第1章 コンピューターで人格形成?

  「・・・・人間が死んだ直後、その直前より体重が減少し、それが魂が抜けた証拠だという話もあるようである。魂には重さ、すなわち質量があるということだ。しかしながら、生と死の間で1キロ、2キロも体重が違えば魂の存在を誰もが納得するだろうが、数グラムの違いなど、そんなものは測定誤差と言うしかない。魂があるとは言い難い。いや、魂には質量がないという主張をするものがあるかもしれない。しかし、それでは魂の存在にはますます懐疑的にならざるを得ない。
 臨死状態で、魂となって自分や周りの人たちを見たなどという、いわゆる幽体離脱と呼ばれるものだが、そんなのは幻想にすぎない。なんの証拠もない。
 魂の存在を示すものはまったくないと言ってよい。結論を言えば、この世に魂などというばかげたものは存在しないと言うことだ。魂と言う概念は人間の思考が作り出した幻想にすぎない」
 壇上で熱弁をふるう初老の男。男の名前は片岡隆二。『東都医科大学・精神神経科学教授』という肩書きを持つようになって10年になる。ヒトの精神活動は、すべて脳細胞というコンピューターが生み出したものであるという主張を一貫して通している。今日もその話が延々と続いていた。
 「魂、言い換えればヒトの人格というものは、ここではなく、ここにあるのだ」
 片岡は、胸を指さし、次いでこめかみに人差し指を当てた。
 「魂や人格といったものが、脳髄という高度に発達した電子回路によって生み出されていると言うことは、今や誰しも認めつつあることではある。それは、脳神経の刺激や破壊によって人格が変わると言うことが経験されているからである。
 アメリカにおける症例報告として、殺人などを犯した、ある凶悪犯罪者の脳内に腫瘍ができており、この腫瘍を外科的に摘出したあと、その犯罪者は温厚な人柄に変わり、裁判で極刑を免れたという報告がなされている。卑近な例で言えば、ロボトミーという操作によってヒトは簡単に人格を失う。
 このように、人格が脳髄によって生み出されると言うことはほぼ間違いないのであるが、まだ懐疑的な人間もいる。それは今ほどコンピュータが発達した世になっても、コンピューターによって人格を生み出せないからである。
 ところが、今まで不可能だった人格の形成が可能になろうとしている。今回、大学当局と新日本電子工業のご厚意により世界最先端のスパコンを導入できたからである。このことによって、わたしの長年に夢であった、コンピューターによる人格作成という研究が大きな飛躍をもたらすことでしょう。関係各位に感謝するとともに、一日も早い人工人格の完成をお約束する次第であります」
 会場にパチパチとお義理の拍手。ボクも当然のごとく拍手をした。ボクの拍手が一番大きかっただろう。なにしろボクの上司の演説だからだ。
 「早野君。今後のスケジュールについて説明を」
 「はい」
 可愛らしい声で返事をしてボクの横で立ち上がったのは、早野玲子。ボクの一級先輩。150センチ、65キロ。先輩たちから豆タンクというあだ名で呼ばれている。顔は・・・・、ブスではないけれど、ボクの好みではない。まあ、女性の顔のことはあんまり言わない方がいいような気がする。愛嬌はいいとだけ言っておくことにしよう。
 早野先輩は、ピチピチの白衣を翻して壇上へと上がっていった。
 「早野です。今後のスケジュールについて説明させていただきます。被験者、現在のところ全員が学生のボランティアですが、安静時、運動などの活動時、ビデオ鑑賞や読書などといったことによって引き出される喜怒哀楽の際などに脳波を採取し、これをスパコンで分析いたします。さらに・・・・」
 すべてを知っているボクには退屈なだけの説明がこれまた延々と続いている。横目で見てみると、会場内でも居眠りをしている人間も多いようだ。
 「島岡、調子はどうだ?」
 ボクの同級生で、第1外科に入局した三雲が、早野先輩の座っていた席に腰を下ろして小声で声をかけてきた。
