12月30日。銀行は今日までだ。明日から年末年始の休みに入る。少し早く帰れると言っていたのに、幸恵はなかなか帰ってこない。事故にでも遭ったんじゃないかと心配で、小説作りにも身が入らなかった。
午後9時前になって、幸恵が帰ってきた。
「ごめん、遅くなって」
「遅くなるのなら、連絡ぐらいしてくれよ。心配するじゃないか」
「心配してくれたの?」
「当たり前だろう」
ぼくは膨れて幸恵の顔を見た。
「計算が合わなくって、ずっと缶詰だったの。連絡することもできなくて・・・・」
「まあ、いいや。さあ、食べよう」
幸恵は、テーブルに座らない。
「どうしたんだよ。食べないの?」
「ごめん! 食べてきたの」
「ええっ!?」
「遅くなりそうだからって、課長が出前を取ってくれて・・・・」
「帰って家で食べるって言えばよかったのに」
「わたし、独身って事になってるでしょう? 克也が準備して待ってるって、言えなくって・・・・」
「せっかく作ったのに・・・・」
ふて腐るぼくに、幸恵が優しく頬にキスしてくれた。
「次は電話しろよな」
「分かってるわ。お詫びに今日はサービスするから」
幸恵の笑顔にぼくは機嫌を直した。
シャワーを浴びて幸恵の待つベッドに飛び込んだ。幸恵は、久しぶりと言うこともあって、顔が上気しているように見えた。
長い前戯の後、いざ合体しようとしたら入らないのだ。前戯の最中もおかしいと思っていた。あまり固くならないのだ。ぼくは焦った。幸恵は今か今かと待っている。
「何してるの? 早くう」
ぼくは息子をしごいて入れようとした。しかし、まるでコンニャクのようにべろんと垂れたままだ。
「どうしたの?」
「ごめん。萎えちゃった」
「どうして?」
「そんなこと分からないよ」
ぼくは下を向く。
「もう一度、やってあげるわ」
そう言って、幸恵がぼくを含んで舐め回し始めた。しかし・・・・。
「どうしたのかしら?」
「分からない・・・・」
ぼくは半べそをかいていた。
「きっと疲れているのよ。一日中パソコンばかりやってるから」
「そうかなあ・・・・」
「明日は、一日ゆっくりしたら?」
「そうするよ」
ぼくは意気消沈して布団を頭からかぶった。
大晦日。二人でワインを飲みながら、紅白歌合戦を見た。寝たのは年が明けた午前2時。二人とも酔っぱらっていて、結局何もしなかった。
新しい年が明けた。21世紀の幕開けだ。朝日があがらないと年が明けたって言えないと思う。21世紀最初の日の出を見ようと思っていたのに、目が覚めたのは午前10時だった。ちょっと飲み過ぎた。
「悔しい!! 21世紀最初の日の出を見逃しちゃったあ・・・・」
幸恵もちょっと悲しそうな顔をしていた。
ベッドから起き出そうとすると、幸恵がぼくの手を引っ張った。
「姫始めする?」
「いいね」
21世紀の初日に幸恵の方から誘ってくるなんて、嬉しい限りだ。喜んで、そう答えたが、・・・・やっぱりだめだった。昨日まではいったんは勃起したのに、今日はぴくりともしない。
「昨日、飲み過ぎたのかしら?」
「ワインを飲み過ぎるとダメになるって言うからね」
「ほんと?」
「ゴルゴサーティーンに書いてあった」
「ゴルゴサーティーンって?」
「さいとうたかおの劇画だよ」
「知らないわ」
「女はあんな劇画は見ないだろうね」
「今晩大丈夫かなあ」
「・・・・分からないよ」
「精が付くもの作ってあげるわ」
「ああ、頼む」
そんなことでは回復しそうな気がしなかった。
やっぱりだめだった翌日の正月二日。ぼくは西岡恵治から案内のあった中学校の同窓会へ行った。
「橋谷! 元気だったか?」
中学時代、最も仲のよかった石井浩二が声をかけてきた。中学時代は、何ともさえない男だったが、スーツをピッシリ着こなした石井は、まるで人が変わったように輝いていた。
「ああ、何とかね」
「元気ないじゃないか? どうしたんだ?」
いくら仲がよかったからと言っても、普通の病気ならともかく、インポになってしまったなんて、とても言えなかった。
「何でもないよ。ちょっと疲れているだけだよ」
「仕事、何やってんだ?」
「コンピューターソフトの会社に勤めてる」
「へええ。じゃあ、儲かるんだろう?」
「まあね」
ひものような生活しているなんてことも言えるはずがないよな・・・・。
「そうか。・・・・それにしても、おまえ、だらしないな」
「えっ!? なにが?」
「散髪くらい行ったらどうだ?」
ぼくの髪の毛は、伸びに伸びて肩を越すまでになっていた。一応櫛でといて、ゴム紐でまとめてはいるんだけど・・・・。
「めんどくさくて・・・・」
「まるで女だぞ」
「そうかな?」
「そんな格好で会社に行ってるのか?」
「いや、会社には行かなくていいから」
