久しぶりに手足を伸ばして浴槽に浸かった。明日の検査結果が心配だけど、小説ができあがったことで、気分は少し上向きだった。
太っちゃったなあ。まるでお相撲さんだよ。これじゃあ。お湯の中に浮かぶ自分の胸を見てそう思った。
バスルームを出て体を拭いた後、体重計に乗った。66キロ! 5キロも太ったのか! そう思ってもう一度よくよく体重計を見てびっくりした。66キロじゃない。56キロなのだ。食欲がなく、ずっと眠れない日々を過ごしたから、痩せてしまっていたのだ。
体重計を降りて、鏡を見た。5キロも痩せたようには見えないけど・・・・。よく見ると、確かに痩せている。しかし、ふっくらとして・・・・。
胸を見た。おかしい。胸を見て太ったと思っていたのだ。横を向いてみる。乳首を先端にして、飛び出したようになっていた。
・・・・まるで・・・・女・・・・みたい。
ペニスも心持ち小さくなったような気がする。それに睾丸も・・・・。
「克也、上がった?」
ぼくは慌てて幸恵に背中を向けてトランクスを穿いてパジャマを着た。幸恵はぼくの身体の変化に気づいていないのだろうか?
「もう寝るよ」
「もう?」
「ずっと小説作りで疲れたから」
「そうね。じゃあ、お休み」
幸恵は、一緒に寝てもどうせ何もできないと悟っているからか、ワインを飲みながらテレビを見ていた。
ベッドの中に潜り込んだはいいが、また気が滅入ってなかなか寝付かれなかった。
幸恵がキッチンで朝食の準備をしている間、ぼくはこそこそと着替えをした。厚手のセーターを着て胸が膨らんでいるのを隠した。
「わたし、休みを取ってるから、一緒に行くわ」
「そんなことしなくてもよかったのに」
「今の克也をひとりで病院へは行かせられないわ」
「どうしてだよ」
「万が一、変な病気だったとき、わたしをおいて・・・・」
幸恵が急にポロポロと涙をこぼして泣き出した。
「大丈夫だよ。何をいわれようとも、幸恵を残して死んだりするもんか」
「大丈夫よね。変な病気じゃないよね」
「そんなことないよ。すぐに直るような病気だよ」
自分が弱気になってはいけない。女の幸恵を支えるのは、男のぼくの役目だ。例え立たなくなっても・・・・。
あんなに強く幸恵に言ったのに、いざ、大沢泌尿器科の玄関を入る段になって、尻込みしている自分に気づいた。
「神様。仏様。変な病気じゃありませんように・・・・。お願いです」
そう祈りながら、玄関でスリッパに履き替え、受付の長椅子で待った。待っている間、体が地面の底に吸い込まれていくような錯覚を覚えた。
「ガンだったら、どうしよう・・・・」
幸恵がいなかった、逃げて帰りたかった。だけど、幸恵の手前それはできなかった。稼ぎが少なくても、インポでも、ぼくは男としての威厳は失いたくなかった。
診察室に入ると、大沢先生がちょっと暗い表情をしていた。ぼくは逃げ出したくなって、ドアの方を向いたが幸恵が引き留めた。
「克也! 何を言われても大丈夫って言ったじゃないの」
「・・・・怖いよ」
「橋谷君。怖がっていても病気は治らないよ。きちんと受け止めて、病気に立ち向かわなければね」
大沢先生が、ぼくに向かって言う。
「やっぱり悪いんですか?」
大沢先生は、ちょっと一呼吸おいて話し始めた。
「一般生化学検査をもう一度やり直してみたが、異常はなかった」
「なんにも?」
「まったく何もない」
「でもおかしいところがあるんでしょう?」
「ある」
即座に断定されて、ぼくは目の前がちょっと暗くなった。
「どこがおかしいんでしょうか?」
ぼくの代わりに幸恵が尋ねた。幸恵が心配そうな顔をして、ぼくの両肩に手を乗せていた。
「先週橋谷君を診察して、ホルモン異常があるのではないかと思って検査してみた」
「ホルモン異常!」
大沢先生は、もうひとつの検査伝票を取り出した。
「男性ホルモンの量は、まあ、正常範囲内なんだが・・・・」
「あのう・・・・それじゃあ・・・・」
