第5章 就職

 「志穂、どうだった?」
 卒業式を目前にしたある日、進がわたしに聞いてきた。勿論就職が決まったかどうかという質問だ。
 「だめだった」
 わたしは肩を落とす。
 「ぼくより成績がよかったのに、就職口がないなんて」
 「ちょっといいとこ、狙いすぎたかなあ・・・・」
 「どうする?」
 「ともかく国家試験を受けて、薬剤師免許さえ取れば、何とかなるでしょう」
 「そうだね」
 「進は、福岡のあの会社にするんでしょう?」
 「薬局に毛が生えたくらいだからなあ・・・・」
 ちょっと肩を落として溜息をついた。
 「贅沢言わないの! 東京はだめだったけど、就職口があるだけでも喜ばなくちゃ」
 「ああ。でも、志穂。志穂に就職口がなかったら、どうする?」
 「主婦をするわ。あなたに食わせてもらう」
 「・・・・そうか」
 「女は逃げ道があっていいでしょう?」
 「ぼくも女に生まれてくればよかったよ」
 「そう? じゃあ、入れ替わってみる?」
 冗談のように言ったけれど、わたしの本心は本気だ。
 「食わせてもらうのも悪くないなあ」
 進も本気のようにそう呟いた。
 「わたしが就職できて、進の就職口がなかったら、そうなっていたかもしれないわね」
 「あ、ま、そういうことかな?」

 卒業式が終わると、進は研修という目的で、就職する予定の会社で働き始めた。
 《研修なんて明目だけだよ。実際は正社員と同じことをやらされているよ》
 電話で、わたしにそう連絡してきた。
 「就職口がないよりましでしょう?」
 《そりゃそうだけど・・・・。志穂、まだこっちには来ないのか?》
 「わたしがいないと寂しい?」
 《もちろんだよ。早く来てほしいよ》
 「また送別会が入っちゃって。もう少し待って」
 《わかったよ》
 ほんとに寂しそうな進の声。可哀想だけど、わたしの計画遂行のためにちょっと我慢してもらうことにしていた。
 わたしの計画は、まだ動いていた。計画がほんとに動くか動かないかは、もうすぐ決まる。もし、だめなら、計画をあきらめて、わたしは主婦をせざるを得ない。主婦をしながら次の計画を練るしか。

 「来た! ・・・・やった!!」
 わたしは、配達されたばかりの封書の中身を確認して握り締めた。
 「これで計画が動き出すわ」
 封書は、東京にあるバイオ関係のベンチャー企業からのもので、アメリカのベンチャー企業と提携していた。
 「うまくいけば、アメリカに渡ることもできるわ」
 わたしはほくそえんだ。

 早速進に電話した。
 「もしもし、わたし」
 《ああ、志穂。待ってたよ。そろそろこっちへ来るんだろう?》
 「そっちへは行けないわ」
 《来られない?》
 ちょっとビックリした声が戻ってきた。
 「ええ」
 《どうしてだよ》
 「東京へ行ってくるの」
 《東京へ? 何の用事だよ》
 「実はね。東京にいい就職口が見つかったの」
 《ええっ!? 東京に就職するつもりなの?》
 その声は驚きを通り越していた。
 「ま、そのつもりよ」
 《離れ離れになってしまうじゃないか》
 「離れ離れなんかにはならないわ。あなたにも東京へ行ってもらうから」
 《こっちを辞めろって言うのか?》
 「そう」
 《そんなの困るよ。もうかなりの仕事を任されているんだから》
 「正社員じゃないんでしょう?」
 《そりゃそうだけど・・・・》
 「東京の就職口は、わたしのものじゃないの。あなたのものなのよ」
 《ええっ!?ぼくの?》
 「そうよ」
 《東京方面の会社は全部だめだったはずだよ》
 「わたしが別にエントリーしてたの」
 《どういうこと?》
 「先月、就職口がなくって探したでしょう?」
 《あ、ああ》
 「インターネットで就職試験をしているところがあってね」
 《インターネットで?》
 「ええ。それで、その試験を受けてみたんだ」
 《そしたら受かっちゃった》
 「違うの落ちちゃったの」
 《じゃあ、どうしてだよ》
 「わたしの名前でエントリーした分が落ちたの」
 《はあ、それで?》
 「簡単だったのに落ちたから悔しくて、もう一度エントリーしたのよ」
 《ふんふん》
 「そしたら、同じ名前じゃ受け付けてくれなくて」
 《てことは、ぼくの名前を使った》
 「ぴんぽん。そしたら、受かっちゃったの」
 《なるほどねえ》
 「二度受けたとなると違反だから、わたしだとは言い出せないのよね」
 《ふうん》
 「だから、進が試験を受けたことにして、進が就職することにしたの」
 《でもねえ・・・・》
 「給料がいいのよ。そこの20パーセントは多いわ。フレックスだし」
 《ほんと?・・・・》
 「それに社宅までついてるのよ。東京で家賃を払うことを思えば、給料をもっと多くもらってるようなものでしょう?」
 《そりゃいいね。で、どんな会社?》
 「バイオ関係のベンチャーなの」
 《うってつけだね》
 「それで、いいわね」
 《いいけど、こっちは急には辞めさせてくれないだろうね》
 「わたしが先に行って、準備しておくから。あなたは断りを言って、迷惑がかからないようにしてきて。いいわね」
 《わかったよ》
 「ビタミン剤飲んでるわね」
 《飲んでるよ。毎日朝晩欠かさずにね》
 「じゃあ、向こうが落ち着いたら、連絡するから」
 《わかった。待ってるよ》
 電話を切ってわたしはにやりと笑みをこぼした。
 (第2段階突破だわ)

