しばらくの間椅子にもたれて茫然としていた。優秀だとは言え、名もない地方大学出身の早野女史が教授に可愛がられている理由が今わかった。
「体を使ってるのか・・・・」
医学の世界は未だに封建制度社会だ。教授を頂点としたピラミッド構造をなしている。そんな中で学位を取り出世するためには教授に気に入られる必要がある。教授に与えられたテーマに従って一生懸命研究をこなす。得られた研究成果はその教授の手柄になる。研究する人間にはご褒美として学位が与えられる。
博士号は、他の分野では大変貴重だが、医学の世界ではあって当然、なかったら落ちこぼれだ。学位を得ても上のものはみんな学位を持っているわけだから、それだけでは出世できない。ここでも教授の影響が出てくる。
男はまるで奴隷のように教授に奉仕しなければならないのだが、女の場合はその気になれば・・・・。
イヤなことを知った。
時計を見た。午後11時だ。
「三雲に怒られる・・・・。あ、今日は当直に行っているんだっけ」
ホッと胸を撫で下ろした。ログアウトして、自分の研究室に戻った。データの解析は終わっていた。
「誰と比較しようか? 早野女史のデータはもう見たくないけど・・・・」
女性の被検者のデータと比較するのがいいとは思ったが、早野女史のものしかデータがない。仕方がないので、早野女史のデータと比較することにした。
森田早百合と早野女史のデータを比較してみた。森田早百合には、予想されたように欠落部分があった。
「ここが人格部分と記憶の部分だ。記憶の部分はわかっているから、これを除去すると・・・・」
モニターを見ていてボクは愕然となった。人格部分があまりに少なすぎるのだ。と言うか、誤差範囲の中に埋もれてしまうほどなのだ。
「おかしいなあ・・・・」
男の被検者のデータとも比べてみた。結果は同じだった。
「考えられる結論はふたつだ。人格部分が今のやり方では同定できないか、あるいは記憶部分に隠れているかだ。・・・・どうしようもないなあ」
時計は午前2時前を指していた。これ以上はだめだ。ボクは諦めて寝ることにした。帰っても寝る時間は3時間しかない。そのまま研究室の隅に置いてあるソファーの上で寝た。
「島岡先生、朝ですよ」
井原の声に目を開ける。ブラインドの隙間から朝の光が差していた。時計は午前7時40分を指していた。
「あああ」
ボクはひとつ大きなあくびをして立ち上がった。
「何時までやってたんですか?」
「あ、何時だったっけ? 2時くらいだったかな?」
「2時! 頑張りましたね。で、うまくいきました?」
井原はボクが記憶部分の解析を早野女史から頼まれていることを知っている。うまくいったことを井原に言えば、早野、教授の順に伝わるだろう。しかし、教授と早野女史との関係を知った今、すぐに報告する気分にはなれなかった。
「なかなか手強いよ」
「そうでしょう? で、先生、こっちの分析の方はどうなんですか?」
「こっちも行き詰まってるよ。人格部分が出てこないんだ。見てみるか?」
「はい」
ボクは井原に森田早百合のデータ解析の結果を見せて説明した。
「これまで順調でしたけど、やっぱり簡単にはいかせてもらえないようですね」
「その通りだよ。井原先生、何かいいアイデアはないかな?」
「アイデアですか? そうですね・・・・。思いつきませんね」
「ボクも考えてみるけど、何か考えておいてくれよ」
「ボクなんかにいいアイデアが思いつきますかね?」
「3人集まれば文殊の知恵って言うだろう? ボクの思いつかないことを思いつくかもしれないだろう?」
「そうですね。考えておきます。あ、そうそう。コーヒー、沸いてますよ」
「ありがとう。すぐに行くよ」
ボクは、ロッカーに常時おいてある当直セットを取り出して歯を磨いたあと、医局へと向かった。
午前中、患者の診察をしているとき、あのボランティアに出会った。記憶部分をロードしておかしくなった、あのボランティアだ。かなり落ち着いてきているのだが、いろいろとインタビューしていると、彼の病態についてある結論が得られた。妄想とか幻覚があるのではなく、ボクたちがロードした記憶によって別の人格が彼の中に生まれて混乱しているだけではないかと思われた。と言うことは、記憶部分に人格部分が含まれている可能性が高いと言うことだ。