「うん。男性としては、女性ホルモンの量が異常に多い」
ぼくは呆然とする。そう言われれば、そうなのだ。今ぼくの体に起こっている変化は、女性ホルモンのせいなのだ。年末、乳首に塊ができて痛かったのを思い出した。小説の中に女性ホルモンを投与されて身体が変化していく様を書いていたのに、それに気が付かなかったなんて。
「まさか、女性ホルモンを飲んでいたなんてことはないよね」
大沢先生が、ちょっと疑るような目でぼくを見た。
「あ、当たり前です。そんなことするもんですか! 冗談じゃないです」
ぼくは即座に否定した。
「それもそうだろうね。女性ホルモンを飲んでいて、インポの治療に来る人間なんて聞いたことがない」
そばに立っていた看護婦がくすっと笑った。ぼくは恥ずかしくて下を向いた。
「先生! 何が原因なんですか?」
幸恵が叫ぶように尋ねた。
「体のどこかで女性ホルモンが産生されていると言うことだろう」
「女性ホルモンって、卵巣で作られるんでしょう?」
「ま、そう理解されているが、実のところは卵巣だけじゃないんだ」
僕たちは大沢先生の話しを食い入るように聞いた。
「男性でも、睾丸や副腎でわずかながら女性ホルモンが産生されている。要はバランスの問題でね。男性の場合、睾丸から産生される男性ホルモンの方が圧倒的に多いから、女性ホルモンがあっても、何の効果も現さないんだ。ただ、肝臓病などで、女性ホルモンを分解するスピードが落ちると、乳房が大きくなったりすることがある」
「克也は肝臓病なんですか?」
「いや、検査結果を見る限りでは、そんなことは考えられない」
「じゃあ、原因は?」
「異所性女性ホルモン産生腫瘍だと思う」
「異所性女性ホルモン産生腫瘍!?」
「体のどこかに、女性ホルモンを産生する腫瘍ができていると言うことだ」
「腫瘍って、ガンのことでしょう?」
恐ろしくなって、ぼくが尋ねた。
「腫瘍と言っても、良性から悪性まである。橋谷君の場合、ま、恐らく、腺腫と呼ばれるものだろう」
「腺腫・・・・ですか?」
「そうだ」
「ガンじゃないんですか?」
「・・・・癌化していることもあるが、大抵は良性だ」
ぼくは少しほっとする。しかし、まだガンが完全に否定されたわけではない。
「放っておいたら、どうなります?」
「女性ホルモンがずっと出るから、もっと女性化するだろうね。それに、ガンだったら、もしもの話しだよ。ガンだったら、転移し始める」
「それを取り除けば、直るんですね」
「そう言うことだ」
「よかったね、克也」
「うん」
直ると言われて、気分的にかなりよくなった。
「精密検査のため、一週間か十日ほど入院が必要なんだが、仕事は大丈夫かね?」
「大丈夫です。大丈夫じゃなくても、入院させてください。ねえ、克也。いいでしょう?」
そうするしかない。ほかに選択枝はないのだ。
翌日、ぼくはリースで借りたノートパソコンと64Kのデータ通信用のPHSを持って、大沢泌尿器へ入院した。
仕事なんて、ほんとはする気はなかった。しかし、こんな時に限って仕事が入っていた。断ったりすれば、後の仕事が入らなくなると思って、ベッドの上で仕事をした。
入院した翌日、午前と午後に分けて全身CT検査が行われた。一日あけて、シンチグラムが行われた。その翌日、大沢先生から幸恵を呼ぶように言われた。
入院して5日目の土曜日、ぼくたちは大沢先生の前にかしこまって座っていた。
「先生。結果はどうでした?」
大沢先生の表情は暗い。良性と言ったけど、やっぱりガンだ。ぼくは項垂れていた。
「結論から言おう。腫瘍が見つかった」
「どこにあったんですか?」
「これを見たまえ」
大沢先生が、シンチグラムのフィルムを指さした。黒い点の集合があって、人体を形作っていた。先生が指さすところに、ひときわ黒い部分があった。
「あのう・・・・。そこは、まさか・・・・」
「そうだ。睾丸がある部位だ」
「睾丸のガンなんですか?」
