カーテンの隙間から、光がこぼれて俺の顔を照らしていた。ゆっくり目を開けると、健二の後ろ姿が見えた。素っ裸だ。タオルを水で濡らして、体を拭いているのだ。俺たちはほとんど風呂へ入らず、シャワーも浴びない。事務所にそんな設備がないからだ。大抵は今健二がやっているように、キッチンで水で濡らしたタオルを使って体を拭くだけだ。
俺たちは、この事務所で寝起きしている。アパートを借りるような金がないからだ。
「あああーーーぁ」
俺は大欠伸をする。
「兄貴、おはよう」
俺が目覚めたのに気が付いて、健二は振り向くと笑顔で挨拶してきた。
「ああ」
俺は起きあがって、頭をボリボリと掻く。
「兄貴も拭いたら? 気持ちいいよ」
「あとでな」
健二は裸のまま俺に近づいてきた。俺の横に座ると、下着を手にした。
「兄貴、手伝ってくれる?」
「一人で着られるだろう?」
「手伝ってくれよ」
「・・・・もう。向こうを向け」
健二は俺に背中を向けてストラップに腕を通す。俺はホックを留めてやる。
「ちょっときついな。一つ外にしてくれる?」
「大きくなったのか?」
「兄貴が揉んでくれるから」
俺の方を振り向いて、冗談めいた目でそう言う。
「馬鹿なこと言うなよ」
「でも、ここに来てから、大きくなったみたいだよ」
「気のせいさ」
「そうかなあ」
そう言いながら、健二は、ブラジャーのカップの位置を調節した。パンティーを穿くと、ソファーの陰から取り出した袋の中から水色のワンピースを取り出した。
「買ったのか?」
「昨日貰った金でね。いつもTシャツにジーンズだから、たまには女の子らしくしないと思って」
「そんなもの着なくても、おまえは充分女の子らしいよ」
「俺のこと、女の子らしいって言ってくれるの?」
「ああ」
「久しぶりにそう言ってくれたね。俺、嬉しいよ」
健二は、満面の笑顔を俺に向けた。
「言葉遣い。俺の前以外じゃ、女の子らしくしてるんだろうな」
「あったりまえだろう。こんな乱暴な言葉遣い、してないよ」
「そうだろうな」
健二は、髪をすくと、小さな鏡を鞄の中から取りだして化粧を始めた。
「こんなもんかな?」
しばらくして化粧を終えた健二は、どこから見ても女そのものだ。
健二は、名前が示すとおり男だ。だけど、今の健二を見て、男だと疑うやつは一人としていない。背中まで伸ばした髪は、テレビのシャンプーのコマーシャルで見る女の髪より艶やかだ。胸の大きさはBカップだが、体とのバランスはいい。ウエストはくびれ、尻もキュッとあがっている。原宿をぶらぶらしていて、何度かスカウトされそうになったという話しも頷ける。
健二は、幼い頃から、自分は女だと思っていたと俺に言った。多少は母親のせいでもあると。健二から聞いた話しを要約して話すことにしよう。
健二が生まれたとき、女の子を望んでいた母親が、小さくて可愛かった健二に女装させていたのだ。女装と言っても、こどもの頃だから、赤やピンクの服を着せたりしていたわけだけど、幼稚園のころは、スカートを穿かされたこともあったらしい。
友達はみんな女の子。男の子と遊んだ覚えはないと言っていた。だから、小学校へ上がるとき、女の子の方じゃなくて、男の子の方へ分類されたとき、ひどく悲しかったと俺に打ち明けた。
いつも苛められて泣いてばかりいた健二に、父親は男らしくしろと怒るばかりだったと言う。
「女の子に産んであげればよかったのに、ごめんね」
そう母親にいつも言われて育った。健二は、仕方なく無理して男を演じていた。高校1年までは・・・・。
そんな健二が男を演じるのを止めて、女としての道を歩き始めたきっかけになったのは、健二が高校に入った年に学園祭で行われた女装美人コンテストだった。その時俺は、同じ高校の3年だった。
ふたつ年下の健二は、身長164センチと小柄で、しかも細かった。今健二がしているブラジャーがB65であることを知れば、どれくらい細いか分かるだろう。普通、女でもアンダーが65なんて女は、そうそういるもんじゃない。
同級生たちにオカマだ、男女だと言われ続けていたが、幼い頃からそうだったからか、意にも介していなかったようだ。
