第12章 謎の女

 その女に出会ったのは、去年の盆休みだった。
 毎年、月遅れのお盆の八月十三日に高校の同窓会が開れている。俺は毎年欠かさず同窓会に出席していた。その日は、一次会が終わったら、いつものように祥子とふけるつもりでいたのだった。ところが、祥子が風邪を引いて来られなくなってしまったのだ。
 やむを得ず俺は、男友達と付き合った後、ずいぶん遅くにひとりで馴染みのスナック・ラムールの扉を開いた。その時、ドアの前でその女と鉢合わせになったのだ。女は一瞬、懐かしそうな笑顔を浮かべた。しかし、すぐに素面に戻り、そのまま何も言わずに立ち去っていった。
 髪を背中あたりまで伸ばした、スタイルのいい女だった。何処かで会ったような気がしたが思い出せなかった。
 ハイヒールの高さから推して、身長は164,5センチと言うところか? バストはそう大きくはなかったようだ。まあ、Bカップ程度だろう。だが、ウエストは締まっていた。57,8だろう。ヒップの格好も良かった。85,6だな。それにも増して、短いタイトスカートからのぞいた足の格好が良かった。足首もぎゅっと締まっている。足首の締まった女は感度がいい。これは風説にも言われているけれど、俺の経験からも確かだ。
 もう少し早く来ておれば、もしかしたら、今頃は、ベッドに誘えていたかも知れないと、ちょっと残念な気がした。
 後ろ姿を見送りながら店の中に入っていくと、マスターがにやにやしながら声を掛けてきた。
 「しんちゃんの好みじゃないのか?」
 「えっ、誰のこと?」
 俺はとぼけて見せた。マスターが今店を出て行ったあの女の事を言っていることはすぐに分かった。俺もここではずいぶんナンパをやった。マスターは俺が声を掛ける女がどういうタイプかを熟知していた。
 「今、おまえさんが扉の前でぶつかりそうになった髪の長い女さ。しんちゃんの好みだと思ったけどねえ」
 「顔をよく見なかったからなあ」
 俺はいつも座る止まり木に腰を下ろしながら応えた。
 「しんちゃんが女の顔を見ないなんてことはないだろう?」
 マスターに完全に見透かされている。誤魔化しても無理だ。もっとも誤魔化すつもりなんてないのだけれど。
 「ばれたか。結構いけてたね」
 「まあ、美人のうちに入るね」
 マスターも好みは俺に似たところがある。一度はマスターの女だとは知らずに声を掛けて、えらい剣幕で店を追い出されたことがあった。
 「彼女、ここに来たのは初めてなの?」
 「二度目かな?」
 「そう。今日はいつから来てたの?」
 「興味あるかい?」
 「まあね。いつものやつね、マスター」
 「はいはい、いつものやつね。二時間ばかり前に来たかな。カクテルを三杯ほど飲んだな。マルゲリータ、ソルティードッグ、マティーニ。誰か、人を待っている様子だったけど、振られたようだな。しきりに時計を見ていたからな。一時の時報がなったところで、腰を上げたんだよ」
 マスターはそう言いながら、ホワイトホースの水割りを俺の前に差し出した。店に女がいれば、マスターは迷わず俺にカクテルを出す。それも普通は誰も聞いたことがないような名前のものだ。それで女の関心を引くのだ。マスターも心得たもので、俺のナンパの手伝いをしてくれるのだ。今日は店にはもう誰も残っていない。だから、ホワイトホースの水割りなのだ。俺以外にもう客は来そうにない。まもなく看板だ。俺もこの水割りを飲み干したら、引き上げるつもりだ。
 「相手の気持ちが分からんなあ。あんないい女を」
 ちらりと見た女の顔を思い出しながら、俺は呟いた。
 「俺もそう思うよ」
 洗ったグラスを拭きながらマスターが答えた。
 「もう少し早く来ていたら、口説けていたかねえ?」
 「しんちゃんだったら、たぶんオーケーだろうね」
 「それはまた残念」
 俺は悔しさで舌打ちをした。俺のあとには、やはりお客は来ず、俺が水割りを飲み干すのを待って、マスターは看板を降ろした。いつかまたあの女に会えないかな、何故かそう思った。

 二週間ほどしてラムールに寄った。あの女が前日の夜来ていたとマスターに聞かされた。
 いつものやつをという俺の注文に出てきたのは、今晩もホワイトホースの水割りだ。このところ、この店に女が来ているのを見たことがない。
 昨日あの女が来ていたのか。まさか、マスターのやつ口説いたりはしなかっただろうな。そう心の中で呟いた。そんな俺の気持ちを察したのだろう。マスターの方から話を切りだした。
 「彼女、しんちゃんの事を聞いてたよ」
 「えっ、俺のことを?」
 「しんちゃんに興味があるみたいだったなあ」
 「本当かい?」
 俺は嬉しくなった。また会えたら、ナンパできそうだ。
 「嘘じゃないよ。嘘言っても仕方がないじゃあないか」
 「何て言ってたんだ?」
 「名前とか、仕事は何をしているとかを聞かれたなあ」
 「教えたのか?」
 「名前は伸太郎で、いつもはしんちゃんと呼ばれているとだけ言っておいたよ。名字は教えてない。仕事も知らないと答えておいた」
 「サンキュウ。土建屋というのは格好悪いからね」
 「そんなことないだろう。立派な職業さ」
 「ナンパの時は別さ」
 「いつもは何て言ってんだ?」
 「伯父の会社でサラリーマンしているって言ってるよ」
 「それは間違いない」
 ラムールに初めて来たのは、伯父の会社で働き始めてからだ。伯父がこの店の常連なのだ。だからマスターは俺のことをかなり詳しく知っている。伯父も好き者で、マスターの助力で、この店で女を調達しているようだ。
 「あの女だけどね。この前来たときも、しんちゃんを待ってたのと違うかい?」
 「まさか。あんな女は知らないよ」
 「俺にはそんな気がするんだけどなあ」
 マスターは少し斜め上を見つめながら腕組みをしている。もう一度、あの女の顔を思い出してみた。二週間も経つから、イメージが壊れてしまっているが、どこの誰だか分からない。何処かであったような気はするのだが・・・・。
 「何処かであったような気はするんだけど、思い出せないんだ」
 「しんちゃんでも女の名前を思い出せないなんて事があるのかい?」
 その通りだ。田岡のおかげで俺は一度出会った女の名前と顔を忘れたことは、まったくと言ってないのだ。
 「他人のそら似だろうな」
 「そうなると、しんちゃんを待っていたという、俺の勘は外れだな」
 「そうだろうな」
 「もしかしたら、この前すれ違っただけで一目惚れ・・・・ってことはないよね」
 「まさか」
 俺を待っていて欲しかったが、そんなことがあるわけはなかった。知らない女が俺を待つわけがない。俺に一目惚れ? 今までそんなことがあったためしがない。
 「この前来たときも火曜日だったよなあ。昨日も火曜日だ。もしかしたら、水曜日が休みじゃないのか? 彼女」
 そんなマスターの言葉に、俺は次の火曜日ラムールに寄ってみたのだが、その女は来ていなかった。看板まで粘ったけれど、結局やってこなかった。