第5章 最初の研究成果

 スパコンが導入されてから30人あまりのボランティアからデータを収集して分析に分析を重ねたけれど、これと言った収穫は得られなかった。ボクと早野女史は教授と検討を重ねた。
 「我々は分析のやり方を誤ったようだな」
 片岡教授がデータを見ながら吐き出すようにして言った。
 「多数のデータを集めて、共通部分を探し出すという手法そのものに問題があるのだろう」
 「それではどうしましょうか?」
 早野女史が尋ねる。
 「新たな記憶を与えて、たとえば本を読ませるとかビデオを見せるとかしてだな、その前後で脳波を採取して比較するのだ。そうすれば、新たな記憶がどこに記録されたかわかるだろう」
 「なるほど」
 「知識が記憶される部位が特定できれば、そこに蓄えられた記憶を取り出すのはそう難しいことではないだろう?」
 教授がボクを見た。
 「は、はい」
 はっきり答えなかったのは、言うほど簡単ではないと言うことがボクにはわかっていたからだ。
 「人格をコンピューターで作り出すというわたしの研究の終点はまだまだ先だが、脳の中から記憶を取り出すことができれば、それだけでも大発明になるだろう」
 「そうですね」
 「他人の知識を取り出すことができれば、それを移植することによって勉強しなくとも一夜で知識人になれるのだ。これはすごいぞ」
 難しいけれど、何とかなりそうな気がしていた。
 「それでは、明日からはこの手法で分析を頼んだぞ」
 「はい」
 研究の方向性ががらりと変わることはよくあることだ。

 そう言うわけでボクと早野女史は、新たな被検者を募って安静時の脳波を録り、その後に彼が見たことのないビデオ、今回は三雲から借りてきた胃癌の手術のビデオを見せながら脳波を録ることにした。安静時の脳波を反転して、サブトラクションの手法でビデオ鑑賞中の脳波に重ねることでビデオ鑑賞による脳波の変化を捕らえようというのだ。

 ボクはモニターを一心に見つめている。モニターには、被検者から得られたデータがグラフィカルに描かれている。
 「島岡先生、前のデータを反転して重ねて」
 「了解」
 ボクはキーボードにいくつかコマンドを入力した。すると、モニター上のグラフの大部分が消えていくつかのグラフだけが残った。
 「これが記憶された部分ね」
 「少し純化しないといけないでしょうけど、まずこの部分で間違いないでしょう」
 ボクは大きく頷いた。
 「やったわね」
 嬉しそうに早野女史がボクの肩を叩いた。
 「早速教授に報告しましょう」
 「早野先生、その前にフィードバックしてみましょう。そうしたら完璧ですから」
 この脳波の変化を他の被検者に流して、ビデオを見たという経験が移植されれば、大成功と言うことになる。
 「あ、そうね。そうしましょうか」
 「誰を使いましょうか?」
 「あなたがやったら?」
 そう言うと思った。
 「ボクはだめですよ。同じビデオを見てるんですから」
 「あ、そうか。じゃあ、誰にする?」
 「みどりちゃんに頼もうか? 彼女はあのビデオを見ていないから」
 「みどりちゃんかあ。うんて言うかしら?」
 「そこは早野先生が説得してくださいよ」
 「わたしが?」
 「先生じゃないと説得できませんよ。ボクじゃあ、絶対だめだし」
 説得できないと言う理由はない。ただ、最近は女性と話をするのが億劫なだけだ。
 「そうか。仕方ないな」
 早野女史は麻生みどりを説得するために部屋を出て行った。ボクはちょっとワクワクしながら早野女史の帰りを待った。

 「連れてきたわよ」
 早野女史が麻生みどりを連れて実験室へ戻ってきた。麻生みどりは、ちょっと不安げな表情をしている。
 「大丈夫なの?」
 「やってみないとわからないよ」
 ボクがそう言うと、麻生みどりは尻込みをした。早野女史はよけいなことを言ってとばかりにボクを睨んだ。
 「大丈夫よ。さっき言ったでしょう? 30分ばかりのビデオの映像が移植できるかどうか試すだけだから」
 「ホントに大丈夫?」
 「大丈夫だって」
 ほとんど無理矢理麻生みどりを実験台に寝かせると、早野女史はさっさと電極を取り付け始めた。
 「ホントに大丈夫?」
 「いい加減、覚悟しなさいよ。うまくいけば、あなたもこの実験の功労者になるんだから」
 「・・・・そんなの、どうでもいい。ホントに大丈夫?」
 「いいから、そこにジッと寝てなさい。島岡先生! スタートして!」
 ボクはキーボードにコマンドを入力した。
 「ひゃああっ!」
 麻生みどりは死にそうな悲鳴を上げた。しかし、そのすぐあと、口をぽかんと開けた。
 「どうしたの?」
 ちょっと不安そうに早野女史が尋ねた。
 「なに? これ? 血だらけよ。なに? なに? なに?? ・・・・あ、これ、手術のビデオなのね。わあ、気持ち悪い」
 ボクと早野女史は顔を見合わせた。
 「やった! 大成功!!」
 大喜びしているところに、様子を見に来たらしい教授が研究室のドアを開けた。ボクたちの喜ぶ姿を見て笑顔を見せた。
 「うまくいったようだな」
 「はい。大成功です」
 「記憶のすべてを取り出せそうか?」
 そう言われてボクたちの顔から喜びが消えた。
 「ちょっとわかりません」
 「可能性がない訳じゃないな」
 「はい。時間さえ掛ければ何とかなると思います」
 「よし。頑張って貰おう」
 「わかりました」
 教授と早野女史、ボクとで相談し、これまで蓄積してきたデータのうち、今回記憶の部位と特定された部位を中心に解析を進めることになった。

