最高点に達したい。
しかし、大木は動きを止め、ぼくの中から抜け出していった。出ていかないで、もう少し、ぼくの中にいて! 心の中で、そう叫んだが、口には出さなかった。
大木は後片づけを始めた。ぼくがやってあげないといけないのかなと思いながらも、体が痺れたように動かなかった。
片づけを終えた大木がベッドに入ってきて、ぼくのそばに横になった。大木の横顔を見た。さっきまで、ただの男だったのに、とても愛おしく感じた。ぼくは、大木の胸にすがって眠った。
ピーッ、ピーッ、ピーッ、と言う電子音で目が覚めた。何だろうと思っていると、大木がベッドの中から起き出して、クローゼットにあるスーツを探っている。ポケットから何かを取り出してみていた。ポケットベルらしい。今どき、携帯じゃなくて、ポケベルなのか。珍しいなと思った。
大木はポケベルをしまうと、スーツのポケットから携帯を取り出して、何処かへかけ始めた。ぼくの方をちらりと見ると、バスルームへ入っていった。ぼくに話の内容を聞かせたくないらしい。身元がばれるのが怖いのだろう。
「・・・・分かった。すぐに戻る」
そう返事をしながら、バスルームを出てくると、スーツに携帯をしまって、慌てたように服を着た。
ベッドのそばに寄ってきて、ぼくが目を覚ましているのに気付くと、腰を屈めてキスしてくれた。
「急用ができた。すぐに帰るけど、チェックアウトは済ませておく。君はゆっくりしていていいよ」
大木は、内ポケットから財布をとりだした。
「これは、少ないがお礼だ」
そう言って、一万円札を四,五枚、枕元に置いた。
「こんなものいらないわ。わたしは、娼婦じゃない!」
大木は驚いたような顔をし、ぼくを見た。
「いや、そんなつもりじゃないんだ。これは、楽しませて貰ったお礼だ。受け取ってくれ」
「楽しませて貰ったのは、わたしもよ。お互い様じゃないの。いらないって言ったら、いらないの!」
智子は処女じゃない。けれど、ぼくの気持ちの上では、ぼくは処女だ。初めての経験なのだ。見ず知らずの男との行きづりの関係だが、ぼくとしては、初めての関係に金銭を介在させたくはなかった。
「いいから、受け取れ」
大木はそう言うと、ドアのノブに手を掛けて、出ていこうとした。ぼくはベッドから飛び起きて、一万円札を掴むと、大木に駆け寄って、スーツのポケットにねじ込んだ。
ぼくは、振り向いた大木の首にすがりついて、唇を合わせた。大木は、驚いた顔をして言った。
「きみは、変わった女だな」
「そうよ。わたしは変わった女なの」
「まったく、君は変わってるよ」
そう言い残して、大木は出ていった。ぼくは、ドアの前にじっと佇んだ。
「もう一度、会ってくださる?」
そのひと言が言えなかった。もう二度と会えないだろう大木の温もりが、次第に消えてゆく。ぼくは悲しくなって、ベッドに戻って泣いた。
信じられないことに、ぼくはひとりの女になっていた。