 「あ、まあまあだよ」
 「今、説明しているやつをおまえがやってるのか?」
 「ああ、そうだよ」
 「退屈そうだな」
 ボクは肩をすくめた。
 「三雲の方は?」
 「こき使われているよ。一日14時間勤務だぜ。こんなこと続けていたら、過労死してしまいそうだよ」
 「14時間? 俺はそこまでないけど結構働いてるな」
 12時間くらいは拘束されているなと頭の中で計算する。
 「おまえはデスクに座っているか、コンピューターを眺めているだけだろう? こっちは肉体労働だぜ。医学部にきてこんな肉体労働するなんて思っても見なかったよ」
 「コンピューター眺めているだけって言い方はないだろう? これでも結構疲れるんだぜ」
 「そうか? しかし、おまえも別に医学部じゃなくて、そっちの方面でもよかったのにな」
 それもそうだとボクは思った。
 「ま、患者見てるのも楽しいぜ」
 「精神病の患者がか?」
 「ああ」
 「そんな患者ばかり見ていると、おまえまでおかしくならないか? 精神科のドクターはおかしいのが多いって言うけど」
 「俺は大丈夫だけど・・・・」
 そう言いながら、ボクはオーベンたちの顔を思い浮かべた。教授はまともだと思う。中井助教授は、視線恐怖症でいつも真っ黒なサングラスをしていて、誰とも決して目を合わせようとしない。ベッドの中でもサングラスをはめたままだと噂で聞いたことがある。松本助手は、かなりひどい鬱病で、毎日数錠の薬を飲みながら、同じ鬱病の患者を診ている。
 他のドクターも多かれ少なかれおかしなところがある。大丈夫と答えたものの、ちょっと心配になる現状ではある。
 「ところで14時間肉体労働って言うのに、こんなところへ来ていていいのか?」
 「さっき教授回診が終わったばかりなんだ。今日は100点満点。だから、オーベンも機嫌がよくて、お茶飲んできますって言ったら、こころよくオーケーが出て30分ほど抜けてきたんだ」
 「結構お茶飲みしてるんじゃないのか?」
 「久しぶりなんだぜ」
 そう言いながら、三雲は週に1度は必ずボクの前に顔を現す。
 「話は変わるけど、今晩、飲みに行かないか?」
 「ダメダメ。おまえと違って、労働時間が短い分、休日の方はほとんどないんだ」
 「一日くらい、いいだろう? たまには」
 「それが、ほら、今説明しているプロジェクトを早く進めないといけないから、少なくとも今日はだめだよ」
 「そうか。それなら、杉原でも誘うよ」
 「また誘ってくれ」
 「ああ、じゃあ、またな」
 腰を低くして三雲は会場を抜け出ていった。
 「電話をかけりゃすむことなのに」
 ボクの前の席に座っている後輩の耳に届くように呟く。ボクはあくびをかみ殺して、早野先輩の話に耳を戻した。女性にしてはと言う言い方は失礼に当たるけれど、早野先輩はホントに優秀だ。立て板に水といった勢いでプレゼンテーションをこなしている。
 早野先輩は、既に何人もの被験者からデータを集めているようなことを言っているけれど、実のところデータが揃っているのは3人だけに過ぎない。しかし、その3人のデータを分析するのに四苦八苦していた。スパコンが導入されてスピードアップが望めると教授は豪語していたけれど、実際には分析の途中で人間の勘みたいなものが必要になることが多い。早ければいいというものでもないのだ。
 (個人個人の分析がすんだあとの、解析段階になればスパコンが威力を発揮するだろうな)
 ボクはそう思っていた。
 「ねえ、ねえ。三雲先生って格好いいわね」
 「そうか?」
 研究助手の麻生みどりの耳打ちに、ボクは気のない返事を返した。
 「格好いいわよ。ねえ、島岡先生、三雲先生と仲がいいんでしょう? 紹介してよ」
 「あいつは面食いだぞ」
 早野先輩の方に視線を向けたままボクは答えた。
 「島岡先生! どう言う意味ですか?」
