ぼくは、ある日、悟になった沙也佳に、由佳を見せに行った。悟になった沙也佳は、また涙を流した。
このときぼくは、元の体を取り戻そうと言う気は完全に失せていた。いや、ずっと沙也佳のままでいたいと思っていた。けれど、悟になった沙也佳も何とかしてやらないといけないとも思った。
どうするか? 考えた末に、ぼくはある決心をしていた。ぼくは、今抱いている由佳と沙也佳の人格を入れ替えようと思ったのだ。由佳には、まだ確かな人格はない。由佳のまだ形成されていない人格を犠牲にして、沙也佳の人格を助けようと考えたのだ。そうすれば、ぼくは、沙也佳のままでいられる。
ぼくは、ぼくになった悟を大学へ送りだしたあと、大島さんを買い物へ追いやり、地下室の人格交換機の電源を入れた。
悟になった沙也佳を、裏口から機械のある地下室へ連れて行き、椅子に固定した。さらに、由佳をもう一方の椅子の上に寝かせた。
ぼくは、自分が沙也佳のままでいたいと言うことは隠して、悟になった由佳に話しかけた。
「沙也佳ちゃん。本当は、君にこの体を返してあげたいけど、悟君がぼくの体を占領しているから、それができない。いろいろ考えたんだけど、どうしても悟君をこの椅子に座らせることができないんだ。でも、君がこのままじゃあ可哀想だから、君の人格をせめてまともな体に移してあげたいと思うんだ。由佳を犠牲にはしたくないけれど、君のために、君の人格を由佳に移すことにした。君は、もう一度人生をやり直さなければならないけれど、ぼくが立派に育ててあげるからね」
悟になった沙也佳が頷いたような気がした。これが、今できる最善の手だ。ぼくは作動スイッチを入れた。ブーンと言う低い音がし始めた。メーターの針が上がってくるのを待って、さらにスイッチを入れた。キーンと言う耳鳴にも似た音がして、由佳も、悟になった沙也佳も、ぐったりとなった。
うまくいったのだろうか? ぼくは、ふたりを見つめながら、部屋の中をうろうろした。突然、由佳がぴくぴくと痙攀を始めた。失敗か? ぼくの大事な由佳が死んでしまうのでは? ぼくは慌てて、由佳に走り寄って、抱こうとした。由佳の体に触れたその瞬間、ひどい頭痛がして、ぼくは意識を失った。
目を覚ますと、天井が見えた。手足は動くのに、起きあがれない。どうなったんだ? 一生懸命起き上がろうとしていたとき、目の前に、人影が現れた。ぼくは、呆然とその人影を見ていた。
ぼんやり見えるその人影は、・・・・沙也佳だった。
目の前に沙也佳が立っていた!!! ぼくは? ぼくは、どうなったんだ!? 視野に、ぼくの振り回す手が目に入った。赤ん坊の手だ。紅葉のように小さな手だ。ぼくは、ぼくは・・・・由佳になってしまった。そうに違いない。どういうことだ!
沙也佳は、ぼくの体に触れようとして、止めた。それから、うろうろと部屋の中を調べ始めた。
ぼくは、最初の場面を思い出した。あの時も、沙也佳がぼくの体に触れたとたん、沙也佳と、悟になったぼくが入れ替わってしまった。今日も同じ事が起こったのだ。悟になった沙也佳と、由佳の人格が入れ替わった、そのすぐあとに、ぼくが由佳の体に触れたから、ぼくと沙也佳の人格が入れ替わったのだ。恐らく目の前にいる沙也佳には、沙也佳の人格が戻っている。
沙也佳は、じっと考え込んでいた。それから、ぼくに近寄ってきて、話し始めた。
「悟の方は、まるで赤ん坊だから、由佳の人格が入っているはずだわ。由佳! あなたの中にいるのは、森先生よね」
ぼくには返答ができない。言葉が発せられない。
「きっと、そう。間違いないわ。前回の起こったことと、今回起こったことを考えると、入れ替わった直後に体に触れると、もう一度入れ替わるみたいね」
沙也佳はさすがに頭がいい。気がついたみたいだ。
「お父様と、森先生になった悟は、入れ替わらなかったって、森先生、言ってたわね。何故かしら・・・・」
そう、その通りだ。ぼくにはその原因が分からない。沙也佳は、また部屋の中をうろうろし始めた。それから、人格交換機を一生懸命観察し始めた。
「あれ?」
沙也佳が何かを見つけたようだ。しかし、ぼくにはそれが何なのかは分からない。
「はっ、はあ。これね」
沙也佳はそう言うと、ぼくの寝ている椅子に近寄ってきて、何かごそごそしていた。
「これで、もう大丈夫と思うけど・・・・、森先生、もし、また入れ替わったら、わたしをちゃんと育ててよ」
そう言って、沙也佳が由佳になったぼくを抱き上げた。
ぼくは、沙也佳に戻りたいと思ったのに、・・・・何も起こらなかった。ぼくは、由佳のままだ。沙也佳は、触れても入れ替わらない方法を見つけたのだ。
「やっぱり、そうだったのね・・・・」
沙也佳は何を見つけたのだろうか? 沙也佳が何を見つけたのか知りたかったが、それが聞けない。沙也佳はぼくを抱いて、何かをじっと考えていた。沙也佳は何を考えているのだろうか?