俺が健二を初めて見たときの印象は、『なんて情けないやつだ』だった。硬派でならしていた俺にとって、健二は虫酸が走るようなやつだった。だがしかし、何となく気になって、いつも健二のことを見ていた。
秋の学園祭の時、誰が企画したのかは知らないのだけれど、女装美人コンクールなるものが行われた。当然のごとく、健二は同級生に無理矢理女装させられ出場したのだった。健二の女装は、見るものを唖然とさせた。皆が本物の女が出てきたと思ったくらいだった。結局というか当然というか、健二は優勝してしまった。
そんなわけで、全校生徒に健二の名前が知れ渡ってしまった。男子生徒は、健二を馬鹿にしたが、女子生徒たちは、健二を同類のように可愛がるようになった。
女装美人コンテストの後、健二は髪を女の子風にカットし直し、セーラー服で高校に通ってくるようになった。女子生徒の誰かがセーラー服を調達してやったらしい。
「おまえ、林かあ。なんでまた、セーラー服なんか着てるんだ?」
嘲笑混じりに同級生がそう聞いたらしい。
「わたしには、この方が相応しいって、みんな思ってるんでしょう? みんなの期待通りにしているだけよ」
そんな風に居直られると、みんな苛めることができなくなっていた。
数日後、その事実、男の健二がセーラー服を着て通学していることを知った校長に、健二は呼び出された。その時の会話の内容は、後で健二に聞いたものだ。多少の脚色はあるかもしれないが、以下に記しておこう。
「林君。君は男子だろう。セーラー服なんて着て学校へ来るんじゃないよ。おかしいだろう?」
呆れ顔で校長が言った。
「何がおかしいんですか? セーラー服は、その名前が示すとおり、元々水兵の服だし、男がスカート穿いちゃいけないなんて法律はどこにもありませんよ」
そんな健二の意見に、校長は目をつり上げた。
「法律はないが、当校の校風に沿った服装をして貰わないと困るんだよ」
「校長先生。当校の校風に沿った服装っておっしゃいますけど、わたしが来ているセーラー服は、この学校指定のものですよ」
「男の子は学生服じゃないといかん!!」
と校長は声をあらげる。
「そんな規定がどこにあるんですか?」
「校則に書いてある」
「校則のどこに書いてあるって言うんですか?」
「自分の手帳を見たまえ」
「これですか?」
健二は、生徒手帳を開いて、校長に見せた。
「そうだ。ちゃんと書いてあるだろう?」
健二は、大きな声で校則を読み上げた。
「『○○高校の生徒は、高校生に相応しい、指定された制服を着ること』。これですよね」
「そうだよ」
「『男子は学生服、女子はセーラー服』なんて、どこにも書いてませんよ」
「何!?」
校長は、生徒手帳を健二から取り上げて、穴が空くほど見つめた。
「書いてない・・・・」
「そうでしょう?」
「学校指定の服なら、学生服でもセーラー服でもいいんです。そうでしょう?」
「男子は学生服、女子はセーラー服というのは常識だ!!」
校長は声を震わせながらそう言ったらしい。
「でも着てはいけないと言う法律も校則も存在しません。誰もわたしがセーラー服を着ることを止められません」
校長は言葉を失って、健二を見送ったそうだ。
その後、職員会議、PTAでも問題となったが、校則に書かれていない以上、結局セーラー服での通学を認めざるを得なかった。
校内では知るものはいても、校外では健二は女子高生と思われていた。俺が卒業した後に入学してきた後輩連中も、セーラー服を着た男の先輩がいるという話しを聞かされても、それが健二であるとは誰も気づかなかった。
健二は、卒業するまでセーラー服で通した。もちろん、卒業式もセーラー服で臨んだというわけだ。健二に見せて貰った卒業アルバムには、セーラー服姿でにっこりカメラに向かって微笑む健二が写っている。
健二は高校を卒業した後、大学へは進まず、女としての道を本格的に歩み始めた。飛び込みで、ニューハーフクラブのママに直談判して雇って貰い、女性ホルモンを飲み始めたと言う。
ま、そう言う訳なんだが、俺と健二がこんな関係になったのはちょうど2年前の、やはり暑い夏のことだった。
高校を卒業して、一応大学という名前の付いた某私立大学へ進学したものの、もともと勉強が嫌いで、目的意識がなかった俺は、1年足らずで大学を辞めてしまった。