午後の作業療法の時間、ボクは後輩たちに任せて研究室へと向かった。
研究室に顔を出すと、早野女史がボクが使っている部屋にやってきた。その表情はいつもと違ってちょっと小馬鹿にしたようなイヤなところが見えた。
「そうかあ。みどりちゃんのことを妬いていたんじゃないのね」
ボクはギョッとした。昨夜開発したやり方を隠しておくのを忘れていたのだ。早野女史はその方法を使ってボクのデータを見たのに違いない。つまり、ボクと三雲の関係を知られたと言うことだ。
「あなたにそんな趣味があったなんて信じられないわ」
間違いない・・・・。
「お互い、秘密の一つや二つはあるでしょう? 805号室は、先生のマンションじゃなかったですよね?」
ボクがそう答えると早野女史は唇を噛んだ。
「交換条件てわけね。いいわ。黙っててあげるわ」
「他の人間に見られないように、ボクたちのデータは消した方がいいでしょうね」
「そうね。それがお互いのためね」
ボクはハードの中からボクと早野女史のデータを完全に消去した。
「教授に記憶部分の整理の仕方がわかったってことは報告してもいいわね」
「それは構いませんよ」
しばらく秘密にしておきたかったけれど、早野女史に知られた以上は仕方がない。
知られたくない秘密を知られてしまった。迂闊だった。しかし、覆水盆に返らず。早野女史がボクの秘密を言いふらさないことを祈るだけだ。彼女にも秘密があるから大丈夫だとは思うが・・・・。
「もしもし、島岡です。森田早百合さんを研究室へお願いします」
《またですか?》
「もう一度やってみたいことがあるんです」
《すぐに連れて行きます》
森田早百合に記憶部分をロードしてみるつもりだった。記憶部分に人格部分があるかどうか確かめるためだ。もしそのことによって新たな人格が形成されたとしても、彼女には人格がないから、ふたつの人格が混乱を起こすことはないだろう。ただし、ロードした人間の人格が生まれることになるだろうけれど・・・・。
誰のものを使うか。女性のものを使った方がいいに決まっているが、唯一女性のものである早野女史のデータは消してしまった。それでは・・・・。
ボクは、ボクの部屋のコンピューターの中にあるデータを使おうとしていた。ボク自身のデータのバックアップだ。ボクの人格を持つ森田早百合が生まれるかもしれないのだ。どきどきしながら森田早百合の到着を待った。
15分ほどして研究室のドアが開いた。
「島岡先生、連れてきましたよ」
「ああ、お疲れさん。ベッドの上に寝かせて」
「はい」
相変わらず人形みたいな森田早百合を看護婦が寝かせた。
「今日も2時間くらい掛かるから、3時頃電話するよ」
「わかりました。じゃあ」
看護婦が出て行き、ボクは早速準備に掛かった。電極を取り付けて、ボクのデータのロードの準備をする。
「うまくいけよ」
スイッチを入れ、コマンドを入力した。ボクの使っているコンピューターは早野女史が使っている最新型とは違うので時間が掛かる。予定では20分ほどかかるはずだ。じっと待った。
20分後、プロンプトが戻ってきた。ゴクリと唾を飲み込み、森田早百合に近づいた。
「もしもし。早百合さん?」
反応はない。
「もしもし?」
森田早百合の頬を軽く叩いてみた。やはりまったく反応しない。
「だめか。記憶部分には人格部分はないと言うことだろうな。と言うことは、面倒なことになったぞ」
結論として、今の手法では人格部分を同定できないと言うことになるのだ。
「参ったな」
苛ついたボクは、リターンキーをパシャパシャと何回か押した。すると後ろの方で何やら物音がした。振り返ってみたが何も起こった気配はなかった。首をひねりながら、もう一度リターンキーを押してみた。ボクは目を見開いた。森田早百合の両手が動いたのだ。
椅子から立ち上がってもう一度森田早百合のそばに行ってみた。森田早百合の目の前に手をかざしてみた。反応はない。
「もしもし、森田さん?」
眠れる森の美女は目を覚まさない。
「と言うことは・・・・」
