第13章 悪魔のような女

 女性ホルモンを幸恵に処方してやり、週に二度ほど幸恵とモーテルへ行った。幸恵と関係を持ち始めた当初は、美子にそっくりな幸恵とのセックスにわたしは喜びで一杯だった。
 しかし幸恵はセックスに関しては留まることを知らない。時間が許す限り、わたしを責めまくった。そう、男のわたしが責められるのだ。男としては、これ以上の喜びはないとは思う。だが、幸恵は、わたしの理想とはかけ離れている。わたしは少し醒めていた。
 「せ・ん・せ・い。わたしを捨てちゃだめよ。主人に女性ホルモンを与えているのは、先生の命令で、先生がわたしを手に入れるためにやらせているって言ったら、みんな信じるでしょうからね」
 そう言って笑った幸恵に、わたしは後悔の念を禁じ得なかった。しかし、やり始めた以上、もう逃げ出せなかった。

 女性ホルモンの投与を始めて5ヶ月ほど経ったある日、幸恵と1ラウンド終えてベッドの中で煙草を吸っていた。
 「ご主人はどうだい?」
 「ほとんどだめになってるわ。それに、その気にもならないみたい」
 「薬をやり始めて、5ヶ月くらいになるかな?」
 「ええ」
 「よく効いてるな。もうそろそろ止めようか?」
 「女性ホルモンを止めたら、どうなるの?」
 「しばらくしたら元に戻る」
 「ふうん。じゃあ、インポは治るのね」
 「ただし、妊娠させることはまずできなくなるだろうな」
 「ねえ、先生。永久にインポのままにするにはどうしたらいいの?」
 「永久にか? 永久にと言うのは・・・・、そうだな。睾丸を取ってしまえばいいが・・・・」
 「睾丸を取るねえ」
 薄笑いを浮かべた幸恵の顔を見て、ぞっとした。
 「先生。理由を付けて、克也の睾丸を取ってしまうわけには行かない?」
 「ば、馬鹿なことを言うなよ。どうしてそんなことを言うんだ?」
 「女は離婚してすぐには再婚できないでしょう? 待ってる間に回復して、よりを戻してくれって言われたとき、断れないじゃないですか」
 「それもそうだが・・・・」
 「先生。医者でしょう? 理屈はいくらでもあるんじゃないの?」
 「押さえつけて取るわけにはいかないが・・・・」
 「何かの病気ってことにすればいいんでしょう?」
 「ま、その線で行くしかないな」
 「明日にでも先生のところに連れて行くわ」
 「いや。すぐは拙い」
 「どうして?」
 「わたしが最初から絡むのはよくない。ほかの医者にまず見せるんだ。恐らく何も分からないだろう。それから、インポの治療に行こうと言って、わたしの病院へ連れてきなさい。後のことは、わたしが考えておく」
 「分かったわ。じゃあ、近くの内科に連れていきます」
 話しが決まると、幸恵が再び挑んできた。いつものことだが、この調子では、わたしもやりすぎでインポになってしまいそうだ。

 一週間ほどして、予定通り克也が病院へやって来た。数日前には、何処かの内科で、インポになるような原因がない事を調べてもらっているはずだ。
 髪を伸ばすだけのばした克也は、まるで女に見えた。ほとんど外出しないで家に閉じこもって仕事をしていると聞いていた。だから色が白く、ほぼ半年与えられ続けた女性ホルモンのせいで、肌のきめも細かい。体の線も丸くなり始めていた。
 愛されているはずの妻に、まさか女性ホルモンを投与されているとも知らず、気の毒な話しだ。
 「いつから立たないの?」
 質問を始めると、克也は真っ赤になって下を向いた。インポになった原因を探る質問を浴びせかける。克也は小さくなっていた。
 睾丸とペニスの検査をした。睾丸は萎縮気味。ペニスは正常大だが、そばに若い看護婦を立たせているのに、まったく勃起しない。インポ作戦は成功している。
 次のステップに行くために、採血をした。
 「採血させてもらっていいかな?」
 「何を調べるんですか?」
 「結果を見てから説明するよ」
 「今日は説明できないんですか?」
 「結果を見ないと・・・・」
 「分かりました」
 克也は不安そうな顔をして帰っていった。

