今朝もまた、健二がキッチンでタオルを水で濡らしている音をBGMに目が覚めた。毎度のことながら、全裸で体を拭いている健二の後ろ姿には、どきどきさせられる。男だって思わなければいいんだけど、頭の隅にこびりついていて、俺に何かを躊躇わせる。何かをって、何のことだって? 健二を恋人と思うってこと・・・・だな。
「兄貴。体、拭きな」
「後で」
「昨日もそう言って、結局拭かなかったじゃないか。拭かなかったら、フェラしてやんないよ」
「分かった。拭くよ」
昨夜フェラしてくれなかったのは、そのせいだなと思いだし、俺も裸になってキッチンへ行った。
「はい、タオル」
健二は俺に濡れたタオルを手渡すと、ソファーに座って服を着始めた。昨日ちょっと着ただけで、すぐに着替えたワンピースに袖を通している。
「シャワーが欲しいな」
「そうだね。2DKくらいでもいいから、一緒に暮らせる部屋が欲しい」
俺の顔を見ながら、健二が呟いた。俺は目を伏せる。2年もこんな生活をしている。健二はよくここを出ていかないものだと思う。
「どんなに貧乏しても、どんなに苦労しても、好きな人といられることの方が大事だもんね」
健二はそう言って、ずっとここにいる。その言葉が、健二が本気だと言うことを俺に悟らせたのだが、俺はやっぱり健二のことを恋人だとは思いきれない。男同士だという壁が俺の前に大きく立ちふさがっている。
「さて、浮気調査の依頼人に会いに行くか」
「はあい」
健二は、いつもに増して機嫌が良さそうだ。
「どうした? イヤに機嫌がいいな」
「女の子らしい格好で、兄貴と外に出るのは久しぶりだから」
「あんまり引っ付くなよ」
「どうしてだよ」
「俺とおまえは、仕事の上司と部下と言うことになってる」
「そんなこと誰も思ってないよ。恋人同士、いや、夫婦同然って言ってる人もいるよ。実際そうだけどね」
「誰がそんなことを?」
「このあたりじゃ有名なんだよ。知らないの?」
「そんなこと知るかよ。チッ! 知らぬは俺だけって訳だ」
「その通りだよ」
「くそ!!」
「あれ? 不満なのか?」
「ああ、不満だね。俺の女房になる女は、もっとでかくなけりゃ」
「でかいって、おっぱいのこと?」
「当たり前だ。他にあるか?」
「小さくてもいいって、言ったじゃないかよ」
「そんなこと言ってない」
「言ったよ!」
「もういい。出かけるぞ」
健二は、ちょっとぶうたれて、俺の後に付いてきた。膨れた顔も結構可愛い。そう思いながら、俺はやっぱり健二のことが好きなんだろうなと思った。
浮気調査を依頼した坂井という家に電話した。
「もしもし、坂井さんのお宅でしょうか?」
「はい、そうでございます」
「坂井さんの奥さんですよね」
「はい、そうですが。どういうご用件でしょうか?」
「わたくし、小川と言いますが、実は、奥さん、小野田探偵事務所にご主人の浮気調査を依頼されましたね」
「そ、そんな調査を依頼した覚えはありません」
動揺した様子が電話から伝わってきた。
「奥さん、隠さなくてもいいですよ。小野田さんの残した資料がわたくしの手元にあるんですから」
「わたしにどうしろと言うんですか?」
「イヤ。ただ小野田さんのことについて、ちょっと聞きたいことがあるんですが、少し時間をいただけませんか?」
「小野田さんのことについて・・・・ですか?」
「そうです。奥さんが依頼された浮気調査とは直接関係はないんです。奥さんには迷惑はかけませんから」
「・・・・それでは、10時に、いらしてください」
「午前10時ですね。じゃあ、のちほど」
電話したのは、坂井邸のすぐ近くの公衆電話からだ。10時まで1時間あまりある。俺と健二は、近くの喫茶店で時間をつぶすことにした。
「大きな家だね」
「ああ。あんな家に住んでみたい」
「ほんと。さすが年収1800万ね」
「1800万くらいで、あんな家が建つのかね」
「それもそうね。何か悪いことでもしてるのかしら?」
「可能性はある。もしかすると、親の財産家もしれん」
「そうね」
俺はコーヒーを飲み、健二はチョコレートパフェを食った。
「美味しいわ」
スプーンから舌を使ってパフェを食う健二は、まったく女そのもの。女に生まれてりゃ、俺も素直になれるのにと心の中で思った。