 麻生みどりは目を三角にして立ち上がらんばかりになる。こんなひと言が人間関係を壊す。ボクは慌てて言い訳をした。
 「長い付き合いだからあいつの好みは知ってるけど、みどりちゃんみたいなぽちゃぽちゃっとした可愛い子よりも、痩せ形で少し冷たい感じのする子の方が好きみたいだよ」
 「痩せ形の少し冷たい感じの子かあ。・・・・ぽちゃぽちゃって、太ってるって言う意味?」
 「太ってるとは言わないけど、まあ、細い方じゃないよな」
 155センチで62キロとか言っていたから、細いなんてことは絶対ない。しかし、それをあからさまに言えば、明日からの研究室生活が窮屈になる。病院内で女を敵にしたら、生きていけない。
 「ようし。明日からダイエットして、ちょっとクールな女に生まれ変わってみせるわ」
 周囲の聴衆がじろりと麻生みどりを見た。声が大きすぎたようだ。麻生みどりはその大きな体を小さくして隠れるように座り込んだ。

 スパコン設置記念講演会が終わった。会場にいた全員がそろって立ち上がった。
 「島岡君! これで研究がぐっと進むな」
 「は、はあ」
 片岡教授に肩を叩かれ、ボクは何とも曖昧な返事を返した。片岡教授はそのまま接待に出かけるようだ。学内関係者や業者連中と玄関へ向かって歩いていった。
 「さあ、頑張りましょうかね!」
 早野先輩がボクに肩を並べた。
 「早野先生は元気がいいね」
 「それがわたしの取り得。いざ、研究室へ」
 「今日くらいはゆっくりしません? 教授だって、これでしょう?」
 と、ボクは杯を上げる仕草をした。
 「やることはいっぱいあるんだから。さっさとやらなきゃ」
 「今日できることは明日にもできますよ」
 ボクは既に帰宅モードに入っていた。けれど、そんなボクの目論見は簡単にぶちこわされた。
 「島岡君。あなたって、結構優柔不断ね」
 「優柔不断って、たまには休まないと。休養は次のステップのジャンプ台ですからね」
 「島岡君の言わんとすることはわかるわ。でも、今日からやれって言う教授命令が出てるのね。しかも、アルバイトの被験者も来ているはずだから、やらざるを得ないわけ。お分かり?」
 「ええっ? データ取りもあるんですか?」
 「はい。今日の帰りは、午前様ね」
 「はああ。労働基準法違反だ」
 「医者に労働基準法なんて適応されないわ。誰かが過労死でもしない限り、厚生労働省のお役人が動くことはないわ。さあ、行くわよ」
 帰りたかったけれど、ボクは仕方なく早野女史の後ろについて行った。過労死するのがボクでないことを祈るしかなかった。

 研究室に戻ると、控え室にでかい男が座っていた。ボクたちが部屋に入るとさっと立ち上がって最敬礼をする。
 「佐藤君ね?」
 「はい!」
 若くて、素直で真面目。ボクがどこかへ置き忘れてきたものを彼は持っている。
 「授業はもう終わったのね」
 「代返を頼んできました」
 頭を掻きながら答える。
 「代返頼んでいて、ここでバイトしているのがわかったらまずいわね」
 「ばれたらばれたときで、別にいいです」
 「あなたはよくっても、こっちとしてはちょっとまずいなあ」
 早野女史は腕組みをして考え込む。
 「代わりを探しましょうか?」
 とボクが言うと、佐藤君は慌ててボクを制した。
 「困ります。今日のバイト代を宛にしてるんですから」
 「あら? 何に使うの?」
 「あ、いえ、そのう・・・・」
 大きな体を小さくした。今日はこんな様子を見ることが多い。
 「言いにくいことに使うの?」
 「はあ。ちょっとスナックに借金があって」
 「スナックに借金!? 学生の分際で」
 早野女史はあきれ顔だ。
 「どうしてまた?」
 「先週、彼女と飲みに行ったんですけどね、高いカクテルをがばがば飲むものだから・・・・」
 「馬鹿だなあ。自分で金を出さなければいいのに」
 「そんなこと言っても、彼女に出させるわけには行きませんから」