 一週間後、克也が幸恵に付き添われてやって来た。幸恵は心配そうに克也に声をかけていたが、克也の後ろからわたしにウインクしてきた。ほんとに悪い女だ。
 克也がわたしの顔色を見て真っ青になっている。わたしも演技が上手い。
 「一般生化学検査をもう一度やり直してみたが、異常はなかった」
 「なんにも?」
 「まったく何もない」
 「でもおかしいところがあるんでしょう?」
 「ある」
 そう言うと、克也はますます青ざめ、椅子からずり落ちそうになった。気の弱い男のようだ。ちょっとやりすぎかなと思った。
 「先週橋谷君を診察して、ホルモン異常があるのではないかと思って検査してみた」
 「ホルモン異常!」
 克也は驚きの声を上げた。
 「男性ホルモンの量は、まあ、正常範囲内なんだが・・・・」
 「あのう・・・・それじゃあ・・・・」
 「うん。男性としては、女性ホルモンの量が異常に多い」
 克也が書いているという小説をわたしも読まされていた。あの中に、女性ホルモンを食事に混入されると言う話がでてくる。今の克也にそんなことができるのは、妻の幸恵しかないのだが、露も疑っていないようだ。
 「まさか、女性ホルモンを飲んでいたなんてことはないよね」
 わたしは追い打ちをかける。
 「あ、当たり前です。そんなことするもんですか! 冗談じゃないです」
 「それもそうだろうね。女性ホルモンを飲んでいて、インポの治療に来る人間なんて聞いたことがない」
 幸恵が克也の見えないようにぺろりと舌を出した。
 ここでわたしは、克也の体の中に女性ホルモン産生腫瘍ができているかも知れないと告げた。あまりに可哀想なので、ガンではないと強調して置いた。
 克也は少し安心したような顔をしていたが、不安は隠せないようだった。

 翌日、ノートパソコンを持った克也が入院してきた。病室で仕事するつもりらしいが、あんな精神状態で大丈夫かなと思ってしまう。長かった髪の毛は、入院に備えて短く切っていた。
 全身CT検査、シンチグラムを終え、幸恵を呼ぶように言った。夜の間に、シンチグラムの睾丸の位置に黒い点を追加して置いた。これで、克也は睾丸腫瘍だと信じるだろう。
 克也はおどおどしてわたしの前に座っている。まるで少女のように思えた。ふと、美子の面影を克也の中に見たような気がした。
 「馬鹿な。克也は男だ」
 わたしは、頭の中に浮かんだ、そんな思いを振り払った。
 「結論から言おう。腫瘍が見つかった」
 「どこにあったんですか?」
 「これを見たまえ」
 わたしはシンチグラムのフィルムを指さす。そこは睾丸の位置だ。素人目には、わたしが黒い点を追加したことは見破れないだろう。
 「あのう・・・・。そこは、まさか・・・・」
 「そうだ。睾丸がある部位だ」
 「睾丸のガンなんですか?」
 克也は恐る恐るわたしに聞いた。
 「そうと決まったわけではない。検査しなければならない」
 克也は睾丸腫瘍という話しを信じたようだ。すぐに切除には持っていけない。生検をしなければならない。あとでばれたときにも、手順をきちんと踏んでおれば言い訳もできる。
 「どういう検査ですか?」
 克也が不安そうにわたしに聞いた。
 「睾丸の組織を取って調べるんだ」
 「睾丸の組織を取るって、まさか全部取るって事じゃあ」
 「いや、ほんの一部を取るだけだよ」
 「ほんの一部だけなんですね」
 「そうだ。生検と言うんだが、下半身麻酔をかけて、睾丸の組織を針で少し取って調べるんだ」
 「針でって・・・・。じゃあ、ほんの少しってことですね」
 「そうだよ」
 全部じゃないと言うわたしの言葉に不安げな様子は消えた。
 「一応麻酔をかけるから、承諾書をいただこうと思ってね」
 「そうですか。どれくらい掛かりますか?」
 「時間かね?」
 「はい」
 「準備も全部入れて、30分もあったら、お釣りが来るだろう」
 「そんなに簡単なんですね」
 「心配いらんよ。すぐに終わる」
 二人は承諾書にサインを入れた。克也は地獄への門の扉を開けた。わたしはその時、そう思った。

 生検結果のレポートを偽造し、悪性度の高くないガンだと克也に告げた。ガンだと告げられ、よほどショックだったらしく、ほとんど椅子に座っていられない状態だった。睾丸を取り除く手術の話しをした。克也はボロボロと涙を流している。それが嘘で、妻の幸恵が仕組んだことだと知ったら、もっとショックだろうなと思った。
 幸恵は、ガンだけ取り除けないかとか、抗ガン剤はダメなのかとか矢継ぎ早に質問をわたしに浴びせた。演技がうまいといったらない。
 一日考えろと時間をやった。幸恵が説得しているようだ。

