第6章 説得

 わたしたちが暮らすことになる宿舎は、4階建てのマンションと呼ばれる建物で、GMIJの出資会社が所有していて、そこから借り入れているということだった。わたしたちの部屋は、403号室。手前から二番目の階段を上がって最上階にあった。
 「こんにちは。お見かけしないけど、新しく来た人ですか?」
 階段を上っていると、前の部屋から40前くらいの女性が出てきてわたしに挨拶した。
 「こんにちは。初めまして。403号室に引っ越してきた原田です。よろしくお願いいたします」
 「ああ、昨日荷物を運び込んでいたわね。戸村です。よろしくね」
 「戸村さんですね。こちらこそよろしくお願いいたします」
 「原田さんは、独身ですか?」
 「あ、いえ。先月結婚したばかりのほやほやです」
 「まあ、そうなの。それは残念だわ」
 戸村さんは冗談とも本気とも取れる口調で言った。
 「は、はあ・・・・」
 「それじゃあ、また」
 戸村という奥さんは、軽く会釈をして階段を下りていった。先月結婚したというのは当然嘘で、この宿舎に入るために虚偽の申告をしていたから、そう答えたのだ。
 (進がやってきたら、入籍だけしよう)
 計画を遂行するためには必要なことだ。

 玄関の鍵を開けて部屋の中に入る。
 「わあ、広い・・・・」
 これまで暮らしていた部屋よりはるかに広かった。運び込まれた家具類は、きちんと設置されていた。
 (部屋の間取りをファックスで送ってもらって、それに合わせて家具の置き場所を設定しておいたからね)
 キッチンの床に置かれた食器類、ベッドルームに置かれた衣類、バスルームに置かれたサニタリーなどは自分で整頓しなければならない。
 (さあ、片付けよう)
 上着を脱いでネクタイを外して、片端から片付け始めた。
 (わたしの下着、進の下着。わたしの普段着、進の普段着・・・・)
 もちろん、わたしのものは男物で、進のものは女物がそろえてある。
 「次はキッチンだ・・・・」
 夜遅くまでかかったけれど、その日一日で片付けがすんだ。
 (さあ、あとは進を呼ぶだけだけど・・・・)

 午後10時過ぎ、わたしは進の携帯に電話した。
 「進、わたし。どうしてる?」
 《やめたいって言ったら、ぶつぶつ言われたよ》
 「そうでしょうね。いつ、こっちに来られる?」
 《ぼくの与えられた仕事を引き継いでもらわないといけないらしいんだ。来週の半ばくらいになりそうだよ》
 (来週の半ばならちょうどいい)
 わたしはほくそえむ。あまり早く来られては困るのだ。
 「来週の半ばね。金曜日の午後には来られるかしら?」
 《金曜日? 金曜日なら大丈夫だと思うけど。どうして?》
 「新入社員の歓迎パーティーがあるのよ。絶対来るのよ」
 《歓迎パーティー? そんなのがあるの?》
 「そうなのよ。これに出席しないと、雇ってもらえないわよ」
 歓迎パーティーに欠席したからといって、雇ってもらえないことなんてない。ただ、出席してもらわなければ、計画がオジャンになるのだ。是が非でも出席して貰わなければ困るのだ。
 《わ、わかったよ。じゃあ、早速飛行機の切符を手配しなくちゃ》
 「ああ、それなら大丈夫よ。金曜の8時半の便を押さえてあるから」
 《よかった。気が利くね》
 「乗り継ぎを間違えなければ、午後2時にはこっちに着けると思うわ」
 《空港から遠いの?》
 「結構あるわね」
 《どう行ったらいい?》
 「電話じゃ説明しにくいわね。あとでメールで地図を送るわ。乗り継ぎも書いておくから。いいわね」
 《うん、わかったよ》
 「進?」
 《なに?》
 「愛してるわ」
 《ぼくもだよ》
 ちょっとはにかんだような言葉が返ってきた。
 「じゃあ、おやすみ」
 《おやすみ》
 進のことを思うと胸が熱くなる。無断で進を女にしてしまおうとしている自分に嫌悪感を覚えることもあるけど、進はきっと赦してくれると勝手に思っている。いえ、喜んでわたしのために女になってくれる。そう信じている。

