第9章 進との契約

 「いったい、どうなってるんだよ」
 社宅に戻ると、ソファーにドンと腰掛けて、わたしを睨みながら進が言った。
 「ショーツが見えてるわよ」
 進は慌てて、膝を合わせてスカートを引き下げた。そうしてから、ハッとしたようにもう一度わたしを睨んだ。
 「そんなこと、どうでもいいだろう? 早く話せよ」
 「わかったわよ」
 わたしは進の向かい側に腰をおろした。こうなることはわかっていた。だから言い訳は考えていたのだが、わたしが男になりたいから、進に女になってくれなんてことは、言えるはずもなかった。だから、ちょっと違った言い訳を考えていた。ただ、全部が全部嘘というわけではない。
 「去年の秋、就職活動を始めたでしょう?」
 「ああ。それが何の関係があるのさ」
 「関係があるのよ。黙って聞いてよ」
 「・・・・わかった」
 「これはと思う会社から資料を集めていて、わたし愕然となったのよ。男女平等といいながら、ぜんぜん平等じゃない。まず与えられる仕事の質が違う。極端に言えば、女はお茶汲みたいな仕事しか与えてくれないのよ」
 「そんなことはないだろう? 志穂が調べた会社がたまたまそうだっただけじゃないのか?」
 「確信を持って、そう言えるの?」
 「あ、それは・・・・」
 「そうでしょう? それに、同じ仕事につかせてくれたとしても、給料がずいぶん安いのよ。馬鹿にしてると思わない?」
 「あ、うん・・・・」
 「仕事も平等、給料も平等って言う会社を受験してみたけど、ことごとく不合格だったわ」
 「志穂の成績が悪かったとか・・・・」
 「そんなことは絶対にないわ。その証拠に、その会社に通ったのは、わたしより成績の悪かった男の子だったのよ」
 「・・・・」
 進はもう反論しなかった。男女が不平等だということを知っているからだ。
 「最後の頼みが、今回就職したGMIJだったのよ。どうしても採用してほしかったわたしは、あなたの名前で就職試験の受験を申し込んで、あなたとして受験したの」
 「インターネットで受験したって言う話はウソだったの?」
 「え、ええ」
 「そうだろうね。おかしな話だと思っていたよ」
 「わたしの言うことを素直に信じてくれて嬉しかったわ」
 「わかったよ。それから?」
 進の表情が少し和らいできた。
 (何とかなりそう・・・・)
 「あなたとして受験するために、髪を切ったわ」
 「仮装パーティーのために切ったんじゃなかったんだね」
 「そう。原田進として受験するために切ったの」
 「じゃあ、ずっとウイッグをかぶっていたんだね」
 「そういうこと」
 「ぼくとしてGMIJを受験して、受かっちゃったんだね」
 「そうなのよ」
 「受かったときに、わたしは女ですって告白すればよかったのに」
 「嘘言ってるのがばれたら、内定が取り消しになると思って・・・・」
 「ぼくの方が就職できたんだから、君は無理に就職しなくても良かったんだよ」
 「でも、あなたの就職した会社はいつ倒産するかわからないようなところだし、GMIJは給料も高いし、社宅はこんなに立派だし、何よりやってることがわたしのやりたいことだったから」
 「志穂は男として就職せざるを得なかったって言うことだね」
 「そう。そうなのよ」
 「・・・・志穂の言いたいことはわかったよ。だけど、それが、どうしてぼくを女装させることになるんだよ。なにもぼくが志穂の真似をしなくてもいいんじゃないか?」
 「わたしは原田進として、GMIJに就職するのよ」
 「それはわかってるよ」
 「原田進が二人いちゃおかしいでしょう?」
 「それはそうだけど・・・・」
 「わたしが原田進を演じるなら、あなたは原田志穂を演じるしかないのよ」
 「ぼくが別の場所にいれば・・・・」
 「わたしと一緒にいたくないの?」
 「・・・・そんなことないよ」
 「そうでしょう? わたしもよ。わたしもあなたと一緒にいたいの。一緒にいる以上、あなたは原田志穂を演じる必要があるの。わかった?」
 進は黙って考えている。
 (普通の感覚の男なら、何を馬鹿を言うって怒るところでしょうけど、進はそんなことないわ。絶対に)
 「どれくらい? どれくらい志穂として暮らせばいいんだ?」
 (やった!! 説得できた)
 わたしは行動こそ起こさなかったけれど、心の中で万歳をしていた。
 「一生よ」
 なんてことは言えない。
 「1年。1年我慢して」
 「1年も?」
 「GMIJは、ロスにある本社との間に留学制度があるのよ」
 「ロスってロサンジェルスに本社があるの?」
 「そうなの。優秀な研究員は、本社に引き抜かれるのよ」
 「その自信があるの?」
 「もちろんあるわ」
 「引き抜かれたらどうするんだよ」
 「向こうに渡るときに、わたしは女ですって白状すればいいと思うの。アメリカの方が男女平等が進んでいるから引き抜かれるほど優秀なら、男女は問わないと思うのよね」
 「そうだね。もし、引き抜かれなかったら?」
 「そのときは、GMIJを辞めるわ。辞めて、あなたの言うことを聞く。あなたのどんな無理でも聞くわ。ねえ、お願い。1年だけ。1年だけ、わたしのお願いを聞いて。一生のお願いだから」
 わたしは土下座せんばかりに頭を下げた。進は腕組みをして考える。
 (もう結論は出たも同然だわ。きっとわたしの申し出を聞き届けてくれるわ)
 「わかった。1年だよ。1年たったら、元に戻る。約束だよ」
 その返事に涙が出る思いだった。
 「うれしいわ。指切りしましょう」
 「指切りはいいけど、1年間、スカートはくんだよね」
 「そう言うことになるわね」
 「はあ・・・・」
 「わたしのために頑張って」
 「いいよ。愛する君のためだもの」
 「そんな進が大好きよ」
 わたしは、進に抱きついてキスした。