「ええっ!? 出社しなくていいのか!?」
「ああ。自宅で仕事。全部Eメールでやりとりしている」
「そりゃ、楽でいいわ。俺なんて、通勤に40分だぜ。40分」
「家にじっとしてるのも楽じゃ何よ」
「そうか? 橋谷。おまえ、ちょっと太ったか?」
「そんなことないよ。体重は変わってないからな」
「そうか?」
石井は不思議そうな顔でぼくを見ていた。
「橋谷君、お久しぶり」
我がクラスのアイドル、大橋由香里がやってきた。中学時代も可愛かったが、一段と可愛くなっていた。
「ビール注ぐわ」
ぼくはビールの入ったコップを差し出した。
「ぐっと空けてよ。それとも、わたしの注いだビールが飲めないって言うの?」
「飲むよ」
普段あんまり飲まないぼくは、石井に注がれてコップに2杯飲んだだけで、かなり酔っていた。しかし、悪戯っぽい目でそう言われると飲まざるを得なかった。ミニスカートから覗いた大橋の白い太股が眩しい。去年の同窓会の時にも同じようにビールを注がれた。あの時は・・・・、大橋がぼくに気があるんじゃないかと思って、股間が固くなった。今日も、勃起してしまうシチュエーションなのにぴくりともしない。これは重傷だなとかなりガックリ来た。
どうしてだろう? 疲れているだけなのだろうか?
「元気ないわね」
「そんなことない」
「橋谷君って、明るくないとダメよ」
そう言って大橋は、恩師のところへ行ってしまった。
「橋谷」
「なんだ?」
「大橋、おまえに気があったってこと、知ってるのか?」
「ええっ!?」
驚いたってなかった。あの大橋が?
「嘘だろう。俺を担ぐのか?」
「おまえも鈍感だな。何で同窓会のたびに必ずおまえに注ぎに来るんだよ。俺なんて、一度も注がれたことないのに」
知らなかった・・・・。
「おまえが結婚したって聞いて、彼女、自殺未遂までしたんだぞ」
「ほんとか?」
「知らないのは、おまえくらいなものだぞ」
そんなこと、今更言われたって・・・・。それに、インポになってしまった今となっては、そんなこと言われても、悲しくなるだけだよ。
同窓会はかなり盛り上がっていたが、ぼくはまるで他人の同窓会に来ているように沈んでいた。
二次会の席でも、ぼくは隅に座って、同級生たちがカラオケで歌うのをしょんぼり聞いていた。
石井が大橋と何か話しをしているのが目に入った。あんなことをぼくに言ったけど、石井は大橋に気があったから、口説いているんだろうと思っていた。
二次会がお開きになって、小グループができてみんな散っていった。ぼくは、帰ろうとカラオケボックスの外に出た。
「橋谷。ちょっと待てよ」
コートを着た石井が、ぼくを呼び止めた。石井の後ろには、大橋が立っている。
「大橋を送ってやってくれ」
「方向が違うだろう?」
「おまえなあ。気を利かしてやってるんだから、俺の好意を無駄にするなよ」
石井は大橋をぼくの前に突き出した。大橋は恥ずかしそうにしている。ぼくに気のある大橋由香里。一緒に帰れと言う石井の魂胆は見えていた。去年のぼくならともかく、今のぼくにはどうすることもできない。
それに・・・・。幸恵にばれたら、とんでもないことになる。
「すまん。ホントに体調が悪いんだ。早く帰りたいんだ。石井。おまえが送ってやってくれ」
ぼくは後ろ髪を引かれる思いで、逃げるようにしてその場を去った。
その夜は、アルコールが入っていたせいもあって、当然だめだった。翌日もまったくダメ。気が滅入るばかりだ。
「どうしたの? あんなに元気だったのに・・・・」
「分からないよ」
ぼくは涙を浮かべていた。
「何かの病気じゃないの? そう、きっとそうよ。病院で調べてもらいましょう」
「病院で?」
「あなたがいない間に家庭の医学で調べて見たけど、糖尿病なんかで、立たなくなることがあるんだって」
「糖尿病!?」
「少し太ったみたいだから、その可能性があるわ。あしたには病院が開くから、行きましょう」
そうだよな。26なのにインポだなんて、病気に決まってる。
4日になって、ぼくは幸恵に付き添われて、近くの内田医院という内科を訪れた。
「疲れ易くって、元気が出ないんです。どこか悪いんじゃないかと思って」
インポになってますなんて恥ずかしくって最初から言えなかった。
「そうだね。肝機能でも調べておきましょう」
そう言われて、採血された。
「糖尿病の検査もしてくれますか?」
「若いのに?」
「若くてもあるんでしょう? 最近少し太ったから・・・・」
「あるにはあるが・・・・。じゃあ、検査項目を追加しておきましょう。明日結果が分かるから、もう一度来てもらえるかな?」
「はい」
翌5日、結果を聞くために内田医院を訪れた。
「・・・・異常はないけどねえ」
内田先生は、検査伝票を見ながらそう言った。
