第14章 姿を現した犯人

 医局でモーニングコーヒーを飲んでいると教授から電話が掛かってきた。相変わらずせっかちな教授だ。
 「あれから彼女の就寝時間まで頑張ったんですけど、駄目でした」
 《今すぐ再開しなさい》
 「今からですか?」
 《そうだ》
 「そんなに急ぐんですか?」
 《いいから、よけいなことを言わずに今すぐ始めたまえ》
 二の句が継げない。口答えは禁物だ。
 「わかりました」
 溜息をつきながら受話器を置いた。
 「教授とあなたでいったい何をやってるの?」
 早野女史がボクの顔を覗き込んで尋ねた。
 「内緒内緒」
 他の医局員がいるので、ボクは人差し指を立てて言った。
 「そう。内緒の仕事ね」
 ベッドの中で教授に直接聞くんだろうなと思った。それ以前に研究室に来ればわかることだけど。

 《またですか?》
 電話の向こうから看護婦の不満そうな声が聞こえてきた。
 「教授命令だよ」
 ボクはすましてそう答えた。それはホントのことだから。電話の向こうではまだぐずぐずと言っている。
 《すぐに連れて行きます》
 ちょっと怒ったような口調で電話がガチャンと切られた。
 「なんだよ。あんたらに関係ないだろう?」
 面と向かってそう言いたいところだが、大学病院の看護婦と言ったら、医者よりも強いのだ。面と向かってそんなことでも言おうものなら、総スカンを食うことは目に見えている。当たらず触らず、やんわりと頼むに限る。
 「島岡先生。連れてきましたよ」
 いつもの小森看護婦が森田早百合を伴って姿を現した。
 「サンキュウ。いつもすみませんね。おかげで研究が進みますよ」
 とまあ、低姿勢に出る。いくらか表情が和らいだようだ。
 「11時半に迎えに来ますから」
 ボクは時計を見た。9時半だった。
 「わかりました」
 小森看護婦は、すぐに姿を消した。ボクは早速首輪を森田早百合に付けてリモコン操作を始めた。
 うまくいかない。ふたつの動作を一度にやらせることは不可能だ。

 午後2時からもう一度森田早百合を研究室へ連れてこらせ、一生懸命やってみたけれど、ふたつの動作をやらせることはできなかった。
 教授からはまだかまだかと矢の催促。まだだと答えれば、何をやってるんだとお怒りの言葉。だったら自分でやれよと言いたいところをぐっとこらえる。
 「絶対不可能だよな」
 ぶつぶつ言いながら、何気なくニコニコ笑いながら森田早百合と書く動作をやった。すると、ボクの目の前に座っていた森田早百合が、笑顔を見せながらメモ紙に森田早百合と書いたのだ。
 「ええっ!」
 ボクは驚いて、もう一度命令した。しかし駄目だった。首を傾げながら考えた。それから、もう一度自分で動作をやってみた。すると森田早百合はきちんとふたつの動作をこなしたのだ。
 「そうか。命じるんじゃなくて一緒にやるような感じで心に思い浮かべればいいんだ」
 コツを掴めば簡単だった。森田早百合はボクの思いのままにコントロールできた。

 午後5時前、森田早百合を夕食のために病棟へ戻してから教授へ電話した。
 「島岡です。教授! うまくいきましたよ」
 《なに! そうか、よくやった。すぐにそちらへ行くから、見せてくれ》
 「あ、今は無理です」
 《どうしてだ?》
 「夕食時間なので、病棟へ戻しました」
 《夕食か。じゃあ、6時くらいにもう一度そちらへ連れてこらせておきなさい。その時間あたりにそちらへ行くから》
 「はい。お待ちしております」
 教授への電話を切ってすぐに病棟へかけ直した。
 《またですか?》
 「6時に教授が来るもんだから。頼むよ」
 《仕方ないわね。でも、しばらく休んだ方がいいわよ》
 「え? どうして?」
 《彼女、ちょっと様子がおかしいわよ》
 「様子がおかしいってどういう風に?」
 《なんて言ったらいいのか・・・・。とにかくおかしいのよ》
 「もともとおかしいんだけどなあ」
 《そう言うことじゃなくて・・・・。ま、いいわ。6時ね》
 「ああ、たのんだよ」
 電話を切って小森看護婦の言葉を思い返す。どこかがおかしい? ボクはそんなことは感じないけど・・・・。

