第7章 世の中おかしなことだらけ

 階段を下りて、車の停まっているところへ歩いていると、警察官が、健二の乗った車のそばに立って、何やら喚いていた。
 「どうしたんだ?」
 「ああ、小川さん、助けて」
 健二が、今にも泣きそうな顔で俺に救いを求めた。
 「一体、どうしたんでしょうか?」
 俺は、40前後に見える警察官に聞いてみた。
 「ここは、駐車禁止じゃないが、駐車すると、往来に困るんだけどなあ」
 「だから、彼女に乗って貰ってるんですよ。邪魔になったら、すぐに動かせるように」
 「ま、それはいいんだが・・・・」
 「何か他に問題でも?」
 「この免許証だよ。これは一体どういうことだ?」
 警察官が俺に差し出した免許証は、健二のものだ。髪の毛はやや長めだが、化粧っ気のない健二の顔写真が貼られている。名前は当然林健二だ。
 「他人の免許証を持ち歩くなんて、犯罪だよ。派出所まで来て貰おう」
 「これは彼女のものですよ」
 「彼女のものって、これは林健二という男のものだろう?」
 「よく見てくださいよ。おい、健二。髪の毛を後ろで束ねて見ろ!」
 健二は、髪の毛をまとめて後ろで束ねた。
 「よく見てよ。ね! 本人でしょう?」
 警察官は、写真と健二を見比べてから、驚いたような顔をした。
 「ど、どうして、女の格好をしてるんだ!!」
 「わたしの勝手でしょう?」
 健二はツンと澄ましてそう言った。
 「おい。そんな口を利くんじゃないぞ。ちゃんと説明した方がいいぞ」
 「だって。どんな格好したって自由じゃないの」
 「そりゃそうだけど。普通の人は、そうは思わないからさあ」
 「オカマなんだな」
 横から警察官が割って入った。
 「オカマなんかじゃありません!!」
 怒ったように健二が叫んだ。
 「じゃあ、何だって言うんだ?」
 「わたしは女です。だから、女の格好をしてるんです」
 「はあ?」
 警察官は、分からないと言う表情を見せた。
 「すみません。いわゆる性同一性障害ってやつで・・・・」
 俺は健二に代わって頭を下げた。
 「ああ、聞いたことがある。男なのに、女だって思いこんでるやつだな」
 警察官は頷きながらそう言う。
 「その通りです」
 俺は、警察官と一緒になって頷く。話がまとまりそうなのに、健二が横から大声で叫んだ。
 「違います。わたしは女です」
 「分かった。分かったから、おまえは黙ってろ!」
 俺は、警察官に平謝りした。
 「そう言うことなら仕方がないな。次ぎに写真を撮るときは、あんまり現状と変わらないようにしておけよ」
 そう言い残して、警察官は去っていった。
 「ふう」
 俺は溜息をついた。車に乗り込み、俺は健二を睨み付けた。
 「おまえが免許証なんて見せるから」
 「だって、見せろって言うから」
 「見せなきゃいいんだ。ここは駐車禁止じゃないんだから、車の番をしてるって言えば、それでよかったのに。とんだ迷惑だ」
 「ふん。次からそうするわ」
 膨れっ面をして、健二は、助手席に深く座り込んだ。まくれ上がったスカートから、パンティーが見えていた。そんな健二に俺はまた欲情してしまった。俺は正常じゃない。いや、こう言うシチュエーションで勃起しないのは、男としてむしろおかしい。健二が男と知らない上での話しだが。

 「おい、健二。いつまで、そうしてるんだ?」
 「ふんだ」
 健二は窓の外を見たまま俺の方を向こうとしない。
 「ナビしてくれないと、次ぎに行けないだろう?」
 健二は、嫌々ながら、地図を開くとナビゲーションし始めた。
 「次を右」
 「向こうの角を左」
 「あのビル」
 機嫌は直らない。俺は近くの駐車場へ車を入れた。同じ目に遭いたくなかったからだ。
 「忍! 一緒に行くぞ」
 「ここで待ってる」
 健二は腕組みをして、助手席に深々と座ったまま動こうとしない。
 「相手が女だからな。おまえが一緒でないと警戒される。頼むよ」
 「・・・・行ってあげるわよ」
 口を尖らせながら、健二は俺に付いてきた。
 「401号室だったな」