「糖尿病もないですか?」
「血糖値もグリコヘモグロビンも正常だ。糖尿病の可能性はない」
「何です? そのグリコ何とかというのは?」
「何と言ったらいいかな・・・・。血糖値と言うのは、何か食べると上がるんだ。血糖が高いからと言って、糖尿病とは限らない。このグリコヘモグロビンというのは、血糖が一日中高い状態が続くと高くなるんだ。ま、血糖の平均値みたいなものだ。グリコヘモグロビンが正常と言うことは、一日を通して、血糖値が正常範囲にあるってことを示しているんだよ」
「なるほど・・・・。じゃあ、ただの疲れですかね」
「そうかもしれないね。ビタミンでも、一本やってみようか?」
「お願いします」
ピンク色の注射をされた。少し元気が出たような気がした。
診察室を出るとき、医者がちょっと首を傾げて考え込んでいるのが目に入った。何かぼくの状態に思い当たることでもあるのだろうか?
ビタミン剤の効果はなかった。ずっとパソコンも触ってないし、睡眠も充分取っている。疲れているわけではないと思うのに、一向に回復しない。何が原因なんだ!! 涙が出た。
「克也」
「何?」
「泌尿器科に行ってみる?」
「泌尿器科?」
「泌尿器科だったら、バイアグラをくれるんじゃないかな?」
「バイアグラ・・・・」
若いのに、どの面下げて、わたしはインポです。バイアグラをくださいと言えるんだろうか?
「恥ずかしいかもしれないけど・・・・、わたしのために行ってよ」
幸恵のためと言われれば、恥ずかしいなんて言ってはおられない。ぼくは決心する。
「分かった。行ってみる」
「わたし、仕事だけど、ひとりで行ける?」
「行くよ。女の幸恵のほうこそ、泌尿器科なんて行きにくいだろう?」
「それもそうね」
朝起きて、歯を磨きながら鏡を見た。石井が女に見えると言ったけど、ホントにそう見える。髪の毛のせいだよな。そう思い直した。
幸恵はもう出かけている。ぼくは、トーストを焼いてマーガリンを塗って頬張りながら、幸恵がいつも作ってくれるジュースを飲んだ。
午前10時。ぼくは意を決して、幸恵が調べてきた大沢泌尿器科へ向かった。アパートの部屋から看板が見えるくらい近いから、歩いていった。
「内科・泌尿器科になってて、主に腎臓病の人たちが行ってるから、行きやすいと思うのね」
昨夜の幸恵のそんな言葉に、ぼくはちょっと安心した。幸恵の心遣いには、ホント、感謝で一杯だ。
大沢泌尿器科の受付に入ると、色の悪い、いかにも腎臓が悪いですと言う顔色の男女が長椅子に腰掛けて順番を待っていた。
30分ほど待たされて、診察室に入った。
大沢と書かれたネームを付けた40位に見える医者が中で待っていた。
「いつから立たないの?」
若い看護婦がそばにいるのに、大沢先生はぼくの書いた問診表を見ながら大きな声でぼくにそう尋ねた。
「・・・・去年の12月に入ってからです」
恥ずかしさで、消え入りそうな声で、ぼくはそう答えた。
「それまではどうもなかったんだね」
「はい。びんびんでした」
看護婦が、ちょっと笑ったような気がした。
「お酒か何か飲んでいて、失敗したとかはないの?」
「普段、酒は飲みませんから・・・・」
「そうか・・・・。ストレスは多い?」
「そんなことないと思いますけど・・・・」
「疲れ易いってことは?」
「ないと思います」
「若いのに結婚してるんだね。奥さんとうまくいってないとか・・・・」
「それもないです」
「心因性のものではないようだね。突然インポになったか・・・・」
大沢先生は考え込んでいる。
「糖尿病も調べてもらったんだね」
「はい」
「ちょっと見せてもらおうかな。橋谷君、診察台に横になって下着を下ろして」
「えっ!? あのう。出すんですか?」
「そうだよ」
そばに立っている看護婦さんはいくつなんだろうか? ぼくと変わらないような気がするけど・・・・。人並みの大きさはあると思うけど、見られていると恥ずかしい・・・・。
「恥ずかしがったって仕方がないよ。僕らから見れば、手足を見ているのと変わらないからね」
そう言われて、仕方なくベッドの上に仰向けになって下着を下ろした。
ぼくの局部を見ながら、大沢先生は少し首を傾げた。
「どこか、おかしいんですか?」
「いや、そう言う訳じゃないんだが・・・・」
奥歯に物の挟まったような口調に、ぼくは不安を隠せない。内田先生といい、何かがぼくに起こっている。そんな気がした。
「下着をあげていいよ」
ぼくは急いで下着をあげた。
「採血させてもらっていいかな?」
「何を調べるんですか?」
「結果を見てから説明するよ」
「今日は説明できないんですか?」
「結果を見ないと・・・・」
「分かりました」
かなりの量の血を採られた。何を調べるんだろう?