 体が自由にならない。金縛りにあったみたいだ。ボクは眠っているのだろうか? 最近、よくこんな風になる。夜更かしするせいかもしれない。
 金縛りというのは、テレビなどでは悪霊のせいだとか言って視聴者を怖がらせているけれど、そんなのは嘘だ。通常は、脳が目覚めると身体も活動を再開する。だけど、非常に疲れている場合など、脳が目覚めているのに身体の方は目覚めないことがある。そんなときには、身体が言うことをきかない。つまり金縛り状態になるのだ。
 それにしても長い金縛り状態だ。目覚めたように思い始めてかなり時間がたつのに、まったく身体が動かない。
 おかしい・・・・。

 「島岡君、また居眠りか?」
 そんな教授の声にハッと目が覚めた。
 「あ、すみません」
 「もう六時だぞ」
 腕時計を確認しながら、教授は不満そうにボクを睨み付けた。
 「す、すぐに呼びます」
 ダイアルを回して病棟を呼び出す。
 《今から連れて行くところです。ちょっと待ってください》
 こちらからなにも言わないのにそんな返事が戻ってきて電話が切れた。
 「すぐに連れてくるそうです」
 「そうか。じゃあ、ここで待とう」
 隅にある椅子を引き寄せて教授は座り込んだ。上司がそばにジッといるなんて居心地が悪い。ボクはキーボードに向かって、しなくてもいい仕事をやり始めた。
 「島岡君は、彼女はいるのかね?」
 教授が唐突に聞いてきた。
 「彼女ですか? 彼女はいませんけど・・・・」
 「そうか。いないのか」
 「それがどうかしました?」
 振り返って教授の方を見た。教授はポケットからたばこを取り出して火を付ける。これまでこの部屋は禁煙ですと何度も言っているのに教授は守ろうとしない。今日はボクはなにも言わなかった。
 「見合いをしてみるつもりはないか?」
 「見合い・・・・ですか?」
 「そう。大手町の鈴木君は知っているだろう?」
 「鈴木先生ですか?」
 鈴木という男を思い出す。教授の一級後輩で、大手町で精神科を開業している。早野女史が週一回当直に行ってるはずだ。精神科の医者と言うよりも事業家と言った方が適切だ。老健施設はもちろんのこと、給食やリネン関係の会社をいくつも経営している。
 「ネーベンに行ったことはないかね?」
 ネーベンというのは、アルバイトのことだ。昼間の診察や当直などのことをひとまとめにして言う。
 「一度だけ、昼間の代診に行ったことがありますが」
 「娘ばかり3人いてね。そろそろ適齢期になるんだが、いい相手はいないかと頼まれているんだ」
 「・・・・はあ」
 「会ってみるだけ、会ってくれないかね?」
 「教授、娘さんばかりというと、養子になれと言うことでしょうか?」
 「ま、それを望んでいるようだがね」
 「ボクは長男ですから、養子は・・・・」
 「今時、長男が家をみなければならないと言うことはないだろう。それに、鈴木君のところは、君も知っての通り、かなりの余裕がある。養子に行ったとしても君の両親の面倒をみることくらいできるさ」
 もう反論の余地はなかった。
 「じゃあ、明日にでも先方に連絡して日取りを決めるからね」
 「あ、はい」
 ボクの頭の中ではいろんな思いが交錯する。教授がお見合いしろと言えば、断ることはまず無理だ。大病院の養子。両親の面倒もみられる。悪い話じゃない。だけど、問題はある。鈴木精神科へ一度だけ代診に行ったとき、長女という女性を見かけたことがある。ちびでデブで、可愛いところはあるかもしれないけれど、ボクの趣味じゃない。浮気すればいいじゃないこというかもしれないけれど、そんなことはボクのポリシーに反するし、第一、もっと心配なことはボクが男として機能するかと言うことだ。もう女性とはずいぶんセックスしていない。結婚を約束した彼女がいるとでも答えればよかったと思ったけれど、もう後の祭りだった。
 「連れてきたわよ」
 そう言いながら、森田早百合の手を引いて研究室へ小森看護婦が入ってきたのだけれど、教授の顔を見ると急に畏まった表情になった。
 「就寝時間前には帰してくださいね」
 そう言い残すと、あたふたと研究室を出て行った。看護婦にとっても教授は煙たい存在らしい。
 「さあ、早速始めてくれ」
 教授が見守る中、ボクは森田早百合に首輪を付け、ボクも首輪を装着して彼女をコントロールし始めた。
 「できないじゃないか!」
 「ちょ、ちょっと待ってください」
 うまくいかないのだ。ボクは椅子に座ってリラックスし、自分が笑顔で名前を書くことを想像した。
 「おおっ!」
 教授の叫び声が響いた。
 「ほほうっ! うまくいったじゃないか」
 ボクの肩を教授がポンと叩く。ボクは自慢げに教授を見上げた。
 「? もう動かなくなるのか?」
 「意識を集中していないと駄目ですね」
 「・・・・そうか。そこが問題だな」
 「ボクがもう少し慣れれば、うまくいくかもしれません」
 「もう一度やってくれたまえ」
 教授はジッと森田早百合を見守る。ボクは意識を集中させた。
 「何とかなるかな?」
 「はあ?」
 「あ、いや。何でもない。わたしにもやれるだろうか?」
 「ちょっとコツがいるようですけど」
 「まあ、いい。やらせてくれ」
 「はい」
 ボクは首輪を外して教授の首に掛けてやった。しばらくして森田早百合が歩き始めた。教授にも森田早百合が動かせたところを見ると、相性の問題ではなく、やり方、精神の集中の仕方のようだ。森田早百合は椅子に座って名前を書き始めた。しかし、表情はなく無表情のままだ。
 「同時にふたつの動作をさせるのはうまくいかんな。コツを教えてくれ」
 「えっとですねえ。頭の中で自分が笑顔を見せながら名前を書いている場面を思い浮かべるんです。そうしたらいいはずです」
 「そうか。わかった」
 教授は目を瞑って一生懸命念じていた。しかし、森田早百合はただ名前を書くだけか、笑うだけだった。
 「だめだ。島岡君、もう一度やってみたまえ」
 教授から首輪を受け取って彼女をコントロールしてみた。彼女は笑顔で名前を書き始める。それから、立ち上がって笑顔で教授に言った。
 「わたし、森田早百合です。いつもお世話になります」
 教授は驚きを隠せない。
 「信じられん。まるで、正常に見える」
 「なれですよ。なれ」
 「そうか・・・・」
 腕組みをする教授。ボクがコントロールして何が悪いのだろうかと思っていた。

