第17章 ボクでないボクの行く末は?

 三雲の名前が出てきた理由が小森看護婦たちからもたらされた。病室から出てうろうろとしてもよくなったボクが、ナースステーションの近くと通りかかったとき、噂話が聞こえてきたのだ。
 「ねえねえ、三雲先生と島岡先生、妙な関係だったらしいて知ってる?」
 「妙な関係って?」
 「あれよ」
 「あれって?」
 「勘が悪いわねえ。ホ・モ」
 ボクはギョッとした。どこからそんな噂が立ったのだろうか?
 「ホモ! ホントに?」
 「ホントよ」
 「どうしてそんなことがわかったの?」
 「島岡先生の葬儀のこと、覚えてる?」
 「覚えているわよ」
 「三雲先生。大声で泣き崩れちゃって、みんな不思議な顔をしていたわよね」
 「あ、そうそう」
 「三雲先生の最愛の人が死んだからなのよ」
 ボクの死をそれほど嘆いてくれたのかとボクは嬉しくなった。
 「なるほど。でも、それだけで、ふたりがホモだってことにはならないでしょう? ホントの親友だったら、あれくらい泣いてもおかしくはないでしょう?」
 「それがね、島岡先生のマンションから女装用品がざくざく出てきたのよ」
 「へえ。・・・・そう言えば、島岡先生、背は高かったけど、女装させたら似合いそうね」
 「うん。それでね。島岡先生の住んでたマンション、三雲先生の病院の持ち物だったのよ」
 「ほうほう」
 「ふたりの関係がこれで想像できるでしょう?」
 「なるほどねえ」
 「三雲先生、今取り調べを受けているみたいね」
 「えっ? 何故?」
 「島岡先生を殺されたことを知った三雲先生が、教授のお兄さんを殺したんじゃないかって」
 「はあ?」
 「柱に頭をぶつけて自殺したなんておかしいでしょう? だから、あの場に誰か他の人間がいたんじゃないかと言うことで、調べているうちに島岡先生と関係のあった三雲先生が浮上してきたって言うわけ」
 「それなら、早百合ちゃんが見てたんじゃないの?」
 「早百合ちゃん、病気を島岡先生に治して貰ったわけでしょう? その島岡先生を目の前で殺されても、彼女には何もできなかった。でも、三雲先生が仇を討ってくれた。だから、三雲先生を売らなかった。わたしが早百合ちゃんだったら、同じことをするでしょうね」
 「なるほどねえ・・・・」
 「あら? 早百合ちゃんよ。聞かれたかしら?」
 看護婦たちは、慌ててその場を立ち去っていった。ボクの方から三雲は無実だと言っても信じてはもらえないだろうし、かえって疑いが濃くなってしまうだろう。当直にでも行っていてアリバイが証明されるしかないとボクは思っていた。

 三雲のアリバイが証明され、あの事件とは無関係だという話が伝わってきたのは、それから数日後のことだった。ボクはホッと胸をなで下ろした。
 しかし、お昼のニュースを見ていてボクはどん底に突き落とされた。それは、三雲の死のニュースだった。三雲は、ボクが事故死に見せかけられた同じ場所で車をダイビングさせたのだった。
 止めようのない涙がボクの目から流れ落ちた。看護婦たちはボクの涙の意味がわからなかった。それは当然だ。ボクは一日泣き明かした。
 実のところ、女になったボクが三雲と結ばれハッピーエンド、それを望んでいた。だけど、それは叶わぬ夢となってしまった。
 もっとも、今のボクはボクではないのだから、三雲がボクのことを好きになってくれる確率は少ない。三雲は、ボクが女だったらとは言っていたけれど、それが本当なのかわからない。三雲は根っからのホモで、ボクを安心させるためにそんなことを言ってたのかもしれないのだ。

 事件から一ヶ月後、中井助教授の許可が下りてボクは退院することになった。ボクは森田早百合として、あの事件のあった屋敷に戻った。
 ボクの相続した遺産を管理していた弁護士が手配してくれて、お手伝いさんがボクの面倒をみてくれた。さらに、毎日家庭教師がやってきていろいろと教えてくれた。学問だけじゃない。ボクは5才の少女から一足飛びに成熟した女になったわけだ。だから、身体のことや女性としてのたしなみを教える必要があると判定されていたのだ。
 ボクの女装歴は長かったから、短いスカートをはいたときの立ち振る舞いとか生理用品のあて方などすべてを知っていた。だから教えて貰うことなど何もなかった。すぐにボクは森田早百合としての生活に慣れた。

