第6章 男ではなくなってしまった

 夜が明けて、見る影もなく縮んでしまった自分の一物を見て悲しくなった。しかし、バイアグラさえあれば、また幸恵を抱くことができると思うと、睾丸を取ることも、そう苦にはならなかった。
 手術に備えて絶食を言い渡されていたから、起きるとすぐに着替えて大沢泌尿器科へ戻った。

 病院へ帰るとすぐに浣腸され、おなかはぺたんこになった。体重がまた減ったんではないかと心配になった。
 点滴をされ、ベッドの上でじっと待つ。ぽたりぽたりと落ちる液体を、飽きることなくじっと見つめていた。点滴されるときはいつもそうだ。そんなに見なくてもいいと思っても、落ちていく水滴に自然に目がいく。
 午前10時になって、へそから膝まで剃毛された。手で触ってみると、つるつるになっていた。毛が一本もない股間というのは、ものすごく不自然だ。内股と陰嚢の間に汗が出て、べたついた感じがする。陰毛なんて、いらないものだと思っていたけど、必要だからあるんだなと思った。
 少し顔を赤らめながら剃毛してくれた看護婦は、卒業したての若い看護婦さんだった。確か21だと言っていた。インポテンツじゃなかったら、勃起して恥ずかしい思いをするところだ。大沢先生は、わざと若い看護婦に剃毛させたようだ。ぼくを恥ずかしがらせようとして? そんなことはしないだろう。若い看護婦を鍛えるためだ。ぼくのような若い男の股間を平気で剃れるようにするためだ。そう思ったが、ぼくの考え違いもあるかもしれない。
 午後1時。ぼくの股間を剃った看護婦さんが、二本の注射器を持ってきた。前投薬という、麻酔の補助をするための薬だと聞かされた。注射されてから30分後、手術室に運ばれた。二度目の手術室だが、やっぱり不安だった。
 「局所麻酔でもいいが、下半身麻酔をするからね」
 「はい」
 「局所麻酔だと、効いてないところがあると痛がって、充分な手術ができないからね」
 独り言のように大沢先生は言った。
 横向きに丸くなって、背中にちくりと針が打たれた。仰向けにされたときには、両足がじんじんとしびれ始め、まったく動かなくなった。両足が広げられたが、足元を見ていなかったら、自分の足ではないような感じだった。
 「消毒するよ」
 大沢先生が、ぺたぺたと茶色の薬を塗っている。消毒されている感じはあるのに、厚い布を通して触られているようだ。布がかけられ、手術用のライトが灯された。
 「痛くないと思うが、触る感じは分かるからね」
 「はい」
 手術が始まった。圧迫感や引っ張られるのを感じるが、痛みはない。麻酔って変な感じだ。肛門に向かって、何かが流れていくのを感じた。血が流れているのかな? 漠然とそう思った。
 「ううっ!」
 「あ、痛かった?」
 「いえ、ちょっと下腹に変な痛みが・・・・」
 「今、睾丸に行く血管を結んだんだ。そのためだよ。さあ、右がすんだ。今度は左だよ」
 再び、イヤな痛み。それも一瞬で消えた。
 「縫合するからね。傷が残らないようにきれいにしてあげるよ」
 そんなところ、見せる訳じゃないから、適当でいいんじゃないかなと思った。しかし、どうせなら綺麗に縫ってもらった方がいい。

 手術が終わる頃になって、ぼくはうとうとと眠り込んでしまった。目が覚めたとき、ぼくは病室に戻っていた。辺りはもう暗くなっていた。幸恵が心配そうにぼくの顔を覗き込んだ。
 「手術は大成功だって。ガンは全部取り除けたそうよ」
 「よかった・・・・」
 ぼくはものすごく安心して再び眠りに落ちた。

 毎日大沢先生が付け替えをしてくれて、一週間がたった。
 「今日は抜糸するからね」
 足を広げるのは恥ずかしいけど、もう慣れてしまった。毎日見られていると、不感症になってしまう。
 消毒された後、ちくりちくりとかすかな痛みがした。糸が抜かれていっているようだ。
 「さあ、終わったよ。・・・・どうだ? 傷を見てみるかい?」
 「はい。見せてください」
 鏡で傷を見た。縫った跡は見えないくらいになっている。睾丸のなくなった陰嚢が、小さくなったペニスの下にぼろ雑巾のようにくっついていた。ちょっと悲しくなって涙が一粒こぼれた。
 「明日には退院できるが、どうする?」
 「えっ!? ほんとですか?」
 「ほんとだよ」
 ぼくは嬉しくなった。3週間も入院しているから、病院生活に飽き飽きしていた。
 「幸恵と相談しておきます」
 「仕事の帰りに寄るかな?」
 「はい。毎日来てくれてますから」
 「じゃあ、来たら、退院後の話しを一緒にしよう。看護婦に言ってくれたら、すぐに上がってくるからね」
 「分かりました」
 病室から出ていく大沢先生の後ろ姿を見ながら、ぼくは浮き浮きしていた。早く退院して、バイアグラで幸恵とやるんだ。

