階段を下りて、車の停まっているところへ歩いていると、警察官が、健二の乗った車のそばに立って、何やら喚いていた。
「どうしたんだ?」
「ああ、小川さん、助けて」
健二が、今にも泣きそうな顔で俺に救いを求めた。
「一体、どうしたんでしょうか?」
俺は、40前後に見える警察官に聞いてみた。
「ここは、駐車禁止じゃないが、駐車すると、往来に困るんだけどなあ」
「だから、彼女に乗って貰ってるんですよ。邪魔になったら、すぐに動かせるように」
「ま、それはいいんだが・・・・」
「何か他に問題でも?」
「この免許証だよ。これは一体どういうことだ?」
警察官が俺に差し出した免許証は、健二のものだ。髪の毛はやや長めだが、化粧っ気のない健二の顔写真が貼られている。名前は当然林健二だ。
「他人の免許証を持ち歩くなんて、犯罪だよ。派出所まで来て貰おう」
「これは彼女のものですよ」
「彼女のものって、これは林健二という男のものだろう?」
「よく見てくださいよ。おい、健二。髪の毛を後ろで束ねて見ろ!」
健二は、髪の毛をまとめて後ろで束ねた。
「よく見てよ。ね! 本人でしょう?」
警察官は、写真と健二を見比べてから、驚いたような顔をした。
「ど、どうして、女の格好をしてるんだ!!」
「わたしの勝手でしょう?」
健二はツンと澄ましてそう言った。
「おい。そんな口を利くんじゃないぞ。ちゃんと説明した方がいいぞ」
「だって。どんな格好したって自由じゃないの」
「そりゃそうだけど。普通の人は、そうは思わないからさあ」
「オカマなんだな」
横から警察官が割って入った。
「オカマなんかじゃありません!!」
怒ったように健二が叫んだ。
「じゃあ、何だって言うんだ?」
「わたしは女です。だから、女の格好をしてるんです」
「はあ?」
警察官は、分からないと言う表情を見せた。
「すみません。いわゆる性同一性障害ってやつで・・・・」
俺は健二に代わって頭を下げた。
「ああ、聞いたことがある。男なのに、女だって思いこんでるやつだな」
警察官は頷きながらそう言う。
「その通りです」
俺は、警察官と一緒になって頷く。話がまとまりそうなのに、健二が横から大声で叫んだ。
「違います。わたしは女です」
「分かった。分かったから、おまえは黙ってろ!」
俺は、警察官に平謝りした。
「そう言うことなら仕方がないな。次ぎに写真を撮るときは、あんまり現状と変わらないようにしておけよ」
そう言い残して、警察官は去っていった。
「ふう」
俺は溜息をついた。車に乗り込み、俺は健二を睨み付けた。
「おまえが免許証なんて見せるから」
「だって、見せろって言うから」
「見せなきゃいいんだ。ここは駐車禁止じゃないんだから、車の番をしてるって言えば、それでよかったのに。とんだ迷惑だ」
「ふん。次からそうするわ」
膨れっ面をして、健二は、助手席に深く座り込んだ。まくれ上がったスカートから、パンティーが見えていた。そんな健二に俺はまた欲情してしまった。俺は正常じゃない。いや、こう言うシチュエーションで勃起しないのは、男としてむしろおかしい。健二が男と知らない上での話しだが。
「おい、健二。いつまで、そうしてるんだ?」
「ふんだ」
健二は窓の外を見たまま俺の方を向こうとしない。
「ナビしてくれないと、次ぎに行けないだろう?」
健二は、嫌々ながら、地図を開くとナビゲーションし始めた。
「次を右」
「向こうの角を左」
「あのビル」
機嫌は直らない。俺は近くの駐車場へ車を入れた。同じ目に遭いたくなかったからだ。
「忍! 一緒に行くぞ」
「ここで待ってる」
健二は腕組みをして、助手席に深々と座ったまま動こうとしない。
「相手が女だからな。おまえが一緒でないと警戒される。頼むよ」
「・・・・行ってあげるわよ」
口を尖らせながら、健二は俺に付いてきた。
「401号室だったな」
「そうだよ」
エレベーターがないので、歩いて4階まで上がった。401号室の電力メーターはかなりのスピードで回っていた。
「いるみたいだな」
「そうね」
俺はチャイムを鳴らした。
「はい。どなた?」
ハスキーな返事が戻ってきた。
「小野田探偵事務所にお勤めの長谷川千鶴さんですね」
「はい、そうですけど」
「藤崎探偵事務所の小川と言います。所長の小野田さんのことでちょっと伺いたいことがありまして」
「所長のことで?」
「はい。そうです」
「ちょっとお待ちになって」
ドアが少し開いた。ショートカットの可愛らしい女の目が見えた。健二の姿を見て安心したのか、ドアを開いた。若い女の部屋を訪問するときは気を使う。健二を連れてきて、やはり正解だった。
「どういうことでしょうか?」
「小野田さんが病気療養中と言うことはご存じで?」
「はい。そう聞いています」
「どこの病院にいるかご存じですか?」