ぼくは恐る恐る聞いた。
「そうと決まったわけではない。検査しなければならない」
「どういう検査ですか?」
「睾丸の組織を取って調べるんだ」
「睾丸の組織を取るって、まさか全部取るって事じゃあ」
「いや、ほんの一部を取るだけだよ」
「ほんの一部だけなんですね」
「そうだ。生検と言うんだが、下半身麻酔をかけて、睾丸の組織を針で少し取って調べるんだ」
「針でって・・・・。じゃあ、ほんとに、ほんの少しってことですね」
「そうだよ」
全部取られるんじゃないかと思って心配した。針で取るくらいなら大丈夫だ。
「一応麻酔をかけるから、承諾書をいただこうと思ってね」
「そうですか。どれくらい掛かりますか?」
「時間かね?」
「はい」
「準備も全部入れて、30分もあったら、お釣りが来るだろう」
「そんなに簡単なんですね」
ぼくはホッとした。
「心配いらんよ。すぐに終わる」
承諾書に二人のサインを入れた。
月曜日の午後、ぼくは手術用のガウンを着せられ手術室に入った。いくら簡単だとは言え、手術室に入るのは、気分のいいものじゃない。
麻酔に5分。消毒してシーツを掛けるのに5分。始めるよの声が掛かって、3分もしないうちに生検は終わった。
「簡単だっただろう?」
「こんなに簡単だったら、あんなに大げさに言わなくてもよかったのに」
「まあ、大事をとっただけだよ」
大沢先生の笑顔に心安らいだ。
「結果はいつ分かりますか?」
「一週間後だ。奥さんにも来てもらおうか」
「はい。分かりました」
生検が終わってから、又不安になった。もしガンだったらどうしよう。もしガンだったら、どうなるんだろう? 仕事が手に付かない。
翌週の月曜日の夕方、仕事を終えた幸恵が病院へ来て、生検の結果を二人で聞いた。説明のたびに、大沢先生の顔が暗くなっていくのが分かる。
「結果はいかがだったでしょうか?」
怖くて言い出せないでいるぼくに代わって幸恵が尋ねた。大沢先生は、すぐには口を開かなかった。
「・・・・悪性度は高くないが・・・・」
「悪性度って・・・・」
「病理学的には、一応ガンと診断された」
ぼくは目の前が真っ暗になった。手足ががたがたと震えて、今にもイスから落ちそうになった。そんなぼくを幸恵が支えてくれる。
「克也、しっかりして」
「あ、ああ」
「先々週のCTやシンチグラムの結果では、転移はないことが分かっている」
「でもガンなんでしょう?」
ぼくはもう何もものを言うことができなかった。幸恵がずっと質問する。
「そうだ。だから、取り除かなければならない」
「取り除くって、睾丸をですか?」
「そうだ」
「両方とも?」
「一方だけならいいんだが、両方ともガンに冒されている」
「ガンの部分だけ取り除くことはできないんですか?」
「技術的に不可能だ。睾丸を両方とも取り除く必要がある」
「そんな・・・・。そんなことしたら、赤ちゃんができなくなってしまう・・・・」
「しかし、放置したら、命がなくなってしまうんだよ」
幸恵は黙り込んだ。再び口を開いたのはやっぱり幸恵だった。
「抗ガン剤は効かないんですか?」
「副作用がひどいし、効果が確実ではない。転移がないうちに取り除くのが一番だ」
「手術をしたら、助かりますか?」
「さっきも言っただろう? 悪性度があまり高くなさそうだから、手術さえすれば、命は助かるだろう」
「だろうなんですか?」
「ガンだから、100パーセントとは言えないが、99パーセントは大丈夫だ」
「克也。どうする?」
「いやだ。そんなのいやだよ」
睾丸を両方とも取ってしまうなんて、男じゃなくなってしまう。ぼくはぼろぼろと涙を流した。男が人前で泣いちゃいけないと父に言われていたのに、涙が溢れて止まらなかった。
「男としてつらいかもしれないけど、命の方が大切だよ」
大沢先生が優しく言う。
「そんなこと言ったって・・・・」
「今決めろと言うのは難しいだろう。一晩考えて返事をください。ほかに選択の余地はないと思うけどね」