 屋敷に戻って数日後、親子連れがやってきた。
 「早百合ちゃん、忠明おじさんだよ。覚えているかい?」
 ボクは首を傾げた。覚えていないけれど、森田早百合の父・森田忠義の顔に似ているような気がした。
 「無理もないなあ。確か4才の誕生日にあって以来だからねえ」
 と言うことは、15年も会いに来ていない。つまりは一度も病院へ見舞いに来ていないと言うことになる。何しに来たんだろうと思っていた。
 「まあ、まあ、早百合ちゃん、大きくなって。絹子さんの若い頃にそっくり」
 忠明の連れ合いがボクに笑顔を向けた。
 「お久しぶりです」
 それだけ答えた。
 「いとこの忠興よ。覚えてる?」
 スーツを窮屈そうに着た太った男が近づいてきた。
 「やあ、久しぶり」
 ぎこちない笑顔をボクに向けた。ボクも何とか笑顔を作った。
 「何か困ったことがあったらおじさんやおばさんに言ってね」
 3人は座り込んであれやこれやとしゃべりまくった。ボクには覚えのないことばかりで戸惑うばかりだった。
 「じゃあ、また来るから」
 そう言って3人が立ち上がったのは2時間後のことだった。

 3人が屋敷を出るか出ないかと言う時に、別の親子がやってきた。今度は母・絹子の妹・北田夫婦とその息子だった。森田忠明夫婦と同じような話を聞かされた。
 「お嬢様、お客様ですけど」
 「どなた?」
 「横井様とおっしゃっていますが」
 「だれかしら?」
 不審そうな顔をしていると、北田康子が不愉快そうに言った。
 「わたしの妹、あなたの叔母よ」
 「叔母様? じゃあ、お通しして」
 「かしこまりました」
 しばらくして横井夫婦が応接間に入ってきた。叔母ふたりの目に火花が飛んだように思った。そして、横井睦美が息子を紹介したとき、今日やってきた叔父と叔母たちの魂胆がわかった。
 3人の息子たちは、みんな20代後半から30代前半だ。つまり、ボクと結婚させようとしているのだ。財産目当てが明白だ。ボクのことが心配でやってきたと思っていたのに、そうではないことがわかってボクはガックリした。
 夕食時期になってもなかなか帰らない二組の親子たち。ボクはとうとう堅忍袋の尾を切った。
 「わたし、疲れました。今日はもうお引き取り下さい」
 そんな言葉に、仕方がないという表情を残して彼らは去っていった。

 去っていったあと、ボクははたと気がついた。もらっていた名刺を頼りにダイアルを回した。
 「もしもし、森田早百合と言いますけど、太田さんはいらっしゃいますか?」
 《太田は今出かけていますがどんなご用時でしょうか?》
 「本人と話がしたいんですけど、連絡していただけますか?」
 《わかりました。電話番号を教えていただけますか?》
 電話番号を教えて10分後、太田から電話が入った。
 《もしもし、森田早百合さんですか? 太田ですが、どんな用事でしょうか?》
 「わたしが何かにサインしたら片岡先生たちが得をするって言う理由、わかりました?」
 《いえ、まだです》
 「ふたりのどちらかに息子さんはいらっしゃいますか? 独身の」
 《独身の息子ですか? ちょっと待ってくださいよ》
 手帳をめくる音が受話器から聞こえてきた。
 「片岡隆二の方に独身の息子がいるようですね。それがどうか・・・・、あ、そう言うことか》
 「わかりましたか?」
 《婚姻届にサインさせるつもりだったんですね》
 「そうだと思います。わたしの財産目当てに」
 《なるほど。あんな騒動がなかったら、どうなっていたでしょうね?》
 「わたしの自我が戻ったのは、直接的には島岡先生のおかげですけど、片岡先生が研究の指示したことだって言われれば、片岡先生のおかげだってことになります。恩人である片岡先生に、息子と結婚してくれないかと言われれば、断り切れなかったと思います」
 《そうだね。そういうことだね。治療法がないと思われていたあなたをずっと治療していた理由が今わかりましたよ》
 ボクも納得した。