 「そうだよ」
 エレベーターがないので、歩いて4階まで上がった。401号室の電力メーターはかなりのスピードで回っていた。
 「いるみたいだな」
 「そうね」
 俺はチャイムを鳴らした。
 「はい。どなた?」
 ハスキーな返事が戻ってきた。
 「小野田探偵事務所にお勤めの長谷川千鶴さんですね」
 「はい、そうですけど」
 「藤崎探偵事務所の小川と言います。所長の小野田さんのことでちょっと伺いたいことがありまして」
 「所長のことで?」
 「はい。そうです」
 「ちょっとお待ちになって」
 ドアが少し開いた。ショートカットの可愛らしい女の目が見えた。健二の姿を見て安心したのか、ドアを開いた。若い女の部屋を訪問するときは気を使う。健二を連れてきて、やはり正解だった。
 「どういうことでしょうか?」
 「小野田さんが病気療養中と言うことはご存じで?」
 「はい。そう聞いています」
 「どこの病院にいるかご存じですか?」
 「さあ。聞いてませんが・・・・」
 「そうですか。聞いてませんか・・・・」
 「別居しているけど、奥様にでも聞かれたらいかがですか?」
 「いえね。その奥様から探してくれと依頼されたんですよ」
 「あら!? そうなんですか?」
 「奥様と別居中というのは、ホントなんですね?」
 「ええ。もう3年も前からですよ」
 「3年も・・・・」
 「所長がいなくなったからって、奥様が探してくれなんて、ホントですか?」
 「奥様が、直接わたしたちに頼みに来ましたから」
 「そうですか。へえ。おかしなこともあるものなんですね」
 長谷川千鶴も、小野田の奥方が小野田を捜していることに疑問を挟む。中村と同じだ。俺は首を傾げる。
 「それが事実ですから」
 「今付き合っている人が探してるって言うのだったら、分かるんですけどね」
 「えっ!? 愛人がいるんですか?」
 「あら? 言っちゃいけなかったかしら?」
 長谷川千鶴は、ぺろりと舌を出した。
 「誰です? その女は?」
 「女じゃないのよ。男なの」
 長谷川千鶴は、周りをキョロキョロ見回して、誰にも聞かれていないかと警戒する。俺は、健二の方をちらりと見た。健二は、知らんぷりをしている。
 「小野田さんは、ホモってことですか?」
 「男と付き合うんだから、そう言うことじゃないの?」
 「相手の男の名前を知ってますか?」
 「たしか・・・・、矢崎とか言ってたわね。どっかの大学病院の先生らしいわよ」
 「まさか、矢崎真一郎って名前じゃあ」
 「そうそう。矢崎真一郎って言ってた」
 こんなところで矢崎の名前が出るなんて、世間は狭い。
 「所長を捜すように依頼したのは、その人じゃないの? 一度だけ、所長と一緒にいるところを見かけたことがあるけど、女の格好してたら、男には絶対見えないわよ」
 「矢崎って男は知ってるけど、あいつじゃない。依頼主の女性とは顔がぜんぜん違う」
 「あら、そう。知ってるの? どうして?」
 「別の件で、ちょっとね」
 「そう・・・・。じゃあ、やっぱり奥様が捜査の依頼をしたってことね」
 「そうでしょうね」
 「なんか変ねえ」
 長谷川千鶴は、納得できないと言う顔をしている。
 「何か情報がありましたら、よろしくお願いします」
 「そうね。何か思いついたら、連絡するわ」
 俺の渡した名刺を見ながら、長谷川千鶴は、にっこり笑ってドアを閉めた。

 「さて、どうするかな?」
 「矢崎に会いに行くんでしょう?」
 「それしかないな」
 「彼女がいうことがホントなら、小野田は驚いたでしょうね」
 「そうだな。自分が付き合っている男の素行調査を頼まれたんだからな」
 「なんと報告するつもりだったのかしら?」
 「さあね」
 俺たちは、そのまま、矢崎の勤める大学病院へと車を走らせた。夕方の渋滞にあって、大学病院に着いたのは、午後7時過ぎだった。
 「お腹空いたよう」
 健二がぶつぶつ言いながら俺の後を付いてくる。機嫌はもう直ったようだが、飯を食わせないと、また機嫌が悪くなりそうだ。