「お姉さん、向こうに見える、坂井さんのお宅のこと知ってる?」
ちょうど通りかかったウエイトレスを呼び止めて、聞いてみた。
「あの赤い屋根のおうち?」
「そう。あの家だよ」
「ご主人は、どっかの商社の部長さんをしているって聞いてるわ。ロマンスグレーで、格好いいひとよ」
「ロマンスグレーなんて、古い言葉を知ってるんだな」
「その表現が一番ぴったりなんだもの」
ウエイトレスはにっこり笑った。
「そう。坂井さんのご主人について、なんか噂みたいなものを聞いたことはない?」
「噂? ないわよ。でも、2週間前もそんなことを聞いた人がいたわね」
「2週間前?」
俺と健二は顔を見合わせた。
「この男?」
俺は、小野田の写真を撮りだしてウエイトレスに見せた。
「ああ、この人よ」
「この男に、何か話した?」
「いえ、何にも。だって、よく知らないんですもの」
「・・・・そう。で、その後、この男はここに来た?」
「あの時以来、ここには来てないと思うけど・・・・」
「ありがと。おかげで役に立ったよ」
「あなた方、刑事さん・・・・じゃないわよね」
「探偵だよ」
「探偵! 格好いい!!」
俺は苦笑いを浮かべる。テレビで見る探偵とは違うなんて説明しても仕方がない。
「あ、そうそう。この男がここに現れたら、連絡してくれないか? お礼はするから」
俺は、ウエイトレスに名刺を差し出した。金がなくても名刺だけは作ってある。商売道具の一つだからだ。
「分かったわ」
「忍。そろそろ行くか?」
「はい」
勘定をして、坂井家へと向かった。
門に取り付けられたインターフォンを押す。
「はい。どなた?」
「先ほど電話した、小川ですが」
「少々お待ちになって。すぐに開けます」
しばらくして、玄関が開き、ブラウスにフレアスカート姿の結構美人が出てきた。年の頃は40くらいだろうか?
「人目がありますから、中に入って」
「はい。遠慮なく」
俺と健二は、こそこそと家の中へ入っていった。応接間に通され、お茶を出された。一口飲んで、かなりいいお茶だと分かった。さすが金持ちは違う。
「どういうご用件で?」
「実は、奥さんがご主人の浮気調査を依頼された小野田さんが行方不明になっておりまして。小野田さんの奥さんに頼まれまして、調査をしているところなのです」
「行方不明・・・・」
「小野田さんに、ご主人の浮気調査を依頼されたのは、20日前ですね」
「え、はい」
「調査の報告は貰いましたか?」
「最初の報告は依頼してから一週間後で、収穫なしということで、もう一週間調査を続けるように依頼しました」
「確かにおっしゃる通りです。次の報告は?」
「電話で、明日報告するといってきたまま、連絡がないんです」
「それはいつのことで?」
「先週の火曜日です」
「先週の火曜日ですね。それは、午前? 午後?」
「午後5時頃です」
「午後5時頃ですね」
「はい」
小野田夫人が、小野田が失踪したと言ったのは木曜日。時間的には合う。火曜日の午後5時以降に何かあったに違いない。小野田が、坂井夫人に報告しようとした内容は分かっている。それを報告させまいと、坂井が何らかの手を打った? それならば、事務所に残されたこの報告書を処分するはずだが・・・・。それに、小野田の口を封じるためなら、金を使って嘘の報告をさせればすむことだ。失踪させる必要など、どこにもない。
俺はちょっと考える。手元にある小野田の報告書。このまま坂井夫人に渡すより、坂井に売りつけた方が金にはなるのだが・・・・。しかし、それでは恐喝になる。そんなことをする探偵社もあるが、俺のポリシーに反する。
「奥さん。わたしの手元に、小野田さんが奥さんに報告しようとしたレポートがあるのですが、ご覧になりますか?」
坂井夫人は、目を見開いた。
「見せてもらえるんですか?」
「奥さんが依頼されたものですから、報告の義務がありますので」
「見せてください」
小野田の報告書は、坂井の行動をタイムテーブルに記載したものと、若い女とホテルに出入りする写真だった。
「やっぱり・・・・」
「それではわたくしたちはこれで・・・・」
「報酬は? お礼をまだしておりませんが」