しばらくして、沙也佳は、ぼくを抱いて二階に上がった。ぼくは、由佳になってしまったのが悔しくてワンワン鳴いた。
「どうしたの? 由佳。そうか、お腹空いたのね」
そう言って、沙也佳は胸をはだけて、乳房を出した。甘酸っぱい臭いがした。自分が沙也佳だったときには感じなかったのに、不思議だ。沙也佳の乳房を目にしたとたん、急に空腹感を覚えた。そろそろ、おっぱいを飲む時間なのだ。
「ちょっと恥ずかしいな」
沙也佳はそう呟いた。由佳のこの頭の中に、ぼくがいることが分かっているから、そう言ったのだろう。ぼくは、沙也佳の乳首に吸い付いておっぱいを飲んだ。吸うたびに、母乳が、ジュウジュウと沸いて出てきた。牛乳を少し甘くしたような味だった。
お腹一杯吸って、ぼくは満足した。満足したら、お尻が緩んだ。ぷりぷりとうんちをした。
「あら、あら。出ちゃったの?」
沙也佳は嬉しそうにぼくのオムツを換えた。今度は、ぼくが恥ずかしかった。ぼく自身を見られているわけではないのに、凄く恥ずかしかった。
ぼくは、お腹一杯になり、出すものを出したからか、もの凄く眠くなって、そのまま眠ってしまった。ぼくは、このまま女の子として、円城寺由佳として、人生をやり直さなければならないのだろうか? 悟として生きるよりはましなのだが・・・・。
お腹が空いて目が覚めた。ぼくには、空腹を伝える手段がない。ワンワン泣いて伝えるしか。しばらく泣いていると、沙也佳が飛んできて、ぼくにおっぱいを吸わせ、オムツを換えて、何処かへ消えていった。
そんなことが何回かあった。
次に、目覚めたとき、ぼくは、椅子に寝かされていた。部屋の様子からすると、人格交換機の椅子の上だ。沙也佳は何をやるつもりだろう?
ドアが開く音。そして、ぼくになった悟の声がした。
「沙也佳! 何をやっているんだ!!!」
「森先生が、可哀想だから、由佳の人格と入れ替えてあげるの」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ! そんなことしたら、大きくなったとき、父さんの犯罪がばらされてしまうよ」
「大丈夫よ。少なくとも今の体よりはいいはずだし、わたしたちが育ててあげるんだから、その恩を忘れるような人じゃないわ」
「馬鹿なことは止めろ。今のままでいいんだ」
沙也佳は何を考えているんだ! 悟の体の中にぼくの人格があるような話しを、ぼくになった悟にしている。訳が分からない。
それはともかく、状況からすれば、由佳になったぼくは人格交換機の椅子の上にいる。隣の椅子の上には、由佳の人格の入った悟がいるはずだ。このまま機械が作動すれば、ぼくは、悟になってしまい、由佳に由佳の人格が戻る。沙也佳は、あんなことを言いながら、ぼくを犠牲にして、由佳の人格を取り戻す気だ。ぼくは、沙也佳の人格を助けようとして、由佳と人格交換してあげたというのに、何という恩知らずだ。止めてくれ!!! しかし、その叫びは言葉にならなかった。
沙也佳は、ぼくになった悟の制止を振り切って、機械のスイッチを入れたようだ。ブーンと言う低い音。次いでキーンと言う音がして、ぼくは意識を失った。
目が覚めると、ぼくは、体を左に捻って、床を見ていた。涎が口からだらだらと流れ落ちてくる。やっぱり、ぼくは悟になってしまった。脳性麻痺の悟に・・・・。
沙也佳の馬鹿野郎! そう叫びたいのに、出てくる言葉は、意味不明の言葉だった。
「さあ、由佳。上に上がりましょう。おっぱいあげるわね」
沙也佳は、優しく由佳に囁いた。くそう。みんな殺してやる!! 心底そう思った。それができない、今の自分を呪った。
「悟。あなたの体を、離れに連れていって置いて、いいわね」
「どうなっても知らないよ」
「うまくいく。うまくいくわよ」
ぼくになった悟が、ブツブツ言いながら、ぼくに近寄ってきた。そして、ぼくの体に触れた。その瞬間、頭痛がして・・・・。えっ!!?? これは・・・・??? まさか!! ぼくは、意識を失った。