 「矢崎に会ったら、いいもの食わせてやるよ」
 「ホント?」
 「ああ」
 健二は痩せの大食い。食べさせたら、きりがないが、黙らせるためには仕方がない。
 「先ほどお電話して、矢崎先生に面会をお願いしてあるんですが・・・・」
 「少々お待ちください」
 夜間受付のかなり年の女性が、電話をしている。何度か電話して、ようやく見つかったようだ。
 「5階病棟にいらっしゃいます。そこのエレベーターからどうぞ」
 「ありがとうございます」
 俺と健二は、エレベーターへ向かった。病院って言うところは何度来てもイヤだ。人を拒絶するような重苦しい雰囲気がする。
 エレベーターを降りて、ナースステーションへ向かっていると、矢崎に出くわした。
 「カンファレンスが空いているから、そこで話しをしよう」
 そう言われて矢崎の後に付いていった。
 「困るんだけどなあ。何度も押し掛けて貰うと」
 矢崎は憮然とした表情で言った。
 「すみません。これっきりにしますから」
 「で、今日は何の用?」
 「実は、あなたが付き合っている人の件で・・・・」
 「佐田さんの娘とは話しは付いたよ」
 「いえ、その件じゃなくて」
 矢崎は首をちょっと傾げた。
 「じゃあ、どの件?」
 「矢崎さん、小野田探偵事務所の小野田と付き合ってるんだって?」
 「・・・・ああ」
 「いつから?」
 「そんなこと話さなければいけないの?」
 「いえ、そう言う訳じゃあ」
 「だったらもういいだろう? ぼくねえ、忙しいんだよ」
 「ひとつだけ。ひとつだけ教えてください」
 「何を?」
 「最近いつ小野田さんに会いました?」
 「最近って、一昨日だよ」
 「一昨日? じゃあ、『やすらぎ』ってモーテルで会っていたのは、小野田さんだったんですか?」
 「ああ、そうだよ」
 「そうか、そうだったのか・・・・」
 「聞きたいことはそれだけかい?」
 「それだけですが、もし小野田さんから連絡があったら、教えて貰ってもいいですか?」
 「君たちに知らせる義務はないだろう?」
 「小野田夫人から、居場所を探すように頼まれているものですから。お願いしますよ」
 「気が向いたらね。じゃあ」
 「あの、これわたしの連絡先です。よろしく」
 矢崎は、俺の名刺を一瞥すると、胸のポケットにしまい込んでカンファレンス室を出ていった。

 「あのまま見張っていたら、小野田に出会えたでしょうね」
 駐車場から出ると、健二が言いだした。
 「そうかもしれんが、それは今だから言えることだ。あの時、相手の男を確かめる理由なんてなかっただろう?」
 「それもそうね」
 「女装した矢崎を尾けたのだって、結果オーライだっただけだからな」
 健二は肩を竦めた。
 「何食べさせてくれるの?」
 話しが突然飛んだ。健二には時々付いていけないことがあるが、これくらいはいい方だ。予想が付いてたことだから。
 「二日続きで焼き肉と言うわけにもいかないなあ」
 「わたしはいいよ。安くて、お腹一杯になるから」
 「げへっ! 俺はあんまり食指が動かないけどなあ」
 「あそこはお寿司もあるし、あそこにしましょう」
 と言うわけで、今日も食べ放題の焼き肉になってしまった。食指が動かないと言ったが、いったん食べ始めると、今日も焼き肉を腹一杯食ってしまった。

 事務所に戻ると、留守電が入っていた。
 『小野田でございます。途中経過をお聞きしたいので、事務所まで来ていただけますか? 午後9時まで、事務所におります。お電話ください』
 時計は午後8時を回ったところだ。俺は早速小野田探偵事務所に電話した。
 「もしもし、小野田さんですか? 小川です」
 「お待ちしていりました。すぐに来ていただけますか?」
 「電話ではいけませんか?」
 「直接お聞きしたいので、来て貰いたいのですが」
 「あ、そうですか。それではすぐに伺います」
 「おひとりでいらしてね」
 「ひとりでですか?」
 「夫の調査以外のお話しもしたいんです。分かってもらえるでしょう?」
 ゾクッとした。俺を誘っているのだろうか?
