いつもはまあ広く感じるカンファレンス室に人が一杯で窮屈に感じる。教授が国際学会から凱旋帰国し報告会が行われていた。教授は満足げな表情をして延々と話していた。
「・・・・人間の記憶をハードディスク上に記録するという今回の発表は、精神医学会に衝撃を与えた。さらに、人間の記憶を層別化して、ストックできるようになれば、人類にとって大きな財産となるだろう。まさに画期的な大発明だ。我が教室が、世界に躍進する第一歩となったことは否めない事実であろう。ノーベル賞も手中にあるとっても過言ではない。・・・・」
教授の話は続いた。終わったのは1時間を過ぎた頃だった。
「島岡君、その後どうだね?」
教授がカンファレンスを出ようとするボクの肩を叩いた。
「あ、なかなかうまくいかなくて・・・・」
森田早百合の件で脱線していたなんて言ったら、どんな叱責を受けるかもしれない。言葉を濁すしかないのだ。
「日本はもとより世界中で同じ研究が進められてくるんだ。ぼんやりしていたら、先を越されてしまうぞ」
「は、はあ・・・・」
「病棟勤務は外すから、研究に専念してくれたまえ。いいね」
「は、はい!」
教授は教授室へと戻っていった。森田早百合の件について話しそびれてしまった。
「ま、いいか」
病棟勤務は外すと言われたけれど、すぐに研究室というわけにはいかない。受け持ち患者を他のスタッフに引き継いで貰わなければならないからだ。その日の午前中は、そんな資料作りに費やした。
医局をあげての研究だと言ってもスパコンは一台しかない。スタッフを増やしても同じと言うことで、いつも通り早野女史、研修医の井原そしてボクの3人でスパンコンに向かった。
「島岡先生、ぜんぜん進んでいないじゃないですか?」
早野女史はちょっと不満げに言った。自分はヨーロッパで楽しんでいたくせにと思ったが、黙っていた。
「森田早百合の方をやってたもんですから」
「そう? 何かわかった?」
森田早百合を遠隔操作で動かせるんなてことを話すにはまだ早いだと判断して、ボクは誤魔化すことにした。
「わからないんですよ。人格部分が出てこないんですよ」
「出てこない?」
「はい」
「出てこないってどういうこと?」
「いろいろと考えられますけど、ま、ともかく、こちらを軌道に乗せてからにしましょう」
「あ、そうね。島岡君、並べ替えの手法は開発済みだよね」
もはや隠す必要はない。ボクはハイと答えた。井原は驚きの声を上げた。
「いつの間に?」
「ちょっとしたきっかけなんだ。ビデオの編集ソフトを応用したんだ」
「ビデオの編集ソフトを?」
「そうなんだ。適当な長さに切ってみてから、最初のいくつかを確認して、記憶の単位を決めるんだ。そうしてから、並べ替えるんだけど、時にはふたつとか三つがペアになっていることがあってね。そこの見極めが難しいんだけど、ルールさえわかれば簡単なんだよ」
「なるほど。ソフトはどうしたんですか?」
「ソフト? ああ、ウインドウズ版をちょっといじって移植したんだ」
「まずいんじゃないですか? 最近は著作権がうるさいから」
「そうだなあ。発表するときは、アリバイ作りに一本買うことにしよう」
「それなら、いいかも」
「じゃあ、まず並べ替えからだ。それがすんだら、必要な部分を取り出すとしよう」
並べ替えはすぐにすんだ。それから、個人的な部分を取り除いて、学習で得られた記憶だけを取り出そうとしたのだが、これが困難を極めた。
「もう明日にしよう」
ボクは根を上げた。
「いえ、絶対今日の方がいいです。半日遅れたと知ったら大変なことになりますよ」
「そうねえ。そうかも」
腕組みをして早野女史は天井を見た。ボクも怒った教授の顔を思い浮かべた。思い浮かべながらハッとした。教授の顔が森田早百合を溺れさせた男にそっくりなのだ。面と向かっていたときにはそうでもなかったのだけれど、こうして頭に思い浮かべてみると同じ顔のように思えた。
「そんな馬鹿な・・・・」
「え? 何が?」
「あ、いえ。なんでもありません」
学問一筋の教授。そんな教授が、森田一家惨殺事件に絡んでいるはずがない。何かの間違いだ。ボクは頭を振った。