「さあ。聞いてませんが・・・・」
「そうですか。聞いてませんか・・・・」
「別居しているけど、奥様にでも聞かれたらいかがですか?」
「いえね。その奥様から探してくれと依頼されたんですよ」
「あら!? そうなんですか?」
「奥様と別居中というのは、ホントなんですね?」
「ええ。もう3年も前からですよ」
「3年も・・・・」
「所長がいなくなったからって、奥様が探してくれなんて、ホントですか?」
「奥様が、直接わたしたちに頼みに来ましたから」
「そうですか。へえ。おかしなこともあるものなんですね」
長谷川千鶴も、小野田の奥方が小野田を捜していることに疑問を挟む。中村と同じだ。俺は首を傾げる。
「それが事実ですから」
「今付き合っている人が探してるって言うのだったら、分かるんですけどね」
「えっ!? 愛人がいるんですか?」
「あら? 言っちゃいけなかったかしら?」
長谷川千鶴は、ぺろりと舌を出した。
「誰です? その女は?」
「女じゃないのよ。男なの」
長谷川千鶴は、周りをキョロキョロ見回して、誰にも聞かれていないかと警戒する。俺は、健二の方をちらりと見た。健二は、知らんぷりをしている。
「小野田さんは、ホモってことですか?」
「男と付き合うんだから、そう言うことじゃないの?」
「相手の男の名前を知ってますか?」
「たしか・・・・、矢崎とか言ってたわね。どっかの大学病院の先生らしいわよ」
「まさか、矢崎真一郎って名前じゃあ」
「そうそう。矢崎真一郎って言ってた」
こんなところで矢崎の名前が出るなんて、世間は狭い。
「所長を捜すように依頼したのは、その人じゃないの? 一度だけ、所長と一緒にいるところを見かけたことがあるけど、女の格好してたら、男には絶対見えないわよ」
「矢崎って男は知ってるけど、あいつじゃない。依頼主の女性とは顔がぜんぜん違う」
「あら、そう。知ってるの? どうして?」
「別の件で、ちょっとね」
「そう・・・・。じゃあ、やっぱり奥様が捜査の依頼をしたってことね」
「そうでしょうね」
「なんか変ねえ」
長谷川千鶴は、納得できないと言う顔をしている。
「何か情報がありましたら、よろしくお願いします」
「そうね。何か思いついたら、連絡するわ」
俺の渡した名刺を見ながら、長谷川千鶴は、にっこり笑ってドアを閉めた。
「さて、どうするかな?」
「矢崎に会いに行くんでしょう?」
「それしかないな」
「彼女がいうことがホントなら、小野田は驚いたでしょうね」
「そうだな。自分が付き合っている男の素行調査を頼まれたんだからな」
「なんと報告するつもりだったのかしら?」
「さあね」
俺たちは、そのまま、矢崎の勤める大学病院へと車を走らせた。夕方の渋滞にあって、大学病院に着いたのは、午後7時過ぎだった。
「お腹空いたよう」
健二がぶつぶつ言いながら俺の後を付いてくる。機嫌はもう直ったようだが、飯を食わせないと、また機嫌が悪くなりそうだ。
「矢崎に会ったら、いいもの食わせてやるよ」
「ホント?」
「ああ」
健二は痩せの大食い。食べさせたら、きりがないが、黙らせるためには仕方がない。
「先ほどお電話して、矢崎先生に面会をお願いしてあるんですが・・・・」
「少々お待ちください」
夜間受付のかなり年の女性が、電話をしている。何度か電話して、ようやく見つかったようだ。
「5階病棟にいらっしゃいます。そこのエレベーターからどうぞ」
「ありがとうございます」
俺と健二は、エレベーターへ向かった。病院って言うところは何度来てもイヤだ。人を拒絶するような重苦しい雰囲気がする。
エレベーターを降りて、ナースステーションへ向かっていると、矢崎に出くわした。
「カンファレンスが空いているから、そこで話しをしよう」
そう言われて矢崎の後に付いていった。
「困るんだけどなあ。何度も押し掛けて貰うと」
矢崎は憮然とした表情で言った。
「すみません。これっきりにしますから」
「で、今日は何の用?」
「実は、あなたが付き合っている人の件で・・・・」
「佐田さんの娘とは話しは付いたよ」
「いえ、その件じゃなくて」
矢崎は首をちょっと傾げた。
「じゃあ、どの件?」
「矢崎さん、小野田探偵事務所の小野田と付き合ってるんだって?」
「・・・・ああ」
「いつから?」
「そんなこと話さなければいけないの?」
「いえ、そう言う訳じゃあ」
「だったらもういいだろう? ぼくねえ、忙しいんだよ」
「ひとつだけ。ひとつだけ教えてください」
「何を?」
「最近いつ小野田さんに会いました?」
「最近って、一昨日だよ」
「一昨日? じゃあ、『やすらぎ』ってモーテルで会っていたのは、小野田さんだったんですか?」
「ああ、そうだよ」
「そうか、そうだったのか・・・・」
「聞きたいことはそれだけかい?」