 バタンと研究室のドアが開き、男がニューッと姿を現した。
 「隆二、いるか?」
 「兄さん、教授室で待ってってくれって言っただろう?」
 教授が兄さんと呼ぶところをみると、入ってきた男は教授の兄らしい。
 「待ってられなくてな」
 「せっかちだなあ。島岡君、紹介するよ。わたしの兄の片岡宏一だ」
 教授の兄という男がボクの方を見て軽く会釈した。ボクも挨拶しようとしたけれど、言葉が出ない。
 「どうした? 島岡君?」
 ボクは目を見張ったまま動けなかった。イヤ、後ずさりしていた。そんなボクを片岡宏一は小首を傾げて見たあと、教授に向かっていった。
 「彼女の記憶を見たという男はこの男か?」
 「そうだ」
 その返事を聞くと、片岡宏一はボクに詰め寄ってきた。
 「俺の顔に見覚えがあるのか?」
 ボクはゴクリと唾を飲んだ。そう。目の前にいる片岡宏一の顔に見覚えがあった。あの、森田早百合が記憶している男、森田早百合をバスタブに沈めた男の顔だ。教授の顔ではなく、教授の兄の顔だったのだ。
 ボクは研究室から逃げ出そうとしたけれど、腕をしっかりと捕まれてしまった。
 「秘密を知られたからには生かしてはおけない」
 片岡宏一の腕がボクの首を捕らえた。
 「兄さん、止めろ!」
 「こいつがいたら、俺もおまえも破滅だ」
 「しかし・・・・」
 「殺すしかないんだ」
 片岡宏一の腕に力がこもった。
 「た、助けて!」
 潰されそうになりながら声を上げたけど、部屋の外に届くような声ではなかった。グキッと首の骨が折れる音が耳に響いてきた。