第12章 慣れないことはしない方がいい

 小野田探偵事務所の電話番号をプッシュした。
 「はい。小野田探偵事務所でございます」
 長谷川千鶴のハスキーな声が聞こえてきた。
 「覚えていますか? 小川です」
 「あら? 小川さん。お久しぶり。何? デートのお誘い?」
 「残念ながら、違うんだ」
 「なんだ・・・・」
 長谷川千鶴はあからさまにがっかりした声を上げた。健二がいなければ、誘うところだけど、今日はそんなことをしている場合じゃない。
 「小野田さん、いるかい?」
 「いるわよ。ちょっと待って」
 エリーゼのためにの保留音が鳴って、しばらくして、小野田が出た。
 「小野田です。いつぞやはお世話になりまして」
 「いえ、こちらそこ」
 「で、何の用だ?」
 商売用の言葉から、突然高飛車な言葉になって小野田がそう言った。
 「自殺した奥さんの件で、お話ししたいことがあるんですが」
 「話すことなどない!」
 「あの事件の数日前に、奥多摩で身元不明の死体が見つかってますよね」
 電話の向こうから動揺が伝わってきた。間違いない。小野田は奥方をやっぱり殺している。俺は確信を深めた。
 「それがどうした?」
 「歯形を調べれば、あの死体が誰なのか分かるんですけどね」
 「俺にどうしろと・・・・」
 「会って、話しがしたい。それだけです」
 「・・・・今夜、午後9時。事務所で待っている」
 「妙なことはなしですよ。別に警察沙汰にしようって訳じゃないですから」
 「分かった。午後9時に」
 電話が切れた。手のひらと背中に冷や汗が出ていた。俺は元来、こんなことをするような性格をしていない。それもこれも金のためだ。金のためと割り切ってやるのだ。

 午後8時50分。俺たちは、小野田探偵事務所の前にいた。
 「やっぱり止めようよ」
 「ここまで来たんだ。やるぞ」
 しょぼくれて、健二も俺について階段を上った。ドアをノックする。
 「誰だ?」
 小野田の声だ。外国映画なら、ここで中から銃撃されて一巻の終わり。強盗と思ったの一言ですまされる。しかし、ここは法治国家日本。そんなことはあり得ない。
 「小川です」
 「入れ」
 事務所の中に入ると、小野田が奥の椅子に座ってタバコを吸っていた。
 「で、何の話しだ?」
 「奥さんを殺して、身元が分からないように焼いて奥多摩に捨てましたね」
 「何の冗談だ?」
 小野田は平然とタバコを吹かしていた。
 「俺の独自調査で、奥さんと奥多摩で見つかった死体の歯形が一致したんですよ」
 これは当然はったりだ。
 「俺が殺したという証拠はない」
 「小野田さんが、女装して奥さんになりすまして、俺を罠にかけようとしたことや、自殺したように見せかけたことは分かってるんだ。白状したらどうです」
 俺は、コンピューターから出力した小野田をバーチャル女装させた写真を突きつけた。
 「警察には?」
 「まだ言ってない」
 「そうか。俺にどうしろと言うんだ。自首しろとでも?」
 そう言いながら、小野田は立ち上がり、コーヒーメーカーからカップにコーヒーを注ぐと飲み始めた。
 「黙っているから、少し金を回してくれないか?」
 「恐喝って訳だ」
 「探偵業では、よくある話しじゃないのか?」
 俺はこうしてやるのは初めてだが、探偵は結構こう言った類いの恐喝をやっている。
 「そうだな。・・・・いくら欲しい」
 「半分」
 「5000万か?」
 「そうだ」
 「ちょっと多いんじゃないか?」
 「全部って言われないだけ、いいと思えよ」
 喉がカラカラだ。
 「そりゃそうか。コーヒー。飲むか?」