「それだけですが、もし小野田さんから連絡があったら、教えて貰ってもいいですか?」
「君たちに知らせる義務はないだろう?」
「小野田夫人から、居場所を探すように頼まれているものですから。お願いしますよ」
「気が向いたらね。じゃあ」
「あの、これわたしの連絡先です。よろしく」
矢崎は、俺の名刺を一瞥すると、胸のポケットにしまい込んでカンファレンス室を出ていった。
「あのまま見張っていたら、小野田に出会えたでしょうね」
駐車場から出ると、健二が言いだした。
「そうかもしれんが、それは今だから言えることだ。あの時、相手の男を確かめる理由なんてなかっただろう?」
「それもそうね」
「女装した矢崎を尾けたのだって、結果オーライだっただけだからな」
健二は肩を竦めた。
「何食べさせてくれるの?」
話しが突然飛んだ。健二には時々付いていけないことがあるが、これくらいはいい方だ。予想が付いてたことだから。
「二日続きで焼き肉と言うわけにもいかないなあ」
「わたしはいいよ。安くて、お腹一杯になるから」
「げへっ! 俺はあんまり食指が動かないけどなあ」
「あそこはお寿司もあるし、あそこにしましょう」
と言うわけで、今日も食べ放題の焼き肉になってしまった。食指が動かないと言ったが、いったん食べ始めると、今日も焼き肉を腹一杯食ってしまった。
事務所に戻ると、留守電が入っていた。
『小野田でございます。途中経過をお聞きしたいので、事務所まで来ていただけますか? 午後9時まで、事務所におります。お電話ください』
時計は午後8時を回ったところだ。俺は早速小野田探偵事務所に電話した。
「もしもし、小野田さんですか? 小川です」
「お待ちしていりました。すぐに来ていただけますか?」
「電話ではいけませんか?」
「直接お聞きしたいので、来て貰いたいのですが」
「あ、そうですか。それではすぐに伺います」
「おひとりでいらしてね」
「ひとりでですか?」
「夫の調査以外のお話しもしたいんです。分かってもらえるでしょう?」
ゾクッとした。俺を誘っているのだろうか?
「分かりました。わたしひとりで伺います」
電話を切ると、健二が寄ってきた。
「なんだって?」
「ひとりで来て欲しいって」
「どうしてだよ」
「・・・・知らないよ」
俺は肩を竦め、両手を広げた。
「怪しいなあ。事務所に男と女。兄貴、何か期待してないか?」
「そ、そんなことないさ。じゃあ、行って来る」
否定はしたものの、俺は期待していた。あの言い方は、俺を誘っているのだ。中間報告など、電話ですむことだから。
訝る健二を置いて、俺は車で小野田探偵事務所へと向かった。車を道路に停めてビルを見上げると、3階の小野田探偵事務所だけに明かりがついていた。
階段を上り、ドアをノックした。
「どうぞ。開いてますわ」
ドアを開けて中に入ると、やはり和服姿の小野田夫人が、椅子に腰掛けていた。
「どうぞ。お座りになって」
「はい。失礼します」
「調査の進展状況はいかがです?」
「さっぱりですね。失踪の原因らしいものは見つかりません」
「そうですか・・・・」
「ただ、一昨日、小野田さんとある人物が会っているのが確認されました」
「ある人物? 誰ですか?」
「あ、それは、今のところは言えません」
「どうして?」
「相手のプライバシーに関わることですから」
「そう。それなら仕方ありませんわ。でも、およそ察しが付きますわ」
小野田夫人は、小野田が矢崎と付き合っていることをある程度知っているようだ。
「ともかく、小野田さんの元気でいることは間違いありません」
「そうですね。安心しました」
「近いうちに小野田さんを発見できると思います」
「お願いしますね」
見栄を切ったが、自信はなかった。
「これは、今日までの報酬です」
「あ、まだいいですが・・・・」
「いえ、経費もいることですから。受け取ってください」
「分かりました。では遠慮なく」
封筒の厚みからすると、10万は入っているようだ。俺は心の中でほくそ笑んだ。
「一体どこに行ったのかしら?」
小野田夫人は立ち上がって、イライラした口調で言い出した。そうこうしているうちに、電話を持ち上げて、床にたたきつけた。
「お、奥さん」
「余計なお世話よ。もう帰って」
突然の剣幕に、俺はたじたじとなって、部屋から出た。小野田夫人は、部屋の中のものを投げ続けているようだった。
あの電話の雰囲気は一体何だったんだろう? 人を誘うような言い方をしたのに、一体どういうことだ? さっぱり訳が分からない。
車に戻って3階を見上げると、明かりが消えた。気が済んだようだ。激情型なんだろうなと思った。気分がコロコロと変わるタイプだ。いくら美人でも、一緒に暮らしていればイヤになるだろう。俺は、小野田にちょっと同情的になった。