 「じゃあ、着替えましょう」
 「部屋の中にいるときは、男物を着てもいいよね」
 セーラームーンのセーラー服を脱ぎながら尋ねる。
 「だめだめ。お隣の戸村さんが頻繁に来るんだから。見つかったら大変」
 「じゃあ、四六時中女の格好をしていなければならないの?」
 「そうよ」
 「仕方ないなあ。うんって言わなきゃよかったよ」
 口を尖らせながら進が言う。
 「後の祭りよ。指切りしたんだからね」
 「指切りなんてしたっけ?」
 「したも同然よ。スカート、出すわね」
 「ああ。でも、もう少し長いスカートにしてよ」
 「そのセーラームーンも結構似合ってたわよ」
 「馬鹿言うなよ」
 「ほんとだってば。あ、そうそう。言葉遣い。気を付けましょう。いつどこで誰が聞いてるかわからないから」
 「わかったよ」
 「じゃあ、今から言葉遣いもお互い交換よ。わたしは男言葉。あなたは女言葉。いいわね。3、2、1、スタート」
 わたしは、箪笥の中から着替えを取り出した。取り出しながら、もう夜が遅いから、寝巻きの方がいいなと思った。わたしは、準備していた寝巻きも取り出した。
 「これ着るの?」
 プリーツスカートを腰にあてながら呟いた。
 「それは明日の分だよ。お風呂に入って、寝巻きに着替えようよ」
 「あ、もうこんな時間なのね」
 わたしは用意した下着と寝巻きを進に手渡した。
 「こ、これ、ネグリジェじゃないの?」
 「そうだよ」
 「志穂は、いつもパジャマだったでしょう?」
 「志穂は、あなた」
 「あ、そうだったわね。どうして、わたしはネグリジェなのよ」
 「ぼくにはネグリジェは似合わない。君にはそれが似合うと思ったからだよ」
 進は口を尖らせる。
 「さあ、お風呂に入ろう?」
 「一緒に入るの?」
 「いやかい?」
 「いやじゃないけど・・・・」
 「じゃあ、一緒に入ろう?」
 「いいわ」

 一緒に入浴したけれど、ただそれだけ。何もなかった。体を拭いてから、わたしは擬似ペニスはつけずにトランクスをはいて男物のパジャマを着た。
 「これは付けなくてもいいだろう?」
 シリコン製の乳房を指差す。
 「駄目駄目。いつも付けていることに慣れていなくちゃ、付けてない時に戸村さんなんかが来たら大変よ」
 「そうか」
 進は、シリコン製の乳房を胸に貼り付けてブラを身につけた。ブルーのネグリジェを着た進は可愛かった。
 (化粧を落としても、ほんと、女に見える)
 わたしは感心しながら、女装した進を抱いて眠った。

 こうして、わたしが原田進、進が原田志穂として暮らす逆転夫婦生活がスタートした。