 わたしは3年余り暮らしたアパートの片づけを始めた。いらないものはすべてごみに出し、必要なものだけを梱包して、指定された社宅へと送った。
 すべてを終えてから、わたしは出かけるための着替えを始めた。
 「ふう、これが暑いんだよね」
 わたしは、被っていたセミロングのウイッグを剥ぎ取った。ウイッグの下からは、短く切りそろえた髪の毛が現れる。
 クレンジングクリームで化粧を落として、男性用の整髪料で髪を整えると、わたしの顔は精悍な面構えの男の顔になった。
 「よしよし」
 着ていた服をすべて脱ぎ捨て全裸になり鏡に映してみた。肩幅が広くて、腰の狭い、寸胴のとても女には見えないわたしの姿が映っていた。
 「ぜんぜん女らしくない。おっぱいがなかったら、完全に男ね。こんなわたしを好きだといってくれるんだから、進も変わった男ね」
 まず真っ白なサポータをはいた。これには、股間の部分にペニスに擬したものが縫い付けてある。生ゴム製のもので、ちょっと触ったくらいなら本物のペニスと間違われるくらいのものだ。サポータの上にトランクスをはくと下半身は男に見える。
 次に、小さいながら膨らんでいる胸を隠す。肋骨骨折などの治療に使う薄手のバストバンドで胸を締めると、そんなに大きくはない胸はほぼまっ平らになった。その上から真っ白なTシャツを着た。
 (これだけで、わたしはもはや男に見えるわ)
 ワイシャツを着て、靴下、ズボンをはき、ネクタイを締めて上着を着ると、わたしはどこから見ても、普通の若い男に見える。
 (完璧だわ)
 着ていた女物の服、ウイッグなどをスーツケースに詰めてから、男物の黒いシュ−ズを履いて、スーツケースを片手にアパートを出た。

 大またでバス停に向かって歩いていった。誰も振り返らない。誰もわたしが女だとは気づかない。
 振り返るものがいた。若い女だ。
 (かっこいい)
 そう呟いているのが聞こえた。
 (知ってる人に会わないように早く行かなくちゃ)
 空港行きのバスに乗り込んで、バスの外をずっと眺めていた。
 (うまくことが運んでよ)
 ずっと祈っていた。

 「予約していた原田進です」
 男性ホルモンのせいか、最近は少し声を落とすだけで、男の声に聞こえた。
 「いらっしゃいませ。原田進様でございますね。東京行きは、3番ゲートからのご出発です。手荷物検査をお受けになって、待合室でお待ちください」
 「ありがとう」
 グランドスチュワーデスも、わたしのことを男だと思って疑っていないようだ。若いハンサムな男に向ける独特な視線をわたしに向けてきた。わたしも、若い男が若い女に対して見せる態度を取った。

 男は楽だ。膝を合わせる必要もないから、大股を広げたまま座ることができる。化粧がてかっていないかとか、口紅が落ちていないかとか、まったく気にしなくてもいい。
 飛行機の中で、わたしは口を開けて鼾を掻いて眠っていた。