「森先生、森先生。目を覚まして」
そんな沙也佳の声に目を覚ました。手足が動く。体を調べてみた。ぼくの、ぼくの体だ。盗まれたぼくの体を、ついに取り戻したのだ。
沙也佳を見ると、由佳を抱いて、ぼくを笑顔で見ていた。
「これで、みんな元に戻ったわね」
「どういうこと?」
「説明するわ。こっちのイスに腰掛けて。悟の体に触れないでね。また入れ替わってしまうかも知れないから」
「分かった」
ぼくは、部屋の隅に置いてあったイスに腰掛けて、沙也佳の話を聞いた。
「この人格交換機には、欠陥があるの」
「欠陥って?」
「今、悟が腰掛けている方の椅子は、アースが不良で、機械が動いたあと、静電気が貯まるようなの」
「と言うと・・・・」
「静電気がなくならないうちに、体を触ると、人格交換がもう一度起こるの」
ぼくは、すぐには理解できなかった。
「一番最初から説明するね。最初、森先生は、向こうの椅子、悟がこっちの椅子に座っていた。人格交換機が作動して、人格が入れ替わった。森先生になった悟は、喜んで、お父様とここを出て行った。その後、わたしがここに来て、悟の体に触れて、人格が入れ替わってしまった。森先生はわたしの体に、わたしは悟の体に閉じこめられ、森先生は、元に戻るチャンスがなくて、わたしとして生きるしかなくなった」
「なるほど」
「今日の午前中、わたしになった森先生は、わたしの人格を助けようと、悟になったわたしと由佳を入れ替えた。それはうまくいったんだけど、由佳になったわたしに触ったため、人格が入れ替わって、わたしは、わたしの体に戻り、森先生が由佳になってしまった」
「うん、うん」
「わたしは、二度目の入れ替わりが、静電気のせいらしいことが分かって、計画を立てたの。4人を完全に元に戻す計画を」
「それをさっき実行したんだね」
「そうよ。まず、静電気が発生して二度目の人格交換が起こる方の椅子に、悟になった由佳を座らせ、由佳になった森先生を、正常の椅子に寝かせて、機械を動かせる。そうすると、由佳の人格は由佳に戻り、森先生の人格が悟の体に入る」
「ぼくの人格の入った悟君の体は、人格交換がもう一度起こる椅子に座っているから、ぼくなった悟君が触れば、ぼくと悟君が入れ替わって完全に元に戻るって訳だ」
「そうよ。そして、成功したの」
「なるほど。沙也佳ちゃんは、天才だ。でも、沙也佳ちゃんは、悟君が可哀想じゃないのかい? あんな体で・・・・。悟君になったぼくに触れさせなければ、悟君は、ぼくとして元気に暮らせたのに」
「それは、悟の宿命だから・・・・。他人の体を奪っていいって言うことはないわ。同意の元でって言うのなら別でしょうけど」
「それはそうだけど・・・・」
「悟! そう言うことだからね。2年も、まともな体で暮らせたんだから、我慢しなさいね。わたしとも・・・・望み通り、したんだし」
悟は、諦めたように、不自由な体で頷いた。
「さあ、静電気が消えたわ。もう、悟の体に触っても大丈夫よ。離れに連れていってくださる?」
「ああ、いいよ」
そう言われても、悟の体に触るときには戦々恐々とした。悟の体に触れてみた。入れ替わらなかった。よかった。
悟を離れに連れていって、屋敷に戻ると、沙也佳は由佳を寝かしつけていた。
「森先生。いえ、わたしたち結婚しているんだから、森先生じゃ、おかしいわね」
「そうだけど、いいの?」
「何が?」
沙也佳は不思議そうな顔でぼくを見つめていた。その表情は、いつもの家庭教師の時には絶対見せなかったものだった。
「ぼくたちふたりの結婚は、合意の上じゃないんだよ」
「あら、わたしは構わないわ。わたし、先生が大好きだから。それに、この子は、先生の子どもなのよ。それとも、先生は、わたしのことが嫌いなの?」
「イヤ、そんなことはないよ。大好きだよ」
「じゃあ、問題ないでしょう? わたしと一緒に暮らしてくださる?」
「ほんとにいいの?」
「勿論よ」
ぼくは、逆玉に乗ってしまった。美人の妻に、可愛い娘。何不自由ない生活。信じられない!!!