第十三章 ぼくの人生を歩む伯父

 新しい週が始まった。ぼくは、伯父の提案のことを思考の外に放り出して、仕事の没頭した。
 午後十時過ぎ、入浴を済ませてくつろいでいると、電話が鳴った。
 《清水先輩、外線が入ってますから、回しますね》
 「誰から? こんな時間に」
 《藤井真吾さんって、言ってたわよ》
 伯父からだ。どうしたって言うんだろう? まだ一日しか経っていないのに・・・・。いくら何でも、結論を出せと言うには早すぎるが・・・・。
 電話が切り替わる音がした。
 《清水さんですか?》
 「そうですけど、どうしたんですか? こんな時間に」
 《会ってくれないか? 大事な用があるんだ》
 かなり切羽詰まった声の響きだ。
 「今から?」
 《今すぐにだ》
 「電話じゃいけないの?」
 《会って、話がしたい。病院の向かいに喫茶店があるだろう? そこへ来てくれ。もう十分で着くから》
 そう言うと、伯父はぼくの返事も聞かないで、電話を切った。車の中から携帯で電話してきたみたいだ。何をそんなに慌てているのだろう。

 「どこ行くの?」
 ぼくが部屋に鍵を掛けていると、二階から上がってきた美代ちゃんに声を掛けられた。美代ちゃんは、伯父がぼくに電話を掛けてきたことを知っている。誤魔化すと却って妙に思われる。
 「藤井さんが、会いたいって言うから、ちょっと会ってくるわ」
 「えっ! こんな時間に? なんか、あやしいなあ」
 「わたしに気があるのかな?」
 「そうかもしれないわね。藤井さんの、先輩を見る目がおかしかったもの。口説かれたらどうするの?」
 「口説かれてみようかな?」
 「頑張って」
 「頑張ってくるわ」
 ぼくは、ぼく(伯父)と結婚しなければならなくなりそうだ。ぼくは伏線を張ったつもりだ。

 喫茶店に顔を出すと、奥の席にぼく(伯父)がいらいらした様子で座っていた。
 「お待ちになりました?」
 ぼくは、できる限り、他人行儀なものの言い方をした。
 「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」
 ちょっと年増のウエイトレス、恐らくこの喫茶店の経営者の奥さんと思われる女性が声をかけてきた。
 「あっ、そうね。レモンティーをください」
 「かしこまりました」
 ウエイトレスが奥に引っ込むと、ぼく(伯父)がぼくにまくし立てた。
 「おまえ、緑と寝たのか?」
 「真吾さん、声が大きいわよ」
 「すまん、少し興奮して」
 「寝たわよ。あなたがそうしてもいいって言ったでしょう?」
 「・・・・言ったが、結婚式が済むまでは、そんなことは絶対にしないと言ってたじゃないか」
 「言ったけど・・・・。成り行きでね」
 「成り行き!」
 「言い方が悪かったわ。一緒にいたら、自然にそうなってしまったの。お互いに愛し合っていたから」
 ぼく(伯父)は大きくため息を吐いた。
 「まさか本当に寝るとは思わなかった」
 「だから、どうだって言うのよ?」
 「できているんだ・・・・」
 「えっ!? できてる? ・・・・まさか!」
 ぼくは目を見張った。
 「そのまさかだよ。妊娠七週目だ」
 「七週目って、そんなに早く分かるの?」
 「今は、分かるらしい」
 ぼく(伯父)はもう一度ため息を吐いた。
 「どうするの?」
 「どうするって、堕ろさせるわけにもいかないし・・・・」
 赤の他人というのなら、ぼく(伯父)はぼくの相談もしないで堕ろさせていただろう。しかし、相手は緑、自分の娘なのだ。そんなことは絶対させないだろう。
 ぼくは安心した。これで、ぼくは、ぼく(伯父)と結婚しなくてすむ。今度はぼくが、攻勢に出る番だ。
 「こうなったら、緑と結婚するしかないわね」
 「そんなこと言われても・・・・」
 最初の勢いはどこへやら、小さくなっている。
 「お待たせいたしました。レモンティーです」
 「ありがとう。ここに置いて」
 聞かれても、内容は理解できないだろうが、用心した方がいい。ぼくはさらに声を落とした。
 「昨日、あなたはわたしに言ったでしょう? 他の男と結婚するよりも、自分自身と結婚する方がいいって」
 「言ったよ」
 「男親は、他の男に娘をやりたくないんでしょう?」
 「それはそうだが・・・・」
 「緑を他の男と結婚させるより、あなたが結婚した方がいいんじゃないの?」
 「・・・・そうかもしれないな」
 「それに、あなたは、藤井真吾なのよ。藤井正太郎じゃないのよ。緑の従兄なの。緑の父親じゃないのよ」
 ぼく(伯父)は、天井を見てじっと考えている。ぼくがレモンティーを半分ほど飲み終えたとき、やっと切り出した。
 「・・・・そうだな。ぼくは、藤井真吾なんだ。娘を抱くんじゃないんだ。従妹と結婚するんだよな」
 「その通り。あなたは藤井真吾なのよ」
 「そうだ、そうだよね」
 「子どもは、わたしが真吾だったときに作ったけど、あなたの、藤井真吾のこどもなのよ」
 「・・・・分かった。心が決まったよ。ぼくは、緑と結婚するよ」
 「緑を幸せにしてね」
 「世界一幸せにしてみせるよ」
 ぼく(伯父)は、ぼくにウインクして、喫茶店を出ていった。
 ぼくは安堵した。これで緑の方は大丈夫だ。ぼく(伯父)は絶対浮気なんてしないだろう。肉体的には従兄妹同士でも、精神的には父親だ。浮気して娘を泣かせるようなことはしないだろう。

 「清水先輩、何の話だった?」
 寮に帰り着くと、美代ちゃんが待っていたように尋ねた。
 「彼女にプレゼントするのは何がいいだろうかって。馬鹿にしてるわよねえ。こんな時間に呼びだして。てっきりわたしに告白でもするのかと思ったのに」
 「ふうん」
 美代ちゃんは、それ以上何も言わないで、部屋に戻っていった。何なんだろう、美代ちゃんのあの反応は? 解せないなと思いながら、部屋に戻った。

 藤井真吾と緑の結婚式は、郊外のホテルのチャペルで行われた。ぼくは、チャペルの前の建物の陰に隠れて、式が終わるのを待った。
 チャペルの鐘が鳴り、モーニングを着たぼく(伯父)と真っ白なウエディングドレスを着た緑が姿を現した。参加者から、花びらがふたりに浴びせかけられている。緑は喜びを体全体で表現していた。緑、幸せになるんだよ。ぼくは、心の中で、そう呟いて、ホテルをあとにした。