 その後も叔父・叔母の息子3人が、入れ替わり立ち替わり屋敷にやってきた。ボクの財産もさることながら、ボクほどの女が手に入るとしたら、躍起になる気持ちもよくわかる。
 浴室の姿見にボクは自分のヌードを晒してみた。入院していたときとは違って手入れの行き届いた髪の毛は艶やかで美しい。肩を少し超えた長さの髪の毛をボクは束ねてシャワーキャップをかぶる。元々白い肌。ずっと入院していたから、まったく日焼けのあともなくしみもない。すごい美人だと言ったけれど、誰もがそう言うのは間違いないだろう。それにスタイルもいい。細い身体に似合わない大きな乳房。ブラはDカップでもきついくらいだ。ウエストは細く、ヒップの形もいい。ホントに美しいと思う。これが今のボクなのだから、ホントに不思議な気持ちがする。
 バスタブに浸かって天井を見た。沈められる幻想が浮かんできてボクは慌ててバスタブの中で起きあがった。心臓が破裂しそうだ。
 この浴室は、事件のあった浴室ではない。屋敷の中には三つの浴室がある。そのうちのひとつだ。あの浴室にはどうしても行けない。身体が固まってようになって足が動かないのだ。
 深呼吸をして気持ちを落ち着かせてもう一度お湯の中に浸かった。天井を見るとまた思い出す。天井を見ないようにしながら、ジッと考えた。
 この恐怖は、森田早百合の記憶から来るものだ。それはわかっている。ボクが森田早百合の記憶を垣間見たときにボクの記憶として残った。それがまた早百合に移り、こうして恐怖を覚えている。
 ・・・・そうだろうか? 早百合には早百合の記憶がある。それが恐怖を駆り立ててる。そうでなければ、これほどの恐怖は覚えないだろう。そういえば・・・・。
 研究室では早百合の記憶と言えば、バスタブに沈められる場面がほとんどすべてだった。だけど、こうして森田家の屋敷で暮らしていると、廊下や部屋の中に見覚えがあると感じることが多い。早百合にはあの機械では引き出せなかった記憶がまだある。そんなことを考えていると、ボクはある考えに至った。
 ボクは、あの首輪の力でボクの人格が早百合の身体に憑依したと考えていた。だけど、それは違うような気がするのだ。憑依なんてことは起こりえない。もっと科学的論理的に考えてみるべきだ。
 もし憑依だとすれば、ボクはすべての記憶を思い出せるはずだ。しかし、かなりの欠落部分がある。フロイト理論とは関係なく、思い出していいはずのある期間の記憶がまったくないのだ。それに引き替え、5才以前の早百合の記憶がかなりはっきりと思い出せる。
 このことは、早百合の記憶の上に、機械で引き出されたボクの記憶が載っていると言うことになる。
 ボクの人格も移行された? そうじゃないと思う。ボクは、ボクが元のボクだと思っているけれどホントは違うのではないだろうか?
 今のボクは、以前と違って泣き虫だ。何かというと泣いてしまう。以前のボクは、どちらかというと籠もってジッとしている方が好きだったけれど、今は買い物に出かけたり、お喋りしたりするのが好きだ。性格が変わったのは、何も女になったからではないと思う。
 人間の脳には、コンピューターで言うBIOSのような人格や性格を決定する元になる部分があるのだと思う。早百合の場合、このBIOSが飛んでしまって、脳というディスク上の記憶を利用できない状態だったと考えられる。そこにボクの記憶とBIOSが移入された。
 復活したBIOS部分は、早百合とボクの記憶を整理整頓していき、その過程で新たな人格が生まれた。ボクの記憶が大部分だったから、以前のボクとほとんど同じ人格が形成された。ただ、早百合の記憶に負う部分も存在する。それが今のボクの状態を一番端的に表していると思う。
 ボクは、島岡徹の記憶を持っているけれど、もはや島岡徹ではない。ボクはボクではないのだ。ボクは森田早百合。ボクなんて言ったらおかしいのだ。
 こんな奇妙な状態のボクを愛してくれる男性が現れるだろうか? 三雲が生きていればといつも思う。三雲はベッドの中で言っていた。
 「俺はおまえが男だから愛した訳じゃない。愛した人がたまたま男だっただけだ。おまえが女だったら、こんなにこそこそ会うこともなかったんだ」
 三雲はボクを人間として愛してくれていた。同じように、ボクのこの容姿、莫大な財産に惑わされることなく、ボクをひとりの人間として愛してくれる男性がボクの前に現れるだろうか?
 いつになるかわからないけれど、ボクは焦らずに待つつもりだ。きっと現れる。ボクの王子様が。