ボクはコンピューターの前に戻って、コマンドを入力した。右手を挙げろと命令すると森田早百合の右手が動いた。左手を動かせと命令すると左手が動いた。足も動かせた。笑顔を作ることもできた。しかし、それだけだった。
「有線リモコンみたいなものだな。無線にすると、世話がしやすくなるんじゃないかな?」
森田早百合の中に人格を作ろうとして失敗したけれど副産物ができた。ボクは早速取り掛かった。
まず、今装着している電極がすべて必要かどうかだ。一対ずつ外してみては森田早百合に反応があるかどうか確かめていった。
最終的に8対の電極があれば、森田早百合を操ることができることがわかった。
「受信機を作ってポケットの中にでも入れればいいな」
その日から、人格を探す仕事はそっちのけでリモコン装置を作った。
数日後、教授に呼び出された。
「その後、どうなっているかね?」
「難しいですね」
手を付けていないなんてことは口が裂けても言えなかった。
「そうだろうね。ところで、人間の記憶をハードディスクに取り出せたと言うことだけでも大発明だ」
「はい、ありがとうございます」
「でだな。君には悪いが、今回のこの発明は、早野君の学位申請に使おうと思っている。君の学位申請の分は、役に立つ部分を分離できたときに申請しようと思うがいいかね?」
いいも悪いもない。返事はひとつしかないのだ。
「はい。結構です」
「この発明を国際学会に発表しようと思っている。来週から2週間ほどいないから、留守番をよろしく頼むよ」
「はい」
留守番はボクの役割じゃないとは思ったけれど、言葉の綾だろうと思って返事をしたのだった。
役に立つ部分だけ分離するなんてことは当分出来そうもない。ボクの学位はお預けになりそうだなと思いながら教授室を出た。
教授は早野女史を伴ってドイツへと旅立っていった。向こうではふたりでやりたい放題だろうなと思った。
この頃、リモコンの試作品ができあがった。20本入りのたばこの箱くらいの大きさで電線が16本出ている。早速森田早百合を研究室へ連れてきて貰った。
「少しは治療になる方法が見つかったんですか?」
嫌みたらしく言われた。
「14年掛かって何もできていないんだよ。そう簡単にいかないよ」
「それもそうですね。少しでも治療できるように頑張ってくださいね」
「了解だよ。じゃあ、いつものように3時に迎えに来てね」
「はい」
看護婦が出て行くと、ワクワクしながら森田早百合の頭に電極を取り付けた。
「さて、うまくいきますように」
ボクは、ノートパソコンのキーボードからコマンドを打った。ノートにしたのは、研究室から外に出ることを想定したからだ。
コマンドを打つと、森田早百合は起きあがり、手を動かした。錐体外路系はしっかりしているようで、歩けと命令しただけで転倒することなくきちんと歩かせることができた。
。「・・・・しかし、電極がついたままじゃあ邪魔だなあ。何とかならないかな? それにノートパソコンを持って歩くのもなあ・・・・」
ボクは天才だ。すごいものを発明した。森田早百合の首にそれが装着されている。それは、丁度首輪のようなものだ。首輪にセンサーが8対組み入れられている。このセンサーが頭の回りに電界を作り、頭の中に命令を伝えるのだ。
キーボードのコマンドを打ち込むと森田早百合は命令通りに動き回った。
「次はコントローラーの方だ」
ボクが考えているのは、同じような首輪を作って、ボクの脳波を電波に変換し、考えただけで森田早百合をコントロールしようというものだ。ボクには絶対うまくいくという自信があった。
それは驚くほど簡単に仕上がった。ボクは同じような首輪を装着して、森田早百合に歩けと命令した。森田早百合は、すたすたと部屋の中を歩き回った。ボクの方を向いて笑えと頭の中で命じると、ボクに向かってニッコリと微笑んだ。その笑顔は最高の笑顔だった。
しかし問題は、ボクが命令を下さないと元の人形に戻ってしまうことだ。
「いちいち連れてまわるよりは便利になるよな」
看護婦に渡そうと思ったけれど、これもかなりの大発明だ。教授が帰ってきたら説明して早野女史と一緒に学位申請して貰うことにした。