さすがの俺も、今朝は朝立ちしなかった。いつもより萎縮して見えるペニスを見ながら、小便を済ませて部屋に戻ると、健二は化粧を終えていた。
「さてと、警察に行ってみようか?」
「そうだね」
モーテルをチェックアウトして、そのまま警察署へ向かった。
警察って言うところは何度来ても、いいところじゃない。何もしていないのに、何だか悪いことをしているような錯覚に捕らわれる。
「すみません。伊東さん、いますか?」
「いますよ。どなたですか?」
受付嬢が胡散臭そうに俺を睨む。一昨日、ここに来ているのに、もう俺の顔を忘れたのだろうか?
「藤崎探偵事務所の、小川です」
「あ、ああ。あなた・・・・」
名前を聞いて思い出したというような顔をした。
「ちょっと待ってくださいね」
受付嬢は、電話で俺たちの訪問を伝えている。
「どうぞって。3階にいるわ」
「ありがとう」
階段を3階まで上がって、刑事課のドアをノックした。
「何の用だ?」
伊東刑事が、さも迷惑そうな顔で俺たちを出迎えた。俺たちは、デカ部屋の隅にある崩れかけたソファに座った。
「昨日から、俺たちに尾行が付いていないようだけど、何か進展があったんですか?」
「おまえたち、新聞は読まないのか?」
タバコに火を点けながら、伊東刑事は馬鹿にしたように言った。
「新聞、取ってないんですよ」
「テレビは?」
「昨日から、ちょっといろいろあって、見てないんですが」
「そうか・・・・」
じろりと俺を睨んで言う。俺が、長谷川千鶴とモーテルに入ったところまでは知っているのだろう。
「何があったんですか?」
伊東刑事は、立ち上がって、奥にある新聞のひとつを持ってきて広げて見せた。
「そこを見てみろ」
示された場所に、『別れ話を苦に自殺?』の文字。中を読んでみた。
『今朝7時頃、犬の散歩をしていた男性が、○○岬で、揃えられた履き物に、遺書らしい手紙が添えられているのを発見した。○○岬は、自殺の名所として有名である。近くある、木下旅館に泊まっていた小野田冴子さん(35)の行方が分からないとの通報があり、警察では確認を急いでいる』
「履き物が揃えてあって、遺書があるってことは、自殺ですよね」
「そう考えるのが、普通だな」
伊東刑事はふうと煙を吐き出した。
「自殺したのは、小野田冴子に間違いないんですか?」
「遺書に小野田冴子と書いてあった」
「そうですか。これは昨日の夕刊ですよね」
「そうだ」
「と言うことは、一昨日の台風の夜に自殺を図った言うわけですね」
「ああ」
「遺体は見つかったんですか?」
「あそこは、ただでさえ遺体があがらん所だ。あの嵐だ。まず、見つからんだろうな」
「そうですか」
自殺しなくてもいいのに。あれほどの美人だったら、再婚相手くらい、すぐに見つかるだろうにと思った。
「・・・・自殺となると、小野田は慰謝料を払わなくていいことになりますが、まさか、小野田が自殺に見せかけて殺したってことはないでしょうね」
「それはないな。おまえたち同様、小野田には見張りを付けていた。あの日、小野田は、新宿のセンチュリーハイアットに泊まっていた。殺そうにも殺しには行けない」
「小野田の愛人は?」
「そっちは、夜も仕事だった」
伊東刑事の話しぶりでは、小野田の愛人が矢崎だと分かっているようだ。
「と言うことは、俺が殺したという嫌疑も晴れたんですね。俺たち、ずっと事務所にいたから」
「ま、そう言うことだな」
刑事に見張られて、いいこともあるもんだ。
「自殺の名所に女一人の宿泊客を泊めるなんて、注意不足ね。その旅館」
健二が横から口を挟んだ。
「いやね。彼女一人なら、そうなんだが」
「連れがいたんですか?」
「いや、いない」
「ええっ!? どう言うことですか?」
「男の声で予約があって、夕方、小野田冴子一人が現れて、主人は遅れてくるからと言うので泊めたらしい。ちょっと散歩に行ってくると言ったまま、戻らなかったというわけだ」
「おかしいですね。すぐに自殺するつもりなら、何も旅館に泊まらなくてもいいはずなのに」
「ああ、おかしい。しかし、旅館から何回か電話していたらしい。おそらく、離婚の話し合いをするつもりだったのがだめになって、思いあまって自殺してしまったのだろう」
「なるほど」
「ま、そういうわけだ。おまえたちに不愉快な思いをさせてしまったが、もう終わりだ」
「そうですか。事情は分かりました。じゃあ、失礼します」
