どうして日曜日だというのに、こんなに混むんだろう。そう思いながら、ぼくは車のハンドルを握っていた。信号は青なのに、車は一向に進む気配を見せない。あと五百メートルも進めば、目的地への分岐になると言うのに、まったく困ったもんだ。
ふと横を見ると、セーラー服を着た高校生らしいふたり組が歩道を歩いていた。一方は、何食ったら、そんなに太るんだと言うくらいぱちぱちに太っている。短いスカートから覗いた足は、桜島ダイコンがごめんなさいと言って逃げ出しそうなくらいに太い。顔はまあ可愛いのに、少しはダイエットしたら、どうなんだ。そんな余計なことを思う。
もう一方は、対照的にがりがりだ。がりがりのくせに胸だけは大きいようだ。食べたものがすべて胸にいっているんではないかと思ってしまう。
どっちも抱く気にはならないなと思っていたら、後ろからピッとクラクションを鳴らされた。ぼくの車の前が、五メートルほど空いていた。ギアを入れて、クラッチを離す。めんどくさいなあ、マニュアルは。格好つけてマニュアルなんてするんじゃなかった。今度車を買うときは、絶対オートマチックだな。渋滞に遭うたびにそう思う。
それにしても頭に来るなあ。ちょっと空けただけなのに・・・・。そう思いながら、ルームミラーを覗く。サングラスを掛けた髪の長い若い女が、くわえ煙草でハンドルを握っていた。二十五前後かな? いや、もうちょっといってるかもしれない。女の年はよく分からない。車は濃紺のBMWだ。3シリーズだから、大した車じゃないが、ぼくの乗っているこのカリーナよりは上等だ。少し腹が立つ。
うちの会社の女どもは、男と同じに働いているのに、給料が安いと始終文句を言っている。ぼくたち男の方が、いい大学を出ているんだ。それに、女はいつも生理痛だ何だと言って、簡単に有休を取れるけど、男はそうはいかないんだ。飲み会の会費は女の方が安いし、二次会は男持ち。おまえらは、ごちそうさまですむじゃないか。ぼくは、海外旅行など行ったことがないけど、おまえたちは、毎年何処か海外に行っている。くそ!!!
煙草なんて吸ってると、未熟児が生まれるぞ。後悔先に立たずだぞ。
また、クラクションが鳴らされた。ますます腹が立つ。車を降りて、馬鹿野郎と叫びたいのを押さえる。気の弱いぼくにはそんなことはできない。
ようやく、目的地への分岐点へ入った。この先はまったく混雑していない。ルームミラーを覗くとBMWがついてくる。どこに行くんだろう? 一キロほど走って、ぼくは大川医院の駐車場に車を停めた。BMWは、ぼくがカリーナを停めた表の駐車場ではなくて、大川医院の裏の駐車場に入っていった。職員だろうか? 見たことのない顔だが・・・・。それとも見舞客かな?
大川医院の玄関は閉まっている。日曜日だから当然だ。横にある夜間出入り口と書かれたドアを開けると、微かな薬品のにおいが流れ出てきた。靴を脱いでスリッパに履き替え、待合室を通って二階の病室へ続く階段を昇る。人気のない病院の待合室は、いつ来ても不気味に感じる。そう感じるのは、ぼくだけだろうか?
「こんちわ」
ぼくは、看護婦詰め所の机に座って何か書いている若い看護婦に声を掛けた。この看護婦さんは、他の看護婦さんと同じ格好はしているけど、確かまだ看護学校へ通う学生さんだ。来年が成人式だと言っていた。その幼い顔が、ぼくににこりと微笑む。
「あら、藤井さん。毎週大変ですね」
「半分仕事だからね。どう? 伯父貴の具合は?」
「相変わらずよ」
「そう。ありがと。美代ちゃんも日曜だというのに大変だね」
「仕事だからね」
「何やってんの?」
「来週テストなの」
「頑張って、早くいい看護婦さんになってな」
「うん、ありがと」
美代ちゃんは、机の上に目を落として、勉強し始めた。美代ちゃんは、浅田美代子という。あの、タレントの浅田美代子と同姓同名だ。ぜんぜん似てないけど、笑顔が可愛いところは似ていると言えば似ているかな?
相変わらずよか。病気の方だろうか? それともあっちの方かな?
