ぼくたち3人は、応接間へ行った。ぼくと円城寺俊郎が一緒に座り、向かいにぼくになった悟が座った。
「大島さん、紅茶を三つ入れてくれ」
「ハイ、かしこまりました」
大島みなみが、紅茶を運んでくると、円城寺俊郎は、大島みなみを呼び止めた。
「大島さん。こちらは、沙也佳の家庭教師をして貰っている森敬一郎さんだ」
「森です。よろしくお願いします」
「今日から、お手伝いをすることになった大島です。よろしくお願いいたします」
「それでだね。森先生には、今日から、ここに住み込みで家庭教師をして貰うことにしたんだ」
「えっ!? 住み込みですか?」
「そうなんだ。それでだね、食事を毎日3人分作ってくれたまえ。いいね」
「分かりました。3人分、お作りいたします」
「森先生、部屋は沙也佳の向かいの部屋を使って貰いますから、よろしいですね」
「はい」
「荷物は、どうするね?」
円城寺俊郎は、ぼくになった悟に向かって尋ねた。
「今からアパートに戻って、こちらに運んできます」
「片づけがあるだろうから、家庭教師の仕事は、明日からと言うことでいいかな」
「はい。明日から、みっちり教えさせていただきます」
「頼んだよ」
ふたりは、昨夜から今朝にかけて、相談していたみたいだなと思った。
娘の向かいの部屋に、ふたつ年上の家庭教師が住み込む。大島みなみは、不思議に思わないだろうか?
昼食がすんで、ぼくになった悟は、ぼくのアパートへ荷物を取りに行った。円城寺俊郎は、書斎で何かごそごそやっていた。ぼくは、沙也佳の部屋に戻り、ベッドの上に寝転がって、元に戻るアイデアを考えていた。
とんとんとドアがノックされ、大島みなみが、コーヒーを運んできた。
「お砂糖、いらなかったですよね」
ぼくは、いつもは砂糖を入れるのだけれど、沙也佳は、いつもブラックだ。大島みなみは、そのことを知っているようだ。
「ええ、ブラックでいいわ」
「沙也佳さん、森先生のこと、好きなんですか?」
「えっ!?」
「家庭教師を住み込ませるなんて、ちょっと変だなあと思って」
「そうですか?」
「旦那様は、森先生を、沙也佳さんのお相手にしようと思ってらっしゃるのかなと思って」
「そんなことはないでしょう? わたし、何も聞いてないから・・・・」
「そうなんですか」
大島みなみは、首を傾げて部屋を出ていった。誰が聞いても、そう思うだろうなとぼくも思う。
ぼくになった悟は、幌の付いた背の高いトラックに、ぼくの部屋にあった荷物を積み込んで戻ってきた。中年の帽子をかぶった男が一緒だった。引っ越し屋のようだ。6畳の部屋では、足の踏み場もないくらい荷物が多いと思っていたのに、ぼくになった悟が使う部屋は、倍以上の広さがあるから、結構片づいてしまった。
元に戻っても、この部屋が使えたらいいなと思う。
ぼくになった悟は、部屋の片づけが済むと、バイクに乗る練習を始めた。そう簡単にはいかないだろうなと思っていたのに、あっと言う間に乗れるようになってしまった。悟は運動神経がいいみたいだ。いや、ぼくの運動神経がいいんだ。
ぼくは、沙也佳として暮らしながら、元に戻るチャンスを窺った。しかし、そのチャンスはなかなか訪れない。チャンスどころか、口実がないので、人格交換機にも、二度と近寄ることができなかった。
7月16日、円城寺沙也佳は、17歳になった。自分の誕生日でもないのに、おめでとうと言われるのは、変な気分だ。
円城寺俊郎は、お祝いにと、真っ白なミニのワンピースを買って、ぼくに贈ってくれた。すぐに着て見せろと言うので、部屋に戻って着替え、鏡に映してみた。今まで見たことのない、真っ白な細くて格好いい足が、ミニスカートから覗いている。凄く似合っていると思った。
しかし、自分がそのミニスカートを着ていることを自覚したとたん、恥ずかしくなった。こんな丈の短いものは、とても着られない。けれど、円城寺俊郎が、ぼくがそのワンピースを着た姿を見るために、リビングで待っている。仕方なく、ぼくは、そのワンピースを着たまま、リビングに降りていった。
「沙也佳、よく似合うよ」
「お父様、ありがとう」
