俺のこの不思議な特殊能力は、思った通り一時的なものではなかった。いつでもどこでもやれるのだ。俺は、いろいろと試してみて、いくつかの法則を発見した。
まず第一に、人間以外には乗り移れない。犬や猫などはだめだ。人間であれば、男でも女でも、年齢にも関係なく、意識があろうとなかろうと関係なく、生きている限り乗り移れる。名前が分からなくても大丈夫だ。ただし、俺から見える範囲の人間に限られる。つまり、見えないところにいる人間には乗り移れないのだ。ただ、戻るときは、乗り移った人間から俺の体が見えなくてもいい。これはちょっと便利だ。
第二に、乗り移った人間からさらに別の人間へは乗り移れない。これができるともの凄く便利なのだが、そうは問屋が卸さない。別の人間に乗り移りたいときには、いったん俺自身の体に戻る必要がある。
第三に、乗り移られた人間は、その間の記憶がない。乗り移った俺がした行動の記憶もない。
第四に、乗り移ってその人間として行動はできるが、乗り移った人間の記憶は俺には分からない。だから、ばれないためには、乗り移る人間は、ある程度俺が知っている人間に限定した方が無難だ。
ただ乗り移るだけでなく、この能力を利用した最初の仕事は、親父とおふくろの夫婦喧嘩の仲裁だった。
ある日、親父とおふくろが些細なことで喧嘩した。
「あれだけ今朝頼んでおいたのに、どうして忘れてきたのよ」
「スーツ着たまま、あんなもの買いに行けるかよ」
どうやら、出がけにお袋が親父に買い物を頼んだのに、買ってくるのを忘れて帰ってきたことが原因らしい。
「何が恥ずかしいのよ。子供じゃあるまいし」
「そんなこと言うんなら、自分で買いに行けばいいじゃないか。一日暇にしているくせに」
「暇とは何よ。あなたや伸太郎のために一日中あくせく働いているのに。掃除も洗濯も食事の支度だって大変なんだから」
「あくせくが聞いて呆れるよ。暇にしてるからぶくぶく太るんだろうが!」
「太るのは体質よ。わたしはあなたの女中じゃないんだからね。何でもかんでも人任せにしないで、少しは家のことに協力してよ」
「誰のお蔭で食ってると思ってんだ。俺はそれこそおまえたちのために一日中働いてんだ。そんなつまらんことなんかできるか!」
「あなたがそんな人だとは思わなかったわ」
てな訳で、親父とおふくろは互いにぷいとそっぽを向いて、口をきかなくなった。おふくろはテーブルの上に食事を並べ、親父の前にビールを置くと黙ったまま食事を始めた。親父も口をきかない。ビールを飲みながら、箸を動かす。親父もおふくろも、時々、俺に話しかけてくるが、俺はどちらに味方してもいいことはないと、食事を早々に切り上げて二階へ上がった。
いつもなら、二,三日でどちらかが折れて仲直りするのだが、今回に限っては一週間経っても仲直りしなかった。食事の時間、三人ともひと言もものを言わない。テレビの音だけが響いている。耐えられないよ。
ここは俺の出番とばかりにあの能力を使った。
まず帰宅した親父に乗り移った。そのまま台所で食事の支度をしているおふくろの前に両手をついて土下座した。
「道子、俺が悪かった。言い過ぎた。俺が会社で安心して働けるのは、みんなおまえのお蔭だ。この通りだから、どうか機嫌を直してくれ」
おふくろは、それまでの仏頂面から、輝くばかりの笑顔になった。
「あなたがわたしの気持ちを分かってくれればいいの。土下座何かもう止めて。もういいから、早くお風呂に入ってきて」
おふくろの機嫌がいっぺんに良くなった。うまくいった。俺は玄関戻り、親父から抜け出て、今度はおふくろに乗り移って、親父に深々と頭を下げた。
「お帰りなさい、あなた。この前は言い過ぎたわ。あなたが私たちのために一生懸命働いてくれているというのに、あんなつまらないことをあなたに頼んだりして。本当にごめんなさい」