ぶらぶらしていたところを、俺の両親に頼まれた藤沢の兄貴が探偵に雇ってくれたのだ。それから3年、藤沢の兄貴の元でいわゆる探偵術を学んだ。尾行の仕方。写真の撮り方。その他諸々だ。その後、この事務所を任されていた。
2年前、ある女性から夫の浮気調査を依頼された。その男を尾行してみると、とあるマンションへと入っていった。その部屋から、入れ替わりに出てきたのが、健二だった。もちろんその時は、その可愛らしい女性が健二だなんて思ってもみなかった。俺は、情報を得るために健二に声をかけた。
「追い出されちゃったの?」
健二は、俺の方を振り向くと、意味ありげな笑顔を浮かべた。このとき、健二は俺が誰であるかすぐに分かったそうだが、俺はまったく気が付かなかった。
「そうよ。ルームメイトの彼氏が来て、しばらく外で遊んでこいって」
「そうか。それは気の毒だな。なんなら、俺がお相手しようか?」
「あなたが?」
「俺じゃ、イヤか?」
「そうねえ。今から相手を捜しても来てくれそうもないし・・・・」
「なら、いいんだな」
「どこへ連れてってくれるの?」
「お望みのままに」
よほど高くなければ経費で落ちるから、俺はどんと胸を叩いた。
「じゃあ、あそこにあるパブへ行きましょう」
「あそこね。いいよ。さあ、行こう」
一緒に入ったパブは、明るい雰囲気の女性好みのパブだった。
「何飲む?」
「何でもいいのね」
「ルイ13世なんて言わなければ、何でもおごってやるよ」
「じゃあ、ソルティー・ドッグを」
「おい、マスター。ソルティー・ドッグと、俺にはワイルドターキーのダブル。ノーチェーサーで」
「ノーチェーサーでいいの?」
「バーボンは、生のまま飲むのが最高さ」
ホントは水割りにしようと思ったのだけど、ちょっとカッコつけたのだ。バーボンのダブルをノーチェーサーでなんて、格好いいだろう?
「はい、了解」
髭面のマスターが、カクテルを作り始める。しばらくその様子を見てから、俺は健二に尋ねた。
「俺は、小川。小川剛ってんだ。君の名前は?」
「わたし? わたしの名前は忍」
「忍か。いい名前だ」
「そうかしら? 堪え忍ぶばかりで、いい人生じゃないわよ」
「そうか? 年は?」
「女に年を聞くもんじゃないわよ」
「そうだな。ところで、いつも来るのか?」
「えっ!? この店に?」
「イヤ。君を追い出した男のことだよ」
「ああ、君原さんのこと?」
「そうだ。君原治のことだよ」
「あなた、興信所か何かで働いてるの?」
「その通り。興信所の探偵さんだ」
「へえ。そうなの。探偵さんって、儲かるの?」
「贅沢はできないけど、生活する分くらいは稼いでるよ」
「そう・・・・」
「で、どうなんだ?」
「週に二度ほど来るかな?」
マスターに出されたカクテルをぐいと飲んだ。俺は、ワイルドターキーを嘗めるようにして飲んだ。バーボンの独特の香がして、舌がビリビリと痺れた。やっぱりチェーサーが必要だなと思ったが、今更と思って黙って飲んだ。
「そのたびに追い出される?」
「一緒に飲むこともあるけど、だいたいそうね」
「いつ頃からの関係だ?」
「えっとねえ・・・・、確か半年くらい前からかしら?」
「半年前からなんだな」
「それくらいだったと思うわ」
「勿論、男と女の関係なんだろう?」
「当然よ」
「サンキュウ。役に立った」
「お礼はくれるんでしょう?」
「ここの飲み代じゃだめか?」
「それだけ?」
「それくらいの価値しかないと思うが」
「もっと情報を持ってるわよ」
「どういう情報だよ」
「先払い」
健二は俺に向かって手を出した。
「話しを聞いてから」
「イヤ、先払いじゃないと話さない」
「・・・・仕方ない。一万でいいか?」
「渋ちんなのね。ま、いいわ。話したげる」
悪戯っぽい目で、健二は俺に微笑みかけた。俺は財布の中から万札を一枚取り出して健二に渡し、椅子に座り直した。
「早く言えよ」
「君原さん、変態プレーが好きなの」
「変態プレー!?」
「大きな声を出さないの。今日は何してるかしら? むち打たれているかしら? それとも浣腸プレーかな?」
「へええ。そんな風には見えなかったけどな」