伯父は、末期の肝硬変で、あっぷあっぷしているくせに、若い看護婦さんが回ってくると、隙を見てはお尻に手をやる。良くなって、もう一度、若い姉ちゃんとやるんだと病室に訪れるたびに聞かされる。もう二度とそんなチャンスは来ないだろうとは思うのだが、そんなパワーが、伯父をこの世に引き留めているのは間違いない。
伯父は、親父の長兄で、ぼくの勤める医療機器販売会社の社長だ。その昔、医者に器械を買って貰うために、経費を使って夜の町を濶歩して回ったと聞いた。会社のためと言うよりは、好きで飲んでると言う部分もあるのだが・・・・。それに、特殊浴場の常連でもある。この町の繁華街では伯父を知らないものはいない。そんなパワーがなければ、この業界ではやっていけないのかもしれないなと思う。
伯父には、息子と娘がひとりずついる。ぼくの従兄になるその息子、正臣は医学部に進んで、医者になった。高校時代、ぼくより成績が良かったとは思えないが、伯父がかなり金を使ったようだ。息子が医者になってしまったものだから、跡継ぎがいなくなって、白羽の矢がたったのが、このぼくだ。一人娘の緑とぼくをひっつけて、跡を継がせようと言う魂胆だ。ぼくにとっては、逆玉の輿だし、緑は結構可愛い。緑もぼくのことが好きみたいだから、問題はないんだけど、ぼくには伯父ほどのパワーがないから、この医療機器会社をうまくやっていけるのだろうかと心配している。緑がブスだったら、ぼくはきっと逃げ出していただろう。
そんなぼくを、伯父はほとんど毎日社長室に呼びつけて説教した。ぼく自身、いま伯父が死んでも大丈夫なくらいにはなっているとは思うのだが、入院してからも、週に二、三度病室を訪ね、いろいろと指示を貰っている。伯父が入院したときには、まだ梅雨が明けていなかったから、入院してからもう二ヶ月が過ぎる。
廊下を進んでいくと、一番奥に特室と書かれた部屋がある。伯父はこの部屋にいる。
「うん、もう。藤井さん、止めてください」
ドアを開けて中に入ると、伯父が左手で看護婦さんの尻を撫でていた。その手を看護婦さんがぴしゃりと叩く。
「減るもんじゃないじゃないか。智ちゃんのお尻はいつ触ってもいいねえ」
叩かれた手をもう一度看護婦さんのお尻に伸ばす。看護婦さんはその手を払いのけて伯父を睨んだ。
「院長先生に言いつけて、手を動かないようにして貰うわよ」
「手が動かせなきゃ、飯が食えないじゃないか」
「ちっとも食べてないでしょう? 手なんていらないんじゃないの?」
「食べたら、触らせて貰えるかい?」
伯父は再び手を伸ばす。
「だめ! あ〜あ、ちゃんと押さえてないから、血が出ちゃったじゃないの」
智ちゃんは、今終わったばかりの点滴のボトルをテーブルの上に置くと、伯父の左の肘から流れ出る血を拭いて絆創膏を当て始めた。どうやら、伯父は点滴が終わって自由になった左手で、智ちゃんのお尻を触っていたのだ。
「社長! 言うこと聞かないとだめじゃないですか」
「おう、真吾か。遅かったな」
とっくに気がついていたはずなのに、今気がついたと言うような表情で言った。
「いつもより混んでてね」
「そうか。まあ、座れ」
「藤井さん、社長さんに、病人は病人らしくするように言っておいてね」
患者にお尻を触られることなどなれているのだろう。看護婦さんは、あまり怒った様子もなくぼくにそう言った。
「すみません。あとでよく言っておきます」
ぼくは頭をかきながら頭を下げた。
「智ちゃん、また触らせてくれよな。智ちゃんのお尻を触ると、生きる気力が沸くんだよな」
「べえっだ」
智ちゃんは、伯父に向かってあかんべえをしたが、ぼくの方にはにこっと笑顔を見せて部屋を出ていった。
智ちゃんはいくつくらいだろう? 二十二,三かな? ショートカットがよく似合う美人だ。スタイルもいい。それに性格が凄くいい。明るくて、気さくだ。もちろん独身だと聞いている。
「真吾! 智ちゃんがお気に入りか?」
「い、いや。違いますよ」
ぼくは動揺を隠せない。
「隠さなくても、顔に書いてあるぞ」
「いつ見ても美人だなあと思って」
「付き合ってもいいが、結婚するのは緑とだぞ。分かっているな」
「・・・・分かってるよ」
「それが分かっていればいい。じゃあ、今週のデータを見せろ」
伯父の目つきが変わった。仕事の話になると、伯父はがらりと変わる。むしろ怖いくらいだ。そのギャップに戸惑うこともある。
伯父は、ぼくが持ってきた書類にじっと目を落としている。気詰まりな時間が過ぎてゆく。ぼくはソファーに腰掛けて、伯父が書類に目を通すのをじっと見ていた。
「よし、これなら、わたしがいなくなっても大丈夫だな」
「社長がそんなに簡単にいなくなるもんかよ」
ぼくは伯父のことをいつも社長と呼んでいる。社員がいなければ、伯父さんでもいいとは思うのだが、癖になってしまって、プライベートな話の時でも、社長と呼ぶ。