 所長に手渡された書類にみっちり目を通して、月曜日から原田進として働き始めた。
 「原田君、彼女、いるの?」
 何度となくそう聞かれた。
 「いますよ。新婚ほやほやです」
 そう答えると、同僚となった女性たちは、あからさまにがっかりしたような顔をした。
 (進がこのことを聞いたらやきもちを焼くかしら?)
 心の中でちょっとにやりと笑う。わたしは、完全に原田進として、男性として認知されていた。

 金曜日。新入社員歓迎パーティーがある日。わたしは出勤すると所長室を訪れた。
 「所長、働き始めたばかりで申し訳ないのですが、今日の午後は年休をいただいてもよろしいでしょうか?」
 「かまわんが、何か急な用事でもあるのかね?」
 「今日の午後、妻が宿舎へやってくるものですから、迎えてやりたいんです」
 「そりゃ、やさしいことで」
 所長はにやりと笑う。
 「今晩のパーティーのことを詳しく話してないものですから、ちょっと打ち合わせをしておこうと思ってですね」
 「そうか。せいぜい嗜好を凝らしてくれ。新入社員がどんな扮装をするか楽しみだからね」
 「はい。それでは、失礼させていただきます」
 わたしは、同僚たちにも断りを言って、昼食を済ませると、宿舎へ戻った。

 宿舎に戻って、わたしは久しぶりに女の格好に戻った。進がやってきたとき、男の格好をしていてはまずいからだ。化粧をしてセミロングのウイッグをつけ、普段着のワンピースを着た。女の服は、居心地が悪い。