 しばらくして幸恵が診察室へ降りてきた。
 「『あなたがわたしのそばにいてくれたら、睾丸も、ペニスだってなくたっていいわ』って言ったら了解してくれたわ」
 幸恵はにやりと笑った。
 「君は地獄に堕ちるよ」
 「墜ちるときは先生も一緒よ」
 幸恵が悪魔に見えた。
 「先生。バイアグラって、あんな状態でも効くんじゃないの?」
 「ああ、機序がまったく違うからね」
 「じゃあ、一錠ください」
 驚きで幸恵を見た。幸恵はわたしを見て笑っている。
 「まさか、克也君に使うんじゃあ・・・・」
 「他にいないでしょう? 先生は、いつもビンビンだし。・・・・外泊を許可してくださるわね」
 女性ホルモンを使ってインポにして置いて、バイアグラを使ってまで、セックスをするなんて、わたしには信じがたい事だった。
 「仕方ないな」
 「先生、何変な顔してるの?」
 「い、いや。何でまた、バイアグラを使ってまでしたいのかなと思ってな」
 「睾丸がなくなってもセックスできるって安心させるためよ」
 「あ、なるほどね」
 確かに幸恵の言うとおりだ。

 克也の睾丸を切除した。可哀想な気もするが、幸恵を手に入れるためだ。わたしは悪魔に良心を売ったのだ。
 抜糸がすんで退院させてやることにした。しばらくしたら、幸恵は克也と別れ、わたしの元にやってくるだろう。

 夕方になって、幸恵がやってきた。
 「明日、退院させることにした」
 「明日ですね。・・・・先生。考えたんだけど・・・・」
 「なんだい?」
 「睾丸を取る最終的な決心をさせるためにバイアグラを使ったんだけど、あれは失敗だったわ」
 「どうしてだ?」
 「だって、睾丸がなくなっても、わたしとセックスできるのよ。このままでは別れる理由にならないでしょう?」
 「そうか。それもそうだな」
 確かに幸恵の言う通りだ。セックスが可能なら、別れる理由が希薄になる。
 「どうしたらいいんでしょう?」
 「・・・・克也君にこのまま女性ホルモンを与え続けようか?」
 「そうするとどうなるの?」
 「性欲そのものが減退して、女には興味を示さなくなるかもしれない」
 「なるほど。それなら、克也の方から、別れてくれって言うかもね」
 「たぶんね」
 「ところで先生」
 「うん?」
 「性欲減退はともかく、女性ホルモンを与え続ければ、女性化も進むんでしょう?」
 「勿論だよ。これまでの経過からして、克也君はかなり女性化すると思うね」
 「綺麗な女になれるかしら?」
 「そうだな。背はそう高くないし、色も白い。精神的ストレスと手術の影響でだいぶ痩せてきたから、場合によっては君くらい綺麗になれるかも知れないよ」
 「わたしくらいに?」
 「ああ」
 「どんな女になるかしら? わたし、見てみたいわ。克也がどれくらい変わっていくか・・・・」
 「それはわたしも興味があるところだが・・・・」
 「女性ホルモンを克也に飲ませる理由は考えてくれるんでしょう?」
 「ああ、何とかしよう」
 「じゃあ、克也に会ってくるわ」
 幸恵は、わたしにウインクして部屋へ上がっていった。

 再発の危険を少なくするためには女性ホルモンの投与が必要と説明した。克也は迷っている様子だったが、幸恵が説得した。
 「でもいいの? ぼくが完全に女性化しても」
 「わたしは構わないわ。どんな姿になっても、あなたはあなたでしょう? わたしはあなたを愛しているわ」
 克也は涙を流し、女性ホルモンの摂取を了解した。幸恵の演技にはほとほと感心してしまう。

 幸恵は克也の目を盗んでわたしに会いに来る。多少のことに目を瞑れば、幸恵はわたしの理想の女に近い。幸恵が克也と別れたとき、ほんとに幸恵と結婚するかどうかは別として、いまは成り行きに任せるしかない。

 半年ほどして、幸恵が克也の喉仏を取りたいから、形成外科へ紹介状を書いてくれと言ってきた。美容院に行ったとき、男だと気づかれたらしい。この先、そんな心配をしなくていいようにしたいという。別れてしまえば、そんなことどうでもいいんではないかと思ったが、幸恵は書いてくれと言って譲らない。わたしは、福岡で開業している同級生の元へ嘘の紹介状を書いて持たせた。

 克也は、2週間に一度病院へ来ているはずだが、ずっと顔を合わせていない。病気でもないのに、睾丸を取り、女性ホルモンまで飲ませているという後ろめたさがあったからだ。
 幸恵の話しでは、克也はかなり女性化し、その部分を見なければ、まず気づかれないだろうとのことだった。
 克也がどのように変わったか、一度見てみたいと思っているのだが、踏み切れないままだ。