「ああ。・・・・ちょっと、小川君」
片手をあげて、伊東刑事が俺を呼び止めた。
「何ですか?」
「その彼女は、おまえの恋人なのか?」
その彼女って、健二のことを言っているらしい。俺は頷く。
「恋人? あ、まあ、そうですが・・・・」
恋人という言葉を聞いて、健二がにっこりと笑う。
「ほう・・・・」
「一体、何なんですか?」
「何でもない。忘れてくれ」
「そうですか。じゃあ」
警察署を出ながら考えた。伊東刑事は俺たちのことを調べている。おそらく、女の格好をしているけれど、健二が男だと知ったのだろう。他の刑事たちの前で、それをばらさなかったのは評価してやろう。言い方は突っ慳貪だが、伊東刑事はなかなか物わかりが良さそうだ。
正午近かったので、警察署の真ん前にあったファミレスに入った。
「話しの辻褄は合うのかしら?」
昼飯のピラフを食いながら、健二が俺に聞いた。
「そうだな」
「小野田冴子さんは、小野田が妙な手紙を残して失踪したって言ったのに、実際はどこかの病院に入院していた。何だか変だよね」
「小野田冴子が、別居を解消しようとして、小野田と接触を図ったけれど、小野田には新たな恋人がいたから。恋人って言うのは矢崎だな」
「ええ」
「小野田冴子の要求には、応じられない。だから、妙な手紙を残して雲隠れした」
「はあ、そうも考えられるわね」
「俺たちに頼んで行方を探していると知った小野田は、冴子と会う約束をして出てきた」
「辻褄は合ってる」
「木下旅館で会う約束をしたが、小野田は約束を破る」
「だから思い余って自殺してしまった」
「そういうこと」
「簡単すぎるんじゃないの? わたしだったら、何が何でも小野田に会いに行くわ」
「そんなことが2年も続いてんじゃないか?」
「そうか。それなら、納得は行くわ」
「ひとつおかしいことがある」
「なによ」
「俺に報酬を支払った夜のことだ」
「それが?」
「冴子は、早く見つけてくれと言っていた。しかし、小野田には、俺に会いに行くと電話している」
「おかしいわね」
「俺が思うに、小野田が嘘を言っているようだ」
「どうしてそんな嘘を?」
「俺を冴子殺しに仕立て上げようとしたんじゃないかな?」
「・・・・なるほど。とすると、小野田は冴子を殺そうとしたってこと?」
「そうなるな。しかし、上手くいかなかった」
「上手く行かなかったけど、思い通り自殺してくれて、ホッとしてるってわけね」
「そう言うことだな」
「ああ、悲しいな」
「人生、そう言ったものさ」
「わたしを一生愛してくれるでしょうね?」
健二が俺をじろりと睨んだ。
「何度も言わせるなよ」
「嬉しい」
健二が俺にもたれかかるものだから、店員が呆れたような顔をしていた。
それから、2ヶ月がたった。あの事件で稼いだ金も底を突き、俺たちは、ふたたび元の生活に戻っていた。
そんなある日のことだった。
「小野田に保険金が手に入ったらしいよ」
仕事がないので、ソファーに寝転がってぼんやりテレビを見ていると、健二が外から帰ってるなりそう言った。
「いくら?」
「一億」
「一億!! 5千万じゃなかったのか?」
俺はソファーから飛び起きた。
「長谷川って言う事務員からの情報が間違っていたみたいだよ」
「一億か・・・・。なあ、健二。別れようかって奥さんに、保険なんてかけるか?」
「かけないだろうな。普通は」
「この前、辻褄が合うかどうか話したけど、やっぱり引っかかるんだよな」
「兄貴もそう思うか? 俺もそう思うんだ」
健二が俺のそばに座った。俺は引っかかっていることを健二に話した。
「わざわざ自殺の名所まで呼び出した理由が分からない。小野田はセンチュリーハイアットに泊まっていたんだから、そこに呼び出せばいいわけだよな」
「そう。いかにもアリバイ作りと言った感じだよね。それに、兄貴を殺人犯に仕立て上げるってことは、その時殺すかどうかしていないといけない。ところが、冴子はピンピンしていた」
「そうなんだ。そこが引っかかっていたんだ」
「おかしなところが、もうひとつあるよ。兄貴を犯人に仕立て上げるんだったら、小野田夫人の遺体を隠す必要がないんだ。そうだろう?」
「そうだな」
「小野田の事務所で見つかった血痕は何だと思う?」
「・・・・俺を殺人者に仕立て上げようとしたってことは、すでに殺していたと考えた方が辻褄は合う」
「でも冴子は生きていた」