 午後2時を少し回ったころ、宿舎の前にタクシーが停まる音がした。窓から覗いて見ると、大きなかばんを抱えた進だった。窓から見渡してみたけれど、進の到着に気づいた住人はいないようだ。
 (よしよし。うまくいきそうだ)
 進は手にしたメモを見ながら、わたしのいる部屋の方を見上げてから、階段を上り始めた。
 しばらくして、ドアがノックされた。
 「ちょっと待って、すぐ開けるから」
 ドアを開けると、やっとたどり着いたという安堵の表情を浮かべた進が立っていた。
 「予定通りね」
 「ああ、地図が完璧だったからね」
 「入って」
 進は、部屋の中を見回す。
 「広くていい部屋だね」
 「そうでしょう?」
 「こんな部屋を貸してくれる企業だから、いい企業だろうね」
 「あなたの言う通りよ」
 「ああ、疲れた。なんか飲むものない?」
 「コーラでいい?」
 「なんでもいいよ」
 わたしは冷蔵庫からコーラを取り出して、コップに注いでから進の前に置いた。進は一気に飲み干した。
 「ああ、おいしい」
 「荷物、これだけ?」
 わたしは進が持ってきたかばんを開いてみた。2、3冊の本と、洗濯され畳まれた下着類と、二日分程度の洗濯物が入っていた。
 「本と普段着の入ったダンボールが明日くらいに宅急便で着くだろうけど、取り敢えずはそれだけだよ」
 「すぐに洗濯するわ」
 「ぼくの服とかは、あるんだろう?」
 「もちろん用意してあるわよ」
 (どんな服を用意してあるか知ったらビックリするだろうな)
 そう思いながら、わたしは洗濯物を洗濯機に放り込んだ。
 「ねえ、志穂?」
 「なに?」
 「今日の歓迎パーティーは、何時からあるの?」
 「午後6時からよ」
 「まだだいぶあるね。朝早かったから、眠いんだ。ちょっと一眠りしようかな?」
 そう言いながら、進むはすでにソファーの上に横になっている。
 「そんな時間はないわよ」
 わたしの言葉に驚いたような顔をして、ソファーに座りなおして尋ねた。
 「え、どうして? 午後6時までには、まだ3時間以上もあるよ」
 「今から準備しないと間に合わないわ」
 「どうしてだよ。会社はここから遠いの?」
 「タクシーで10分くらいだよ」
 「じゃあ、どうして? ぼくはこの通りスーツだから、ここままでいいだろう?」
 「その格好じゃだめなの」
 「はあ?」
 「これを見て」
 わたしは、進に歓迎パーティーのチラシを手渡した。進はチラシにさっと目を通した。
 「家族ぐるみ参加?」
 「ええ。小さなベンチャー企業だから、パーティーなんかは、家族ぐるみ参加って言うことになってるのよ」
 「わかった、志穂も行くんだね。だけど、君は化粧に時間をかけない方だし、服を着替えるのにそんなに時間はかからないんじゃないのかい?」
 「普通はそうなんだけど、今回はそうはいかないのよ。その下の行を読んでみて」
 進はチラシに目を落とす。
 「なんだよ。この仮装パーティーってやつは?」
 「読んで字の如し。パーティー参加者は、何らかの仮装をして参加しなければならないのよ」
 「へえ、変な会社だね」
 呆れたような表情に変わった。
 「家族で参加も仮装で参加も、親睦をはかる意味なのよ」
 「なるほどねえ。じゃあ、ぼくたちも仮装するってわけだね」
 「そういうこと」
 「どういう仮装をするの?」
 「ちょっと待って」
 わたしは、寝室に衣装を取りに行って、両手に衣装を抱えてリビングに戻った。
 「これよ」
 「なんだよ、それは?」
 「セーラームーンに、タキシード仮面さん」
 「タキシードの方はともかく、セーラームーンは派手だね」
 進の言うとおりだ。タキシードは黒だが、セーラームーンの衣装は、緑を基調として金銀をあしらったミニのものだった。
 「そうかしら?」
 「そんなの、志穂が着ても似合わないよ」
 (そんな意見は言われなくたって、わかってるわ)
 と心の中では思っていたけれど、顔には出さずに会話を続けた。
 「そりゃ似合わないでしょうね」
 「じゃあ、どうしてそんな衣装を選んだのさ」
 「わたしが着るんじゃないのよ」
 「はあ? どう言うこと?」
 「わたしが着るんじゃなかったら、着る人はここには一人しかいないでしょう?」
 進は、唖然として口をあけた。
 「ま、まさか、ぼくに着せようって言うんじゃないだろうね」
 「その通りよ」
 わたしはあっけらかんとして進に告げた。
 「いやだよ。女装なんてとんでもない。まして、そんな派手派手衣装なんて着られないよ」
 「ほかの衣装は準備していないから、着て貰わないといけないのよ」
 「ぼくが着るくらいなら、志穂が着た方がいいよ。志穂は女なんだから」
 「そう言うけど、考えてもみて。わたしの方があなたより背が高いのよ。体格だってずいぶん違う。わたしがセーラームーンになって、あなたがタキシード仮面をやったら、滑稽なだけよ」
 進は、目を伏せた。わたしの言っていることが図星だからだ。
 「わたしがタキシード仮面をやるから、あなたはセーラームーンをやって」
 「いやだよ」
 「そう言わないでやろうよ。絶対インパクトがあるから。仮装で目立って、しかも男女が入れ替わってるって言ったら、これは拍手喝采ものよ」
 「・・・・恥ずかしいよ」
 声が小さくなってきた。これはもうすぐ落ちる。わたしには絶対の確信があった。
 「恥ずかしがることなんてないわよ。情報によれば、ほかにも男女入れ替えを計画している人がいるらしいから」
 「ほんと?」
 「お隣の奥さんが結構情報通でね。誰がどんな仮装をやろうとしているか、どこからか仕入れていて知ってるのよ」
 「ぼくたちだけじゃないんだね」
 「そうよ」
 「・・・・仕方ないな」
 乗り気じゃなさそうだけど、やると言ってくれた。
 「やってくれるのね」
 「・・・・ああ」
 「嬉しい! じゃあ、早速準備にかかりましょう」
 進の気が変わらないうちに、事を進めることにする。
 「何からやるの?」
 「髪の毛からいきましょうか?」
 「髪の毛? どうするんだよ?」
 「女の子風にカットするの」
 「そんなことしたら、来週から会社にいけなくなっちゃうじゃないか」
 「パーティーが終わったら、うんと短くカットすればいいわ」
 「あ、そうか。わかったよ」
 この日のために、進に髪を切らせないでいたのだ。
 「整髪料を落としたいから、さっとシャンプーしてリンスしてきて」
 「はいはい」
 進は立ち上がって、バスルームへと消えていった。
 (うまく説得できたわ。ふふふ。進の本格的女装。楽しみだわ)