 「彼女じゃなくて、入局予定の医局が使っているスナックに行くんだよ。できれば、医局長から名刺をもらっていくといい。そうしたら、その医局が払ってくれるよ」
 「ホントですか?」
 佐藤君は目を爛々とさせた。
 「ホントさ。ただし、学生のうちだけだぞ。学生は金の卵だから、入局予定者に対してはそれこそお殿様扱いだ。・・・・入局したら、奴隷だけどな」
 ボクの素直な実感を込めて言ってやった。
 「いいこと聞きました。早速やってみます」
 「島岡君! 変なことを教えていいの?」
 早野先輩は口をとがらせた。
 「どこの医局もやってることですから構わないですよ」
 「うちはやってないわよね」
 「うちの場合は、そんなことしても入局してくれる学生なんていませんからね。そんな予算もないし」
 「あ、なるほど」
 「精神科はダメなんですか?」
 と佐藤君。
 「えっ! 佐藤君、精神科に入るつもりなの?」
 「そのつもりなんですけど」
 「そうか。それは残念」
 「そうですか・・・・」
 「精神科に入るって言うのなら、ここでバイトしていることは黙っていてあげるわ。別の名前にして絶対ばれないようにしておくから」
 「助かります」
 「じゃあ始めましょう」

 ベッドの上に横になった佐藤君の頭に、50組100本の電極が取り付けられた。一口に100本と言うけれど、ちょっとすざましい光景だ。これから脳波を誘導するわけだが、その他に心電図、脈波、体温などもモニターする。それらの電極をすべて付け終わるのに小一時間はかかる。それからモニタリングの開始だ。
 「ジッとしててね。頭の中は空虚に。何も考えないでね」
 「はい」
 モニター画面をジッと見つめながら、モニターがうまくいっているか確かめる。
 「早野先生、オーケーです。次に進んでください」
 「わかったわ。佐藤君? いくつか質問するから正直に答えてね」
 「はい」
 「好きな食べ物は何ですか?」
 「好きな食べ物ですか? そうですね。中華料理とかが好きです」
 「中華料理ね。次は・・・・」
 早野女史の口から質問が次々に発せられる。ボクはモニターを見入り、質問と答えの部分にマークを入れていった。
 一時間後、モニタリングは終了した。それから電極を取り除く。取り除くのにはそれほど時間はかからない。佐藤君の仕事はこれで終わりだが、ボクの仕事はこれからだ。
 記録されたデータを初めから見直し、質問の変わり目のマークを見ながらひとつひとつハードディスクに落としていく。もちろん圧縮はかけてある。
 そんな作業が終わったのは、午後9時ちょっと前だった。
 「島岡君。今日はこれくらいにしましょうか?」
 「データを標準化しておかないと」
 「そこまでやってたら、午前様じゃあ、すまなくなるわよ」
 「いいんですか?」
 「先は長いのよ。ゆっくりやりましょう?」
 「そんなこと言うんだったら、今日からじゃなくて、明日からやればよかったのに」
 「今日から始めろって言う教授命令は絶対よ。教授命令には逆らえない。まったくやらないわけにはいかない。だから形だけでもやっておかなきゃいけなかったわけ。わかった?」
 「そう言うことなら」
 「じゃあ、片づけをして帰りましょう」
 「了解」
 片づけを終えてメールチェックをしていると私服に着替えた早野女史が実験室に戻ってきた。
 「島岡君? 帰りにどっかで食事でもしようか?」
 「あ、ボクはいいです」
 「ああっ? 彼女でも待ってるな?」
 「そんなんじゃないです。昨日のカレーの残りがありますから」
 「カレーの残り。そう? じゃあ、わたしひとりで食べて帰るか」
 「すみません」
 「いいのよ。じゃあね」
 早野女史はボクに気があるんじゃないかと思うのは思い過ごしだろうか? もしボクが早野女史と結婚することになったとしたら、ひとつ年上の女房と言うことになる。
 (金の草鞋かあ)
 しかし、思いっきり尻に敷かれそうだと思いながら、白衣を脱いでジャケットに着替えた。