お祝いの晩餐がすんで部屋に上がると、ぼくはすぐに丈の長いスカートに着替えた。丈の短いスカートにも慣れなきゃいけないなと思う反面、早く元に戻れば、こんな短いスカートなんて穿かなくてもいいんだと自分に言い聞かせた。
それにしても、女って言うのは、よくあんな短いスカートを穿いて外に出られるなあと感心した。ぼくには、とてもあんな真似はできない。
沙也佳は、大検合格を目指して勉強する女の子だった。大学に進学して、心理学を専攻したいと言っていた。ぼくが勉強しても仕方がないのだけど、ぼくが沙也佳と入れ替わっていることを知られないためには、高校生並の勉強をしなければならない。受験勉強などしたくはないのだけども、仕方がない。元に戻るまでの辛抱だ。
ぼくになった悟と言えば、バイクに乗れるようになって、円城寺家から、大学へ通っている。彼は真面目で、毎日大学へ行っている。夏休みになっても、図書館に通って勉強していた。姉弟とも勉強が好きなようだ。
9月半ばから、二年の前期試験が行われた。ぼくの心配をよそに、ぼくになった悟は、すべての単位を取ってしまった。本来なら、高校2年生なのに、それも充分な勉強はしていないはずなのに、大したものだ。円城寺俊郎が、悟の頭脳は優秀だと言っていたのが確かだと分かった。お蔭で、元に戻れたとき、助かるなと思った。
丁度その頃から、円城寺俊郎の顔色が優れない日が続いた。疲れたと言って、夕食がすむとベッドに入ることが多くなった。
「お父様、病院へいらしたら?」
ぼくは、沙也佳を演じているわけだから、父親の体の心配をするのは当たり前なのだけど、父親がいなければ、ぼくになった悟が大学に行っている間に、人格交換機を調べることができるかなと思った。だから、口実があれば、園城寺俊郎を病院へ行かせ、できれば、入院させたかった。
「ちょっと無理が祟っただけだ」
そう言って、円城寺俊郎は、病院へ行こうとしなかった。
一ヶ月ほどして、三人で朝食を摂っていると、大島さんが、円城寺俊郎の顔を見ながら言った。
「あの、旦那様。白目が少し黄色くありませんか?」
ぼくと、ぼくになった悟は、円城寺俊郎の顔を見た。確かに、目の玉が黄色い。これは黄疸と言うやつだ。
「お父様、大島さんの言う通りよ。黄疸が出ているわ。肝臓を痛めているんだわ。食事が済んだら、病院へ行きましょう」
円城寺俊郎は、もう嫌だとは言わなかった。よほど、体調が悪かったに違いない。
タクシーを呼んで、円城寺俊郎を市民病院へ連れていった。採血、超音波検査が行われ、最後に内科医長の診察を受けるため、円城寺俊郎は、診察室へ入っていった。15分ほどして、中から、看護婦が顔を出した。
「円城寺俊郎さんのご家族は居られますか?」
「はい」
「はい」
ぼくと、ぼくになった悟が立ち上がった。ぼくは、ぼくになった悟を制した。
「あなたは外で待っていて。あなたは、わたしの家庭教師で、部外者と言うことになってるからね」
「うっかりしていた。姉さん、お父さんの病状をよく聞いてきてね」
そう、ぼくに小声で言った。
「分かってるわ」
診察室に入ると、白衣を着た女医が待っていた。へえ、女医さんの内科医長か! ぼくは、かなりビックリした。診察台に、円城寺俊郎が、力無く寝ていた。
「円城寺さんのお嬢さんですね」
「はい、そうです」
「お父さんは、即、入院していただくことにしました」
「かなり悪いんですか?」
「肝臓がかなり弱ってますから、点滴して、ビタミン剤をあげようと思っています。よろしいですね」
「はい、お願いいたします」
入院だ。これで、あの機械を調べるチャンスができる。ぼくは、心の中でほくそ笑んだ。
「看護婦さん、円城寺さんを病室へ案内して!」
「はあい」
ぼくが立ち上がろうとすると、女医は、目でぼくを制した。今の話しは、患者向けの話しのようだ。円城寺俊郎が、病室へ運ばれたあと、さらに話しがあるとの合図だ。ぼくは、小さく頷いた。
「何か用意するものはないですか?」
「ほとんど、病院備え付けでいいですが、いくつか必要なものがあると思います。看護婦に詳しいことは聞いてください」
「分かりました。飲み物は、飲ませてもいいですか?」
「ポカリスウェットのようなものでしたら、いいですよ」
「お父様、買っていきますから、病室で待っていてくださいね」
「ああ」