 東京に着いてからも、わたしが女だと疑っている人はまったくいなかった。
 (わたしって、大したもんだわ)
 自信を持っているせいもあるかもしれない。

 モノレールから電車を乗り継いで目的地へと向かった。目的地は、GMIJ(グローバル・メディカル・インスチチュート・ジャパン)。原田進の就職先だ。
 GMIJは東京といっても、千葉に近い場所にある。都会のど真ん中に、こんな広い土地がるのかと思うような場所に立っていた。
 あまり広くない玄関を抜けると、30くらいの女性が机の上に置かれたモニターに見入っていた。
 「あのう、すみません」
 「なんでしょう?」
 「来週からここで働くことになっている原田進です。挨拶に参りました」
 「ああ、原田さんですね。所長から聞いています。先ほどからお待ちです。どうぞ、そこのドアから奥へ入ってください。突き当たりが所長室です」
 「ありがとうございます」
 長い廊下の左側はガラス張りになっていて、白衣を着た男女が動き回っていた。わたしは突き当たりの部屋のドアをノックした。
 「どうぞ。開いてるよ」
 「失礼します」
 中に入ると、少し長めの髪に白いものがちらほら見える40半ばくらいの、かっこいい男が目を上げた。
 「来週から、ここで働かせていただく原田進です」
 「やあ、よく来たね。君のような優秀な人材を確保できてうれしいよ」
 そう言いながら立ち上がって、握手を求めてきた。わたしは握手しながら頭を下げた。
 「光栄です」
 「フレックスにはなっているが、月曜日は午前8時40分にここへ来てもらっていいかな? みんなに紹介したいから」
 「かしこまりました」
 「これは君の来週からの業務内容を書いたものだ。よく読んでおいてくれたまえ」
 「わかりました」
 「ところで、引越しはもうすんだかね?」
 「業者のお任せパックを利用しましたから、もう宿舎に運び込まれているはずです」
 「じゃあ、宿舎の方はまだ見ていないんだね」
 「はい。これから行ってみようと思っています」
 「そうか。うるさがたの奥さん連中がいるが、みんないい人たちばかりだから、仲良くしてやってくれ」
 気さくにわたしの肩をポンと叩いた。所長もいい人のようだ。
 「はい」
 「じゃあ、今日はもういいよ。月曜日に会おう」
 「お邪魔いたしました」
 わたしは手渡された書類を手にして所長室を出た。
 (思った以上に感じがいいわ。働きやすそう)
 「失礼しました。月曜日から伺います」
 「待ってるわ」
 受付嬢らしい女性が笑顔を向けてくれた。わたしは玄関を出ると、両手を大きく広げて背伸びをした。
 (さあ、頑張るぞ!)

 進に電話で話したインターネットを使って就職口を見つけたというのは真っ赤な嘘だ。実は、わたしは今日と同じ男の格好で、今挨拶してきた会社、GMIJの就職試験を受けたのだ。
 就職試験は、進に話したような簡単な試験じゃなくて、かなり高度な問題が出されたけれど、わたしはすいすいと解いてしまい合格となった。わたしの実力がずば抜けていいと言うわけではない。この会社に絞って、業務内容を徹底的に調査した上で受験したからだ。
 わたしは最初から男として、この会社に就職するつもりだった。男の格好をするために、長かった髪の毛をばっさりと切り、進にばれないように同じ色で同じ長さのウイッグを被って誤魔化してきたのだ。
 つまり、就職するのは、原田進を名乗るわたしで、ほんとの進じゃない。進を呼び寄せてどうするか? わたしが進になるのだから、進にはわたしを演じて貰う。そのためには、進に女装を強いなければならないのだが、それほど簡単にはいかないと思っていた。
 ところが、GMIJから貰った書類の中に、まるでそのためにと思われるような一枚を見つけたのだ。

 『来週金曜日午後6時、新入社員歓迎パーティー開催。場所は下記の地図を参照のこと。参加者は、ご家族同伴で何らかの仮装をすること。優秀と判定された仮装には、商品が出ます』

 「神様、わたし、神様なんて信じていなかったけれど、結構気が利くじゃない」
 わたしは仮装パーティーの案内状を何度も何度も読み返した。