毎晩あの夢を見る。あの夢は森田早百合の夢ではなく、もはやボクの夢だ。ボクが男によって浴槽の中に沈められている。まるでそれが実体験のように感じるのだ。ある意味で、ボクの研究成果が出ているとも言える。
・・・・日一日と男の顔が鮮明になってくる。男の顔は、信じられないことにどう考えても教授の顔なのだ。
「ホントに教授なのだろうか? 本人に聞くわけにはいかないしなあ・・・・。動機は? 森田家は資産家だったっけ。すると、財産目当てか? 14年前と言えば、確か教授が教授になった年だ。教授になったばかりだというのに、財産目当てに犯罪を犯すだろうか? ・・・・違うな。じゃあ、怨恨か? これはちょっと調べようがないなあ。・・・・アリバイは? 14年前のアリバイなんてボクに調べられるわけはないけど・・・・。イヤ、ちょっと待てよ。事件のあった日は、学会が多い月だよな。もし事件の日に、教授がどこか遠くに行っていれば、アリバイは証明されるな。アリバイがなければ、どうしようもないけど・・・・。ともかく調べるだけ調べてみよう」
どこの医局でも、毎年の活動報告をやっている。論文をいくつ書いたとか、学会に誰が行って何を発表したとか言ったことだ。それが医局報という形でまとめられているのだ。
「医局の戸棚にあったよな」
ボクは早速医局に行って医局報を調べた。
「平成元年の医局報っと」
取り出してページをめくっていく。
「あったぞ。・・・・事件当日に開かれていた学会は・・・・」
丁度その日は国際学会が開かれていた。
「出席者は、・・・・片岡教授。国内なら誤魔化しもきくだろうけど、外国じゃあ簡単に戻ってこられないよな。と言うことは、あの男は教授じゃないってことだ」
なんだかホッとした。ホッとしたところで、あの男が教授に見えた原因を探る。
「早野女史と教授が関係を持ったと言うことを知った直後だ。ボクの心理状態としては、教授を否定しようとした。だから、あの夢の中の殺人者の顔が教授の顔に置き換わった。そう言うことだな」
精神科医として、この心理分析は正しいと思った。その証拠に、その夜から見る男の顔が再び不鮮明になってきたからだ。
スパコンに移植されたソフトは、いい具合に機能していた。人の記憶の中から必要な部分を切り出すことができそうなのだけど、必要な部分というのを探すのに、リアルタイムにしか再生できないのだ。つまり、20才の学生ボランティアを使った場合、幼少児はともかく、すべての記憶を検索するのに、15年は掛かることになるのだ。これが、学者の記憶を取り出そうなんて考えたら、何年かかるかわからないってことだ。
「倍速モードを作らなきゃだめですね」
ソフトの移植はお手の物らしい井原がキーボードに向かった。
「倍速なんかじゃ間に合わないわよ。もっと早くしないと」
「早くって、どれくらいですか?」
「50年がせいぜい一週間ね」
「50かけ52は、2600倍速ですか?」
「計算が速いのね」
「理系ですから」
井原は胸を張る。
「できそう?」
「やってみるしかないでしょうね」
「じゃあ、お願いするわ。医局の命運が掛かっているんだから」
「了解ですよ」
井原は、キーボードを叩き始めた。
「早野先生、こっちはお任せして、ボクは森田早百合を使った人格同定の方をやりたいんですけど、いいですか?」
「そうね。今のところ、井原先生がやってくれるから、いいわよ」
「じゃあ、隣の部屋でやってますから、用事があったら声を掛けてください」
わかったというように早野女史は手を挙げた。ボクは、隣にあるボクが使っている研究室へ向かった。
いつものように研究室から病棟に電話を掛けて森田早百合を呼び寄せ、首輪式リモコンを取り付けた。このリモコンは改良型だ。以前のものは、メインとサブがあったのだけれど、同じ材料で作ったので、どちらがどちらかわからなくなることがあった。改良型は一見すると同じなんだけど、ちょっと違うのだ。今度のものはメインとサブがない。スイッチひとつで切り替わるようになっているのだ。サブ側からのリークもゼロになるように改良を加えてある。
ボクの首に取り付けた首輪のスイッチを押すと彼女はボクの意のままに動く。それを確かめてから、彼女をベッドの上に横たえて彼女の首輪のスイッチを入れた。ボクは椅子に座って心を無にした。彼女に記憶がボクの中に流れ込んでくる。