円城寺俊郎は、気力のない声でそう答えた。屋敷を出るときよりも、元気がない。これは、かなり悪いな。それがぼくの印象だった。
ぼくは、いったん診察室を出て、円城寺俊郎が、病室へ運ばれていくのを待った。
「何だって?」
ぼくになった悟が、ぼくに近づいてきて、耳元で囁いた。
「肝臓が悪いって、言ってたけど、どうもお父様の前では言いたくない話しがあるみたいなの。もう一度聞いてくるから、ちょっと待ってね」
「分かったよ」
円城寺俊郎がストレッチャーで運び出されていくのを確かめてから、ぼくはもう一度診察室に入った。女医がさっきとは、うって変わって深刻な顔をしていた。
「どうなんでしょう? 父の具合は?」
「先ほどは、患者さん本人がいたので、言えなかったのですが・・・・」
「かなり悪いんですね」
「そうです。円城寺さんは、肝臓癌です。しかも、末期の」
「末期の肝臓癌ですか」
「エコーを、超音波検査をしてみましたが、肝臓全体がガンです。いいところがないくらいです」
「・・・・そんなに・・・・」
かなり悪いことは予想していたのだが、まさかガンだとは思わなかった。しかも末期だなんて・・・・。元に戻れたら、沙也佳が悲しむだろうなと心配になった。
「腹水も溜まっています。ビリルビン、黄疸を示す検査ですけど、正常では1ミリ以下なのですが、15ミリもあります」
「どうなるんでしょう? 父は」
「そんなに保たないと思います。保っても一ヶ月でしょう」
「一ヶ月!」
ぼくの目から、突然涙が溢れて出てきた。ぼくにとっては、円城寺俊郎は、赤の他人で、こんな仕打ちを受けさせられた張本人なのに、何故か涙が出た。体が沙也佳だからだろうか?
「どうしようもないのでしょうか?」
「今の医学では、どうしようもありません。苦しみや痛みを取り除くしかありませんが、できるだけのことはします」
「・・・・お願いいたします」
診察室を出ると、涙顔のぼくを見て、ぼくになった悟が、ぼくを優しく抱きしめた。
「かなり悪いんだね」
「末期の肝臓癌だって。あと、一ヶ月保たないだろうって」
「末期の肝臓癌・・・・。やっと親孝行ができると思ったのに・・・・」
ぼくになった悟は、ボロボロと涙を流した。
入院したとたん、円城寺俊郎の容体は急速に悪化した。ぼくは、ほとんど寝ないで付き添った。ぼく以外に付き添う人間がいなかったからだ。付き添い看護婦を雇うわけにもいかなかった。勿論、人格交換機を調べる余裕もなかった。
全身が真っ黄色になり、顔も手足もむくみ、お腹はぱんぱんになった。2,3日おきに、腹の中に溜まった腹水を抜く処置を受けたけれど、抜いても抜いても腹水はすぐに溜まった。
意識状態もおかしくなり、訳の分からないことを言い出した。しかし、時には、まともになることがあった。
「自分の子どものことだけを考えた罰かもしれないな。しかし、わたしは後悔はしていない。悟が元気な体でいられるのなら、どんな罰も甘んじて受けよう」
ぼくは、円城寺俊郎が、悟に元に戻るように説得してくれることを、密かに望んでいたのだけど、そんなことは考えてはいなかったようだ。
それから2週間後、あっという間に円城寺俊郎は死んでしまった。
その夜、ぼくは、悟になった沙也佳に、円城寺俊郎の死を伝えに言った。あんまり慌ただしかったから、ぼくは、円城寺俊郎の入院さえも、沙也佳には伝えていなかった。
「沙也佳ちゃん、悪い知らせがあるんだ」
悟になった沙也佳は、何かを察したように、じっと聞いていた。
「君のお父さんが、亡くなったんだ。肝臓癌だった。二週間前、黄疸に気付いて、病院に連れていったんだけど、手遅れで、あっと言う間に亡くなってしまったんだ。悟君は、君はぼくだと思っているから、沙也佳ちゃんを病院に連れていけなかった。通夜と葬式には、顔を出さないとおかしいから、連れていってあげるからね」
悟になった沙也佳は、声にならない声を出して泣いた。親の死に目に会えなかった沙也佳。可愛そうだったけど、これも元はと言えば、円城寺俊郎のせいだ。ぼくが、哀れんでも仕方がないのだ。そう、割り切ることにした。そう思ったけれど、涙がこぼれた。
親戚が少ないため、円城寺俊郎の葬式は、ごく簡素に行われた。