「いなくなるつもりはないぞ。だが、もう任せられるな。わたしも一安心だ」
「そんなことはないよ。まだまだ、教えて貰わないといけないことがたくさんあるよ」
「大丈夫だ。もう、おまえはひとりでやっていける。・・・・そろそろ、緑との結婚の日取りを決めておかないといけないな」
「まだ早いよ」
「緑も、もう二十三だ。真吾も、もうすぐ二十七だろう。身を固める時期だ」
「・・・・そうだよね」
逃げ出すつもりはないし、逃げ出せないことも分かっているのだが、結婚してしまうと絶対逃げ出せなくなるのが怖くて、ぼくは結婚を躊躇っていた。
「まだ、死ぬつもりはないが、万が一を考えておかないといけないからな」
「今日はいつもより弱気なんだね」
「そうでもないさ。万が一を考えておいたら、結構死なないものだ」
「そう、そうかもしれないね」
「明日、源三が来るから、日取りを相談しておく。いいな」
藤井源三は、ぼくの父親だ。ぼくの気が弱いのは父親譲りだ。一人息子のぼくを、伯父が、養子にくれと言ってきたとき、ひと言も異論を唱えずに承諾した。苦労してサラリーマンをするより、伯父の会社の跡を継がせた方がいいだろうと考えるのは、当たり前なのかもしれないが・・・・。
「父さんが、明日来るの?」
「そうだ。ところで、智ちゃんは、わたしが口説くぞ」
突然何を言い出すのかと思えば、また、女の話だ。それも、よりによって智ちゃんとは・・・・。表情も社長の顔から、スケベ親父の顔に変わった。
「智ちゃん!? 智ちゃんは、無理だろう?」
「脈はあるみたいだぞ」
「ええっ!?」
信じられないよ、そんなこと。智ちゃんに限って。
「まあ見ていろ。絶対ものにしてみせるから」
伯父は、宣言したことは絶対やる。これまでずっとそうだった。ただし、今回は、もし口説けても、その先は無理だろうなと思う。伯父は、元気そうに見えるが、先週からひとりでは歩けないようになっている。もう時間の問題と言ってよい。伯父自身もそのことは自覚しているはずなのに、性格なのだろうか?
「じゃあ、次は水曜日か木曜日に来るよ」
そう言って、ドアのノブに手を掛けて出ていこうとしたら、伯父が突然言い出した。
「真吾! 緑とは寝たのか?」
「ば、ばかだなあ。父親がそんなこと聞くかなあ」
振り向いて伯父の顔を見た。伯父は仕事の話の時と同じような真剣な顔つきだ。伯父は冗談でぼくにそんなことを聞いたわけではなさそうだ。
「どうなんだ?」
「・・・・まだだよ」
「結婚するんだから、許可するぞ。早く孫の顔を見たい」
伯父は、やはり自分の死期が近いことを自覚している。そうに違いない。だからこんな言葉が飛び出して来るんだ。だからと言って、すぐに緑と寝るわけにはいかない。
「式が終わってからだよ。ぼくは、社長みたいに節操がない男じゃないからね」
「そうだな。おまえは、藤井家には珍しく、堅いからな」
節操がない男じゃないなんて言ったら怒ると思ったのに、伯父が頷いたのにはビックリした。それにしても、女を口説く勇気がないからと言われないで良かった。実際ぼくは、口説いて断られるのが怖いのだ。
いずれにしろ、緑との結婚は早くしないといけないなとは思う。孫ができるまでは、とても無理だろうが、緑の花嫁姿くらいは伯父に見せてやりたい。
「来週にも式を挙げろと源三に言ってもいいな」
「いいよ。どうせなら早い方がいいんだろう?」
「じゃあ、その線でいくからな」
「任せるよ」
緑と結婚して、伯父の会社の跡を継ぐことは、既定路線だ。ぼくも緑もそれは分かっている。それが早いか遅いかの違いだ。
伯父の病室を出て看護婦詰め所の前まで来ると、美代ちゃんと智ちゃんが、椅子に座って何か話しながら笑っていた。
「看護婦さん、よろしくお願いします」
ぼくが声を掛けるとふたりはぼくの方を向いて、にこっと笑った。
「藤井さん、伯父さんにお尻を触らないように言ってくれた?」
「言っておいたよ」
言ってないけど、そう答えた。例え言ったにしてもそんなことを聞くような伯父ではない。看護婦さんたちも、もう分かっているはずだろうに・・・・。
階段を下りて玄関を出ると、熱い日差しが降り注いできた。ふと気になって、裏の駐車場へ歩いていった。BMWはまだ停まっていた。誰のだろうか? 他の病室の中に、あの女らしい人物はいなかったようだが・・・・。あの女は、大川医院の職員なのだろうか?
表の駐車場に戻って、カリーナに乗り込む。さあ、今週もやっと終わりだ。どうしよう? どうしようって言ったって、今は午後二時だ。緑とのデートの約束はないし、レンタルビデオでも借りて帰って見るかな?
ぼんやり考えながら走っていたら、自分のマンションの前に着いてしまった。まだ、三時前だよ。迷った挙げ句、部屋に戻ってテレビでも見ることにした。