大沢先生も、最後はちょっと冷たい口調でそう言った。
病室へ幸恵に抱えられるようにして戻った。何も考えられなかった。男でなくなるくらいなら、死んだ方がましだ。ぼくがベッドの上で泣き続けた。
「克也。克也」
幸恵がぼくを揺り動かす。
「ほっといてくれ」
ぼくは自暴自棄になっていた。
「克也。手術を受けて。お願い」
「手術したら、俺は男ではなくなってしまうんだぞ」
「それでもいいわ。あなたが生きていてくれるのなら・・・・」
ぼくは、涙声のそんな幸恵の言葉に、顔を上げて幸恵を見た。幸恵は目に涙を一杯溜めていた。
「セックスだけが愛じゃないわ。年末から、ずっとなかったけど、こうして仲良くやってこられたじゃないの。そうでしょう?」
「ほんとにいいのかい? ほんとに・・・・」
「ええ。あなたがわたしのそばにいてくれたら、睾丸なんて、・・・・ペニスだってなくたっていいわ」
「ありがとう。ありがとう、幸恵・・・・」
幸恵は、ぼくのことを心から愛してくれている。幸恵と結婚してよかった。心の底からそう思った。
「決心してくれたんだって?」
幸恵の報告を聞いて、大沢先生が病室までやってきた。
「はい。お願いします」
「善は急げだ。明日の午後にでも手術しよう」
「先生。今晩これから、外泊できませんか?」
突然幸恵が言い出した。大沢先生は、にやりと笑って答えた。
「いいでしょう。帰る前に、診察室に寄りなさい」
「はい」
ぼくは首を傾げた。診察室に寄らせて、何をするつもりだろうか?
「幸恵。帰って、どうするんだい? あれ、しようって言ったって、ダメなのは分かってるだろう?」
幸恵が外泊を口にした理由はすぐに分かった。しかし、勃起しないんだから、外泊したって仕方がないと思った。
「いいから、ほら、帰る準備をして」
訳が分からず、ぼくはパジャマをトレーナーに着替えて、幸恵と一緒に診察室へ降りていった。
診察室では、大沢先生が小さな袋を持って待っていた。
「1時間前に飲むんだよ。楽しんできなさい」
そう言って、袋を幸恵に渡した。
「何が入ってるの?」
ぼくは、病院の玄関へ向かいながら幸恵に聞いた。
「バイアグラに決まってるでしょう?」
「バイアグラ!?」
「何にもしなかったら勃起しないでしょうけど、これがあれば大丈夫よ」
「じゃあ、・・・・睾丸がなくなっても、セックスはできるんだね」
「さっき、手術して欲しいって報告に行ったとき、先生が教えてくれたの」
「うまくいけば、今日妊娠可能よ。ちょうど排卵日だから。帰って頑張りましょう」
涙が出た。セックスもできるし、うまくいけば子供ももうけることができるんだ。
アパートに戻ってすぐにバイアグラを飲んだ。シャワーを浴びているうちに勃起してきた。ホント、何カ月かぶりに覚える緊満感だ。
「すごい! ホントに効くのね。いつもより大きくなったみたい」
幸恵の言うとおりだ。普段より一回り大きくなっていた。
「克也! 大好きよ」
そう言って、幸恵は早速しゃぶり付いてきた。
「口に入んないわ」
嬉しそうに言う幸恵は、幸せそうな笑顔を浮かべた。
ベッドに戻って、抱き合いながら互いを刺激しあった。まるで発情期の犬猫のようだ。以前と違ったのは、ぼくの乳首だ。むちゃくちゃ感じるのだ。乳首を幸恵に舐められただけで、すごい快感を覚えた。腫瘍からでている女性ホルモンのせいだろうけど、不思議な気がした。
そして、久しぶりの幸恵との合体。期待していたのに、あんまり気持ちはよくなかった。ペニスが他人のもののように感じるのだ。それに、あまりに緊満しているせいか、柔らかく締め付けてくる幸恵を感じることができなかった。バイアグラのセックスは、決していいものじゃない。
それでも立て続けに三回もやってしまった。こんなことは生まれて初めてだ。幸恵がもういいと言わなかったら、まだ二回くらいはできそうな気がした。バイアグラ、恐るべし!!