「お礼と言われても、そのレポートは小野田さんが作ったものですから」
「あなた方から、小野田さんに渡してもらえませんか?」
「でも、行方が分からないですからね」
「お礼をしないわけには・・・・」
「そうですね。小野田さんを捜し出して、渡しましょう」
「そうしてください。おいくらでしょうか?」
「ちょっと待ってくださいね」
小野田はいくら要求したのだろうか? よく分からない。俺は俺の基準で請求することにした。
「最初の一週間分の支払いはされたのですか?」
「はい」
「それでは、実質三日間の調査ですから、経費を3万と、報告書の礼金として5万。計8万と言うことで」
「そんなにお安くていいのですか?」
もっとふっかけてもよかったかと思ったが、俺は頷いた。
「奥さんがお気の毒で、そんなに高くはいただけません」
「そうですか。それでは、ちょっとお待ちになって」
坂井夫人は奥へと消えていった。しばらく待っていると、封筒を抱えて戻ってきた。
「この封筒に入れておりますので」
「確かに受け取りました。おい、忍。領収を」
「はい」
領収書を書いて坂井夫人に手渡し、万札の入った封筒を受け取って、俺たちは坂井家を後にした。
「そのお金。懐に入れたら、横領で訴えられるかな?」
「そうかもしれんなあ。だけど、小野田が出てこなけりゃ、いただいてもいいような気がするけどな」
「決着が付くまで使わないで置いていて、返せって言われたら返せばいいよね」
「そうするか」
結局使ってしまいそうな気がする。
坂井が小野田を失踪させ、最悪殺してしまった、などと言うことはないだろうとは思ったが、一応確かめてみることにした。
俺たちは、坂井が勤める商社へ顔を出した。
「坂井総務部長に面会したいんですが」
「アポはお取りになっておりますか?」
受付嬢が生意気そうな顔で言った。俺と健二の服装から、それほど身分が高くない人間だと思ったのだろう。
「いや。取ってない」
「それでは、今日は無理です。明日の午後、お願いいたします」
「こっちも忙しいんだ。今、取り次いでくれ」
「アポがなければ、だめです」
受付嬢の態度は高圧的だ。俺は、ここでちょっと脅しをかけることにした。この受付嬢こそ、坂井の相手だったからだ。
「坂井さんとあんたのことを知ってるんだ。おとなしく通さないと、会社中に写真をばらまくぞ。それでもいいのか?」
受付嬢は青ざめて、電話を取った。俺たちに背中を向けてこそこそ話していた。
「すぐにお会いになるそうです」
「サンキュー。心配しなくてもいい。俺はそこまで悪じゃない」
そう言ったのに、受付嬢は、真っ青な顔をして立ちつくしていた。
エレベーターを上り、6階で降りると、右手に総務部長室があった。ノックすると、どうぞとの声がした。
「失礼します。小川と言います。突然の訪問をお許しください」
「強請か」
さすがに大きな商社の総務部長をするだけのことはある。少しくらいの脅しには屈しないぞと言う態度を見せた。
「あなたの出方によっては」
「一体なんだ?」
「小野田辰芳という男をご存じで? この男ですが」
俺は小野田の写真を取りだして、坂井に見せた。
「知らんな」
坂井の表情に動きはなかった。坂井は、小野田を知らない。俺の直感がそう告げていた。
「先週の火曜日から木曜日の間、坂井さんはどこにおられました?」
「何だ? アリバイか?」
「そうです」
「大阪に出張していた。調べて貰えば分かる」
「大阪へ出張ですね。分かりました。それでは、結構です。失礼します」
「小百合との件は?」
「奥様は、その件については、もうご存じですので、あなたを強請る材料にはならないのです」
坂井は、大きく目を見開いたまま、椅子に倒れるように座り込んだ。
「それでは失礼します」
「坂井の奥さんは、社長の娘で、坂井は、養子だって小野田さんの資料に書いてあったよね」
「そうか?」
「離婚てことになると、部長の椅子が危ないんじゃあないかな?」
「そうかもしれんが、自業自得だろう?」
「それもそうね」
後で聞いた話しだが、坂井は離婚は避けられたらしい。ただ、坂井夫人に完全に頭が上がらなくなって、飼い猫のように暮らしていると言うことだ。