君原治は、ラグビーのフォワードを務めていたでかい男で、とてもそんなことをするようには思えなかった。
「事実は小説より奇なりよ」
「へええ」
俺はもう一度感嘆の声を上げた。
「一万の価値があった?」
「あった。あったとも」
「ねえ、小川さん?」
「何だ?」
「あの二人。もう2時間はあの部屋にいるわ」
「それがどうした?」
「わたしたち、もう少し仲良くなれそうな気がするんだけど」
俺はぎょっとして、健二の顔を見た。
「いいのか?」
「女のわたしが誘ってるんだから、いいに決まってるでしょう?」
「君みたいな美人から、誘われるなんて思ってもみなかったよ」
「美人だなんて・・・・」
「イヤ、ホント。君は美人だよ」
「嘘でも嬉しいわ。じゃあ、行きましょうか?」
歩いて5分ほどのホテルへ入って、健二と関係を持った。可愛らしい女の子だと思っていた健二が男で、しかも俺の高校の後輩だと知ったとき、俺は驚いたというより唖然としてしまった。
それが健二との付き合いの初めだ。
「ねえ、探偵って、面白い?」
ホテルから出て歩きながら、健二が俺にそう尋ねた。
「面白いって言えば、面白いけどな」
「わたしを雇ってもらえない?」
「君をか?」
「今ね。ニューハーフクラブで働いてるんだけど、売春しろってママに強要されてて。売春なんてしたくないから辞めたいのよ。他のニューハーフクラブで働きたくないし、かといって、まともな仕事もないし・・・・」
「探偵なんてしたことがあるのか?」
「ないわ。でも、お手伝いくらいはできるでしょう?」
「まあ、そうだが。そんなに高い給料は払えないぞ」
「今だって大して貰ってないから、食べていければいいわ」
俺ひとりだけでも食べていくのがやっとなのに、健二を雇い入れてやっていけるのだろうか? しかし、健二をそばに置いておきたいという欲求が俺の中に生まれていた。
「ホントに贅沢はできないぞ」
「それでもいいわ」
「じゃあ、決まりだ」
「あのマンションも出ないといけないんだけど・・・・」
健二が不安そうに俺に言う。
「そうか。住むところがないのか・・・・」
「あなたが住んでるところに行っちゃだめ?」
ニューハーフの健二のこういった申し出は、俺とずっと関係を続けたいと言うことを意味することは分かっていた。しかし、俺はすでに健二の魅力に負けていた。外見だけではなく、俺を満足させてくれるからだ。
「あ、まあ、いいけど・・・・」
俺はそのころから、事務所に寝泊まりしていて、他に住むところを持っていなかった。
「事務所に住んでるの?」
「そうだ。経費節約のためだ」
「ホントに、贅沢できそうもないわね」
「止めとくか?」
「・・・・いいわ。売春するより、その方がまし」
「ま、そうだな」
そう言うわけで、健二は俺の事務所にわずかな荷物を抱えて転がり込んできた。一緒に暮らし始めて、健二は、俺と一緒にいるときは男言葉を使い始めた。それが何故かは分からない。まあ、人前で男言葉を使ったとしても、変わった女の子だと思われるのが関の山で、男だなんて疑うやつは一人としていないだろう。
「兄貴のことが好きなんだ。愛している」
どうして俺のそばにいるんだと尋ねた答えに、健二は、いつもそう答えた。本気の筈がないと思っていたが、どうもホントに本気らしいと気が付いたのは、つい最近のことだ。
俺の方は、健二とセックスはするが、はっきりと健二が好きだと言った覚えはない。ホントは好きなんじゃないかなと自分では思っているんだけれど、健二がホントは男だから、そんなことを思っちゃいけないと潜在意識がそれを否定しているようだ。
「何考えてんだよ」
インスタントコーヒーを入れたカップを俺に差し出しながら、健二が聞いてくる。
「何でもない」
「昨日相手をした女のことでも考えたんだろう?」
「違うさ。あんなの、女だと思ってないさ。ただの穴に入れただけ。ブスだったしな」
「そう・・・・。俺の方が可愛いか?」
「それだけは保証する」
「あっちの方は?」
「おまえの方がいい」
健二は嬉しそうな顔をした。何度も言うけれど、健二ほど可愛い女はそうそういない。健二が本物の女で、俺が人並みに稼げるようになったら、躊躇いもなく結婚を申し込むところだ。