溺死させられた記憶と違ったものがわずかながら残っていた。彼女の住んでいた屋敷らしい家の廊下、人形の飾られた可愛らしい部屋、母親らしい若い女性。祖母らしい年老いた女性が庭に面した座敷で居眠りをしている。父親の姿が見えないなと思う。きっと忙しくて彼女の前に姿を現すことが少なかったのだろう。一生懸命働いているだろうに、記憶されないなんて悲しいなと思う。
彼女から流れ込んでくる記憶はもうそれっきりだ。あとは、あの忌まわしい浴室の記憶だ。
「ぐふぁっ!」
溺れたような気がしてボクは叫び声をあげてしまった。
「どうかした?」
早野女史がボクのいる研究室に顔を覗かせた。
「あ、何でもないです」
早野女史は小首を傾げながら部屋の中に入ってきた。
「その首輪、何? あら? 彼女もしてるのね」
「あ、これですか・・・・」
話そうかどうかちょっと迷う。だけど、見られた以上話さざるを得ないだろう。
「これはボクの意志を彼女に伝えるものなんです」
「あなたの意志を彼女に伝える? どうなるの?」
「彼女はボクの思いのまま動きます」
「嘘でしょう?」
早野女史は目を丸くした。
「ホントです。やってみましょう」
早野女史に見られないようにスイッチを押してコントロールを取り戻した。心の中で、ベッドから起きあがるように指示する。森田早百合は、ゆっくりと起きあがった。
「あなたが命令したの?」
「そうです」
「何でもあなたの意志通りに動くの?」
「動きますよ」
「もっとやって見せて」
「いいですよ」
部屋の中を歩き回るように指示を出す。軽やかに歩く森田早百合を見て、早野女史は驚きを隠せなかった。
「島岡先生、あなた、彼女に変なことをさせてないでしょうね?」
「変なこと?」
「あ、例えば、・・・・いやらしいことをさせるとか・・・・」
「早野先生、そりゃボクは男だし、彼女はご覧のように美人ですよ。でもね、誓ってそんなことはしていません。それに・・・・、先生だって知ってるでしょう?」
早野女史はボクと三雲の関係を知っている。ボクがネコ役だと言うことも。
「よくこんな機械を作ったわね。どう言うきっかけなの?」
「いつものように彼女に電極を付けて、データをこれまで集めたボランティアのデータと比べていたんですけどね。偶然キーボードに触れたら彼女が反応して・・・・」
ボクは詳しく早野女史に説明した。
「なるほど。で、その首輪は、あなたの意志を彼女に伝えるだけなの? 他には何かできるの?」
早野女史は頭がいい。それだけではないことを見抜いたようだ。
「彼女の記憶が、ボクの中に流れ込んできます」
「ええっ! なんですって?」
「彼女にはわずかながら幼い頃の記憶が残っていました。それがボクに伝わってきたんです」
「信じられないわ」
「信じられないのはわかります。でも、本当です。彼女、浴槽で溺れたって聞いてますよね」
「ええ」
「溺れたんじゃなくって、殺されそうになったんです。男に浴槽に沈められて」
「う、嘘でしょう?」
「新聞で確かめました。14年前、彼女は浴槽で殺されそうなになったんです。彼女の家族は皆殺しされています」
「ほ、ホントなの?」
「何度も言ってるでしょう? ホントです」
「その記憶が彼女から伝わってきたって言うのね」
「そう言うことです」
「わたしにもその首輪を試させてくれないかしら?」
どうしようか迷ったけれど、やらせるしかない。
「いいですよ」
ボクは首輪を外して早野女史の首に装着した。
「どうすればいいの?」
「歩けとか座れとか心の中で念じればいいですよ」
「やってるんだけど、駄目だわ」
早野女史は目を瞑って一生懸命念じている。しかし、森田早百合は何の反応も見せなかった。
「おかしいな。ちょっと戻してみて」
ボクが装着すると森田早百合はボクの命令に従った。
「ボクの脳波にシンクロしてるんでしょうか?」
「そのようね。あなた、彼女と相性がいいみたいね」
ちょっと妙な目でボクを見た。
「人格のない人形みたいな娘とシンクロしても仕方がないでしょう?」
「それもそうだけど。殺されかけたって言う彼女の記憶というの、見たかったな」
「もう一度やってみます?」
「駄目なんでしょう?」
「ま、やってみましょう」
「いいわよ」