 解析は簡単にすんだ。と言っても一ヶ月かかったのだけれど。ボクたちは人間の記憶をコンピューターのハードディスクに取り出すことに成功した。・・・・と考えられた。
 ボクたちがハードディスクに取り出したものはある被検者の記憶そのものだと思われた。しかし、それを確かめる方法がないのだ。
 「どうしようか? 誰かボランティアを使ってフィードバックしてみようか?」
 「大丈夫ですかねえ?」
 「なにが?」
 「30分くらいのビデオの記憶なら、別の人間に移植してもあまり問題はないでしょうけど、今回取り出されたデータはあまりに膨大でしょう? スパコンのハードディスクの半分を占拠してるんですよ。別人の一生に近い記憶が流れ込んだとしたら、被検者がおかしくなりませんか? 別人の記憶と自分の記憶が混乱して人格が崩壊するかもしれませんよ」
 「そんなこと起こるかしら?」
 「断言はできませんが」
 そんな相談をしたのだけれど、教授命令でボランティアにフィードバックすることになった。

 ボクが懸念したとおりの結果になった。ボランティアは完全に自我が崩壊して閉鎖病棟送りになってしまったのだ。
 「このことは秘密だ。決して外部には漏らしてはならない」
 教授は、ボクたちを睨み付けた。
 「もし漏れれば、君たちも同罪だ」
 恐ろしい脅しだった。そんなことになれば、医者生命がなくなるどころか、この世に受け入れて貰えなくなる。教授に全責任があると思うのだけれど、そんなことを言える立場にない。医者の世界はそう言ったものなのだ。
 「すべてを移植するのは無理だな。となると、記憶を細かく分離して、必要な部分だけを移植するというのがいいだろう」
 そう言うことになって、得られたデータを細かく分析して学校で学ぶ知識とそのほかのものとを分離することになった。これは簡単にはいきそうもなかった。

 解析に四苦八苦しているとき、教授が部屋にやってきた。
 「島岡君?」
 「なんでしょう?」
 「この研究を始めるに当たって、わたしは人間の脳をコンピューターに例えたのを覚えているかね?」
 「はい。よく覚えていますけど」
 「人間の五感はコンピューターの入力装置だ。目や耳、鼻から入った情報が脳の特定の場所に記憶される。今回その場所らしい部位がほぼ特定された」
 「その通りです」
 「今、これから我々がやろうとしていることは、ハードディスクのデータ領域を細かく解析しているようなものだな」
 「は、はい、そうですね」
 「うまくデータを抜き出せれば、以前話したように画期的な大発明になる」
 ボクは大きく頷いた。
 「これはこれで重要な作業なのだが、君には平行して別の作業をやって欲しいのだよ」
 「別の作業をですか?」
 「そうだ。当初の目的である人格部分の同定をやって欲しいのだ」
 「・・・・人格部分の同定です・・・・か」
 教授は大きく頷いた。
 「以前にもわたしの仮説を説明したと思うが、人間の悩には生物としての基本的な部分があって、その上に人格の本能的な部分、さらにその上に個々の人格が載っていると考えている」
 ボクは教授の話にジッと耳を傾けた。
 「コンピューターで言えば、基本的な部分はOSで、その上にソフトが載っている。ソフトにも、表面上現れる部分と、裏で動くDLLファイルのようなものがある」
 「表面に現れる部分が個々の人格で、DLLファイルが本能部分に置き換えられるんでしたね」
 「そうだ。それに、記憶部分としてのハードディスクに相当する部分がある」
 「で、ボクにどうしろと?」
 「記憶部分が同定されているわけだが、もし、基本OSとDLLファイル部分だけしかない人間がいたとすれば、個々の人格の存在部位を同定できるのではないかね?」
 「そう言うことになりますね。でも、そう言う人間がいるんですか?」
 「いるじゃないか」
 そう言われて、ボクははたと気がついた。
 「もしかすると、森田早百合のことでしょうか?」
 「・・・・ああ、そうだ」
 「彼女を使ってもいいのですか?」
 「仕方ないな。世紀の大発見のためだ」
 「わかりました。やってみましょう」

 森田早百合は教授が持っている数少ない患者のひとりだ。カルテの記載によれば、彼女は昭和59年5月19日生まれの19才。5歳の時、浴室で溺れ脳死状態となった。脳死判定の際、成人の脳死判定基準は小児には適応できないとして一応の治療が続行された。一ヶ月後、彼女は自発呼吸を始め、レスピレーターから脱却した。
 彼女は、小児の脳死判定には成人の脳死判定基準は当てはまらないことが改めて確認された貴重な症例なのである。
 ただ問題がある。死からは生還したものの、彼女の人格はまったく失われていたのだ。過去に多種多様な治療が行われたが、まったく回復に兆しは見られていない。食事を与えられれば摂取するが、自分から食べようとする意志はない。排尿排便は、時間を決めてトイレに座らせる。時にはお漏らしをすることもある。彼女は、成長する生きた人形なのだ。
 彼女には、本能と言うべきものは残されている。教授が言うように、脳内の人格部分を検索するには、うってつけの症例なのだ。