 小野田はコーヒーを飲んでいる。クスリを仕掛けているなんてことはなさそうだ。
 「いただくよ」
 「そっちのお嬢さんは?」
 健二はちょっと考えている。
 「いらないのなら、飲まなくてもいいぞ」
 「いただきます」
 小野田がコーヒーを注ぎ分けて、俺と健二に手渡した。
 「金を受け取ったら、共犯になるんだぞ。それでもいいんだな」
 「今までばれてないんだ。大丈夫さ」
 苦いコーヒーだ。煮詰まってるんじゃなくて、濃いコーヒーを入れたようだ。
 「それもそうだな。金はいつ欲しい?」
 「明日にでも」
 「そうか。それじゃあ、明日、おまえの口座に振り込んでやる。それでいいな」
 「口座番号は分かるのか?」
 「教えてもらえるか?」
 「あ、いいよ」
 スーツの内ポケットに入れた手帳を取り出そうとしたとき、目が回り始めた。俺は頭を振った。振り向くと、健二は、ソファーの上でぐったりとなっていた。
 「コーヒーに何か入れたのか?」
 「コーヒーには入れてない」
 「イヤ、何か入れただろう?」
 「カップに入れて置いた」
 「くそ!!」
 ソファーから立ち上がれなかった。俺は意識を失った。

 目を覚ますと、小さな小屋のような所にいた。健二は俺の横で眠っていた。手足が縛られているようだ。藻掻いたが、縄は解けそうもなかった。
 「おい! 健二!! 目を覚ませ!」
 縛られていた足で健二を蹴飛ばすと、健二がうっすらと目を開けた。
 「何だよ。痛いじゃないか!」
 「そんなこと言ってる場合かよ。このままだと俺たちは殺されてしまうぞ。早く縄を解くんだ」
 健二は、ようやく俺たちの置かれた状況を思い出したようだ。
 「背中合わせになるんだ。はやく!」
 「う、うん」
 縄が緩んでもう少しで解けそうになったとき、足音が近づいてきた。
 「健二。も少しで縄が解けそうだ。おまえ、何とかして、小野田の注意を引いていてくれ」
 「何とかしてって、どうするんだよ」
 「小野田は、矢崎と付き合ってる。お前が男だと知ったら、興味を示すだろう。分かったな」
 「分かったよ」
 ドアが開いて、小野田が入ってきた。
 「気がついたか?」
 「俺たちをどうしようって言うんだ?」
 「金に困って、心中したことにしてやろうと思ってな」
 「くそう」
 「俺がやらなくても、そのうちこうなる運命なんだろう? どれ。もう一度眠って貰うかな?」
 小野田が左手にナイフ、右手に注射器を持って近づいてきた。
 「ううん」
 健二がたった今目を覚ました振りをした。
 「おや。お嬢さんも目が覚めたか。注射がもう一本必要だな」
 「俺たちに何するつもりだよ」
 俺の前以外では、絶対使わない男言葉を使って、小野田の注意を引こうとしている。上手くいけよ。俺は心の中で手を合わせた。
 「女の子がなんて口の効き方だ」
 小野田はちょっと首を傾げながら、健二に近づいていった。上手くいきそうだ。
 「殺されようって時まで女言葉を使えるかよ!」
 「何だって?」
 小野田は健二をじっと見つめた。
 「おまえは女じゃないのか?」
 健二は、小野田を見つめたまま黙り込んだ。小野田は俺の方を見た。
 「どうなってるんだ。まさかニューハーフって訳じゃないだろうな?」
 「確かめたらどうだ?」
 俺の言葉を聞いて、小野田は健二に興味を持ったようだ。小野田は、健二のそばに座った。俺は、小野田に見られないように縄を緩めていった。もう少しで腕を縛られた縄がほどけそうだ。
 「俺に近寄るな。アホ!!」
 縛られたまま健二は暴れ回った。
 「じっとしてろ。じっとしてないと、おまえの大事なあの男の一物を切り取ってやる」