俺は、できるだけ甘い声で親父にそう言った。
「い、いや。もういいよ。俺も言い過ぎた。おまえの苦労も分からないで」
「夕食すぐにできるから、お風呂に入ってらして」
「ああ」
その夜、俺は気を利かせて、もう寝るからと宣言して早めにベッドに入った。耳をそばだてていると、親父とおふくろのベッドルームから、おふくろの押し殺したような喘ぎ声が聞こえてきた。俺の仲直り計画は大成功だ。お互いに愛し合っているんだから、意地を張らなければいいのに。
その次は、あとから考えればちょっとやり過ぎだった。
二年になってから、川島という卒業して何年も経たない英語の女教師が俺のクラスの副主任になった。進学校の教師になったと言うことで、やたらと張り切るのはいいのだが、えこひいきが酷いのだ。成績がいい奴らには優しいくせに、俺のような英語が苦手な連中を目の敵にして虐めるのだ。
頭に来た俺は、ある日、川島に恥をかかせてやった。俺は一番後ろの席に陣取り、魂が抜けても体が床に倒れ落ちたりしないように準備した。川島がやってきて、授業を始めたとたん、俺は川島に乗り移った。
一瞬の闇ののち、俺は教壇に立っていた。俺の体が教室の一番後ろの席で、眠り込むようにして座っていた。
「みなさん! いつもわたしの授業を熱心に聞いてくれるから、言いもの見せてあげるわ」
そう言って、俺はブラウスのボタンをはずし始めた。
「何するんだよう」
「黙って見てなさい」
川島はブラウスの下はブラジャーだけしか身につけていなかった。ブラジャーのカップから、たわわな乳房が飛び出そうになっていた。ブラウスを一番前の席にいた下川和正に放り投げると、スカートを下ろした。体をくねらせながら、パンストを脱ぎ、くるくる回して後ろの席にいる男子生徒に投げ渡した。女子生徒はキャーキャー言って、教室を飛び出てゆき、男子生徒は口笛を吹いた。
「まだ見たい?」
「見たい、見たい」
「先生、もっと見せて!」
下着までは脱がないつもりだったのだが、俺は酔ったように教壇の机の上へ登った。そして、踊りながらブラジャーをはずし、ショーツを脱いだ。男子生徒たちはもう興奮状態だ。俺は一糸纏わぬ姿で机の上でしばし踊ったあと、教壇の上に座り込んで、膝を立てて股を広げた。こんな格好をすれば、川島の恥ずかしい部分が露わになっているはずだ。
「さあ、じっくり見ていいわよ」
「すっげえ」
「初めて見たよ」
下川の鼻から鼻血が滴り落ちていた。数人の男子生徒が、教壇に近寄ってきて股ぐらを覗き込んだ。
教室を飛び出た女子生徒の連絡を受けたのだろう、校長がやってきて目を丸くして叫んだ。
「か、川島君! な、何をやっているんだ」
「あら、校長先生。性教育の実地訓練ですわ。いけなかったかしら?」
「何を馬鹿なことを。早く机の上から降りて服を着なさい」
「こんなに喜んで貰っているのに、どうしていけないのかしら。校長先生もご覧になりませんか?」
「ば、馬鹿な。とにかく早く服を着なさい!」
そろそろ潮時だ。俺は自分の体に戻った。机の上に座り込んでいる川島の黒々とした茂みが目に入った。意識の戻った川島は、自分がどういう状態になっているのかしばらく分からず、ぽかんとしていた。気がついて悲鳴を上げると、顔を真っ赤にして机の後ろに飛び降りて、大声で泣きわめき始めた。校長に促されて、下着も着けずにスカートを穿き、校長の上着を羽織らされて、泣きながら教室を出ていった。
川島は翌日から休み、そのまま学校を辞めた。俺はちょっとやり過ぎたなと反省した。しばらくの間、川島が自殺でもするんじゃないかと心配したが、すぐに大学の同級生と結婚したと聞いて安堵した。