早野女史が首輪を付けている隙に、ボクは森田早百合が付けている首輪のスイッチを入れてサブとメインを入れ替えた。
「椅子に座ってリラックスしてみてください。うまくいけば彼女の記憶が伝わってくるでしょう」
早野女史は椅子にもたれてジッとしていた。数分後、彼女は顔を真っ青にして立ち上がった。
「う、嘘でしょう?」
「伝わってきましたか?」
「え、ええ」
「男に水の中に押し込まれるシーンだったでしょう?」
「ええ。死ぬかと思ったわ。・・・・他の家族はみんな殺されたって言ってたわね」
「はい。犯人はまだ捕まっていません」
「ほんとなの?」
「あと1年で時効になります」
「あと1年で時効かあ・・・・」
「犯人の顔、はっきり見えました?」
「いえ、磨りガラスの向こうにいるみたいではっきりしなかったわ」
「ボクもそうなんです。でも、男の顔がもう少しはっきりすれば、犯人を捕まえられるんですけどね」
「何とかなるかしら?」
「それを今やっているところです」
「そうなの。で、こんなことをできるってこと、教授に報告したの?」
「まだです」
「まだなの? すぐに教授に報告しなくちゃ」
「・・・・そうですね」
「一緒に行くでしょう?」
「早野先生が報告してください。ボクはここで待っています。彼女を見張っていないといけませんから」
「あ、そうね。じゃあ、行ってくるわ」
「首輪、下さい。しばらく彼女の記憶を探ってみますから」
「あら? 忘れてたわ」
早野女史はボクに首輪を投げてよこした。
首輪を付けて心を静めて彼女の記憶が伝わってくるのを感じていた。しかし、男の顔は漠然としたままだ。
15分ほどして早野女史が教授を連れて研究室に戻ってきた。
「島岡君、早野君から聞いた話はホントなのか?」
「ホントです」
「彼女をコントロールできるのか?」
「はい」
「やって見せてくれ」
「わかりました」
ボクが歩けと命じると、森田早百合はすたすたと歩き始めた。
「すごい。これはすごい。島岡君、これを君が発明したのかね?」
「はい、そうです」
「早野君は駄目だったらしいが、コントロールできるのは君だけなのか?」
「それはわかりません。早野先生と彼女の相性の問題かもしれません」
「そうか。わたしにやらせてもらえるか?」
「いいですよ」
ボクは首輪を外して教授の首に填めた。その時スイッチを押してコントロールを教授側に変更した。
「心の中で命じてください」
教授は目を瞑って一生懸命念じている。しかし、森田早百合はまったく反応を示さなかった。
「わたしじゃ駄目なようだな」
「そのようですね」
「島岡君しか動かせないのか・・・・。ところで、早野君が彼女の記憶が見えると言っていたが、ほんとなのか?」
「椅子に腰掛けてリラックスされてください」
教授が椅子に腰掛けて体勢を整えている間にボクは森田早百合に近寄ってスイッチを切り替えた。
しばらくして、ボクは教授に尋ねてみた。
「どうです?」
「し、信じられん・・・・」
教授の顔が真っ青になった。
「どうかしましたか?」
「い、いや、なんでもない。自分が殺されるような気がして動転しただけだ」
「そうでしょう? まるで自分の記憶みたいでしょう?」
早野女史が教授の顔を見た。
「そ、その通りだ。島岡君、これを正常の人間に使えないかな?」
「正常の人間同士にですか?」
「そうだ。他人を操ることはできなくても、テレパシーのようなことができるんじゃないか?」
「あ、そうですね。・・・・やってみますか?」
「以前のような失敗は起こらないでしょうね?」
早野女史が心配そうな顔をした。
「そうですね。森田早百合の記憶は容量が少ないからうまくいったのかもしれませんね。正常の人間の記憶がドッと流れ込んだら、この前と同じ現象が起こるかもしれませんね」
「そ、そうか。そう言うこともあり得るな」
「スパコンの方は、得られた記憶を高速で見られるようにソフトを開発中ですけど、こちらの方は、記憶をゆっくりと伝達できるように工夫してみましょう」
「おう。それがいい。早急にやってくれたまえ。これが完成すれば、ノーベル賞は間違いないぞ」
満面の笑顔を見せて、教授は部屋を出て行った。
「忙しくなるわね」
「あ、はい」
「頑張って、ノーベル賞、貰いましょう」
「はい!」