 そう言われて、健二は目を見張り、暴れるのを止めた。小野田は、健二の穿いているジーンズのベルトを緩めジーンズを下げた。可愛らしいパンティーが覗く。健二は俯せになって這うようにして逃げ出した。小野田が後ろからパンティーに手をかけ引き下げる。健二の尻が露わになった。
 「や、止めろ!」
 健二が泣きそうな声で叫んだ。
 「もう少し、よく見せろ」
 「いやだ!! 止めてくれ!」
 「ほう、そうか。そうだったのか」
 小野田は下卑た笑いを浮かべた。
 「冥土のみやげに楽しませてやるぞ」
 小野田はベルトを緩めてズボンをおろした。小野田のペニスはギンギンにいきり立っていた。
 「イヤだ! 止めろ!」
 健二は這うようにして逃げ始めた。
 「兄貴! 助けて!! 兄貴ぃ・・・・」
 急いで縄をほどこうとすればするほど縄が絡みついてほどけない。俺は焦った。
 「へっ、へっ、へっ・・・・」
 小野田が健二の上になり、腰を沈めたようだ。
 「イヤだあ・・・・」
 健二が、悲壮な声を上げた。俺の縛られた縄はまだほどけない。そのとき、誰かが小屋に入ってきた。
 「何してるのよ」
 その人物は女に見えたが、よく見ると女装した矢崎だった。
 「女に手を出すなんて!! 貴様! 殺してやる!!」
 矢崎はものすごい形相で、小野田に襲いかかった。
 「違う! 違うんだ!! こいつは・・・・」
 「やかましい!!」
 嫉妬に狂った矢崎は、小野田の言うことを聞こうともしない。二人が、どたんばたんと争っている間に、俺は縄をほどいた。足の縄もほどいて、健二の縄もほどいてやった。
 「ぐ、ぐふぁあああ」
 断末魔の叫びがこだました。二人の方を見ると、小野田の力が抜け、両手がばたりと床に落ちた。床に真っ赤な血が広がっていった。小野田から取り上げたナイフを片手に矢崎がゆっくりと起きあがる。それから、正気に戻ったようにナイフを床に落とすと、小野田にすがりついた。
 「小野田。小野田!!」
 矢崎は、髪を振り乱して泣き始めた。泣きながら、矢崎は小野田の脈をみた。それから、がっくりと肩を落とし、床に落ちていたナイフを取り上げ自分の胸を突いた。アッと言う間の出来事だった。止めようがなかった。矢崎はがっくりと小野田の上に倒れた。
 立ち上がって、恐る恐る脈をみたが、矢崎も死んでいた。
 「はあ・・・・」
 俺は力が抜けて床の上に座り込んで溜息をついた。ふと見ると、健二が泣いていた。
 「どうした?」
 「兄貴・・・・。俺・・・・。兄貴だけのものだったのに・・・・」
 健二は下を向いたまま涙を流し、床の上に涙がぽたりぽたりと落ちた。
 「小野田がおまえに何かしたのか? 全然知らないぞ」
 健二は、涙顔を俺に向けた。
 「美人が台無しじゃないか。さあ、涙を拭けよ」
 「兄貴・・・・」
 俺は縋ってくる健二を抱きしめてやった。小野田は、健二を冒してはない。俺はそう思うことにした。いや、実際に見た訳じゃないのだから。

 「どうしよう?」
 しばらくして、涙を拭いた健二が言い出した。
 「まさか、ふたりとも死んでしまうなんて思ってもみなかったよ」
 「警察に届ける?」
 「まさか。そんなことをしたら、俺たちが恐喝をしていたことをばらさなきゃならなくなる。そのうち、見つかるだろう。帰ろう」
 「・・・・そうだね」
 小野田たちが乗ってきた車で帰るわけにもいかず、俺たちはとぼとぼと歩いてJRの駅までたどり着き、事務所に帰った。

 二日後、小野田たちの死体が発見された。新聞記事には、『同性愛の精算か? 山中で無理心中』と言う見出しが付いていた。
 「一億円、勿体なかったね」
