第12章 おかしな教授の動き

 腰まで届く長い髪の毛をお下げにした可愛らしい女の子。ボクの初恋の女の子だ。いつも一緒に遊んでいた。滅多に帰ってこない父が、ボクを抱き上げて頬ずりする。そんなボクたちを母は横で笑顔で見ていた。真っ白な部屋。蛍光灯はいつも冷たく光る。太った愛想のいい看護婦が笑顔でボクに語りかけてくる。ボクに向かって激しい言葉を投げかけ、涙を流す若い女。ボクの初めての人。まだ愛している。ボクにキスする男。ボクは男なのに彼を愛している。彼を受け入れ、ボクはエクスタシーを覚える。水。水。水。押さえつけられ溺れる恐怖。いやだ・・・・。

 研究室では記憶の解析が早野女史と井原の手によって進められていた。時間軸で並べ替える作業は終わっていた。しかし、その中から有用な記憶を取り出すことに難渋していた。人の記憶というものは、本のように整然としていない。勉強しながら他のことを考えたり、邪魔が入ったりする。それが連続しているからやっかいなのだ。有用な部分だけがわかるように、ビデオのコマーシャルカットのような有用な記憶とそうでない記憶の間に何らかのマークでもあればコンピューターを使って分離できるのだが、記憶というものは境目のないレンズ状態で、都合のいい部分だけを切り出す作業は簡単ではなかった。境目を見つける作業はモニターを見ながらの手作業によるわけで、再生速度を遅くすると時間が掛かりすぎるし、早くすると目が追いついていけなくなって境目がわからないのだ。
 「こりゃ駄目だ」
 井原はとうとう諦めの溜息をついた。
 「ノーベル賞よ。ノーベル賞のために頑張るのよ」
 早野女史が躍起になるけれども井原はもはや首を振るばかりだ。
 「ねえ、島岡先生、何かいいアイデア、ない?」
 ボクの両手をあげた。けれども、ボクの作った装置で代わりができそうだと思っていた。あれならば、直接他人の記憶が流入してくるのだ。抵抗値を下げれば、短時間で他人のすべての記憶が移植できるだろう。ただ、問題はある。森田早百合の記憶が少ないからうまくいっているけれど、正常の人間の大量の記憶が流入してきた場合、あの時と同じ現象が起こって人格が崩壊するかもしれないのだ。だから、実験できないでいた。
 「島岡先生、電話」
 「誰からですか?」
 「教授よ」
 受話器をボクに手渡しながら、小さな声で答えた。
 「代わりました。島岡です」
 《ちょっと教授室に来てくれないか?》
 「あ、はい。・・・・ボクだけでしょうか?」
 《ああ。君だけだ》
 「わかりました。すぐに伺います」
 「なんだって?」
 興味津々という顔をして早野女史が尋ねる。
 「教授室に来てくれって」
 「あなただけ?」
 「ボクだけみたいですよ」
 「そう・・・・。何の用事でしょうね?」
 研究のことだったら、3人一緒に呼ばれることが多い。ボクだけ呼ばれる理由はボクにもさっぱりわからなかった。

 飯干幸子は鏡に向かって化粧を直していた。ボクがノックもせずに入ったものだから、慌てて鏡を背中に回した。
 「教授に呼ばれたんだけど」
 「ちょっと待って」
 コンパクトを机の中にしまい込むと飯干幸子は教授室のドアをノックした。
 「先生、島岡先生がお見えです」
 「入るように言いなさい」
 機嫌の悪そうな声がした。イヤな予感がする。
 「失礼します」
 教授室に入ると、声以上に不機嫌そうな教授の顔があった。
 「どんなご用時でしょうか?」
 「森田早百合を院外へ連れ出したそうだな」
 ああ、そのことかと納得する。
 「彼女を家に連れて行けば、記憶が鮮明になるかと思いまして」
 「わたしの許可なく、勝手な真似をしてはいかん!」
 「は、はあ・・・・」
 「すんでしまったことは仕方ないにしても、今後はきちんとして貰わないとな」
 「は、はい!」
 「で、何かわかったかね?」
 どうしようか迷ったあげく、ボクは話すことにした。
 「彼女を殺そうとした男のことなんですが」
 「何かわかったのか?」
 「男の人相が、例の首輪を通じてボクの頭の中に伝わってきたんです」
 「な、何! で、どんな顔をしていた?」
 「それが・・・・」
 教授は、身を乗り出してボクの次の言葉を待っていた。
 「教授の顔だったんです?」
 「わ、わたしの顔?」
 「そうなんです。で、ボク、考えたんですけど、彼女、ずっと個室に入院しているでしょう? 男の顔と言ったら、教授しか思い浮かばないと思うんです。だから教授の顔が出てきたんだろうと考えたんですが・・・・」
 「あ、なるほど。・・・・わたしが殺そうとしたとは思わなかったのか?」
 そんなことを教授が言うとは思わなかったけれど、単なる冗談だと思った。
 「教授は事件当日、ドイツでしたよね。日本国内ならともかく、外国ではちょっと物理的に無理です」
 「調べたところを見ると、疑ってはいたんだな」
 「あ、まあ、一応・・・・」
 教授の目を見られなくてボクは目を伏せた。
 「他には?」
 「それ以上の収穫はなくて」
 「・・・・そうか。これから、彼女を院外へ連れ出すことは原則として禁止だ。もし必要があるときは、わたしも一緒に行く。いいね」
 「わ。わかりました」
 「もういいぞ」
 「失礼します」
 ボクは頭を下げて教授室を出た。
 「怒られたみたいね」
 飯干幸子が、にやりと笑って言った。ボクは肩をすくめた。

 研究室に戻ると、早野女史も井原もいなかった。医局に行くと二人してコーヒーを飲んでいた。
 「島岡先生もどう? 今いれたばかりよ」
 「いただきます」
 コーヒーを注いでいると電話が鳴った。井原が受話器を取った。
 「はい、医局です。あ、教授。はあ、ちょっとコーヒーを飲んでおりました。いえ、解析の方は進んでおります。は、わかっております。はい。おりますけど。島岡先生、教授から」
 「また?」
 ボクは、コーヒーカップを片手に受話器を受け取った。早野女史と井原は、コーヒーカップをおいて医局を出て行った。こんな時間に医局で油を売っているのがばれたから、慌てて仕事に戻ったというわけだ。
 「はい、島岡です」
 《あの首輪は、どれくらい離れていて使える?》
 「離れてやっていないのでちょっとわかりません」
 《そうか。今日の夕方は暇かね?》
 「あ、特に用事はありませんが・・・・」
 《6時になったら時間が取れるから一緒に実験してくれないか?》
 「実験って、首輪のですか?」
 《勿論だ。彼女はわたしが連れて行く》
 「わかりました。お待ちしています」
 離れた場所から彼女をコントロールしたいらしい。いったい何のために? ボクは首を傾げた。