「・・・・冴子は、本物か?」
「兄貴! 替え玉だって言うのか?」
「それなら、すべての辻褄が合う。小野田は、何らかの弾みで、冴子を殺してしまう。そこで、誰かを殺人犯に仕立て上げるために、冴子の替え玉を使って殺人現場に行かせる。行かせる口実が、小野田の失踪だな」
「その誰かって言うのが、兄貴だね」
「そうそう。途中経過を聞きたいだなんて、電話でもいいのに、俺を小野田事務所に呼び出す口実だったんだ」
「うん、うん」
「警察は一時は俺を疑っていたんだ。しかし、上手く行きそうもないから、今度は自殺したことにしようとした」
「替え玉が自殺を偽装したって訳だね。台風の夜で、しかも遺体があがらないところで自殺したように見せかければ、証拠は残らない」
「それなら、すべての辻褄が合うんだ」
「替え玉は誰だろう? 矢崎じゃないよね」
「どんなに化けても矢崎じゃない」
「長谷川千鶴は?」
「替え玉は、もっと背が高かった」
「他には該当者がいないよ。俺たちの知らない女なのか?」
「そうかもな」
「証拠がないもんなあ」
「それだよな」
俺はソファーに寝転がった。証拠がなければ、小野田を追いつめられない。俺たちの想像が間違っていることだってあり得るわけだから。
「ちょっと待てよ」
「なに? 兄貴、なんか気がついた?」
俺は、スーツの内ポケットから、写真を撮りだしてじっと見つめた。
「健二! 藤崎の兄貴の所へ行くぞ」
「どうしたんだよ」
「行けば分かるさ」
健二は首を傾げながら付いてきた。
藤崎探偵事務所本社は、ごった返していた。俺は、藤崎の兄貴と俺の関係を知る探偵の一人に声をかけた。
「兄貴、いるか?」
「ああ、剛さん。藤崎さんなら、いま、出かけてるよ」
「そう。コンピューター、借りてもいい?」
「いいですよ。そっちのが空いてるでしょう? 勝手に使ってください」
「サンキュウ」
俺は、コンピュータの前へ座った。
「忍。どうするんだ?」
「わたしがやってあげる」
俺を押しのけて、健二はソフトを立ち上げた。健二には、俺がやろうとしていることがもう分かっているようだ。
「スキャナに入れて」
「ほいな」
キーンとスキャナの動く音。画面に小野田の顔が表示されていった。
「かなり白く塗ってたわね」
「ああ」
「口紅は真っ赤」
「そうだった」
「趣味悪いわ。眉は、細い、逆への字。こんなものかな?」
「うん」
「髪型は、肩に掛かるくらいのボブだったわね。これかな?」
小野田の顔が、俺の事務所を訪れた小野田冴子に変わっていた。
「やっぱり・・・・」
「事務所の血痕は、小野田冴子のものね。偽装するために、小野田は、女装して冴子になりすましてわたしたちの事務所に来て、剛を犯人に仕立て上げようとした。上手く行きそうもないことが分かって、今度は自殺に見せかけた」
「しかし、小野田はセンチュリーハイアットに泊まっていたんだぞ。どうやって?」
「刑事たちは、男の小野田を見張っているわ。わたしたちだって騙されたんだから、女装してホテルを出ていったとしても、誰も気がつかなかったでしょう」
「なるほど。しかし、冴子の死体をどこに隠したんだろう?」
「剛。覚えてない? 奥多摩で見つかった、身元不明の女性の死体」
「ああ、そう言えば」
健二とテレビで見たのを思い出した。
「時期的に合うわよ」
「おそらく間違いないだろうな」
「今思いついたんだけど、小野田が失踪したからって、調査を依頼しに来たのは、兄貴を犯人に仕立て上げるためだけだったのかな?」
「は? どういうことだ?」
「あの時点で小野田夫人が生きていたって言うアリバイになるでしょう?」
「あ、なるほど。俺にも分かった。奥多摩の死体が小野田夫人だとばれないようにするためだったんだな」
「そうだと思うのよね」
俺は感心したように何度も頷いた。あんなことで俺を犯人に仕立て上げられるはずがないのだ。
「どうする? 警察に知らせる?」
「知らせても一銭にもならないからなあ」
「じゃあ、どうするのよ?」
「一億も貰ったんだ。少しこっちへ回して貰おう」
「恐喝する気?」
「いけないか?」
「そんなこと・・・・」
「今の生活でいいのか? それを元手に、もっとまともな商売をやろう。そしたら、おまえを楽にしてやれる」
「わたしは、そんなの反対だけど・・・・」
「俺たちの未来のためだ」
健二は乗り気ではないようだったが頷いた。