 「俺たちを殺そうなんてしなけりゃ、小野田も5000万持って、気楽に矢崎と暮らせたのに」
 「あああ、勿体ない」
 「健二! おまえは乗り気じゃなかっただろう?」
 「5000万だよ。良心を売るのには充分な金額だよ」
 「そうだなあ」
 俺はいつものようにカップ麺をすすった。
 「もう、こんな生活イヤだよ」
 「どうするって言うんだよ」
 「俺さあ。自慢じゃないけど、料理が上手いだろう?」
 「ああ」
 「大分に帰って、食べ物屋でも始めないか?」
 「食べ物屋? いったい何をするつもりだ?」
 「そうだな。弁当屋なんか、どうかな?」
 「弁当屋?」
 「兄貴は、堅実なのはイヤか?」
 「そうじゃないが・・・・」
 「じゃあ、いいだろう?」
 「弁当屋はいいが、資金はどうするんだ?」
 「金は天下の回りもの。なんとかなるよ。・・・・そうだ。白浜の婆さんにでも貸して貰おう」
 「そうか。なら、そうするか」

 と言うわけで、俺たちは故郷の大分に帰り、弁当屋を始めた。健二は、自分で言うだけあって料理が上手い。弁当屋はアッという間に繁盛し、何とかまともな暮らしができるようになった。念願だった2LDKのアパートを借りて、俺たちは夫婦のように暮らし始めた。
 1年もすると、貯金ができるようになった。
 「健二。開業資金を借りたんだろう? 白浜の婆さんに少しずつでも返そうよ」
 そう言うと、健二はちょっと暗い顔をした。
 「あのね。お金・・・・返さなくてもいいんだ」
 「どう言うことだ? 借りたんじゃなくて、貰ったのか?」
 「あ、いや。・・・・あのね」
 健二は言い淀む。
 「何か俺に隠しているな。言ってみろ!」
 「いうよ。・・・・小野田冴子に化けた小野田から、小野田探偵事務所の鍵を預かっていたよね」
 悪戯をして怒られている子供のように、健二は俺を上目遣いに見た。
 「ああ」
 「二人が死んだ翌日、兄貴が眠っている間に小野田探偵事務所に行ったんだ」
 「まさか、おまえ・・・・」
 「兄貴の想像通りだよ。一億円が振り込まれた預金通帳と印鑑を盗んできたんだ」
 「勿体ない、勿体ないって言ってた時には、盗んでたのか?」
 「そう。盗んだことを隠すためのカモフラージュ」
 「参ったな。しかし、名義が違うだろう? 使えるはずがない」
 「女性名の架空名義になってるんだ。小野田が、裏金にしようとしていたんだと思う。だから、何の問題もなく、お金をおろせたんだ」
 「信じられん」
 「でも、200万だけだよ。それ以上使ってない」
 「それでも泥棒は泥棒だ」
 「俺たちを殺そうとしたんだよ。それくらい、いいじゃないか」
 「うーん。そうだな。もう、すんでしまったことだし。いいか」
 一年たって、健二が通帳を盗んだことがばれないところをみると、この金は返せと言う人間がいないことになる。
 「200万だけ使ったとなると、あと9800万残ってるんだな。そうか、そうか。・・・・車、買い換えたいな」
 「だめだよ、兄貴。このお金にはもう手は付けない。ないと思ってた方がいいんだよ。人間、お金があるといいことがない」
 さすが健二はなかなかいいことを言う。
 「確かにおまえの言うとおりだ。じゃあ、どこかに匿名で寄付でもするか?」
 そう言うと、健二が慌てたような顔になった。
 「それはちょっと考えさせてよ」
 「やっぱり惜しいんだろう?」
 「いつかお金がいることもあるかも」
 はい、はい。その通りでございます。金は天下の回りものとは言っても、ないよりあった方がいいに決まってる。どうせ小野田が不当に手に入れたお金だ。俺たちが使ってやった方が供養になるってものだ。