 午後6時少し前、幸恵がやってきた。
 「幸恵。退院してもいいって」
 「ほんと!」
 幸恵は満面に笑顔を浮かべて、ぼくに抱きついてきた。
 「先生が、退院後の話しをしてくれるって言ってた。看護婦さんに連絡して、先生に来てもらってくれよ」
 「分かったわ」
 幸恵が看護婦に連絡して5分ほどして大沢先生がやってきた。
 「やあ、奥さん。傷も綺麗になりましたし、今からでも退院してもいいですよ」
 「ほんとですか?」
 嬉しそうな顔で幸恵が聞いた。
 「嘘言っても仕方がないでしょう?」
 にっこり笑って、大沢先生が答えた。
 「ホントに今からでもいいんですか?」
 「先生、明日には退院できるって、さっき言ってませんでした?」
 ぼくが尋ねた。
 「せっかく奥さんが来たから、今日でもいいよ。病院の方がいいというのなら、もう一晩にてもらってもいいが。その方が、うちとしても儲かるけどね」
 ぼくと幸恵は顔を見合わせた。
 「どうする?」
 「どうしよう?」
 「今日は仏滅よね」
 「奥さん、若い割に迷信を信じるんだね」
 「だって、気持ち悪いでしょう? 何かあったとき、イヤじゃないですか」
 「それもそうですね。じゃあ、大安の明日と言うことでいいかな?」
 「はい、お願いします」
 「あとで、手続きするように言っておこう。ところで、今後の治療のスケジュールだが・・・・」
 「えっ!? 今後のスケジュールって?」
 手術がすんだら終わりだと思っていた。しかし思い直した。
 「分かりました。睾丸がなくなって、男性ホルモンが出ないから、補ってくれるんですね」
 ぼくは自分の思いついた考えを得意げになって言った。しかし、大沢先生は、言いにくそうに下を向いた。ぼくの考えは間違っていたようだ。イヤな予感がした。
 「イヤ、そうじゃないんだ」
 やっぱり・・・・。
 「手術は完璧だったから、恐らく大丈夫とは思うんだが、もし、万が一、ガン細胞が残っていると、男性ホルモンを投与すると、餌をやるようなものなんだ」
 「餌をやるって?」
 「内分泌系の腫瘍、男性では睾丸や前立腺のガン、女性では卵巣や乳腺のガンがそれなんだが、ホルモン感受性というのがあってね」
 初めて聞く言葉にぼくは首を傾げた。
 「何ですか? そのホルモン何とか性って言うのは?」
 「男性ホルモンとか、女性ホルモンとかで育つタイプかどうかってことだよ」
 「で、ぼくの場合はどうなんです?」
 「橋谷君の場合は、男性ホルモンがあるとガン細胞が育つタイプなんだ。だから、男性ホルモンはやれないんだ」
 ぼくはがっくり来る。男性ホルモンをもらえないとすると、ぼくは今の女みたいな姿のままで生きなければならないと言うことだ。
 「それにね。男性ホルモンとは反対のホルモンをやった方がいいんだよ」
 「ええっ!? それって、女性ホルモンのことですか?」
 「その通りだよ。女性ホルモンは、男性ホルモンの作用を抑える働きがあるからね」」
 「女性ホルモンを使うってことは、ぼくは今よりもっと・・・・女性化するってことですか?」
 「橋谷君がもっと年なら、そうはならないが、君の場合、若いからねえ。恐らく、本物の女性と変わらないくらいになるかもしれないね」
 ぼくはショックで言葉も出なかった。
 「女性ホルモンを飲まないといけないんですね」
 幸恵が尋ねた。
 「ベストと言う訳じゃないんだが、ベターだろう」
 「いやです。もうこれ以上女性化するなんて」
 ぼくは涙声でそう訴えた。大沢先生は、腕組みをしてぼくに答えた。
 「そうだね。イヤだというのに無理強いはできないからね。それじゃあ、女性ホルモンは止めておこう」
 「待って、先生。ちょっと待ってください」
 幸恵が涙を流して下を向いているぼくを覗き込んで言い出した。
 「克也。少しでも再発がなくなるように、女性ホルモンも飲んだ方がいいわ」
 「だけど、もっと女性化するんだよ」
 「考えてもみて。今の格好の方がおかしいのよ。男と女とも付かない姿で。完全に女性化してしまった方が、他人が変に思わないんじゃないの」
 下を向いたまま、じっと自分の胸を見た。これは確かに男の胸じゃない。こんな胸じゃ、夏になったら薄着ができない。
 「今だって、髪の毛伸ばして、おかまだと思われているのよ」
 「そんなこと・・・・」
 「わたしと結婚していることを知ってる人はいいけど、近所の人はみんなそう思っているわ」
 そんなことを思われていたのか・・・・。めんどくさくて伸ばしていただけなのに・・・・。
 「でもいいの? 俺が完全に女性化しても」
 「わたしは構わないわ。どんな姿になっても、あなたはあなたでしょう? わたしはあなたを愛しているわ」
 涙が止まらなかった。こんなにぼくを愛してくれる幸恵がいて幸せだと思った。

 女性ホルモンも飲むことにしたけれど、眠れなかった。若い間はいい。しかし、年を取ったら・・・・。それに病気でもしたとき、どうしたらいいんだ。