「一週間ほど掛かるから、来週、また来てくれるかな?」
「はい」
大沢先生の様子を見ていると、やっぱり何かがありそうだ。内田医院では翌日結果がでたのに、一週間も掛かるなんて、特殊な検査をしているのに違いない。ぼくは不安を抱えて、アパートへ帰った。
「幸恵、俺はガンなんじゃないだろうか?」
帰ってきた幸恵に向かってぼくは小さな声で聞いた。
「ガン!? まさか」
「先生が、なんか、首を傾げてたんだ。それに、採血結果が一週間後だって言うんだ。内田医院は次の日に結果がでただろう?」
「うん」
「特殊な検査をしてるんだよ。ガンとかの・・・・」
「ガンなんて、年寄りの病気よ。克也みたいに若い人のガンなんてないわよ」
「本に若くてもあるって書いてあるよ」
ぼくは自分がガンだと思い始めていた。
「立たないだけじゃないの。食欲はあるし、体重も減ってない。克也のどこがガンなのよ」
そう幸恵に励まされて、少し元気が出た。
ぼくは、ほかのことを考えないように、小説作りに没頭した。主人公が洗脳されて、別人となって精神病院を出たところまでは書いている。これから書くのは、主人公が、自分を女に変えた憎い権藤を殺したシーンだ。
『目を開けて時計を見ると、権藤が死んでからまだ何分も経っていなかった。目の前に権藤の体から生えるようにして突き刺さったナイフの柄が見えた。ナイフが突き立った皮膚の裂け目から血液がほんの少し流れ、凝固し始めていた。ひとはこんな小さなナイフで、こうも簡単に死ぬものなんだなと妙な感慨を覚えた。権藤の顔を見ると『ひと』から『死体という物体』へと急速に変化しつつあった。テレビなどで見る死んだ振りの死体とは違う、本物の死体に。』
幸恵は、ぼくが何もかも忘れて小説作りの没頭する姿を見て安心しているようだ。しかし、忘れようとして、忘れられるものではない。幸恵を心配させないために、ガンかもしれないと言う不安な思いを心の奥に潜めて、モニターに向かった。
今まで、半日掛かってもせいぜい10行ほどしかできなかったのに、ものすごく仕事がはかどった。次々と言葉が浮かんでくる。
検査結果を待つ一週間の間に、とりあえず仕上がってしまった。
「結構おもしろいと思うんだけど、話しが淡々と進み過ぎね」
仕上がった原稿を見て、幸恵が少し不満そうに言った。
「どうすればいいかな?」
「殺人のシーンから始めて動機を隠しておくの。警察がいろいろ調べるでしょう?」
「うん」
「容疑から外れたところで、彼女の回想シーンで、動機を明かすってことにしたら、インパクトがあるんじゃないかな?」
「なるほど。幸恵は小説家になれるよ」
「そうかな?」
ちょっと自慢げに幸恵は笑った。
こんな時には、ワープロは便利だ。カットアンドペーストで入れ替え、辻褄の合わなくなったところを修正すればいい。
「それとね。彼女と結婚してしまう刑事ね」
「ああ、山岸だね」
「最後に彼女が権藤って医者を殺したことを知ってしまうけど、それを隠して彼女と暮らすってことにするといいんじゃないの?」
「あっ! それ、グッドアイデア」
大沢泌尿器科に検査結果を聞きに行く前日、原稿が仕上がった。ぼくがガンで死んだら、これは遺稿と言うことになるのかなと思った。