 「分かりました。わたしひとりで伺います」
 電話を切ると、健二が寄ってきた。
 「なんだって?」
 「ひとりで来て欲しいって」
 「どうしてだよ」
 「・・・・知らないよ」
 俺は肩を竦め、両手を広げた。
 「怪しいなあ。事務所に男と女。兄貴、何か期待してないか?」
 「そ、そんなことないさ。じゃあ、行って来る」
 否定はしたものの、俺は期待していた。あの言い方は、俺を誘っているのだ。中間報告など、電話ですむことだから。

 訝る健二を置いて、俺は車で小野田探偵事務所へと向かった。車を道路に停めてビルを見上げると、3階の小野田探偵事務所だけに明かりがついていた。
 階段を上り、ドアをノックした。
 「どうぞ。開いてますわ」
 ドアを開けて中に入ると、やはり和服姿の小野田夫人が、椅子に腰掛けていた。
 「どうぞ。お座りになって」
 「はい。失礼します」
 「調査の進展状況はいかがです?」
 「さっぱりですね。失踪の原因らしいものは見つかりません」
 「そうですか・・・・」
 「ただ、一昨日、小野田さんとある人物が会っているのが確認されました」
 「ある人物? 誰ですか?」
 「あ、それは、今のところは言えません」
 「どうして?」
 「相手のプライバシーに関わることですから」
 「そう。それなら仕方ありませんわ。でも、およそ察しが付きますわ」
 小野田夫人は、小野田が矢崎と付き合っていることをある程度知っているようだ。
 「ともかく、小野田さんの元気でいることは間違いありません」
 「そうですね。安心しました」
 「近いうちに小野田さんを発見できると思います」
 「お願いしますね」
 見栄を切ったが、自信はなかった。
 「これは、今日までの報酬です」
 「あ、まだいいですが・・・・」
 「いえ、経費もいることですから。受け取ってください」
 「分かりました。では遠慮なく」
 封筒の厚みからすると、10万は入っているようだ。俺は心の中でほくそ笑んだ。
 「一体どこに行ったのかしら?」
 小野田夫人は立ち上がって、イライラした口調で言い出した。そうこうしているうちに、電話を持ち上げて、床にたたきつけた。
 「お、奥さん」
 「余計なお世話よ。もう帰って」
 突然の剣幕に、俺はたじたじとなって、部屋から出た。小野田夫人は、部屋の中のものを投げ続けているようだった。
 あの電話の雰囲気は一体何だったんだろう? 人を誘うような言い方をしたのに、一体どういうことだ? さっぱり訳が分からない。
 車に戻って3階を見上げると、明かりが消えた。気が済んだようだ。激情型なんだろうなと思った。気分がコロコロと変わるタイプだ。いくら美人でも、一緒に暮らしていればイヤになるだろう。俺は、小野田にちょっと同情的になった。