祥子の出産があと十日くらいに迫った頃、俺は自分の異変に気づいた。
電気を消してベッドに入ったはずなのに、ふと気がつくと、俺は床の上にぺたりと座り込み、結婚写真のアルバムを開いて涙していたのだ。
同じ事が次の日も起こった。
俺はもしやと思い、部屋の隅にビデオを置いて、録画状態にしてベッドに入った。気がつくと、やはりアルバムを見ていた。新婚旅行のアルバムだった。
俺はビデオを巻き戻して再生してみた。電気が消されて五分ほどして、人の動く気配。そして、電気が点けられた。俺とは違うおどおどした静香が、本棚からアルバムを取り出していた。
静香が目覚めたのだ。静香の魂は死んでいなかったのだ。
静香の体は俺の魂が支配している。俺が覚醒しているときは静香は眠った状態だ。俺が眠ってしまったときに、静香が目覚めて行動しているようだ。いつからそうなったのかは分からない。静香は自分の置かれた状況が分からず、右往左往している。ただ、静香は結婚式や新婚旅行のアルバムを見ている。自分が本間彰一と結婚している事は理解したに違いない。
静香が目覚めている時間は、ほんの三十分程度だ。お互いに意志を伝える方法はない。俺が目覚めているとき、静香に手紙を書くという手がある。しかしそれだけでは解決にならない。この体は静香のものだ。それなのに生活の大部分を俺が占領しているなんて、こんな状態を続けるわけにはいかない。
もし、この状態を続ければ、他人が見れば二重人格だ。いや、ひとつの肉体にふたつの人格が存在するのだから、完全な二重人格だ。困った。
どうするか? 考えたあげく、俺はあるアイデアを思いついた。実現可能かどうか分からないが・・・・。試してみるしかない。
それから五日後、祥子が子供を産んだ。玉のような男の子だった。俺によく似たハンサムな男の子だ。ちょっと言い過ぎかな? しかし生まれたのが女の子でなくて、ほんとに良かった。
何故かって? このあとを読めば、すぐに分かるさ。
俺は、祥子の病室を訪ねて手紙を託した。あとで一緒に静香と読んでくれと。
「静香と読んでくれって、どういう意味なの?」
「手紙を読んだら分かるわ。頼んだわよ」
俺は、あの能力を試して見るつもりだ。生まれたばかりの子供は、俺自身ではないが、俺の分身だ。まだ人格がないだろうから、乗り移れるかも知れない。うまくいけば、静香に体を返すことができる。自分の子供を犠牲にしたくはないが、魂だけの俺は自殺できない。自分の子供を犠牲にしてでも、俺には静香に償わなければならない罪があるのだ。その義務がある。やるしかないのだ。俺は祥子のそばのソファーに腰を降ろして、祥子が抱いている俺と祥子の子供を見つめた。
「ごめんな。こうするしかないんだ」
静香へ
以下に書かれていることは、嘘ではない。全部事実だ。一緒に読んでいるはずの祥子も証人だ。
俺、高田伸太郎は十七歳の誕生を迎えた頃から、他人に乗り移れる能力を獲得した。細かいことは抜きにして、君が自殺を図った日の話をするよ。
本間彰一は君を心から愛している。君が本間を愛していることも俺は良く知っている。君が病気のことを本間に知られたくなかった気持ちも今は俺にもよく分かる。
本間は、君の病気を知ったとき、おそらくビックリしただろうが、子供を産めなくてもいい、そばにいてくれるだけでいいと君に言うはずだったんだ。それが君にうまく伝わらなくて、君は薬を飲んだ。
本間は君を自殺に追い込んだのは自分のせいだと言って落ち込んでいたよ。あのままにしておけば、本間は君のあとを追って死んでいただろう。本間はそれほど君を愛していたんだ。
俺は、本間を励ますために君に乗り移った。そして、君が本間を愛していることを伝え、本間には医師として生き抜いて欲しいと頼んだ。そうしてから、自分の体に戻ろうとしたら、戻れなくなってしまったんだ。事故で俺の体が死んでしまったんだ。
君として生きるしかなくなった俺は、君の気持ちを無にしないために本間と結婚した。君の魂は死んでしまったと思っていた。まさか目覚めるなんて思っても見なかった。俺は君に代わって、一生、本間の良き妻であろうとしていたんだ。実際俺はそれをうまくやれていたと思うよ。
先週、君の魂が生きていて、目覚めたことを知った。悩んだ末、俺は君に体を返すことにした。俺が君の体を占領したままでいるわけにはいかないからな。
俺は魂だけだから、自殺できない。俺の魂は、俺の体でなければ、乗り移れない。しかし、もしかすると生まれたばかりの俺の分身だったら、乗り移れるかもしれないと考えたのだ。この手紙を君が読んでいると言うことは、俺の試みがうまくいったと言うことだろう。
今、俺の魂は君の体を抜け出て、祥子が産んだ子供の中にいるはずだ。信じられないだろうが、本当だ。
この子供は、本間と君の間にできた子供として戸籍に登録される。どうしてそんなことができたかは祥子に詳しく聞いてくれ。俺の魂が宿っているなんて、君には耐えられないかもしれないが、お願いだから、俺と祥子の大事な子供、そして俺の魂の宿った子供を慈しんで欲しい。
本間は俺がこの八ヶ月間君を演じたことを知らない。君と結婚できたことを心の底から喜んでいる。もしかすると本間との結婚は、君にとっては不本意だったかもしれないとは思う。だが、本間を愛してやってくれ。本間は本当に君を愛している。本間は君が愛するに足る人間だ。長年の親友だった俺が保証する。
君は女として夜の生活をやっていけるかどうか心配しているかもしれないな。それは大丈夫だ。それも俺が保証する。本間は君との性生活に満足しているし、君も普通の女と同じように感じることができるから、安心していいよ。
俺は君が好きだった。君に愛しては貰えなかったが、今度は君の子供として愛して貰えることを願ってやまない。
のび太のなれなかった高田伸太郎より